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2012年5月

2012年5月30日 (水)

福島の原発事故をめぐる読書録  『序説 第19号』黒川純

Dscn9290 (3・11以後、わたしが読んだ「原発本」のベストセブンはこんな本)

福島の原発事故をめぐる読書録

                        黒川純

 3・11」以後、本の読み方、というか、手にとる本の種類がそれまでとまるっきり変わってしまった。東日本大震災に関するもの、とくに辺見庸や鷲田清一、池澤夏樹、、加藤典洋らの評論や震災詩も読んではきた。だが、昨夏から読む本の大半は「原発本」になっている。核と放射能の技術、科学史、反原発史、原発事故隠し、政治的思惑、被曝労働と原発訴訟、放射能汚染、とくに内部被曝と、さまざまな分野にわたり、それぞれを交差させないと、「なるほどな」「そうなのか」と思える地点に届かない。原発問題はそれなりにかじってきたつもりだったが、いざ、フクシマに向き合うと、核エネルギーの分野がこれほど奥の深いものとは思ってもみなかった。それが今の正直な感想だ。

                                       

 北海道・札幌にいたとき、司法記者として1988年の北海道泊原発差止訴訟や接見交通権訴訟、石炭じん肺訴訟などを担当していた。さらに医療、炭坑、選挙を専門に担当したことも。その経験から言うと、ひとつの分野の取材に向かうには、その分野の本、10冊~20冊を読みこめば、その分野について、一定の理解が得られ、取材に生かすことができた。また、そうした水準に至るまであえて外に出ず、ひたすら関係書を読み込むというスタイルをとってきた。

 実際、その後も対象が、自然保護であったり、農業や漁業であったりの際でも、そうした方法をとってきていた。だが、今回の原発事故をきっかけに深く知ろうとした原発・放射能については、それがあてはまらない。一冊読めば、さらに知るべきことが増え、次の一冊へ。さらに次へ。いわば「原発の森」に分け入るといった読み方を強いられた。それは、いわゆる読書というのではない。これまでの世界観の再構築さえ、迫られる、そうした切実感も含めて読んでいた。

 3・11から1年が過ぎたところで、そんな思いを背景に読んできた本をあげながら、そこで学んだことや共感を受けたこと、大事な指摘だと思ったことを記してみたい。かなりの書籍を挙げるが、脱原発をめざす市民がどのような本を読み、それを血肉にしてきたか(してきたつもりだが)、それはひとつの時代の記録にもなるのではないか。そんな思いで以下の文章を続けてみたい。

まず、読んだ本を書棚から手にとってみるだけでも、広瀬隆『第二のフクシマ、日本滅亡』など、以下の本がある。いずれも、原発を知るうえで参考になった書籍ばかりだ。広瀬隆・明石昇二郎『原発の闇を暴く』、樋口健二『闇に消される原発労働者』(フォトジャーナリスト・樋口さんについては、この春、宇都宮であった記念講演会を聴いたばかり。原発労働者を追いかけてきたその取材結果のなんと濃いものであるか、事実が持つリアルさに感嘆した。終了後の懇親会でも親しく懇談させていただいた)

さらに高木仁三郎『原発事故はなぜくりかえすのか』、肥田舜太郎・鎌仲ひとみ『内部被曝の脅威』、武田邦彦『放射能列島 日本でこれから起きること』、大澤真幸『夢よりも深い覚醒へ』、菅谷昭『これから100年 放射能と付き合うために』、小出裕章『小出裕章が答える原発と放射能』、松井英介『見えない恐怖 放射線内部被曝』、朝日新聞特別報道部『プロメテウスの罠』、肥田舜太郎『広島の消えた日』、宮台真治・飯田哲也『原発社会からの離脱』、高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』など。

昨年中に読んだ本では、たぶん、多くの人が読んだであろう広瀬隆『福島原発メルトダウン』、武田邦彦『原発大崩壊!』、小出裕章『原発のうそ』、同『原発はいらない』。さらに若松丈太郎『福島原発難民 南相馬市・一詩人の警告』(原発の危険性について、ずっと警告をしてきた透徹した視線が光る詩人の貴重な詩とエッセイ)、内田樹×中沢新一×平川克己『大津波と原発』、川村湊『原発と原爆』、加藤典洋『3・11 死に神に突き飛ばされる』、池澤夏樹『春を恨んだりしない』(これもぜひ読んで欲しいお薦め本だ)。あるいは松本清張が核弾頭をテーマに1963(昭和38)年に週刊誌に連載していたSF的な作品『神と野獣の日々』といったものもある。

最近読んだ本では、やはり武田邦彦さんの『放射能と原発のこれから』、小出裕章さんの『原発のない世界へ』、奥山俊宏『ルポ 東京電力原発危機一ケ月』、絓秀美『反原発の思想史』、マイケル・マドセン『100.000年後の安全』(同名のドキュメンタリー映画を観たが、題材といい、構成といい、時期といい、非常に興味深かった)、有馬哲夫『原発・正力・CIA』、児玉龍彦×金子勝『放射能から子どもの未来を守る』など。

