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2011年12月

2011年12月30日 (金)

南三陸町に喜びが広がった上棟式(下・完) 歌津の「竪穴式住居型集会場」づくり

O0278037011703592388「集会場」の顔となる扉が30日までにとりつけられた。制作は扉作家でもある「チーム日光」の小坂憲正代表=写真右。秋に「小杉放庵記念日光美術館」の企画展があり、会場に展示された小坂さんの作品のひとつ。わたしも気に入っている扉だ。写真撮影は「現地特派員」のホリベくん)

Dscn6506 (上棟式の祝賀会は盛大に。「チーム日光」のメンバーなど災害支援ボランティアと仮設住宅に暮らす歌津の人たちがにこやかに美味しい時間を過ごしあった)

Dscn6513祝賀会に提供されたカツオの刺身。こんな美味しいカツオの刺身は初めてだった~)

Dscn6365 (日光から南三陸へ。途中の東北道で吹雪に遭い、片道9時間半。わたしの車のナンバープレートは降雪でこの通り)

Dscn6491 (「チーム日光」の宿泊は基本的にテント。建設現場近くに張られたメンバーたちのテント村)Dscn6541 Dscn6540 (今回はマイカーで現地に向かったので、わたしの道具箱やガスコンロも積んでいった。「朝のコーヒーを一杯だけ味わいたい」、それだけのことだったが~。ほんの少しの余裕もねと)

Dscn6603 Dscn6601 Dscn6606 (ただただ平面が広がる歌津の市街地。そこに半月ほど前に「伊里前福幸商店街」が誕生した。「復興」を「福幸」と読み替えてのスタートだ。わたしは洋服屋さんで「南三陸」と大書されたコートを買い求めた。大震災前からつくられていたが、この状況でそれなりの引き合いがあるという)

Dscn6620 (「伊里前福幸商店街」では野菜などを売っていた別のお店で地元の「しめ飾り」を。三種類あり、わたしは真ん中の500円ものを。日光で求めようとしていたが、<どうせなら、歌津の商店で>。日光の正月はこのしめ飾りで迎えることになる)

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  • 2011年12月29日 (木)

    南三陸町に喜びが広がった上棟式(中) 歌津の「竪穴式住居型集会場」づくり

    Dscn6519上棟式の「祝賀会」では、「超人」・アクツさんが故郷の獅子舞で吹いている横笛で「北上夜曲」などを次々と披露した=26日、南三陸町歌津)

     被災者のための「竪穴式住居型集会場」の上棟式は26日午後1時から盛大に挙行されたが、当日の午前中、それも正午まで、さらに27日以降も、集会場づくりは進められている。

     その作業はすでに現地に十数日も張りついていたメンバー、さらに25日や26日の当日駆けつけたメンバー、それに地元の仮設住宅自治会の役員ら20数人が束になって。

     その活動ぶりの一端をアップへ。もっとメンバーはいるのだが、わたしも作業の合間にちょこっと写真を撮るだけなので、全員はカバーできなかった。いずれにしろ、各メンバーとも写真にあるような作業を懸命にこなしていたのだった。 。

     なかには、京都から日光の観光に訪れ、泊まったゲストハウスで「チーム日光」の活動を知り、迷わず「わたしも南三陸へ」。あっという間に25日深夜に日光から南三陸へ同行した京都の大学4年生、「大平靖子」さんの「雄姿」も。

     さらにメンバーたちにきょうはこれから現場を離れるあいさつにやってきた登米のボランティア「あやちゃん」や「ゆうちゃん」の写真も。

     それでは「写真特集」みたいなかたちで、12月26、27両日の「竪穴式住居型集会場」づくりの作業ぶりを以下に紹介したい。

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    Dscn6548 Dscn6550 Dscn6549 Dscn6545 Dscn6552 Dscn6579 Dscn6572 Dscn6554 Dscn6374 Dscn6581 Dscn6413 Dscn6563 Dscn6561 Dscn6586 Dscn6468

    2011年12月28日 (水)

    南三陸町に喜びが広がった上棟式(上)  歌津の「竪穴式住居型集会場」づくり

    Dscn6450 (被災者のための」竪穴式住居型集会場」の上棟式で紅白餅などを被災者たちにばらまく災害支援「チーム日光」の小坂代表=26日、南三陸町歌津、写真上、下とも)Dscn6441

