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2012年3月

2012年3月28日 (水)

「除染署名」、もうひと踏ん張りへ 霧降自治会と隣近所だけで154筆、感謝!

年間追加被ばく線量1ミリシーベルト以上のところは全て国の除染費用負担として進める事

Dscn7837 (霧降自治会の各組内に回覧され、わたしの手に戻ってきた「除染署名」。自治会で132筆。それに隣近所2軒で22筆も。霧降高原で154筆ということに。さらにひと踏ん張りへ)

Dscn7437

 「国の除染費用負担を求める要望署名」の運動は2万人を目標に3月11日から4月11日まで1カ月間の予定で取り組まれてきた。スタートから半月強が過ぎたところで、呼びかけ人人団体による代表者会議が27日、那須塩原市であり、中間集計があった。が、これまでのところ、回収分は5000筆、配布状況からは1万人程度と、まだまだの状況が明らかにされた。

 わたしも会員になっている「原発問題日光実行委員会」からは代表幹事が代表者会議に参加。署名統一行動を提起したようだ。それを受け、4月8日(日)に街頭統一行動が企画されたという。署名活動事務局の那須希望の砦からそんな連絡がメールに入ってきた。その内容を多くの人に伝えてということなので、BLOGやTWITTERでそのことを伝えたいと思う。

 「もうひと踏ん張り」ということだが、私が暮らす日光霧降高原の霧降自治会(約140世帯)では、回覧で署名用紙を回してもらった。その結果、3月末締め切りのところ、すでに26日までに回覧を終了、132筆の署名があり、私の手元に。また、ご近所の2軒だけで22筆も集めていただいた。ここに霧降自治会やご近所に感謝をしたいー。

 このほか、「3.11福島県民大集会」参加者たち、「今市宿六斎市」での街頭署名、「さようなら原発1000万アクション3・24」での会場署名などで、計約100強。私のところに合わせて約250筆が集まっている。このほか、私の友人たち10数人に「20人」づつの署名用紙をお願いしている(この集計はまだー)。

 ということで、友人たちにも「ひと踏ん張り」してもらい、私が窓口のところで「500筆」を目標に頑張ることに。それには私も個人でさらに歩く一方、日光での街頭署名や4月8日の「統一行動」にも積極的に参加していかないといけない。まだ署名用紙を手渡せていない友人たちもかなり。それにBLOGやTWITTERで「協力」したいというありがたい人もいると思う(と、思いたい)。その際は以下の「署名用紙」から印刷をお願いしたい。

・署名活動はどなたでも自由に参加できます。

・署名用紙をダウンロードしてご家族やご近所の署名を集めてください。

・文字が書ける方ならお子様でも署名できます。

・まとまった署名用紙は“那須希望の砦”まで郵送してください。

・署名目標は2万人、4月11日を第一の締め切りとします。
・署名用紙は「表裏版」として2ページで20名の署名欄があります。

・趣旨文と署名欄を切り離した用紙で使用しないようにご注意ください

 印刷は次の3種の方法で行って下さい。 (1)A4サイズ表裏版として

 (2)A4表面のみ使用  (3)A3サイズ表に2ページを印刷します

・署名活動をしていただける方、一言「署名開始します」とご連絡

 いただけるとありがたいです

署名用紙は以下からー

http://nasu-toride.org/images/syomeiyousi.pdf

私のところでも窓口として受けますので、以下に連絡先を。印刷がかなわない方は私から署名用紙を手渡すか、郵送いたします。

〒321・1421 栃木県日光市所野1541の2546 富岡方 黒川純

tel 0288・25・3348 mobile 090・5351・3440

eーmail qk3y-tmok@asahi-net.or.jp

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(以下は「除染署名」事務局の那須希望の砦の呼びかけから)

街頭署名や個別訪問署名も度重ねられています。
複数の自治会で、自治会単位の署名活動も行われています。
みなさん本当によく頑張ってくださっています。

現在までに回収された署名数は5千人分程度ですが、
活動状況や署名用紙の配布状況から推し量ると
「このままの流れで、1万人は固い。
楽観的に見ると2万人、悲観的に見ると1万5千人」という処のようです。
つまり、もうひと踏ん張りが必要のようです。

そこで、
(1)署名依頼先拡大⇒署名を頼める団体や個人を更に広げてください。
         特に、3月中に拡大してください。
         他の県でも結構です。

(2)プッシュ&フォロー⇒既に署名を頼んだ団体や個人から中間状況を聞き、
         更なる奮闘をお願いしてください。
         4月11日締め切りを再確認してください。
         ご承知の通り、「選挙と署名はフォロー次第!」です。

(3)一斉行動 ⇒4月8日(日)に一斉行動(街頭署名活動など)を行います。
       是非ぜひ参加してください。
       100人以上の参加で4千人分以上の署名を集めましょう!
       1団体から2名以上の参加をお願いします。
       個人の参加も大歓迎です。
 
      ≪集合場所≫
       A.黒田原JR駅前(責任者:森) 
       B.友愛の森 那須未来長屋門前(責任者:大笹)
       C.厚崎公民館(責任者:岩根)
       D.西那須野公民館(責任者:手塚)
       のどれか都合のよい場所に集まってください。
       みんなで2-3時間の署名活動を行います。
       またこの様子をメディアに報道してもらい、終盤を盛り上げます。

ということを皆でやって、
「最低2万人、できれば5万人!」を実現しよう・・・
ということになりました。

4月11日(未定)にて再度代表者会議を行い、集計結果をにらんで
最終行動を決めることにします。

引き続きのご奮闘を切に願い上げます。

※このメールをできるだけ多くのお知り合いの方に回して下さい。
 よろしくお願いいたします。

----------------------------------------
“那須 希望の砦” 
 那須町高久乙796-234 (砦 Canddle Express)
 info@nasu-toride.org 080-6051-6424
 http://nasu-toride.org

国の除染費用負担を求める要望署名

【要望趣旨】
 福島第1原発事故以後、私たちが住む地域は高い放射線量に晒され続け、被曝量は日毎に積み重ねられています。特に子供たちは放射線の影響を受けやすい事が指摘されており、子を持つ親は一刻も早い除染を痛切に願っています。年間の被ばく放射線量1ミリシーベルト以上の除染は国が責任を持つ」と、政府は昨年秋に明言しました。年間1ミリシーベルトは、守ることが法律で定められた基準であり、責任を持つことは当然のことです。然しながら事故後1年を経た現在に至るも何らの責任が果たされていません。さらには、年間1ミリシーベルト以上20ミリシーベルト未満の地域を低線量地域と高線量地域に区別し、低線量地域の除染について国はほとんどまったく費用負担しない趣旨の方針が環境省より最近になって示されています。私たち年間追加被ばく線量1ミリシーベルト以上の地域住民は、当初の約束通りに「国の費用負担」で一刻も早い除染を真剣に進めていただき、子供たちを安心して育てられる状況に戻していただくよう、そしてまた農林畜産・観光・商工業等の生活基盤を常態に戻せるよう強く要望致します。

【要望項目】
年間追加被ばく線量1ミリシーベルト以上のところは全て国の除染費用負担として進める事

責任ある除染を国に求める連絡協議会
<取扱団体:                      >
事務局:那須希望の砦 ℡:080-9151-6424 Mail:
info@nasu-toride.org
〒325-0303 那須町高久乙796-234