 小出さん、広瀬さん、武田さん、肥田さん、高木さん、飯田さんらは、それぞれ現代日本で脱原発派を代表する論客(もっとも小出さんは脱原発派ではなく反原発派、高木さんは故人だが)。これらから、驚いたり、怒ったり、考えたり。原発について、放射能について、いかに知らないことが多かったか。それを痛感している。その中で最近読んだこの本からも多くのことを知ることができた。アーニ―・ガンダーセン『福島第一原発 真相と展望』(集英社新書、2012年2月)。著者は原子力技術者、エネルギーアドバイザー、全米で原子炉の設計、建設、運用、廃炉にかかわり、米エネルギー省の廃炉手引書(初版)の共著者だという。いわば、原子力問題のプロ中のプロ。何気なく手にとって読み進めたところ、さすが、その道の専門家ならではの鋭い指摘が随所に書き込まれている。

 というのも、原発に批判的な人でさえ、「東電は津波にやられてしまったのだから、その部分では事故も仕方ないことに」といった声を聴くからだ。「想定外の地震と津波だったので」という言い訳がずっと伝えられてきたが、そんな言い訳は通らないことは明らかだ。

                                                         

 「事故原因を“前代未聞”の自然災害に帰してしまえば、東電は責任を免れることができます。しかし、過去に今回のレベルを超えるマグネチュードの地震は環太平洋上で起きており、そのような地震によって生じる津波が想定できなかったとはいえません。2007年に地震で損傷して停止した柏崎刈羽原発でも、対策の甘さが露見していました」。

 

 ガンダーセンのこの本からはさまざまな事態の指摘や忠告を挙げることができるが-例えば、(福島第一の)160㌔沖合でデッキに出ていた米空母の乗組員は、一カ月分の上限とされている被曝量を一時間で浴びた-,ここでは、著書の「おわりに」から以下の「確信」を挙げるにとどめよう。

 「福島第一の複合事故を研究するまで私も、意識改革と科学技術の発展で徹底した改善が可能だと考えていました。しかし、健康被害の回避や長期にわたる放射性廃棄物の管理は人類の力を超えるという事実を確信するに至りました。震災がもたらした深い悲しみを目の当たりにして、謙虚さを取り戻すべきだと改めて気づいたこともあります。『明るい未来』という表現で売り込まれてきた原発ですが、平時であっても未来を蝕む過去の遺物なのです」

 アーニー・ガンダーセンのほか、私がこの間、読んできた原発本で最も感銘を受けたのは山本義隆の『福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと』(みすず書房 第一刷2011年8月25日)だ。

 著者略歴では「学校法人駿台予備学校勤務」とだけあるが、知っている人は知っている、あの東大全共闘議長。たまたまだが、この本と前後して大仏次郎賞を受賞したヤマモトヨシタカの『磁力と重力の発見』(3巻本)、その前段を展開している『16世紀文化革命』(2巻本)を読んでもいた。

 偶然だが、この『福島の原発事故・・・』の強い読後感が残っていた昨年(2011年)11月5日、岩手県北上市の日本現代詩歌文学館で開かれた集いのパネルトークにパネラーのひとりとして招かれた。「輝け9条! みちのくのつどい」(「九条の会」アピールに賛同する詩人の輪・実行委員会主催)。プログラムの「大震災のこと、平和憲法のこと」についての論議だ。パネラーに北上市の詩人で私の年上の詩友でもある斉藤彰吾さん、石巻市の詩人で弁護士のみちのく赤鬼人さん、それに私の3人。司会役は詩誌「コールサック」編集者で詩人の佐相憲一さん。そのパネルトークの会場に私はメモ的なレジュメ3枚を携えていったが、そのメモの最後(「資料10」として)に山本義隆のこの本『福島の原発事故・・・』の文章を抜き出していった。

 「とするならば、脱原発・反原発は、同時に脱原爆・反原爆でなければならないと言えよう。・・・核兵器保有の潜在的能力を高めなければならないという岸(岸信介元総理)の倒錯した論理を、原発とともに過去のものとしなければならないであろう」。

 だが、山本義隆のこの本に感銘を受けたのは、「物理教育にはしくれにかかわり科学史に首を突っ込んできたわたし(山本義隆)」の原発に対する以下などの真摯な見方からだ。

 その指摘は自動車や飛行機などの事故と原発事故を同列に論じ、原発廃炉を主張するなら、なぜ自動車や飛行機を止めると言わないのか、結局、人間・人類は科学の進展を押しとどめることはできないのだ、というおよそ考えられない論理ならぬ論理を持ち出す人々に対する痛烈な、そして根底的な批判になっている。残念ながら、私が学生時代から畏敬してきた詩人、思想家・吉本隆明も含まれている。かのリュウメイでさえ、こうした科学信仰病にかかっていたのだ。いや、東工大出身であったリュウメイだからこそではなかったか。吉本の原発推進発言を知ったとき、最初は「ウソだろう」と驚いたが、今、思うと、そういうことだろう。