    Dscn6417(上棟式は地元のしきたりにのっとり、関係者代表が集まり、おごそかに始められた)

    Dscn6378 (芸術品のような「竪穴式住居型集会場」の内部の木材の組み合わせ)

    Dscn6394 (屋根には縁起物の吹き流しなど。制作は「チーム日光」のメンバーでもある絵師、大ちゃんとアクツさん)Dscn6392 Dscn6393 Dscn6467 (中心の「しんばしら」に取り付けられた木箱には地元の結、伊里前契約会の千葉正海会長がしたためた直筆の名簿が収められた。集会場建設にあたった関係者のみんなを「3・11」以後の後世に長く伝えたいという)Dscn6482 (上棟式の祝い酒。「チーム日光」のメンバーでもある日光のゲストハウス「巣み家」のものはわたしが預かり、現地へ運んだ~)

    Dscn6460 (ふるまった樽酒の美味しかったこと。10升分がこの日だけで消えた~)

    下野新聞は記者(沼尾歩、田面木千香)を現地に派遣。28日付の新聞に掲載した。以下は下野新聞から。

    【日光】震災ボランティア団体「チーム日光」(小坂憲正代表)が宮城県南三陸町の仮設住宅敷地内に建設している「竪穴住居」型集会所の上棟式が26日行われ、被災者ら200人が建物の安泰を祈った。前日には被災者の女性たちが上棟式で配る餅2千個を準備。「こんな笑顔になれたのは震災後初めて」と喜ぶ高齢男性など、小さな団体の活動が被災者の励みになっている。

     集会所建設は11月下旬に着工した。「心を込めながら建設する」ことが方針で、ほぼすべての工程を手作業で行っている。メンバーは建設地内にキャンプをしながら、降雪の日も休まずに作業を続けた。

     直径8メートル、深さ1メートルの床穴掘りから始まり、柱穴に柱を立て込み、屋根を張っていった。26日までに主要な構造が出来上がった。

     前日には、仮設住宅で暮らす高齢女性ら約20人が協力を買って出て、紅白の餅やお汁粉などを準備した。阿部つゑ子さん(73)は「ありがたくてありがたくて。こういう場を一番望んでいました。先は見えませんが、集会所で将来のことを話したい」と声を弾ませた。

     上棟式は、南三陸町の風習にのっとって実施。小坂代表や被災者代表らが屋根に上がり、餅やお菓子を威勢良くまいた。子どもたちは両手いっぱいに“縁起物”を抱えて、笑顔をみせた。

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  • 2011年12月24日 (土)

    詰め合わせ「砂時計主義セット~」 お呼ばれに天下の回りものたちを

    Dscn6355(これが即席の「砂時計主義セット~=23日、霧降高原の「居酒屋くま」で)

     とある雑誌が「霧降高原の単身者たち」という企画記事を書きたいと、日光へ。世界を駈けまわってきたハンターの「くまさん」が中心になると思うが、わたしも少し顔を出すことに。

     「単身者たち」で歓談しているところを写真にしたいらしく、23日夜、近くの「居酒屋くま」へ。といっても、くまさんの自宅なのだが、その看板もあり、みんなでそう呼んでいる~。

     くまさんのところに行くと、まずご自身が獲ってきたシカのやイノシシの肉、海・山・川の美味しい魚料理がでてくるのは必至。いずれもくまさんが腕をふるってのものばかりだ。

     <それなら>。と、うかがう直前に詰め合わせで持って行こうと考えたのが、「砂時計主義セット~」。我が家で育てているの名古屋コーチンこうちゃんの卵、群馬の実家の町の特産品である大和芋はまず欠かせない。

     それに日光の友人がおすそわけで持ってきていただいた青森りんご、親戚のお歳暮・静岡のお菓子、さらに南三陸の災害支援に行ったときに持参したソーセージ、最後に吉野杉の香りがなんともいえないわたしの好きな奈良の樽酒を。

     樽酒以外は我が家の生産物?や贈答品でいただいたもの、保管していたものなど。それがひとつの箱に収まると、それなりに(と、自分勝手に思って)。手渡すときに、一品一品、(みんな迷惑そうにしていたが~)無理やり説明したのでした。

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    2011年12月22日 (木)

    華麗で清浄、その名も「結婚写真展」ー JR日光駅ホワイトルームで24日まで

    Dscn6337 (「日光養鱒場」で撮影したという今回の花形の花嫁さん=JR日光駅ホワイトルーム)