事務局の「那須希望の砦」HPは以下の通り

http://nasu-toride.org/

2012年3月26日 (月)

私たちが希望を創っていくんです 「さようなら原発1000万人アクション3・24」その2

Dscn7730_2 (日比谷野外音楽堂からデモに発つ「さようなら原発1000万人アクション」参加者たち)

Dscn7698 Dscn7677 (「希望は私たちが創っていくんです」と呼びかけた「呼びかけ人」の澤地久枝さん)

以下は当日の作家、というか、ノンフィクションライターで知られる澤地久枝さんの主催者あいさつから。

 昨年3月11日のあとで、技術革新の歩みを止めるわけにはいかない、その方の声が多いと、テレビ、新聞、雑誌などがあり・・・日本人は忘れやすいのかもしれないが、なんとなく原発事故のことを言うまい、という空気が強くなっている気がします。原発絶対反対というと、冷たい目でみられる、というようなことが現実に起こっている。そんなばかなことがと、私は思います。手弁当でこんなに集まっているんです。この冷たい雨が降る中、こんなに集まれたということはいいですよね」

 「原発は止めても完全に止まるまで何十年もかかるんです。その原発がだんだんとだんだんと寿命がきて、なくなってゆくというのではなく、私たちの意志で原発を一切いらないということを、はっきり言っていきたいと思います。困難かもしれないが、次の世代、その先の世代に恐怖を押しつけて、人生を退場するわけにはいかないと思います。希望がないようにみえるけれども、私たちが希望を創っていくんです。みなさんが創ってくださるんです」

Dscn7713_2 (小雨がようやく止まり始め、主催者のスピーチが次々と続く日比谷野外音楽堂)

Dscn7681 (さっそうと登壇し、力強く脱原発を訴えた賛同人で人材育成コンサルタントの辛淑玉さん)

Dscn7723 Dscn7736 Dscn7740Dscn7741

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Dscn7738

2012年3月25日 (日)

次の第二のナガサキをつくらないために 「さようなら原発1000万人アクション3・24」その1

(例の美濃部・元東京都知事の物まねで「再稼働は許さないぞという結論に達したのであります」と、原曲をもじって語り、会場の喝采を浴びた。「ひとつになって、力を合わせ、すべての原発を日本から追い出しましょう!ー」とも。「3・24」の山本コウタローさん「トーク&ライブ」)

Dscn7696 (日比谷野外音楽堂を埋めた「さようなら原発1000万人アクション3・24」の参加者たち)

 「3・24」当日の模様を呼びかけ人のあいさつも交えながら、何回かに分けてブログにアップしてみたい。ユーチューブを開いたら、さっそく山本コウタローさんの「トーク&ライブ」が投稿されていたので、これを拝借。アップすることに。

 思わず大笑いしたのは彼が「走れコウタローと岬めぐりのたった2曲で40年~」と語った場面(たしかにそれ以外のヒット曲はわたしも知らないので~)。そして、この日もその「走れコウタロー」と「岬めぐり」を唄った。わたしも好きな歌のひとつなので、いつか合唱していたのだった~。

Dscn7656(主催者を代表しトップバッターで挨拶、「脱原発」を強く訴えた呼びかけ人の鎌田慧さん)

鎌田慧(さとし)さんのあいさつから(ルポライターの鎌田さんは、わたしにとって快作『自動車絶望工場』の著者として親しんできた)

 「雨の日も、風の日も、晴れた日もあります。とにかく原発をなくすまで、どんなに雨が降っても、頑張っていこうと思っています。あさって(26日)柏崎の原発が休止します、あと一基、北海道電力が(3号機)残っていますが、これを止めると、日本では原発からの電気はなくなる。ほうとうにさっぱりした、さっぱりした日々を迎えます。しかし、残念ながら、空は今までの空ではありません。放射能に汚染された空、放射能に汚染された土、川、海がまだ残っていて、これはなかなかどうにもならないという状態にあります。それでも原発を止め、新しい時代を開いていこうという時代がやってきます。これに対して野田首相は自分が先頭に立って原発再稼働をやると言っています。こうした人々の思いに真っ向から挑戦するようなことは認められない。きょうの集会は原発再稼働を許さないという集会です。電力会社と政府のほんとうに歴史に誤まる今までの古い利害関係と古い思想でなんとかしようとすることを、私たちははねのけ、新しい社会を創っていくという思いを込めた集会だと思います」

「最近、もう原発は原爆も同じで、人類には両立できない、ということがはっきりしてきました。もう私たちは原発も原爆もすべて拒否する、そういうふうな時代に入っています。これはちょうど、ヒロシマに原爆が落とされて、日本政府がもたもたし、国体を守るとか、そういうことのためにヒロシマに原爆が落とされても降参しなかった。その歴史の誤りを今、もう一度行っているような気がします。今、福島で原発が爆発しました。しかし、まだ古い勢力はこの原発にしがみつき、原発絶対体制をやめようとしていない。このような誤った政府を脱原発へ、政策を転換させてゆく、そして、フクシマの次の第二のナガサキをつくらない。そのために、今頑張らないと、子供たちに禍根を残す。もうすでに私たちは子供たちにどういうふうに謝っても謝っても謝り切れないような過ちをしてしまったわけです。原発に反対する力が足らなかった。その思いを込めて、この雨の中を突破して、堂々とデモ行進し、私たちの意志を表明したいと思います」

Dscn7834 (7月16日の「10万人集会」の予定も記された「3・24」集会当日のチラシ)

Dscn7639 (午後1時からのオープニングの前に計った日比谷野音ステージの線量)Dscn7646 (開会時間の午後1時半前後は小雨模様。会場は傘や雨合羽の波となった)

Dscn7675 (呼びかけ人の一人、作家の澤地久枝さんがあいさつ。「希望がないように見えるけれども、私たちが希望を創っていくんです」と結んだー写真・上と下ー)

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Dscn7677

2012年3月23日 (金)

「これがやってきたことの結果です」 ドイツ取材陣・ドキュメンタリー「フクシマのうそ」

ドイツZDF フクシマのうそ 投稿者 sievert311

 「これがやってきたことの結果です。この結果を人類はちゃんと知るべきだと思います」

ともかくこのドキュメンタリーを観てもらうこと。私の友人から「ともかくすごいから、メール添付の動画を観て」といわれて、じっと観たのが2日前の21日。それをわたしのブログにすぐに取り込もうとしたが、仕組み?の問題で動画をアップできないので、そのまま放っておいた。

 たまたまきょう23日、ブログ機能を操作していたら、アップできなかった映像がそのまま観られることに(理由はわからない。このあたりの操作がまだいまいちなのがわたし~)。なので、広くというか、私のブログをチェックしている方だけに!(笑い~)、特別に?公開へ。

 先の友人は「鋭いドキュメンタリーだから、いずれ、ネットから削除されてしまうかもしれないので早めに観ておいて」。確かに、この「フクシマのうそ」の内容は世の中の原発推進論者からすると、歓迎できない作品だろう。とくに隠蔽工作をこの映画でさらに明らかにされた東京電力はそうだろう。映像は30分ほどなので、みなさんで、ぜひ、ごらんください。

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2012年3月19日 (月)