 この本『福島の原発事故・・・』から任意に抜き出してみただけでもそうしたお門違いの見方に対する論理的でも倫理的でもある指摘を示すことができる。少し長いが、大事なところなので、お読みいただきたい。

 「原発事故を蒸気機関の創生期にあったような事故と同レベルに捉えることは根本的に誤っている。原発以外では、事故の影響は時間的・空間的にある程度限られていて、事故のリスクはその技術の直接の受益者とその周辺が負うことになる。それに対して原発では、事故の影響は、空間的には一国内にすら止まらず、なんの恩恵をも受けていない地域や外国の人たちにさえ及び、時間的には、その受益者の世代だけでなくはるか後の世代もが被害を蒙る。実際に福島の事故では、周囲何キロかは今後何世代にもわたって人間の立ち入りを拒むスポットとなるであろう」

 「それでも原発はやめなければならないと思っている。事故のもたらす被害があまりにも大きいだけではない。いずれウラン資源も枯渇するであろう。しかしその間に、地球の大気と海洋そして大地を放射性物質で汚染し、何世代・何十世代も後の日本人に、いや人類に、何万年も毒性を失わない大量の廃棄物、そして人の近づくことのできないいくつもの廃炉跡、さらには半径何キロ圏にもわたって人間の生活を拒むことになる事故の跡地、などを残す権利はわれわれにはない。そのようなものを後世に押し付けるということは、端的に子孫にたいする犯罪である」

 原発は想像を超えた事故の過酷さはもちろん、採掘から稼働へ至る被曝労働者を生み出し、放射性廃棄物を処理することもかなわない。高橋哲哉ふうに言えば、「犠牲のシステム」そのもので成り立っている。そのうえ、子孫、はるか未来(それも「10万年後」というような、人類が生き残っているかどうかもわからない気の遠くなる未来)への犯罪に手を染めるシステムなのだ。ドイツが脱原発を決めたのも、こうした倫理感からの判断が大きく働いたという。負の連鎖にまみれた原発(福島第一の4基の廃炉が決まり、現在五十基)をいかに廃炉にしてゆくか。そのためのさまざまな手段や行動(例えば、わたしはデモ、集会、署名、映画会、講演会、陳情、放射能計測などにかかわっているが)をとらざるをえない。原発について知れば知るほど、その思いをますます強くしている。

 このような文章を書いたのも、原発に対するこうした根底的な批判が、わたしが詩を書こうとするときのバック、大きな動機にもなっているようなのだ。それも伝えたかったかもしれない。「ほんとうに怒ったときにしか詩は書かない」。詩人、金子光晴がそう語ったとされるが、結果的に今のわたしはそれに近い。今号では東日本大震災について、初めて意識して書いた「鎮魂詩」も載せているが、最近の気分はいかに、この「原発主義」を凍らせていくことができるか、そのことに思いをめぐらせている。

 フクシマの事故が起きるまで地震大国に林立する、その化け物のような原発という存在の大きさとそれがもたらしてきた犠牲のシステムの現実を見破れなかった、つまり、ラジカルな、世間や社会、世界を見分ける視点は確かだという自負がある全共闘世代でありながら、判断力と想像力と倫理力の貧困さ。それを反省しつつ。

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2012年5月29日 (火)

作業は「落成式」直前まで丁寧に続けられた   被災者の寄合所「歌津迎賓館」(中)

 南三陸町の被災者のための集会場「歌津迎賓館」の落成式は23日午前10時から。神事、挨拶、建物引き渡し式、歌や舞踏のイベント、さらに宴と続いた。が、実は建物が完全に完成したのは前日の22日夕方。それまで部屋の椅子や扉や軒下の調整など、さまざまな作業が続いていた。

 いや、当日の23日朝まで続いていた作業も。建物入口を入ったすぐ、左右の壁面は日光の絵師・香川大介くんが懸命に制作を続けていたが、最終的に完成したのは、実に23日午前8時過ぎ。一心不乱に絵筆をふるうさまは、やはり芸術家。妥協を許さないその仕事ぶりに感心するばかりだった。

 ということでこの連載?の(中)は当日までの作業などについて、写真特集で。次は最終回の(下)。そこで当日の宴の模様や地元の人たちとボランティアがふれあう表情などについて報告するとしよう。

Dscn8982 (歌津迎賓館内で行ったアイヌのシャーマン、アシリレラさんによる神事=23日)