     「結婚写真展」がJR日光駅2階の「ホワイトルーム」で、24日(日)まで開かれている。メインゲスト?は日光市内のヤマグチ君夫妻なので、2日目の22日(木)、行ってみたのだった。

     大正元年に建てられた、つまり一世紀前の会場の階段を上っていくとー。最初に美しい花嫁さんにお目にかかれる。これまで東南アジア風のターバンを巻いた姿が印象的だと思っていたが、こんな純日本風の姿も似会うのだねー。

    Dscn6327 (「結婚写真展」はこの階段を上がっていった2階のホワイトルーム)

     この「結婚写真展」は3回目。最初は鹿沼で、2回目は日光の今市で。「いよいよ完結」だという今回は日光の日光で。21日(水)から始まり、24日(土)まで。会期は4日間だ(午前10時~午後5時、最終日の24日は午後4時まで)

     主催は「ケッコンビト実行委員会」。わたしなどが「ジュエルグループ」とも「ジュエル軍団」とも呼んでいる若い女性たち5人。いずれもヘア&メイク、エステ、フォトの専門家たちだ。いわば「美」を創造している集団だが、大半が今回の災害支援などボランティアにもかわっている。

    Dscn6330 (階段を上り切ったところで出迎えるのがこの美しい花嫁さんだ)

     彼女たちのスローガンは「ふたりらしさの追求」。「わたしたちは栃木県を舞台に、結婚するお二人の想いを追求し、表現すべく活動しています」という。

     そんな「結婚写真展」のロケ地は「奥日光」、「中禅寺湖」、「日光金谷ホテル」、「日光ふるさとの家」、「足尾松木渓谷」。今回はそれに紅葉のライトアップで知られう「日光養鱒場」も。

    Dscn6329 (花婿さんは私の若い友人でもあるヤマグチ君。災害支援「チーム日光」の仲間でもある)

     わたしの結婚式は、貧しい青年時代だったので、会場の写真にあるような華麗で清浄な結婚式とは月とスッポン。新婚旅行も「鎌倉一泊」だった~。いまとなっては、「いい雰囲気の写真展だね~」と眺めるばかりだ。

     でも、若い人はこんな「結婚人」もあるということで、今回の写真展(無料)を観て回ってもいいかも。会場が会場だ。私が事務局になり、10月1日に開いた「詩の講演会・朗読会」もこの会場だった。時を刻んできた独特のその空間を味わうこともできる。

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    Dscn6343(会場にはさまざまな花嫁・花婿さんたちのさまざまな場面が展示されている)

    Dscn6333 (さすが、「プロジェクター」?で画面を会場の壁に大きく~)

    Dscn6340 (主催は「ケッコンビト実行委員会。その問い合わせは上記の通りー)

    2011年12月21日 (水)

    40年近い歴史が仲間の絵で 美術家・冨岡弘の「個展+序説」

    Dscn6024 (今夏発刊した「序説18号」と、その表紙原画を示した「冨岡弘展」=前橋市のD-HOUSE)

    Dscn6013

     わたしたちの同人誌『序説』(事務局は「砂時計」のわたし・黒川純)の表紙を描き続けている高崎在住の美術家、冨岡弘君の個展「冨岡弘 絵画個展+序説」が前橋市の「D-HOUSE」であった。

     会期は11月下旬と12月上旬で、すでに終わっているが、記録的な意味も込めてアップへ。冨岡弘君も同人だが、個展会場も同人の建築家・高橋一男君のところ。「個展を観てからみんなで忘年会を」。そんな誘いで日光からでかけたのだった。

    Dscn6020 (1974年の「序説」創刊号から今夏の第18号までがずらりと並べられた「冨岡弘展」)

     「序説」の創刊は1974年。すでに40年近い前だ。同人はいずれも当時、若者だった。それが12号で休刊、四半世紀を経て、13号から復活。それから6年になる。

     初期の題名は「解体新書序説」。それが「序説」になり、そのままに。表紙はすべて弘君が描いているが、初期はやはり同人で「美術家」だった野村タカオ君が担当していたことも。その「序説」も含めて一堂に展示されていた。

    Dscn6028 (確か「イタリアで買い上げられた」と説明を受けた覚えがある「序説第14号の表紙原画)