追悼・さようなら吉本隆明さん 詩とその原風景(黒川純)

 Dscn7626_2  (わたしの本棚にある吉本隆明コーナー。たぶんリュウメイだけで百数十冊は)

亡くなった詩人、思想家、吉本隆明さんを追悼し、わたしの詩の短いエッセイをアップすることに。わたしが詩にかかわったきっかけは吉本隆明さんだったので。学生時代だから、もう昔、むかしのことになる。だが、このエッセイを書いたのは昨年の春。まだ1年も過ぎていない。

 ほんとうはもっときちっとした「詩とわたしと隆明」を書きたかった。それに清水昶さんの過激で繊細な魅力的な詩の世界のことも。そう思っているうちに月日が過ぎ、そのままに。だが、当のその吉本さんがこの世から消えてしまった。追悼するには、わたしのつたないこの詩のエッセイを示すのがよいだろう、そう思ったので。

 もともとは岩手県の詩人たちを中心にした詩誌『堅香子』9号(2011年6月発行)のリレーエッセイ「詩とその原風景」に寄せたもの。同人の各人がそれぞれ、自分の詩の原点を振り返る小欄だ。同人とその周辺が読んではいるが、ネットでは初めての公開となる(たぶん~)。

 それにしても、もう年なので、覚悟はしていたが、あの吉本隆明さんがー。彼がいなくなったことになんともいえない複雑な思いでいる。その衝撃というか、自分自身への影響はこれからあとでじわじわとやってくるのだろう。吉本隆明さん、長い間、ありがとうございました。合掌ー。

詩とその原風景     (詩誌「堅香子」9号・2011年6月)
ずつと以前のぶんまでとりかえすために


                           黒川 純

 詩にかかわることになった、決定的なきっかけは、やはり吉本隆明体験(私たちはリュウメイと呼んでいた)だったといえる。やはり、というのは団塊世代というか、戦後の鬼っ子と称された全共闘世代である私たちにとって、1970年代のあのとき、60年安保の全学連を支え、70年安保の「叛乱」に根拠を与えていた思想家・詩人、吉本隆明のさまざまな発言は、新鮮で驚きだった。もやもやした若者の心情を批評や詩で代弁してくれていると感じた。砂地に水が浸みこむようにリュウメイの発想に染まっていた。

 私は工業高校から自動車工場へ入ったが、3カ月で嫌気がさし、工業大学へ。1、2年のときは、もっぱら反戦フォークに魅かれ、「戦争は知らない」「イムジン川」などを歌っていた。だが、世の中は騒然としており、反戦歌ですむような時代状況ではなかった。〈この歪んだ時代や体制にまじに向き合わねばならない〉。そんな思いで、仲間たちと「歴史研究会」を発足させた。1971年、大学3年の春だったと思う。差し迫った課題は沖縄問題だった。沖縄の悲劇を知るうち、ごく自然に沖縄返還協定粉砕闘争へ(沖縄返還は1972年5月)。そこから、すぐに、ベトナム反戦、三里塚空港反対、マスプロ教育批判・・・。「造反有理」の反権力へ。

 時代は「三丁目の夕日」の貧しい昭和30年代から豊かな消費社会へと場面が転換する入り口だった。コルトレーンのジャズ、ディープ・パープルと頭脳警察のロック、浅川マキと寺山修司、「黒テント」と緑魔子、つかこうへいの「熱海殺人事件」、フォークゲリラとザ・フォーク・クルセダース、高橋和己の「憂鬱なる党派」、映画「八月の濡れた砂」、長髪とTシャツとジーンズ・・。歌や詩、演劇、映画、ファッションが、芸術が、政治・経済と重層的に絡みながら、尖鋭化していた。

 私も知らずうちに、こうした時代の情況に立ち会っていたが、吉本の『情況への発言』や『全著作集』も手にしていた。さらに、マルクス、レーニン、ローザ・ルクセンブルク、ヘーゲル、シモーニュ・ヴェイユ、メルロー・ポンティなどを乱読していた。その頃の私は1971年秋の沖縄闘争で逮捕・拘留・起訴(東京拘置所の独房に秋から翌年春まで入っていた。連合赤軍事件はこの独房時代に起きている)。判決は大学4年もだいぶ過ぎてから。凶器準備集合罪と公務執行妨害罪で懲役1年半執行猶予3年。その前後の大学闘争は未完に終わり、挫折感の中で魅かれたのが『吉本隆明詩集』や『清水昶詩集』だった。なかでもリュウメイの『転位のための十篇』は、胸の中に沁みた。社会とどう切り結んでいくか、進むべき方向について思い悩んでいた。例えば「ちひさな群への挨拶」などがそうだった。その一部を抜き出すと、こうだ。

ぼくはでてゆく
すべての時刻がむかうかはに加担しても
ぼくたちがしはらつたものを
ずつと以前のぶんまでとりかへすために
すでにいらなくなつたものはそれを思ひしらせるために
ちひさなやさしい群よ
みんなは思ひ出のひとつひとつだ
ぼくはでてゆく
嫌悪のひとつひとつに出逢ふめに
ぼくはでてゆく
無数の敵のどまん中へ
ぼくは疲れてゐる
がぼくの瞋りは無尽蔵だ

「すべての時刻がむかうかわはに加担しても/ぼくたちがしはらったものを/ずつと以前のぶんまでとりかへすために」。私はこうした発想に親しんだ。というのも、リュウメイの『固有時との対話』のキイワードというか、構え方の基本と二重映しになっていたからだ。固有時の恒数をあきらかにしたかったと語ったあとの言葉がそれだ。

「わたしは自らの生存が何らかの目的に到達するための過程であるとは考へなかったのでわたし自らの宿命は決して変革され得るものではないと信じてゐた。わたしはただ何かを加へうるだけだ。しかもわたしは何かを加へるために生きてゐるのではなく、わたしの生存が過去と感じてゐる方向へ抗うことで何かを加へてゐるにちがひないと考へてゐた」

前後して過激だが、美しい抒情をたたえた詩を生み出していた清水昶の詩の世界につかっていた。それまで詩らしきものを書いたことはなかったが、ごく自然に毎日のようにノートに詩を書くようになっていた。どこかに投稿するといった発想はなかった。なぜか「風来坊通信」と名付けたガリ版詩集を街角で売るようになっていた。手元にある『詩稿1973 黒川純』の冊子を開くと、第2号の発行は73年11月。「地下室の党」「敵の町の青年」「ブルースばかりの夜の詩」「遅れてきた青年たちは今」などの題名がある。

 3回目の4年生のときにアルバイトをしていたジャズ喫茶で写真と詩を組み合わせた個展を開き、大学に別れを告げた。「ずつと以前のぶんまでとりかへすために」。そうした思いを抱いていた。詩は私にとって指針であり、思想であり、哲学になっていた。そのため詩の世界にかかわりたいと、愛読していた詩誌『詩と思想』(当時・五反田の日本電通社)に押しかけた(今では、よくそんな行動に出たものだと思う)。仕事をくれないならテコでも動かないという「落語家入門」のような青年に、社長で詩人の出海渓也さん(戦後詩誌『列島』創刊同人だということは後年に知った、数十年後に今度は詩誌『新・現代詩』の主宰者と会員として出逢う奇縁も)が応じてくれた。関根弘さんら詩人たちの原稿を受け取りに行くこともあったが、ようは走り使いだった。出海さんが引き受けた『詩と思想』は確か半年間ぐらいか、その期限が来たことで、私も離れることに。そのあと新聞記者を35年も続けることになるとは、この当時は思ってもみなかった。
 
