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2012年2月 7日 (火)

下血、目、鼻、口からも血が吹き出す 凄惨な「内部被曝死」-  肥田舜太郎『広島の消えた日』

Dscn7141_2 (肥田舜太郎さんの著書『広島の消えた日』と鎌仲監督との共著『内部被曝の脅威』)

驚き、感心、驚愕、同情、同感、感動、もう言葉が見つからない。肥田舜太郎さんの著書『広島の消えた日』(影書房)。吉田満さんの名著『戦艦大和ノ最期』を読んだときの感動がよみがえってきた。こんな名著を見過ごしてきたのか、とそんな反省も。こころあるひとたちにぜひ一読を強くお薦めしたい。

肥田舜太郎さんの著書『広島の・・・』は今の時代、改めて読まれるべき本だと確信した。3月3日にわたしたち実行委員が肥田さんを日光に招いて原発講演会を開く。その際に『内部被曝の脅威』(鎌仲監督と共著)とともに『広島の消えた日』も会場で頒布できるよう、実行委で提案したい。

今(6日深夜)、読み終えた肥田舜太郎さんの著書『広島の・・・』、あまりの内容の高さにしばし、言葉を失う。きちんと整理し、いずれわたしのブログ『砂時計主義』で紹介したいが、断片で魅力が伝わるか。3月3日に肥田さんにお会いする際に、その感動を伝えたいー

以上の3つは6日深夜のツイッターでつぶやいた。著書の断片の紹介ではその魅力は伝わらないのは確か。なので、「目次」と「書評」のひとつを加えることにした。それで役目?を果たしたい。安易なのは承知しているが、ブログを訪れる「少数?」の人たちに早く伝えたいと思ったからでもある。

そうそう、文中にある部下の近藤少尉と肥田軍医中尉(当時)の会話で、『戦艦大和ノ最期』のある場面を思い起こした。沖縄に向かう途中、特攻出撃について、船内で士官たちが議論する場面だ。その死の意味するところについて、「敗レテ目覚メル。ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ワレルカ」。哨戒長の大尉がそう語り、議論に片がつくという、緊張感あふれる場面だ。

ただし、『広島の・・』ではやや、いや、この大和の論議とは違った場面を用意している。近藤少尉の分厚い封書「いのちがけの遺言」を読むところだ。

「今はただ一日も早く無益な抵抗はやめて潔く敗北の事実の上に立ち『降伏こそ最善の道』と勇気をもって言うべきと確信しています。国敗れても山河は残り、民族は死滅しません。敗北の痛手に鍛えられて二度と戦争を望まない祖国を築く事業に立ち向かわなければなりません。その日のために、あなたは(肥田舜太郎さん)なんとしても生きのびてほしいと望むばかり・・・」。

この手紙を肥田さんは終戦間際、ヒロシマ原爆の前日の8月5日に読んだという。当時、こんな手紙を書いたことがわかれば、その人物はすぐに特高が連行するだろう。当然、肥田さんは何度も読み返してから、「その手紙を宿舎の風呂のかまどで灰にした」。

肥田さんはこの極秘の手紙を読みながら「足が小刻みにふるえてどうにも止まらなかった」という。論旨が「はげしく私の胸をときめかしたが、それが私の行動を左右するには、破局に向かう戦争の規模があまりに巨大すぎたし、第一、私にそんな大それた勇気もあるはずもなかった」と記している。

『広島の消えた日』の目次

第一章 破局に向かう日々―広島陸軍病院にて
 銃なき軍隊
 苦闘する四台の培養器
 往くもの、送るもの
 一つの「いのち」
 防空演習と「相良少佐」の死
 一人の軍医の誕生
 対戦車肉薄攻撃
 いのちがけの遺言

第二章 広島の消えた日
 見よ! 広島に紅蓮の火柱が立つ
 見よ! 一望の焼け野原
 地獄からの出発
   *
〔旧版〕あとがき
被爆者たちの戦後―新版へのあとがきにかえて
著者略年譜

書評(「影書房」HPから)

「北海道新聞」2010年5月23日

被爆者と向き合う医師
                             評者=高瀬 毅(フリージャーナリスト

 タイトルだけ見ると、誰もが全編被爆の話が綴られていると思うだろう。だが、ページをめくると、よい意味で裏切られる。

 前半は原爆投下の以前、軍医として赴任した広島陸軍病院での話が中心だ。精神主義がはびこる軍隊の中で、職業人としての責任を果たそうとする著者の行動が描かれる。そこに、曇りのない目で状況をみつめていた若く聡明な少尉が現れ、「一貫して貫くものなし」と痛烈に批判される。著者は少尉を尊敬し、友情を感じながらも、止めようのない巨大な力に押し流されていく。

 やがて破局がやってくる。破壊された広島の町とおびただしい死者。被爆の脅威はそれで収まりはしなかった。瀕死の重傷を負いながらも奇跡的に回復した若い夫婦が、故郷に帰る日、著者に挨拶に来る。部屋を出ようとしたそのとき、夫が血を吐いて倒れた。取りすがって泣く妻の涙にも血の色が混じる。髪の毛が抜け始めた。翌朝、二人はほぼ同時に息絶えた。

 次々に起こる凄絶な死。それを抑制の効いた筆致で畳み掛けるように描写していく。放射能が体内に取り込まれた「内部被曝」の脅威が息苦しいほどに伝わってくる。

 このときの体験は、医師としての進路を決定付け、戦後、著者をして被爆者医療と支援に向かわせる。医療活動から引退した昨年までにかかわった被爆者は6千人を超える。

 本書は、1982年に手記として出した旧版に加筆、新版として復刊した。「被爆者がどのように生き、どのように死んだか。そのいのちに触れて一人の医師が何を教えられたかを書き加え、新たな命を吹き込まれた。」

 現在93歳。著者みずから言うように、「ヒロシマ」とその前後を生きてきた一人の医師、一人の人間の魂の記録にもなっている。後半の被爆の話と併せた二部構成の妙味が読み通してみてわかる。表現上、やや創作的な部分があるものの、若き日に出会った少尉が還らなかったことも深い余韻となって胸に残った。

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コメント

黒川純さんのブログ楽しくて結構チェックしてるんですよ(^ε^)♪実は読者なんです(笑)普段はあんまりコメントとかしないほうなんだけど(照)見てるだけなのもアレかなって思ってコメントしてみました(笑)黒川純さんに仲良くしてもらえたら嬉しいですヽ(゚◇゚ )ノ一応わたしのメアド載せておくので良かったらお暇なときにでもメールください(´∀`) maricoke@docomo.ne.jpだよヾ(@^(∞)^@)ノ

まりこさま
コメント、ありがとうございます。「実は読者なんです」は初耳。心強い限りです。世の中はTWITTERにかなり傾いているようなので。「仲良きことは美しきかな」です。まりこさんはTWITTERは?ー。

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