     弘君は建築科出身の美術家だが、これらの作品群を眺めていると、<やはりこの道に進むべくして進んだか>、そんな思いがよぎった。同人は学んだ学科そのものに進んだものやぜんぜん違う分野に進んだものなどさまざま。

     美術家、建築家、公務員、介護職、大学職員、ファッション店主、卸売業、新聞記者、建築事務所経営、会社員、デザイナー。だが、それぞれの個性や特性をみてゆくと、そうした職業に就いたことがうなづける。

    Dscn6029 (初期の「序説」の表紙は冨岡弘君ではなく、野村タカオ君が担当していたこともあった)

     そのなかでも「美術」にこだわったのが、冨岡弘君だ。大学卒業後もアルバイトをしながら、絵そのものの生活を続けていた。その結果、たくさんの生徒を持つ美術家に。そのパトスが、根源的な姿勢が浮かび上がってくるような個展だった。

    Dscn6027 (20代の若いとき、下宿で描いたという冨岡弘君の魅力的な作品)

    Dscn6032 (絵画展を知ったさまざまな人たちが「冨岡弘展」の会場を訪ね、じっくりと観賞していた)

    その夜はもちろん、彼・弘君も含めて「序説」の「忘年会」へ。高崎の「大衆 いち蔵」で。その肴の見事で美味しいこと~。東京から恩師で同人の福澤さんも駆けつけ、酒盛りへ。当然、二次会へ。カラオケの合間に「ボランティア論争」をしたのだったー。

    Dscn6069 Dscn6057

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    2011年12月16日 (金)

    1月22日「ミツバチの羽音と地球の回転」 ポスターやチラシ・協力券できあがり~

     話題の原発ドキュメンタリー映画「ミツバチの羽音と地球の回転」。日光でも1月22日(日)に自主上映する。そのことは以前にも伝えていたが、そのポスター、チラシ、協力券(1000円)できあがった。高校生以下は料金不要なので、親子連れでぜひどうぞ!。

     きょう、その実行委員会があり、ポスターやチラシなどを手分けして広めることに。大型ポスターは100枚、チラシは5000枚。そのうち、わたしはポスター15枚とチラシ300枚を預かり、さっそく日光市内へ。

    Dscn6302 Dscn6295 (できあがったばかりの自主上映会の「ポスター」。チラシの表面も同じ図柄だ)

     ポスター掲示などをお願いしつつ、その「協力券」頒布に歩いたところ、「観たかったんだ!」という、うれしい反応もあったが、「どこかで聞いた題名」とか、「まったく初耳」が多かった。思わず〈もっと知られて欲しいのだが〉と。

     「ミツバチの羽音と地球の回転」の自主上映会の次はヒロシマで被爆もしている医師、肥田舜太郎さんの原発講演会。3・11に向け、その1週間ほど前の3月3日(土)に日光市で。その呼びかけも上映会で行うつもりだ。主催はいずれも私も参加している「原発問題日光実行委員会」。

    Dscn6303 (チラシの裏面。映画のタイトルにはどんな意味が?。鎌仲監督の答えは~)

     「ミツバチの羽音と地球の回転」の日光自主上映会のポスターやチラシの掲示を本日、引き受けていただいたお店や団体は、日光ゲストハウス「巣み家」、「日光観光協会」、ゲストハウス「にっこり荘」、「吉田屋酒店」、「高橋金物店」、卸会社「フードピア」、「朝日新聞日光店」、「鳴沢ロッジ」 トンボ玉工房「エカト」、「日光珈琲」、「みたて」、「NOW」、「NIKKOギャラリー」、「菜音」、「マツモト君」。

     今後、「めぐり」「かっふぁ」「サイクルセンター」なども。さらに時間切れで行けなかったり、留守だったりしていた「霧降高原チロリン村」、小さなホテル「森のうた」、ペンション「ポコ・ア・ポコ」、同「はじめの一歩」、「市民活動支援センター」なども、回ろうと思う。

    Dscn6297 (「協力券」は大人一人1000円。高校生以下は不要です。親子連れでもどうぞー)

     わたしのツイッターやこのブログを見て、<これなら行きたいな>。そう思った方はわたしのところに連絡しても、「協力券」が入手できます。霧降高原のわたしの連絡先は以下の通り。このブログのコメントからでも大丈夫です。