Dscn8839 (「四方」の壁面はひとつひとつ丁寧に手造りされた約1300個のレンガで)

Dscn8834  (周りの椅子をすえつけるなど、完成直前の作業が続く歌津迎賓館内=22日)

Dscn8880_2 (中央の「いろり」の横面に彫られた波と白魚、こんなこまやかな作業も)

Dscn8821 (日光の絵師、香川大介くんの仕事が終了したのは当日の23日午前8時過ぎだった)

Dscn8841 (歌津迎賓館内の椅子造りは落成式前日の22日いっぱいまで続いた)

Dscn8830 Dscn8831 (歌津迎賓館入口の扉は「チーム日光」の小坂憲正代表の作品。過日、「小杉放菴記念日光美術館」の企画展に出品した作品だ。写真の上が表、下が裏)

Dscn8888 (23日午前10時から始まる落成式には当日参加のメンバーも含め、10数台が日光など栃木県や秋田県、福島県、北海道などから続々と歌津へ)

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2012年5月28日 (月)

詩 わたしの未来に連帯するために 「詩と思想 6月号」(黒川純)

 このブログ「砂時計主義」の副題は「霧降高原の『詩的生活』ノート」。詩的な雰囲気のことも書きたいのだが、このところ、脱原発署名活動など、いわゆるお堅い記事ばかりが前面に(そのような生活が確かに続いてきてはいるのだがー)。なので、ここは「詩的」なこともぜひ載せたいと。

 と思っていたら、詩誌「詩と思想 6月号」が宅配で玄関先に。そう、今号にわたしは詩「わたしの未来に連帯するために」を送っていたのだった。ということで、たまには黒川純の詩も掲載することに。発行日は6月1日(この詩誌の装丁はわたしの友人、長島弘幸君がやっているという思わぬ縁もあるー)。

 この「詩と思想」は詩の世界では社会情況も踏まえて、誠実なというか、きちんとしたというか、真面目に詩に向き合っている代表的な月刊全国詩誌だ。充実さを増している存在感のある詩誌「コールサック」(年3回)とともに愛読したり、投稿したりしているひとつだ。ぜひ、手に取る機会を見つけてください。

Dscn9285 Dscn9287

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詩 わたしの未来に連帯するために

                                                黒川純          

わたしはもう青く輝く塵のひとつだったり

まばゆい春に芽吹く緑の葉の一枚だったり

南極海のミジンコに変身しているかもしれない

いずれにしろ

地球のどこかの森か林か海かに漂っているだろう

すでに姿がとられきれないわたしを超えて

再びやって来るだろう厳しい氷河期を乗り越え

かろうじて生き残って立ち上がっているだろう

3千世代、そう3000世代の先のわたしたち

                                   

はるかはるか遠い遠い時間が過ぎた未来

いつか地球に漂っていたわたしがそれになり

あるさわやかな朝

その自然というシャボンできれいに清めている

そのわたしたちに胸騒ぎの憂鬱を打ち込み

そのわたしたちに空に舞う不安を呼び込み

そのわたしたちに答のない悲鳴を上げさせる

今、その光景が残酷なスクリーンに映る

不可視の向こうにあるパニックが視えないか

                                   

いや!

そんなことはない

少しでも思い浮かべればすぐに透視できる

手のだしようのない線量に立ちすくむ

そのおびえでうろたえるわたしたちが

タイムマシンで10万年後から発進し

パトロール隊員が今の捜査に着手するが

それが始まったときは悲劇の始まりだ

飛び散った今だけが問題なのではないからだ

                                   

洗って、除き、埋めて

避けて、逃げて、壊して

これから数十年間もかけて鎮めてゆく

一度目の愚かな結末に怒るだけでなく

それを二度と繰り返させてはならない

なぜなら

こういうことだからだ

わたしの、未来のわたしに対する

結果がわかっていてもやってしまう

それこそ未必の故意の犯罪なのだ

わたしはどこにいても逃げも隠れもしない

おてんとうさまのほんとうの倫理を胸に

未来のわたしたちに連帯するだろう

たくさんの木霊を列島に響かせ

未来への犯罪に立ち向かおうと

2012年5月27日 (日)

「脱原発署名」、2時間で257人 「日光の会」が最後の追い込みで

 「さようなら原発!日光の会」は27日、日光市中心部のスーパー店頭で「脱原発1000万人全国署名」の街頭署名を行った。午後1時から2時間、最後の30分は小雨、本降りのあいにくの天候に変わったが、署名は続行。最終的に応じていただいた署名は257人分にも達した。

 Dscn9264  署名は「原発いらない栃木の会」の協力も得て。「脱原発1000万人署名を」。ハンドマイクなどのその呼び掛けに買い物客が次々と。反応の良さに、ハンドマイクの呼びかけ人も思わず?「署名の受け付けこちらでやっております」(思わず笑ってしまった。でも、それくらい余裕がある署名活動だった)