 それからざっと30年が過ぎて、朝日新聞記者として岩手・北上へ。『詩と思想』を離れてから一度も詩を書いていなかったが、イラク戦争をきっかけに詩を書き始めた。岩手を離れる2004年秋 新書版『怒りの苦さまた青さ 詩・論「反戦詩」とその世界』を自費出版したが、その中に詩「銀ヤンマ」も入れた。冊子「詩稿1973」にあった詩だ。リュウメイや清水昶の影響を色濃く受けたわたしのその詩に、いわば、私が詩にかかわろうとした「原風景」があるのかもしれない。7連ある詩の2、3連だ。

偶然の時間軸を飛んで行くと
過去と感じる方向に抗うことが
進むべき方向だと分かったので
生涯の先まで抱きしめるため
生涯から飛ぶことを決めたのだ

深夜の森林で自問自答すると
空と海をあいまいにしているもの
その操作を司っている者どもの
怪しい教科書を奪ってしまえと
構造力学がその答えを用意した

 現在、ブログ『時計主義―日光霧降高原の「詩的生活」ノート』を継続し、今春からツイッターも始めている。反抗詩から始まり、怒りの詩、さらに風刺詩へと移ってきた私だが、今回の大震災を機に、「3・11」を機に、詩はもちろん、あらゆる文化が「新しい言葉」を必要としているのではないか。岩手、宮城、福島の大震災ボランティアをしながら、陸前高田、石巻、相馬の惨状を知るにつけ、その思いを強くしている。ツイッター(140字まで)で発信したその詩「凍土から言葉を掘り出せ」を紹介し、結びたい。

ほんとうのことを語ると/世界が凍ってしまう/ある詩人が書いたことがある/だが/3・11でほんとうのことが噴出し/世界はそのまま凍ってしまったのだ/いや言葉が凍ってしまったのだ/この世界のほんとうのことを/見せられてしまったわたしやあなたは/言葉を掘り出さねばならない/その凍土から (了)

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2012年3月18日 (日)

ときに一つの共同体、一つの国を危険に 「夢よりも深い覚醒ー3・11後の哲学ー」

Dscn7622_2

 『夢よりも深い覚醒へー3・11後の哲学』(大澤真幸)は「ノアの大洪水」などでの語りは説得力があるが、「未来の他者はどこにいる?」などの展開にやや難点がある。「革命家キリスト」にしても、キリスト教の世界、というか聖書の世界に親しんでいない人にはそう簡単に理解というか、得心するのが難しい(わたしなど~)。というか、各章の一部には展開の仕方にかなり無理をしているところもある、そう感じる場面もあった。

 それでも、新書ながら、各章の随所に例えから根源的な指摘や教訓、方向や結論を導き出す手順は、さすがに現代の最前線で発言している社会学者だ。次の展開を知りたくてページをめくるのにわくわく。そんな気分のまま一気に読み終えた。久しぶりに知的な興奮を覚えた一冊だった。おかげで17日は(午前中から「国の除染費用負担を求める要望」の街頭署名活動を予定していたのにー)寝不足だった。

 この新書にはさまざまに示唆に富む文章がある。そのうちいくつかはTWITTERでつぶやいた。その一部をブログにも載せてみよう。丁寧に書きたいのだが、読みかけで魅力的な原発本、『反原発の思想史』(絓秀実)や『プロメテウスの罠』(朝日新聞特別報道部)を読み通す時間が足らないので。とりあえずTWITTERからの転載でお茶をにごすことに(苦笑い~)。

 それにしても、以下の3点の文章だけでも、優れた指摘や見方、あるいは比喩の巧みさなことがわかる。「『おまけ』のグリコのキャラメル」などは思わず、にやりとしてしまった。こうした指摘は基本的なことだが、この基本的なことが意外とわたしたちは知として共有していないのではないか?。(以下はわたしのTWITTERからの転載)

核と原子力は英語ではどちらも同じ語句

 『日本人は「核」という語と「原子力」を使。い分け、前者を軍事利用に、後者を民事(平和)利用に割り当てているが、英語で言えば、どちらも「nuclear」である。「一切の核に反対である。ただし原子力は別だ」という文は、「すべてのnuclearに反対だが、nuclearは例外だ」というナンセンスな文になる』

「おまけ」のグリコのキャラメルが欲しくて 

 『原発を立地した自治体にとっては、おそらく、原発そのものよりも、その副産物が、魅力的なものである。原発を誘致する自治体は、「おまけ」の方が欲しくて、グリコのキャラメルを買う子どものようなものだ。「おまけ」とは、たとえば、原発を立地したことによって、政府から自治体に与えられる交付金である。固定資産税・・・、雇用創出等の、原発をもったことによる経済効果も、原発の「おまけ」である』

 

 最悪の場合、人間の全体を危険に陥れるのが原発

 『飛行機や自動車だって、ときに人の命を奪うような危険性があるのに、圧倒的な利便性のゆえに、われわれはそれを選んでいるではないか、原発だってこれと同じことだ、と主張する人がいる。しかし、この主張は間違っている。どこに問題があるのか。確かに飛行機や自動車の事故も多くの人の命を奪う。原発がこれと違うのは、その事故が、ときに一つの共同体、一つの国民、さらに最悪の場合には類としての人間の全体を危険に陥れる、ということである。飛行機や自動車は基本的には「安全」である。・・・しかし、原発の問題は、通常の稼動時でも、誰かが、きわめて危険な作業ーほんのわずかな間違いで放射線被曝の可能性がある危険な作業ーに従事しなくてはならない』

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2012年3月17日 (土)

「脱原発の陳情 採択が相次ぐ 日光など5市町」 朝日新聞が栃木版で大きく報道

 朝日新聞が栃木版だが、17日付朝刊でわたしたちの市民団体「原発いらない栃木の会」が県内各議会に働きかけている脱原発の陳情の採択状況について、全体像を報道した。

 16日は日光市のほか、小山市、佐野市、壬生町の各市町議会の本会議があった。いずれもこれまでの常任委員会で採択されているため、本会議でも採択は確実だった。それでも、委員会ではなく、議会の意志を示すこの日の本会議での採択は大事だ。

 すでに塩谷町議会は12日に採択しており、同町議会が一番乗り?。日光など4市町議会がそれに続いた。日光市は賛成多数だったが、小山市、佐野市、壬生町は全員賛成での採択。この判断は特筆されよう。

 以下の朝日新聞・服部記者の記事にあるが、宇都宮市、大田原市、栃木市、下野市、那須烏山市、那須塩原市、那須町の7議会でも常任委員会で採択済み。これから、これら市町議会の本会議でも採択は確実だ。

 その一方、県議会の常任委員会は14日に継続審議の判断をしたという。それも全会一致。世論調査でも脱原発は7割を超えているのに、県議会の常任委員会ははこの判断だ。世の中の「常識」といかにかけはなれているか。これまで、そしてこれからの各市町議会の採択がそのことを県議たちに教えることだろう。

Dscn7615

(写真は17日朝日新聞栃木版。以下の記事は朝日新聞アサヒコムからの転載)