    メール qk3y-tmok@asahi-net.or.jp

    携帯電話 090・5351・3440 (黒川純=富岡洋一郎)

    Dscn6304 (「原発問題日光実行委員会では「第3弾」として、3月3日に軍医だったヒロシマで被爆しつつ、原爆患者の治療を続けてきた結果、内部被曝問題の重大さを知り、それを訴え続けてきた肥田舜太郎さんの講演会も予定している)

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    2011年12月13日 (火)

    こんな人たちがボランティアで「汗」を 南三陸町歌津で災害支援「チーム日光」(5)

     南三陸町歌津の被災者の「集会場」づくりは着々と進行し、26日には上棟式の運びになるという。詳しくは災害支援「チーム日光」の公式ブログ「チーム日光のキセキ」でhttp://ameblo.jp/fifasannsou/。そこの仮設住宅250戸で暮らす被災者の人たちにふるまうお餅のもち米やふるまい酒資金なども募っている。このブログでも協力を呼びかけたい。

     被災者の「集会場」づくりが進んでいく様子(1)、現場ではこんなこともあんなことも(2)、災害支援現場の環境の変化(3)、冬のボランティアの必要装備(4)。こんんな流れで、6、7、8日の災害支援についてアップしてきた。

     最終回となる今回は30人以上がかかわった現場でどんな人たちが汗を流していたか、ボランティア群像をアップしてみたい。もっとも地元の仮設住宅の自治会の人たちも連日参加。その作業の様子も示すことになる。

    • Dscn6139

     そうそう、ここに登場するボランティアたちはさまざまな職種や職歴の持ち主であることも伝えたいと。思い浮かべるだけでも、建築家、陶芸家の卵、登山家、元自衛隊員、介護士、観光案内人、NPOスタッフ、会社部長、ハンコ職人、元市役所職員、元会社員、レストラン経営者・・・。

     おっと、さらに、観光施設経営者、その後継者やスタッフ、土地家屋調査士、ゲストハウス経営者、喫茶店主、木材会社長、元新聞記者(6,7,8日以降、さらに呉服店主や珈琲店主、美容師なども助っ人へ。これまでペンション経営者や看護士、薪ストーブ経営者なども)。さて、写真のどの人がそれか~。 Dscn6096

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    2011年12月12日 (月)

    冬のボランティアの「必要装備」! 南三陸町歌津で災害支援「チーム日光」(4)

     夏の南三陸伊町歌津はメンバーの中から日射病にかかってしまった人もいたほど、暑かった。それから4カ月。12月の東北は一転して寒さ対策へ。「チーム日光」は基本的にテント生活なので、その対応が必要になる。

     ということで、今回は冬のテント生活の模様を中心にアップすることに。私にしても、7日の朝は寒さで起きてしまった。その反省から7日夜は持参した「湯たんぽ」を使用。その効果、抜群。じっくり眠ることができた~。

    Dscn6240 (山から切り出した尾鷲ヒノキを無償で提供してくれた三重県の小川耕太郎さんや竹村裕二さんを見送ろうとしたところで、「記念撮影を」。仮設住宅に暮らす地元の自治会役員さんらも交えて、みんなで=8日、南三陸町歌津)

    Dscn6130 (風は山から海に向かって吹くので、山側の建物のかげにテントを張った「チーム日光」のテント村=6日)

    Dscn6281 (12月の東北は当然ながら寒い。そのためのテント生活には、①ブルーシートを地面に②そのうえにテントを張る③テント内に銀マットを敷く④さらに寝る部分にもう一枚、銀マットを敷く⑤それからようやく寝袋を⑥寝袋には厚着でもぐりこむ⑦寝袋内には湯たんぽを⑧寝袋の上には温かい毛布をー。と、こんな2泊3日でした) Dscn6283

    Dscn6285_2 (私が現地で使っていた湯たんぽ。灯りは電池がいらない手回し式ランタン、ミニLEDライト、大型ライトも)

    Dscn6187_2  (災害支援現場の朝は早い。ふつうは朝5時半起床。朝6時半からみんなでNHKのラジオ体操を、それも第二まで。身体がほぐれること、ほぐれること。というか、眼がさめる~)

    Dscn6205(現地の朝食は朝7時半前後。8日のこの朝は夕べの残りのタイ式カレーや和式カレーなども。8時から作業開始だ)

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    2011年12月11日 (日)