Dscn9266 署名していただいた257人は、当然、日光市市民が大半だったが、意外と県内外も。県内では宇都宮、鹿沼、那須塩原、小山の各市民が23人(県内の人もかなり日光に来ているのだね~)。東京、千葉、神奈川、埼玉の市民も9人だった。

Dscn9282 街頭署名に参加したのは「さようなら原発!日光の会」が10人、「原発いらない栃木の会」が4人の計13人(わたしが両方に参加しているため)。4人の子育て中のお母さんや農業青年に加え、2人の忙しい日光市議も参加した。

Dscn9263  署名に参加した会員は基本的に腕章、胸章をつけて、所属を明らかにするようにした。どこのだれが署名を呼び掛けているのか、わかるようにするため。さらに「脱原発1000万人署名」を呼びかけているという看板を2枚、それにハンドマイクで署名の趣旨を繰り返し伝えた。

Dscn9278  県都・宇都宮と違って、呼び掛けに対する反応は段違い。買い物客の多くが署名の呼び掛けにすぐに応じてくれていた。「えっ、住所を書くの?」。そんな反応で応じてもらえなかった市民も。でも、それはごく一部。説得?で最後には署名に応じてもらった人も。

Dscn9259  「原発いらない栃木の会」のメンバーで、宇都宮のヨモギダさんは次々と署名をゲット?、彼女はにこやかに、しんぼうづよく、したたかに?買い物客らをねばりづよく説得。次々と脱原発署名を積み重ねていった。で、この日の会員仲間は彼女を「署名名人」と呼ぶことにー。署名に応じていただいた方に感謝します。

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2012年5月25日 (金)

集会場完成、ライブで祝い合う 被災者の寄合所「歌津迎賓館」(上)

Dscn9125 (災害支援「チーム日光」が地元の人力も得て完成させた集会場「歌津迎賓館」の味のある看板)

Dscn9126 (「歌津迎賓館」の扉は「チーム日光」の小坂憲正代表が仕上げた作品。自身の個展に出品した作品のひとつだ)

Dscn8950(集会場の寄贈書を手に災害支援「チーム日光」の小坂憲正代表・左と南三陸町の佐藤達朗教育長、中央は伊里前契約会の千葉正海会長=23日)

Dscn8882 (「竪穴」集会場、「歌津迎賓館」の内部。すべて手造りの木造の重厚な建物に仕上がった。内壁のレンガもひとつひとつ型枠による手造り。その数、ざっと1300個にものぼった)

Dscn8912 (扉を開けると、右左の壁に絵師・香川大介の獅子の作品が。訪れる人たちはその大胆な構図と精密な絵筆に驚くことだろう)

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Dscn9054 (23日の落成式では屋外ライブが予定されていたが、小雨で急きょ、屋内に。トップは首都圏から駆けつけた歌手・チグリハーブ。最初に会場全体で「ふるさと」を合唱。さらに心にしみる彼女自身の唄を次々。ただし、会場内の私語のざわめきが気になった)

Dscn8994 (ライブの二番手は東京から駆けつけた舞踏家・塙寛子さんの舞い。テーマも解説もない舞いだったが、私には死と再生と救済の物語のように受け取れ、不覚にも?、涙が。会場内でも涙をぬぐう姿があちこちに)

Dscn9063 (落成式の神事をつかさどったのは北海道・二風谷に暮らすアイヌのシャーマン、アシリレラさん。ライブではアイヌの貴重なユーカラも語ってくれた)

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(当日の全体の模様は栃木県の地元紙、下野新聞24日付で)

東日本大震災の津波被害に遭った宮城県南三陸町で、ボランティア団体「チーム日光」(日光市)が建設を進めていた「竪穴住居」型集会所が完成し、23日に落成式を開いた。仮設住宅で暮らす被災者も集まり、喜びを分かち合った。町は今後、住民間交流や復興計画を話し合う場として活用する予定だ。

 集会所内で開かれた落成式には、同町の佐藤達朗教育長も参加。チーム代表の小坂憲正さん(44)から寄贈書を手渡され、「心のこもった贈り物をありがとうございます」と感謝した。

 その後、小坂さんに竪穴住居の建築技法を伝授したアイヌ民族の祈祷師・アシリレラさんが、慰霊祭を執行。バンドによるライブなども披露され、式典を盛り上げた。

 津波で親族27人を失った主婦及川時子さん(70)は「素晴らしい建物をつくってくれたのだから、悲しみは今日までにしたい。前を向いて生きたい」と涙をこらえた。

 チームは同町歌津地区の仮設住宅敷地内に集会所がないことを知り、無償での建設を決意。冬暖かく夏涼しい上、「原点回帰」の意味合いも込めて、竪穴住居型(50平方メートル)を選択した。

