大震災詩 それははじまっていたのだ 黒川純・「コールサック」71号
(昨年12月28日に発行された詩誌「コールサック(石炭袋)」71号)
新春なので、今年の最初のブログは詩で。考えたら、昨年12月28日発行の詩誌「コールサック」(石炭袋)71号(年3回発行)にわたし・黒川純は詩「それははじまっていたのだ」を寄稿していたのだったー。
書いているうちにいずれも「ひらがな」ばかり。というか、無意識のうちにひらがなだけの詩になっていた。詩を書いてずいぶんになるが、漢字を一字も使わない詩を書いたの初めて。この詩はひらがなの方が似あう。そう思ったので、そのままに。
さて、2012年初頭の時代気分にマッチしているかどうか?。全国のさまざまな詩人たちの詩や詩論、評論のなかで読んでくれる人がいるかどうか。えい!ままよー。ブログ「砂時計主義」に掲載へ~。詳しくはhttp://www.coal-sack.com/syosekis/view/522/「COALSACK」(石炭袋)71号 2011年12月28日_)
詩 それははじまっていたのだ
黒川純
それははじまっていた
ゆっくりとしたはるかぜとともに
のびのびとせのびするわかばのように
もともとあるほんとうのために
だれかのだれかのためにいきてゆく
じぶんのじぶんのためだと
めびうすのわで とほうにくれるが
さんりくにいきたひとりびとりが
わるいゆめのように いっしゅんのうちに
ざぶざぶとうねるうみにのみこまれた
だれかのだれかのためなら
はっきりしたちょくせんがみえる
さむざむとしたおいかぜはもうけっこう
ぎすぎすしたあいさつもいらない
ぎゃくだちしたつくえともおさらばさ
だれもそうとはおもわないうちに
くちからくちにしないうちに
あたたかいくうきをおよごうとしている
やわらかなみどりのかぜにむかっている
じもんじとうをくりかえしながら
たいきのながれそのものになろうと
いきてゆくほんとうにみをさらす
それがはじまっていた
おおくのだれかで
ねがっても てがとどかなかった
まだみぬひだまりのえんがわへ
きづいていたわけではないが
そっとふわりとそのほうへ
でも うすうすかんじてはいる
なんだかとてもきもちがはれる
ほおがあかるくはればれとして
なぜかけなげにうつくしい
しぜんのしゃぼんでみをきよめ
うまれかわったかのように
それはまるでてじなのようだ
それがはじまっていたからだ
あのひとと このひとと
あいつと あのこと
うみとともにくらしつづけた
あっちのひと こっちのひとと
あしたのゆめをむざんにひきさかれ
いっぱいのむねんさにただようかれらと
かなしみとあしたのパンをわかちあい
まっすぐなまなざしをこうかんすれば
たくさんのだれかのそのいっぽから
たしかなきぶんと たしかなきもちが
がれきだけのまちのかぜのなかでも
それははじまっていたのだ
(了)
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