    快適な?被災者「集会場」建設現場です 南三陸歌津で災害支援「チーム日光」(3)

    Dscn6180 (被災者の「集会場」づくり現場の午後3時。その休憩時間は仮設住宅からやってきたおかあさんたちとボランティアが一緒にお茶を飲み、にこやかな語らいも=7日、南三陸町歌津)

    Dscn6213 (「集会場」づくりの現場はキャンプができる広い場所。専用の炊事場もトイレ=それもウォシュレットトイレ付き=もあり、春から秋の拠点だったテント村とは「天と地」の違いが。寒さ対策を除けば、快適なボランティア作業環境だ)Dscn6208

    Dscn6220

    Dscn6207 (場所が広いので、駐車もらくらく。写真は建設現場近くに駐車した「チーム日光」のメンバーたちの車。6日~8日の2泊3日「本隊」はマイカー5台。ほかにトラック3台で。さらに個別にマイカー3台も駆けつけた)

    Dscn6214 (今回も仮設トイレだと思って行ったが、とんでもない。立派なトイレが。男女別の水洗トイレ。それに灯りも。これまでの現地支援では電気なし、水道なし、仮設トイレがあたりまえだったので、その違いに感心することしきりだった)Dscn6210 (水道はもちろん、立派な炊事場も。料理をするにもらくらく。私は2日目、7日の夕食に助っ人を得て、「砂時計カレー」を二つの大鍋に。それも8日の昼食で「完売」。わたしの分は残っていなかった~)

    Dscn6193

    Dscn6206 (「集会場」建設現場近くに保管された丸太たち。当然ながら、「いろはにほへと・・・」で、組み立てる建物のどこに使われる部材なのか、一目瞭然。これらは日光でさまざまなボランティアたちが何日間もかけて原木から仕上げたものだ)

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  • 2011年12月10日 (土)

    「集会場」づくりはそんなこともあんなことも 南三陸町歌津に災害支援「チーム日光」(2)

    Dscn6085 (柱を支える丸石を災害ボランティアの基本である?バケツリレーで運び出す災害支援「チーム日光」のメンバーたち=6日、南三陸町歌津の「集会場」建設現場)

    Dscn6078 Dscn6090

    Dscn6088_2  (「集会場」の丸太材などを運んできた大型トラックは那須高原付近でバーストのアクシデント。無償で運送を引き受けた日光市小代の福田彦一郎「大和木材」社長によると、60㌔で走行しながら石巻でようやくタイヤを交換したという。日光から南三陸町まで9時間かけての到着となった=6日、3枚組み写真)

    Dscn6159 (雨水を浸透させる砂利層に埋められていた浸透管を「集会場」の周囲にめぐらす場面。南三陸町のホームセンターで買い求めた継ぎ手で見事に接続することができた=7日)

    Dscn6230現場で掘り出した土は有効活用へ。スロープなどに使うため、土砂を網でふるい、砂粒にしていくメンバーたち。器材は地元の人が貸してくれたうえ、大量の砂も提供していただいた=7日)

    Dscn6113 (建設現場には、怪力のボランティアが掘っても掘っても全容がわからなかったこんな大きな石も埋まっていた。車で引っ張ってようやく引き上げることができた)

    Dscn6108(「集会場」の建設現場には仮設住宅群の自治会「平成の森テニスコート自治会」の役員らも連日、助っ人に。なかでも追川学副会長=写真中央=は、メンバーから「きょうも追川さん登場」と声がかかるほどに=6日)

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  • 着々と進む被災者の「集会場」づくり 南三陸歌津に災害支援「チーム日光」(1)

    Dscn6245 (9日午前11時段階の被災者の「集会場」建設現場。深さ1㍍の穴掘りは終わり、柱を立てる穴を掘る作業へと進んだ。右が災害支援「チーム日光」の小坂憲正代表)Dscn6149 (被災者の「集会場」の完成模型。竪穴式住居形式。夏は涼しく、冬は暖かいという。上から眺めると前方後円墳のような姿になる)Dscn6096 (6日午前4時過ぎに日光を発ち、11時前に現地に到着。柱材や機材を降ろし、午後から作業へ。土というよりも石や粘土、砂利との悪戦苦闘が続いた)

    Dscn6106 (6日午後の段階では、左側はまだまだ手つかずのような状態だった。まずはツルハシで砕いてから先の尖ったスコップでかきあげ、一輪車で運び出す作業が続いた)