脱原発の陳情 採択相次ぐ 日光など5市町
2012年03月17日

 県内の市民団体「原発いらない栃木の会」(米田軍平、島田晴夫両代表)による脱原発の陳情を採択する市町議会が相次いでいる。16日には小山市と佐野市、壬生町議会が全員賛成で、日光市は賛成多数で採択した。12日には塩谷町議会でも全員賛成で採択されている。同会は「原発事故を機に、エネルギー問題を身近なものとして考え始めたことが大きい」と話している。

 このほか宇都宮市、大田原市、栃木市、下野市、那須烏山市、那須塩原市、那須町の7議会でも常任委員会で採択済みで、本会議での採決を控えている。

 原発いらない栃木の会は、廃棄物処分場などの問題で活動してきた島田さん(59)らが原発事故後に開いた講演会を機に昨年7月に結成された。弁護士や学者、会社員、陶芸家ら約140人が会員になっている。

 今回提出したのは「原発から再生可能エネルギーの推進へエネルギー政策の転換を求める陳情」。(1)再生可能エネルギー及び節電その他の省エネルギーの推進をエネルギー政策の中核に据える(2)原発の比率を縮小し、完全廃止を最終目標とする(3)エネルギー政策については国民の積極的な参画を求める――の3点について、各議会が国に要望書を提出することを求めた。

 県内26市町のうち21議会に提出。県議会にも出しているが農林環境委員会では継続審議となった。

 同会事務局長で弁護士の大木一俊さん(57)は「原発の経費が、放射性廃棄物処理も含めると莫大(ばく・だい)になることを数字を上げて説明してきた。より多くの市町の賛同を得て、運動を確かなものにする」と語る。また、塩谷町議会への提出に際し、議員に趣旨を説いて回った主婦江連照江さん(70)は「この問題にイデオロギーは関係ないと実感した。原発即廃止となっていない点も幅広い支持のきっかけとなった」と話す。

 核燃料サイクル施設のある青森県で酪農も経験し、放射性廃棄物問題にも携わった島田さんは「原発と人間は共生できないことがわかってきた。一時の繁栄のために将来を失ってはならない」と訴えている。同会は作家の大江健三郎さんらが呼びかけ人となった署名運動とも連動している。(服部肇)

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2012年3月15日 (木)

全国民に向け、高らかに宣言します 「原発いらない!3・11福島県民大集会」その(3)

Dscn7558 (集会を終え、郡山市内をデモ行進する「原発いらない栃木の会」のメンバーたち)Dscn7595 (集会は本塁側が福島県民、一塁側が関東以外、三塁側が関東。その3区分で)

(以下は「さようなら原発1000万人アクション」から転載)

 震災が発生した午後2時46分に、震災の犠牲になった人々を追悼して全員で黙祷を行いました。

 「原発はいらない!私たちはいま、全国民に向け、高らかに宣言します」と集会宣言を呼びかけ人の小渕真理さん(アウシュヴィッツ平和博物館館長)が提案し、満場の拍手で採択しました。

 ドイツから参加の平和団体代表からドイツ国内で呼びかけて集めた千羽鶴の贈呈の後、集会を閉じました。

 集会後、市内のデモ行進が行われ、参加者はのぼりやプラカードなどを手に、「原発いらない!」「再稼働を許さない!」「エネルギー政策の転換を!」などと、アピールしました。

Dscn7592 (「原発はいらい!」と、全国民に向け、高らかに宣言しますとした「集会宣言」)

Dscn7551 (全国から福島に駆けつけた各団体の旗、旗、旗ー。デモスタート地点の手前)

Dscn7554 (福島県外からの参加者のデモのスタート地点。スタッフとおまわりさんたち)

Dscn7594 (脱原発を訴えるデモは郡山、福島県内、福島県外の参加者の3コースで行われた)

Dscn7560 (「原発いらない!」「原発なくそう!」「みんなでなくそう!」と声を上げた栃木勢のデモ)

Dscn7568 (デモはわずか500㍍ほど。コースの終わり近くでは、おまわりさんの壁が)

Dscn7572 (デモコースの解散地点。集会実行委員会がこの場所で「行進解散」を告げていた)

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2012年3月14日 (水)

あの苦しかった戦争そのものだった  「原発いらない!3・11福島県民大集会」その(2)

Dscn7523 (1年前のその時、午後2時46分に一分間の黙祷を捧げる1万6000人の参加者)Dscn7528

(参加した各団体の色とりどりのさまざまな旗がデモに向かう様子は感動ものだった)

(以下は「さようなら原発1000万人アクション」からの転載記事)

 次に、県内の様々な立場の人が現状や脱原発の思いを報告。山形・米沢市に子どもと避難している管野智子さんは「一刻も早く元の生活に戻りたい」と述べ、二本松市で有機農業を営む菅野正寿さんは「農業と原発は相反するものだ」と願発反対を強調しました。

 相馬市で一家で漁業を営む佐藤美絵さんは「また、相馬のおいしい魚を全国に届けたい」と思いを語り、飯舘村から避難を余儀なくされた管野哲さんは「こんなことになった責任はだれがとるのか!」と憤りを露わにしました。

 富岡町の高校から転校した鈴木美穂さんは「私たちの将来を考えてほしい」と若い世代として訴え、橘柳子さんは戦争を体験したことから「再び棄民扱いをさせられるのか」と悲痛な叫びを上げました。

 (以下の大太字はわたしが会場で聞いた橘柳子さんの重い言葉。橘さんは浪江町から避難し、今は本宮市の仮設住宅で暮らしているという)

「戦争終結時に中国大陸を徒歩で集結地に向かった記憶がよみがえりました。避難も徒歩が車になっただけ。あの数日間はあの苦しかった戦争そのものでした」

「国策で二度も棄民されてしまう恐怖。いつも国策で苦しみ悲しむのは罪もない民衆なのです」。

Dscn7585 (そうそう、球場入口ではさまざまな団体がさまざまに宣伝活動をしていた)

Dscn7587 (注目は静岡の浜岡原発再稼働の是非を問う住民投票の呼び掛けだろう)

Dscn7530 (デモ隊には「全国農民会議」や「三里塚、芝山の反対同盟」などもー)Dscn7536 (いかにも若者らしい横断幕と若者たちの華やかな脱原発派の姿も見られたDscn7527 (横断幕を手にデモの出発点に向かう「原発いらない栃木の会」の大木一俊弁護士ら)

Dscn7547 (デモの出発点はあちこちのデモ隊でごったがえし、わたしも迷子になりそうだったー)

(デモに向かうため、球場の外側に出たが、そこの芝生は2・425μ㏜/hという数値だった。ただし、郡山集会を企画した実行委員会のHPによると、球場は除染され、2月10日の2塁付近は0・32μ㏜/h。)

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2012年3月13日 (火)

大きな変革のスタートとなることを願い  「原発いらない!3・11福島県民大集会」その(1)

Dscn7540 Dscn7518 (福島県郡山市の球場で開かれた「原発いらない!3・11福島県民大集会」の様子)

(以下は「さよなら原発1000万人アクション」HPからの転載記事)