 復興の鍵となることを願い、「歌津迎賓館『鍵』」と命名。小坂さんは「被災者の心と笑顔をつなぐ拠点になってほしい」と願っている。

2012年5月20日 (日)

「原発いらない」と、お母さんや子どもたちも 熱気に満ちた「5・19宇都宮の脱原発デモ」

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 「原発いらない」、「再稼働反対」、「原発廃炉」、「このまま廃炉」。さらに「放射能いらない」、「汚染を許すな」、「子どもを守ろう」、「未来を守ろう」、・・・。

何のことかというと、好天の5月19日、宇都宮の繁華街で行われた脱原発デモ(正式名は「栃木県民 脱原発 大行進」)での掛け声だ。ハンドマイクの声に合わせて、宇都宮や県内各地から脱原発を声にしようとTWITTERなどの呼びかけで集まった人たち。約40分のデモは途中で加わった人も含めて最終的に89人だった。

 わたしも会員である「さようなら原発!日光の会」「原発いらない栃木の会」のメンバーや南三陸の災害支援に何度か一緒に行っているボランティア仲間たちと参加した。「さようなら原発!」と「原発いらない」と大書した手づくりのプラカードを掲げてデモったり、最後尾の隊列からハンドマイクで掛け声をかけたり。途中、何度かデモ隊から抜けて写真を撮ったりもした。チビッ子を連れた家族連れが目立ち、勇ましい?掛け声とはうらはらになごやかなデモ隊だった。

 脱原発デモは、「さようなら原発 3・11福島県民大集会」(約1万6000人参加、郡山)、「1000万人アクション3・24デモ」(約6000人参加、東京)に続き、宇都宮で3回目。デモは労働組合委員長などを務めていた30代のとき、ストやメーデーなどで歩いて以来。もうかなりになる。

脱原発を訴えるには「書を捨てよ 町へ出よう」(寺山修司)ではないが、ともあれ街頭へ。〈原発はこの世界では、もう無用の長物なのだ〉。そのことを街に出てきちんと伝える。自分の意志を押し出し、世の中の空気や気分がこうなっていることを広く伝えてゆく、その効果は思っているほどではないかも知れないが、繰り返し、行動してゆくべきだと思っている。同じ思いの人々と、いわゆる「連帯」できるというおまけもついてくる。

 当面の「天王山」は7月16日に東京で予定されている10万人集会・デモ。「さようなら原発1000万人アクション」(大江健三郎氏らが提唱)の主催。これからの国のエネルギー政策が決まる前に〈ちょっと待った〉、そういうアクションを起こそうと。わたしは10万人といわず、50万人デモにしようじゃないか(そのくらいの意気込みで7・16へと思っているのでー)、そのようにTWITTERでツイートしている。

 今は子どもの健康被害を心配する若いお母さんたちがチビッ子を連れて、デモに出る世の中。街頭デモは特殊なものではない。「ふつうの人」はもちろん、なかでもデモ慣れしている全共闘世代はどんどん、脱原発デモへ。若者のときとは違った高揚感や解放感を覚えることだろう。さらに爽快感や達成感を引き寄せるためには、少なくとも、この国は脱原発で。その方針を国にとらせていくことだ。その思いを強くしている。(黒川純

以上は6月30日発行予定の同人誌『序説第19号』のわたしのあとがき。5・19宇都宮デモについて書いたので、それをそのまま「横流し」?~)

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2012年5月18日 (金)

放射能被害対策の強化を求める 市民団体が要望書、市と初めての懇談も

 「さようなら原発!日光の会」(代表・福田洋吾)は18日、日光市長に放射能被害対策を強化するなどを求めた大小12項目の要望書を提出した。並行して日光市の総務課長、危機管理放射能対策室長や観光、教育など各部門・10人以上の市職員の参加を得て、懇談会を持った。会側の参加者は幼児連れのお母さんも含めて11人。

 会は約1ケ月間かけて、市内全域の放射線量を独自に調査。その結果を伝えながら、除染など放射能被害対策の強化などについて、担当者と話し合いを持ちたいと、会の方から要望。市側がこれに応え、担当室長ら、各部門から出席していただいた。

 懇談会は午前10時から11時半の1時間半。だが、放射線量の測定結果などを伝えたこともあり、話し合いの実質は1時間弱だった。懇談での主な内容は、市が方針として優先事項として打ち出している保育園、幼稚園、小中学校の除染はもちろん、それに並行して通学路や公園などについても、早急な除染を行うべきだ、といったことを促した。市は「手をつけられるものはつけてゆく」などと応じたが、いまひとつ?という印象が残った。

 さらに、放射能被害問題の懇談に危機管理放射能対策室のほか、各部門から参加しないと、懇談できないような体制ではなく、対策が一本化できるよう、体制の強化(要望では「放射能被害対策課」(仮称)の新設)などを求めた。