    Dscn6121_2(7日の1日で全体的に深さ1㍍の円の掘削に成功。私は何度も一輪車ごと転倒してしまったが、疲れを知らない超人的な活躍をした元気なボランティアが何人も)

    Dscn6232(8日は日光から測量の専門家兼焼きそば屋さんも朝から駆けつけ、慎重に柱を立てる位置を正確に測った)

    Dscn6252(8日の午前11時で柱を立てる直径約40㌢、深さ約65㌢の穴がいくつも。底に5㌢ほどの砂を入れ、その上に水平のバランスをとりながら、丸い石材を敷いていった)

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    (被災者の「集会場」づくりについては、7日付・朝日新聞栃木版が簡潔に記事にしており、アサヒコムでも読むことができる。以下はアサヒコムからの引用記事だ)

    東日本大震災の直後から被災地でボランティア活動を続けている日光市の市民団体「チーム日光」が、被災者のための集会所を宮城県南三陸町に建てる。6日、資材を現地に搬入した。木と土による竪穴式住居の手法を取り入れた建物で、年内の棟上げを目指す。チーム代表の小坂憲正さん(43)は「新たな絆を生んで欲しい」と話している。

     チームは3月末に結成。南三陸町歌津地区では5月から延べ約160人のチーム員が現地に入り、山際の斜面で津波による漂着物の除去などを行ってきた。

     被災者は避難所から仮設住宅に移ったが、人々が立ち寄って話し合う場所がないことに気付き、今回の集会所建設が持ち上がった。

     建設するのは、約50平方メートルの木造建造物。竪穴式住居のように町有地の地面を1メートル掘り下げて整地し、柱を29本立てる。外観は前方後円墳のような形になるという。最も高い部分は地上約3メートル。建築の話を聞いた小坂さんの三重県の知人が、尾鷲ヒノキ82本を無償で提供。チームが11月から樹木の皮むきなどを行い、加工してきた。

     建築に向けて、北海道のアイヌ民族を訪ね、柱の防腐方法などを聞き取った。建築強度は東京の建築士グループと詰めた。木と土の手作り建造物へのこだわりには、誰もが建築を手伝うことができ、そこに新たな出会いが生まれてほしい願いもある。扉作家でログハウス建設なども手がけてきた小坂さんは「竪穴式住居は夏涼しく冬暖かい日本の建築物の原点。地域の迎賓館となって、復興へ人の輪が広がるように期待している」と話す。問い合わせはチーム日光(0288・50・1066)。ブログ「チーム日光のキセキ」はhttp://ameblo.jp/fifasannsou/(服部肇)

    2011年12月 4日 (日)

    頑張れ!「復興結っこ牡蠣」 南三陸町歌津伊里前の千葉正海さん

    伊里前牡蠣復興基金 結っこ基金

    『震災後の伊里前湾で育った牡蠣の名前を私たちは、「復興 結っこ牡蠣」と命名しました。「結」とは、南三陸町でも受け継がれてきた、小さな集落や自治単位における相互互助、共同作業の制度です。一人で行なうには多大な費用と期間、労力が必要なものでも、助け合い、協力し合う相互扶助の精神があれば、きっと乗り切っていける、それが「結」。南三陸地方の方言では、親しみをこめて「結っこ」と呼ばれる制度です。相互扶助の「ゆい」の意味のみならず、様々なものや人をつなげる「むすび」の意味の結も、その名前にこめました。皆様お一人おひとりの結の心で、「伊里前牡蠣復興支援 結っこ基金」へ、お力添えとご支援をお願いいたします。ご支援いただいた皆様には、将来的に、ご支援金の50%にあたる5000円相当の「復興 結っこ牡蠣」(包材・送料などを含む)をお送り・お返しする予定です。集まった支援金の使用内訳、牡蠣の育成進捗状況については、その都度ホームページ上にて掲載し、皆様にお知らせしていきます。皆様との「結」の結果、復興へのあゆみを、ご覧いただけると幸いです。歌津に震災前のような温かい町並みが戻り、蘇った伊里前の海で安心・安全な最高の牡蠣を育むことが私たちの使命であり、最大の課題です』