 昨年の東日本大震災から1周年目の3月11日、福島県郡山市の「開成山野球場」で、「原発いらない!3.11福島県民大集会」が開かれ、県内はもとより、全国から16.000人が参加し、「安心して暮らせる福島をとりもどそう」と、脱原発への誓いを新たにしました。同集会は県内の農林漁業団体、生協、女性、平和団体など様々な組織の代表が呼びかけた実行委員会が主催しました。(呼びかけ人代表・清水修二福島大学副学長)

 集会に先立ち、歌手の加藤登紀子さんが特別参加し、被災地へ思いのを込めた「今どこにいますか」など6曲を熱唱。また、日本音楽協議会福島支部のみなさんも、原発立地地の会員が作った「望郷」などを披露し、ともに原発反対のメッセージを訴えました。

 集会は、開会を集会実行委員長の竹中柳一福島県平和フォーラム代表が宣し、「再びあの日が巡ってきた。福島の犠牲を無駄にしないよう、原発いらないの声を大きく挙げましょう!」と呼びかけました。また、呼びかけ人代表の清水修二さんからは「原発いらないの声は痛恨を思いを込めた県民の叫び。この声を全国に届けるのは私たちの使命だ。ともに前進しよう」と訴えました。

 連帯のあいさつに作家の大江健三郎さん(「さようなら原発1000万人署名」呼びかけ人)が駆けつけ、「原発事故を絶対に起こさない方法は、原発をなくすことだ。私は、政府が原発の全廃を宣言し、子ども達が歓喜する姿を想像している。それは必ず出来る」と、1000万人署名の協力も呼びかけました。

Dscn7458 (会場に向かう道路ではスタッフたちがあちこちでこのように「案内表示」していた)

Dscn7461 (会場の手前で最初に目に入ってきたのは機動隊の車両と隊員たちの姿だった)

Dscn7469 (福島県外からの参加者は球場2階の一塁、三塁スタンドへ。会場へ向かう栃木勢)

Dscn7473 (懐かしい「明大全共闘」の旗があったのでパチリ。その周りに元気な元若者たちが)

Dscn7475 (三塁側スタンドに陣取った栃木県からの参加者たち。私のプラカード「さようなら!原発」も)Dscn7490 (集会に先立ち開かれた加藤登紀子さんのコンサート。加藤さんは「100万本のバラ」も。歌に先立ち、「100万の、1000万のデモにしましょう。100万本のバラを一緒に歌ってください」と呼びかけた)

Dscn7507_3 (加藤登紀子さんのコンサートはバックスクリーンに写され、ようやく姿がわかるほど

Dscn7519  (人、人、人・・・。1万6000人の人の波で埋まった会場の開成山野球場だった)

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2012年3月10日 (土)

国の除染費用負担を求める要望署名 11日からスタートの署名にご協力を!、

Dscn7437 国の除染費用負担を求める要望署名

【要望趣旨】
 福島第1原発事故以後、私たちが住む地域は高い放射線量に晒され続け、被曝量は日毎に積み重ねられています。特に子供たちは放射線の影響を受けやすい事が指摘されており、子を持つ親は一刻も早い除染を痛切に願っています。年間の被ばく放射線量1ミリシーベルト以上の除染は国が責任を持つ」と、政府は昨年秋に明言しました。年間1ミリシーベルトは、守ることが法律で定められた基準であり、責任を持つことは当然のことです。然しながら事故後1年を経た現在に至るも何らの責任が果たされていません。さらには、年間1ミリシーベルト以上20ミリシーベルト未満の地域を低線量地域と高線量地域に区別し、低線量地域の除染について国はほとんどまったく費用負担しない趣旨の方針が環境省より最近になって示されています。私たち年間追加被ばく線量1ミリシーベルト以上の地域住民は、当初の約束通りに「国の費用負担」で一刻も早い除染を真剣に進めていただき、子供たちを安心して育てられる状況に戻していただくよう、そしてまた農林畜産・観光・商工業等の生活基盤を常態に戻せるよう強く要望致します。

【要望項目】
年間追加被ばく線量1ミリシーベルト以上のところは全て国の除染費用負担として進める

責任ある除染を国に求める連絡協議会
<取扱団体:                      >
事務局:那須希望の砦 ℡:080-9151-6424 Mail:
info@nasu-toride.org
〒325-0303 那須町高久乙796-234

事務局の「那須希望の砦」HPは以下の通り

http://nasu-toride.org/

Dscn7439

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2012年3月 9日 (金)

悪霊を祓い、鎮魂の祈りを込めて舞う 映画「究竟の地 岩崎鬼剣舞の一年」 

Dscf3153

 民俗芸能の宝庫、岩手県。北上市はとくにそうだ。代表はなんといっても鬼剣舞。大地を蹴って勇壮に舞う様は感動ものだなかでも「岩崎鬼剣舞」はいわゆる「本家スジ」で知られている。それを追った映画ができたという(写真は岩崎鬼剣舞いではなく、同じ北上市の「二子鬼剣舞」)。

 「究竟の地、岩崎鬼剣舞の1年」http://www.kukkyouno-chi.com/(三宅流監督・撮影)。「究竟」?。調べると、「きわめて力が優れていること」などが。屈強とかそれに近い意味だということか。ばかに難しいことばを使っている。

 それはそれとしてこの映画を知ったのは、きょう朝日新聞8日付夕刊を読んでいて。「岩手の伝統芸能追う映画」として、紹介されていた。東京・東中野のポレポレ東中野で上映中だという。

 わたしはその北上市に転勤で3年間、暮らしたことがあり、何度も鬼剣舞を観ている。何度観てもその力強さや舞いの見事さ、軽業師のような芸の見事さに魅せられた。

 それもあり、昨夏、震災詩を書いていたとき、ふと、鬼剣舞を思い浮かべながら書いていたのが、「悪霊退散~悪霊退散~」。我が家のホームパーティで(迷惑がられながら)何度か朗読してもらっている。なぜか、いや、当然か、詩の内容ではなく、主題の「悪霊退散~悪霊退散~」だけが(だけが~それも一部の友人に~)伝わっているのだった。

悪霊退散~悪霊退散~

悪霊退散
悪霊退散
鬼剣舞が桜の花に舞う
激震した大地を蹴り
無念の剣をひらめかせる
古代がめくれあがった大地に
悲痛の記憶を受け継いだ東北の鬼たち
その祈りの力強さよ
今こそ重々しく軽々と
砂塵を従え縦横に舞え
怒る大地と海原を鎮めるため
本堂が瓦礫に横たわり
風景が涙に揺れる
陸前高田・金剛寺で
悪霊退散
悪霊退散

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2012年3月 8日 (木)

「うちへの乱入は許さない~」 こうちゃんケージにちゃっかりドバト2羽

Dscn7419

気がつくといつの間にか、ドバト2羽がエサがある名古屋のこうちゃんのケージに乱入していた=8日午後、日光霧降高原の砂時計家ベランダ

Dscn7415 うちの名古屋のこうちゃんは自分のケージの周りをうろうろ。「こいつらは何なんだ!」と言いたそうに。

Dscn7426 「乱入者はだれだ!」。そんなことを言いながら(たぶん、そうだろう~)、自分の家に入る名古屋のこうちゃん。

Dscn7427話し合おうではないか」ー。そう言うのかと思ったら、こうちゃんは実力行使。ドバトたちの追いかけへ。平和の象徴・鳩と鶏の「戦争」になってはいけないので、すぐに引き離したのであった。一羽は自力脱出、まだうろうろした一羽は手にとり、空に放したのだった。冬が終わろうとする霧降高原のある日の午後の小さなドラマでした。(おしまい)