 また、南相馬市では昨年7月には「除染マニュアル」が作成されている例も挙げ、日光市も住宅の除染などに役立てる「除染マニュアル」を早急に作成し、市民に配布すべきだと求めた。

  これについては市は、7月から18歳以下の子どもがいる世帯で0・23μ㏜/h以下で除染を希望する場合は個人で実施してもらい、必要な用具の配布・貸し出しを行う(18歳以下の子どもがいる家庭で0・23μ㏜/h以上は市が除染を実施)。それまでには「除染マニュアル」を作成・配布することになるとした。

 甲状腺エコー検査などの意見交換では市民と市との考え方の違いがでていたが、詳しいやりとりはのちほど。

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Dscn8709 (放射能被害対策強化について、日光市と懇談する「さようなら原発!日光の会」のメンバー=18日、日光市役所会議室)Dscn8710 (市との懇談には我が子をあやしながら参加した「さようなら原発!日光の会」のお母さんも)

(以下は「さようなら原発!日光の会」の会報 『げんぱつニュース 第10号』(5月18日)

鎌仲ひとみ”さんの話を聴きましょう!

 122日に今市中央公民館で開催した映画会『ミツバチの羽音と地球の回転』の監督である、鎌仲ひとみさんが栃木県母親大会in日光(6月10日、日光総合会館)に、「原発とわたしたちのくらし」記念講演講師として日光市に来られます。この機会にぜひ、生の話をみんなで聴きましょう。

日光市長あて“要望書”提出する

~日光市危機管理・放射能対策室との懇談会~開催される

 518日(金)10時から1130分まで、日光市役所内会議室において当会との懇談会が開かれ、日光市側からは、総務課長、対策室長はじめ、学校、観光関係担当者など10名、当会から11名が参加して行われました。

要望書は、「放射性物質から子どもを守り、もとの環境を取り戻す対策の充実を求める」とする内容で、当会のメンバーが約一か月間かけて市内全域を測定したデータをもとに、「原発事故による放射能被害者を日光市から一人も出さない」との構えで、除染作業を本格化し、体制を強化して欲しいなどの切実な要望を述べました。

「国の除染費用負担を求める要望署名」49000筆を提出

 多くの方から協力を頂いた「除染署名」は、49000筆を超え、環境省と面談の結果、「町(市)が除染計画を策定し、その中で個人宅を除染する形のものについては、国は費用を負担する」との回答を得ました。当会を通しての署名数も2500筆届けられ、これらの力が国を動かしたものと言えます。

「脱原発一千万人署名」は5月末日まで行われます

 5月5日に国内の全ての原発が停止し、エネルギー問題が“脱原発”の方向に大きく転換されようとする中で、大飯(福井県おおい町)原発の再稼働が、予断を許さない状況です。引き続き署名行動を強めましょう!署名簿など必要の方はご連絡下さい。

527日(日)13001500今市“かましん”さん前にて署名行動を行います。参加下さい。

Dscn8706 (「さようなら原発!日光の会」との懇談に参加した日光市の総務課長ら職員のみなさん)

Dscn8702 (懇談ではグーグルアース上に図示したり、グラフ化したりできる環境放射線量計による全市内の測定結果を市側に伝えた)

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(以下は本日の18日、日光市長に提出した「さようなら原発!日光の会」の要望書)

放射性物質から子どもを守り、もとの環境を取り戻す対策の充実を求める要望

<要望の趣旨及び理由>

「原発の事故により放出された放射性物質による環境の汚染への対処に関する特別措置法」が平成24 年1月1日より完全施行された。日夜被曝の不安を抱え生活している日光市民は一日も早い事故以前の環境回復を願っている。我々<さよなら原発!日光の会>は、携帯型シンチレーション測定器で、ほぼ全市を一巡して測定した結果、局所的汚染地点など多々発見した。住民は「わからないで不安だったが知ってよかった。放射能の高い所に近づかなければ住み続けられる」と市によるきちんとした対処を求めている。

また、ご存じの通り、<責任ある除染を国に求める連絡協議会>は、4月26日、法律で定められた通り、年間追加被曝線量1ミリシーベルト以上の個人住宅の除染を国の費用負担で一刻も早く進めてほしいと、要望書と4万9千人分の署名を提出して環境省と面談交渉した。高山政務官は「町()が除染計画を策定しその中で個人宅を除染する形のものについては、国は費用負担する」と明言した。日光市は速やかに市民の住居の除染にも取り掛かり、子供が不安なく生活でき、健康に成長できる、核汚染以前の環境を取り戻す対策の充実が急がれる。

 そして、先の原子力発電事故による、すべての生命と環境にもたらされる計り知れない被害を、ふたたび繰りかえさせては意味がない。もとの環境を取り戻す対策の充実を求めるとともに、自然エネルギー中心社会へ転換し原発に依存しない社会の実現を目指す先頭に、市長が立つことを要望する。