     災害支援「チーム日光」は継続して縁のある南三陸町歌津伊里前の被災者たちを支援しているが、大震災から約9カ月、今度は彼らが本格的に立ちあがることになった。

     江戸時代から続いているという地元相互扶助組織、いわゆる「結」(ゆい)の代表であり、牡蠣養殖を受け継いできた千葉正海さん一家だ。津波ですべてを失っており、牡蠣養殖を再開するには大変な資金がいる。それを「伊里前復興支援 結いっこ基金」という方法でなしとげたいという。

     「さまざまな人たちの協力があり、スタートすることになった」。きょうの夜、その千葉さんから日光霧降高原の砂時計家にうれしい電話があった。<たしかHPができているはず>。そう思って調べたら、なんと、きょう4日、正式にHPが立ちあがっていた。

     晩春に初めて南三陸町の災害支援に出向き、避難所があった歌津中で親しく懇談した際、千葉さんに「全国からオーナーを募り、その人たちには、地元特産品を贈るといったオーナー制度は3・11以前から北海道など各地に生まれている。それも参考にいずれはその方向も」。そう伝えていた。それを覚えていた千葉さんが義理がたく、そのスタートを知らせてくれたのだった。

     たまたまだが、6、7、8日と私も「チーム日光」の一員として、南三陸町歌津の災害支援に向かうことにしている。現地で直接、「スタート、おめでとう」を伝えると同時に、この基金にもぜひ参加しようと思う(詳しくは以下のHPへ)。ともあれ、本日開設のようなので、取り急ぎ、お知らせを。私のブログを訪ねてくれる「少数?」のみなさんの協力を、私からもお願いしたいと思います。

    詳しくは以下のHP「結っこ基金 伊里前牡蠣復興支援」へ

    http://www.maruta-takuyo.co.jp/donation

    「伊里前牡蠣復興支援 結っこ基金」でのご支援は一口1万円\n支援基金の目標額は6000口、6000万円\n支援金の50%は牡蠣筏の設備設置、50%は皆様への御礼に使わせていただきます。

    『3月11日午後2:46直後、
    大津波が来ると感じて家族を避難させ、船を守るために一人、沖に出ました。
    白い泡だらけの海面が前方に迫り、とにかく沖に進まなくてはと、必死に操船しました。
    やがて海流の変化で、魚群探知機の画面が真っ赤になり、水深が普段よりも15メートル近くも膨れ上がりました。
    それが、南三陸町歌津伊里前を襲った津波の高さだったのでしょう。
    翌朝、午前8:30頃、瓦礫が埋め尽くされた海を帰ってくると、わが町は壊滅していました。
    無我夢中の避難所生活が過ぎました。
    何度も家族で話し合いをし、26歳になる息子と「もう一度、残されたこの船を使い、
    50年間継承してきた牡蠣養殖を復活させよう」と、決断しました。
    しかし、現在の伊里前には船をつける岸壁はありません。
    牡蠣筏(いかだ)もフォークリフトも津波に飲まれて流されました。
    さらに、牡蠣剥き場や濾過場、必要なすべてを失いました。
    国の援助はいまだ具体的な見通しがつかず、再建には新たに莫大な個人負担が必要です。
    牡蠣筏に関しては、将来的に「激甚災害の特別財政援助」が見込まれていますが、領収書類を提出しての
    「立て替え・後払い方式」となっているため、無収入の被災者である私達家族は、資金捻出ができません。
    さらに深刻なのは、伊里前湾で牡蠣養殖を営んでいた8世帯の漁師が、
    高齢を理由に牡蠣養殖の再建を諦め、ワカメ養殖に切り替えたため、協業ができないという現状です。
    このままでは、伝統ある伊里前湾の牡蠣養殖が途絶えてしまいます。
    牡蠣養殖を中心とする水産業は加工業、飲食店、観光業、すべての産業をつなげる礎です。水産業の復興なくしては、
    この歌津の復興はありえません。来春、現実的に「牡蠣筏」を浮かべるための資金援助、行政援助がない
    「フォークリフト」購入、「牡蠣剥き処理施設」建設へ向け、皆様のご支援をお願いいたします。ご支援金をもとに、
    家族一丸となり、出来うる限りの行動を一歩一歩始め、来春からの牡蠣養殖再開への道を拓いていきます。
    どうか今、皆様お一人おひとりの「結」の力をお貸しください。
                               
    株式会社 マルタ拓洋水産 代表取締役  千葉 正海』

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