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2012年3月 6日 (火)

そのとき何が起きたかを伝えるだろう  鎮魂詩 三陸の海の底で・黒川純

Dscn1262 (360度ともガレキの世界になってしまっていた岩手県陸前高田市気仙町=昨春)

 「3・11」」まであと5日。昨春から震災詩を書いてきたが、気がつけば、鎮魂詩を意識的に書いてはいなかった。初めて書こうとしたのが、この「三陸の海の底で」。震災と原発をテーマに編まれ、今春、発行予定の『別冊 おなご』(岩手県北上市の「麗ら舎読書会」)に送った詩だ。以前にもアップしたが、あれからまもなく1年になる。犠牲者たちひとりびとりに向け、再びこの詩を伝えたい。

鎮魂詩 三陸の海の底で

           黒川純

そのとき語っていたこと
語りたかったこと
語ろうとしたこと
語るべきだったこと
もう語るにも語れないでいる
悔みだけが人生だとしても
準備する時間がなさすぎた
わたしのあなた あなたのわたし

どうしたらその声が届くのだろうか
大蛇のような大波に流されて巻きこまれ
引き込まれて落ちながら海原に押し出された
2011年3月11日のそのとき
ひとりびとりの犠牲者にあしたがあったのに
だれも視たことがない大波に引き裂かれ
手も足も
眼も耳も
口さえも縛られた

だから
幻聴のように響いてくるのか
歴史がやってきた一瞬の悔みを伝えて
だれかが そう問いかけるのだ
いや
だれかではない
海底の光と影の境界で漂っているあなたが
わたしやわたしたちに向かって
ざわざわと
そう ざわざわと
古代がめくれあがった冷たい海底から
もう取り戻せない悔みを取り返したい
ほんとうの死者になりきれない

夢の中であなたがそうささやいたから
理不尽な哀しみの海に降りてゆき
涙で視えない瞳をそっと閉じてやり
漂う身体にじっと光の焦点を当ててやろう
眩しい輝きが海底から海面を突き破り
たなびく雲にその姿が乱反射する

もくもくと立ち上るその雲をスクリーンに
生きていればいつか願いがかなったときの
あなたが満面の微笑みで登場する
そんなことを夢想したい
そのとき
あなたは一瞬で永遠の
瞳いっぱいの涙で
そのとき何が起きたかを伝えるだろう
あなたをさらった潮の流れで
今はただキラキラとあくまで蒼く輝く
三陸の海の底で

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  • 2012年3月 5日 (月)

    除染対象を1ミリシーベルトに戻せ 那須の市民団が2万人の署名活動へ

    Dscn7404 (那須町のホテル大広間で4日開かれた市民団体「那須 希望の砦」の緊急集会)

     わたしもその緊急集会に参加したので、報告しようと思ったが、きょうはさまざまに忙しく。なので、4日、那須で開かれた放射能対策に取り組んできた地元の市民団体「那須を希望の砦にしよう」(藤村靖之代表)の集まりについて、5日付の毎日新聞記事で。

     この記事は3日、日光で開いた藤村靖之さんの講演会(原発問題日光実行委員会主催)の模様も。那須にしても、日光にしても、かなりの熱気に包まれた集会だった。いくつかのポイントなどは時間があったときに。とりあえず、今、東日本で、栃木で、那須で日光で、こうした課題がせりあがっていることを伝えたい。

    (以下は5日付毎日新聞記事)

    栃木・復興元年:東日本大震災1年 那須の住民団体が集会、2万人署名集め決定 国負担の除染対象 /栃木

     ◇「1ミリシーベルト」戻し求め
     福島第1原発事故による「放射能汚染状況重点調査地域」の除染費用負担について、国が除染対象の区域を「1ミリシーベルト」以上から「5ミリシーベルト」以上に引き上げた問題で、放射線対策に取り組む那須町の住民団体「那須を希望の砦(とりで)にしよう」(代表、藤村靖之・日大教授)は4日、緊急集会で「1ミリシーベルト」に戻すことを求める署名活動を展開することを決めた。

     署名集めは2万人を目標に同町や那須塩原、大田原、日光市で展開。2カ月後に首相と環境省に提出する方針。

     集会に出席した高久勝町長は同問題について「国の除染費負担は期待した。ところが突如、5ミリシーベルト未満は線量の低い地域として対象外とした。憤りを感じる」と話した。藤村代表も「無慈悲、不条理だ」と指摘。集まった町民ら約450人が、署名活動の展開について、満場の拍手で承認した。署名の問い合わせは事務局(電話080・6051・6424)。

     また、高久町長は、重点地域指定を受けている8市町が連帯し知事を代表に1ミリシーベルトに戻すことと除染土壌の最終処分場の確保を求めていく方針を明らかにした。【柴田光二】

     ◇藤村代表「万全の手打つこと大事」 日光で原発講演会
     一方、3日には藤村靖之代表が日光市内で講演会を開き「大人が力を合わせて子どもの安全を守ろう」と訴えた。

     「原発事故でいま、何が起きているか」と題し、原発事故後に始めた住民プロジェクトの取り組みを紹介。資金を出し合い、1000人以上が数十台の放射線測定器を購入、できる場所はすべての箇所を測定した。その結果、子どもの外部被ばく量の約80%が自宅だったことを突き止め、屋根や家周辺などを除染した。

     内部被ばくについては、世界で最も厳しいとされるベラルーシの基準を採用。野菜などの放射性セシウムは1キロ当たり37ベクレル、牛乳は10ベクレル以下を守ることを申し合わせて、住民と生産者が協力して活動を進めていることを披露した。「万全の手を打っておくことが大事。力を合わせ、子どもたちを内部被ばくから守ろう」と訴えた。【浅見茂晴】

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  • 2012年3月 4日 (日)

    「ここで怒らないで、いつ怒るのか」 日光原発講演会で藤村靖之さん、除染で署名活動呼びかけ

    Dscn7381 (満員の原発日光講演会で講演する藤村靖之さん=3日、日光市総合会館)

     「ここで怒らないで、いつ怒るのか」。講師に招いた温厚そうな藤村靖之さんが怒るわ怒る。3・3原発日光講演会。日光市総合会館に内部被曝問題の国内第一人者、肥田舜太郎さんを招く予定でいた。だが、肥田さんが風邪などで体調不調となってしまった。連絡を受けたのが、講演会のわずか2日前。急きょ「代役」を頼み、それに応えてくれたのが、那須で非電化工房を運営し、NPO法人「那須 希望の砦」(申請中)代表で日大客員教授の藤村さんだ。

     「ヨウ素」「「セシウム」にかかわる農産物などの「納得基準」、水道水と放射能、薪ストーブの焼却灰の処理など、放射能にかかわる身近な話題を「チェルノブイリ」「ベラルーシ」基準などでわかりやすく説明。その中で怒ったのが、放射性物質で汚染された「汚染状況重点調査地域」(首都圏では、栃木、茨木、群馬、埼玉、千葉の5県51市町村)の除染問題だ。

