「だけど僕らはくじけない」 「進め ひょうたん島」の朝日新聞連載記事に期待
(4日から連載が始まった「進め ひょうたん島」の第1回目の見出しと全体 写真上・下)
いわば、意表を突く表題だ。朝日新聞の人気連載欄、「ニッポン人脈記」の「進め ひょうたん島」。見出しも「だけど僕らはくじけない」。それも担当しているのが、震災後に岩手県大槌町に移り住んで、現地を駈けまわっている東野真和記者。<これは期待できるぞ>。そう思って4日付夕刊の第1回目を読んだのだった。
住民の約1割を失った大槌町。津波で当時の町長も失っている。その大槌町の蓬莱(ほうらい)島」が「ひょうたん島」のモデルとも言われる、とある。私も確か、そんなことをかって聴いたことがあるが、それを表題にした連載にするとはー。
わたしの知っている東野記者はいわゆる政治畑の記者だが、それにとどまらず、事件や社会にも首を突っ込んできた論客。盛岡総局などで、若い記者を育てる嫌われ役の昔でいう「軍曹」もやってきている。
その彼が震災を受けて、あえて現地に暮らし、被災者たちの日々を視てゆくという決意。そこから発信してきた全国記事は丁寧に読んできた。ときには大槌町を「叱咤激励」するなど、かなり挑戦的な,、いや、挑発的な記事も書いてきている。そのエネルギーにエールを送ろうとしていた。
そんな東野記者の書きだしは「・・・住民1万5千人の約1割を失い、市街地が壊滅した。震災後、ここに移り住んだ私が出会った、くじけない人々を紹介したい」。さらにー(詳しくは記事で)。いずれにしろ、第1回目の結びがいかにも、今を。被災者とともに生きてきた彼だかからこそ、それを伝えたかったはずだ。「ひょうたん島」の歌を。連載の今後を期待したい。
悲しいこともあるだろさ
苦しいこともあるだろさ
だけどぼくらはくじけない
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