     最近になって、国は年間被曝線量が「高い地域」と「低い地域」に分け、「低い地域」では民家の庭の表土除去などを国負担の対象外にしようとしているという。そのことが報道されている。「被曝線量が「高い地域」「低い地域」のその線引きは「おおむね5ミリシーベルト」としているという。国は昨秋、1ミリシーベルト以上は国が負担する方針を打ち出していた(後述の朝日新聞記事参照を)。これを全面的に批判したのだ。藤村さんによると、那須や那須塩原の放射線量はすぐ隣、福島県の西郷村とおなじくらいのレベル(福島市や郡山市ともおなじくらういだという)。何をやってもお金が出る福島と那須の子供たちに何の違いがあるのかと指摘。「那須や那須塩原、もしかして日光の子供たちを見捨てるのか」と。

    Dscn7352 (定員に近い約210人が耳を傾けた3・3日光原発講演会の講演会場)

     講演で藤村さんは国のその方針を「撤回」させるために、団体に呼び掛けて署名活動を始めたいとした。署名数は「県北で2万人」を考えているようで、会場内に「ぜひお願いします」と呼びかけた。藤村さんは4日、現地でNPO法人「那須 希望の砦」の設立やそうした除染問題などについて話し合う大集会を開く予定だ。

     そうした日程でいるのを知っていたので、「代役」に藤村さんに依頼した。前日の3日の日光講演会がそうした課題のアピールの場所になるだろうということも考えて。その依頼の際、藤村さんは電話口で「交換条件」として、署名2万人のうち2千人は日光で集められないかと問い掛けた。「交渉役」のわたしは「仮了解」、すぐに開いた緊急実行委員会でも了承を得た。

     講演で藤村さんはその「裏話」?を会場で笑いながら明らかにしたが、「半分冗談、半分本気」とも。「ここで怒らないで、いつ怒るんだ」、というのは、その場面で語ったこと。そして、4日午後1時半からりんどう湖ロイヤルホテルで開く集まりに「ぜひ来ていただきたい」と参加者に呼びかけた。講演の最後に実行委の司会者がその署名活動について呼びかけると、賛同を示す大きな拍手が会場に響いた。そのことも伝えたい。

    Dscn7380 (講師の藤村靖之さんはプロジェクターでこんな図解で放射能の影響を説明した)

    政府は11日、放射能汚染に対処する特別措置法に基づく基本方針を閣議決定した。法は来年1月に施行され、同方針に従って原発事故に伴う被曝(ひばく)線量が年1ミリシーベルト以上の地域を国の責任で除染するほか、一定レベル以上の濃度の放射能を帯びた廃棄物や下水汚泥なども国が処理する(朝日新聞2011年11月11日)

    Dscn7363 (藤村さんが書いた『福島原発事故と放射能被曝対策』はあっというまに「完売」)

    「もういちど集まって」の詳しい呼び掛けはこちら。http://nasu-toride.org/wp/wp-content/uploads/82b4879cf56077498b2e1d9b211715b0.pdf

    もう一度 集まってください
                放射能から子供たちを守るために
                 いま僕たちができることを
                  一緒に考えましょう!

    あれから1年。本当にほんとうにお疲れさまでした。よく頑張り抜いたと思います。でもすこし疲れましたね。僕たち大人が疲れ気味なのを見透かしたように、政府は責任逃れの度合いをにわかに強めています。だから、疲れても忘れるわけにはゆきません。子供たちが取り残されてしまうからです。
    那須町や那須塩原市の放射線量は福島市や郡山市や西郷村と同じくらいのレベルです。福島市や郡山市や西郷村では何をやっても国や県からお金が出てきますが、那須町や那須塩原市では何をやっても国や県からのお金は出てきません。口惜しいですね。だから僕たちは福島市や郡山市や西郷村の大人よりも少し頑張らないといけないようです。少し頑張ると言っても、疲れすぎることは困るし、効果が小さいこともしたくありませんね。そこで疲れすぎずに効果がありそうなことを考えました。ぜひ3月4日の集まりにいらして聞いてください。ぜひ一緒に考えてください。ここが切所だと思います。
    是非ぜひお願いします。 藤村靖之

    3月4日(日)午後 1 時開場 午後1時30分開演
    りんどう湖ロイヤルホテル 2F ロイヤルルーム
    <解説>
    ・那須地域の子供の放射線被曝状況
    ・除染方法、農作物の線量を下げる方法
    ・政府や行政の除染や検査の対応.
    ・NPO『那須希望の砦』の活動内容
    <対話>みんなで一緒に考える、話し合います
    施設利用協力費として 300 円を申し受けます
    会場の都合でメールまたは電話で代表者名と同伴人数をお知
    らせください
    NPO 法人(申請中)「那須 希望の砦」呼びかけ人
    info@nasu-toride.org   
    電話:080-6051-6424 (10 時~5 時でお願いします)

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    2012年3月 3日 (土)

    3・3肥田さん日光講演会は藤村さん講演会に切り替え 肥田さんが風邪などの体調不調で 

    3・3肥田舜太郎氏講演会は肥田さんが風邪などで体調不調のため、急きょ、那須の非電化工房代表、日大客員教授の藤村靖之氏に切り替え。日程・主題など当初方針で。

    以下は本日夕、県内各社にfaxで緊急連絡した内容です)

    緊急連絡 報道各社さま
    3・2  「原発問題日光実行委員会」

    3・3肥田舜太郎氏講演会で、肥田氏が体調不調で講演会かなわず
    代わって那須の非電化工房代表、日大教授の藤村靖之氏の講演会に
    肥田氏の講演は不可能になりましたが、講演会の日程はこれまでの告知と同様です。
    3日付朝刊や3日午前までの放送で講師交代などをお伝えしていただくことができれば、
    幸いです。「肥田さんだから聴きたい」と「整理券」を求めた方にはキャンセルも可。
    実行委員が手分けして、このことをそれぞれにお伝えもしております。

    (以下はツイッターで実行委員がツイートしているものです)
    《拡散希望》3・3日光講演会を予定していた肥田舜太郎さんは風邪などの体調不調でキャンセルに。「整理券」の方も実行委も残念。代役の講師は那須の非電化工房、藤村靖之さんにお願いしました。那須の放射能との取り組みなども。3月4日にはNPO法人「那須 希望の砦」設立など発表へ。

    (プロフィール)藤村 靖之(ふじむら・やすゆき)(発明家)1944年生まれ
    大阪大学大学院物理系専攻博士課程卒、工学博士
    コマツ熱力学研究室長、カンキョー代表取締役等歴任
    現在は非電化工房代表、日本大学工学部客員教授
    2007年より栃木県那須町に移住してテーマパークを建設中
    子供を放射能から守るためのNPO『那須希望の砦』代表
    主な著書『愉しい非電化』(洋泉社) 『さあ、発明家の出番です』(風媒社)
    『テクテクノロジー革命』(大月書店) 『月3万円ビジネス』(晶文社)etc.
    主な受賞 科学技術庁長官賞、発明功労者賞、空気衛生工学会賞、日本機械学会賞、
    アントレプレナー大賞etc.

    お問い合わせ
    「原発問題日光実行委員会」
    代表幹事 福田洋吾
    Tel 0288・32・2250 
    mobile 090・8803・9790
    e-mail  yogo_453@ybb.ne.jp

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