<要望事項>

1 子どもを安心して育てられる環境を速やかに実現させること

   日光市のすべての子どもの健康に不安をもたらすヨウ素131等被曝による甲状腺のエコー検査など実施すること。

   学校給食の放射性物質検査は、「日光学校給食センター」「藤原学校給食センター」の2カ所による当該児童に提供した給食1食分1週間ごとのまとめ検査の実施が現状であり、全校を対象にした検査体制を備えること。

    18歳以下の子供のいる家庭(7600世帯)の除染実施に見合う市の体制強化を求める。

2 食物(農作物)の放射性物質濃度検査の充実を求める

   市は日光ブランドセンターばかりでなく、総合支所単位に、食料・農水産物等の精度の高い検査機器を備えた測定室を設置し、児童の給食の安全・住民の食の安全をはかること。

   市は水田、畑などの土壌・たい肥・腐葉土の放射性物質測定器を備えて耕作者の必要にこたえ検査すること。

   農産物の出荷停止、その他検査結果の発表は、全市民に届くように改善すること。

3 除染実行を本格化すること

   3月に出された、環境省「放射性物質による局所的汚染箇所への対処ガイドライン」に基づき、調査及び対処・除染を実施し、その際、住民と一緒に線量を測り、それぞれの住宅、水田や畑の汚染状況を正しく知り過度な不安を取り除き、対処の協働関係を構築すること。

   学校等における放射線測定の手引きは、昨年8月文部科学省が出し、速やかな除染が求められていたが、いまだに空間線量が高いままである。子供や周囲住民にもわかるように「校内・通学路等汚染状況マップ」を明示し、ただちに除染を実行し、それまでは立ち入り禁止など明示すること。

   <責任ある除染を国に求める連絡協議会>に示した環境省の明言を活かし、市は除染実施計画にもとづいて保育園、幼稚園、小中学校など18歳以下の子供のいる世帯の除染を行うが、併行して通学路,公園などの除染も早急に実施すること。個人住宅についても除染取り組みを開始し、東電と国に費用負担を要求し、市内の業者の力を活かし、また、住民からの情報を活かし、住民団体との提携を密にして遅れを取り戻し進めることを求める。

   除染に当たり、住民に放射性物質除染マニアルを配布し、適正な除染土壌の保管法の指導を行い、「汚染土壌」と表記した袋などを配布し保管状況の実態を掌握すること。

4 原発事故による放射能被害者を日光市から一人も出さないとの構えで、放射能被害対策課(仮称)を新設するなど、体制を一本化して強化すること。

5 日光市長は、原発に依存しない社会の実現を目指す全国の市町村長らが結成した、<脱原発をめざす首長会議>に参加し、未完成な技術で最終処理もできない核エネルギーから、自然エネルギー中心への大転換の先頭に立つことを求める。

上記の諸件につき、2012618日までに、回答を頂きたく要望いたします。 以上。

Dscn8699 (市側との初めての懇談会であいさつする「さようなら原発!日光の会」の福田洋吾代表。わたしたちが使った環境放射線量計についても説明を加えた)

2012年5月16日 (水)

霧降高原は赤色や桃色の世界に 今年もヤマツツジが一帯に咲き誇る

Dscn8649  きょうのぽかぽか陽気に促されてか、市街地に比べヤてヤマの方、私も暮らすここ日光市霧降高原でもヤマツツジが見頃を迎えた。燃えるような赤色や桃色の花が一帯の道路ぎわや庭先で咲き誇るようになってきた。

 ご近所を10分ほど歩いて撮ってきた光景がこれらの写真。もう何度かこの季節に観ているが、何度観ても「絶景かな」?、そう言いたい風景だ。これからしばらくの間、霧降高原は華やかなツツジの季節が続く。

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2012年5月12日 (土)

若い女性たちらが次々と脱原発署名 宇都宮の繁華街で「全国1000万人署名」

Dscn8631 (仲間たちで署名に応じてくれたのでメンバーも3人がかりで=12日、宇都宮市の繁華街)

 市民団体「原発いらない栃木の会」(代表 米田軍平、島田晴夫)は好天の12日昼過ぎから宇都宮市の繁華街2か所(オリオン通り入口、ニ荒山神社交差点)で脱原発を呼びかける「1000万人全国署名」を大々的?に行った。

 署名活動は「栃木の会」の役員や会員のメンバー20人弱。わたしも参加した午前中の役員会を終え、零時半から繁華街へ。最初のうちは手ごたえはいまひとつだったが、段々と署名に応じる人たちが目立ってきたという。

 午後2時半まで約2時間の署名活動では、とくに若い女性たちの反応がよかった。それに女子高生と男子高生ら。なかには福島県の矢祭町や南会津町の人たちからも署名をいただいた。

 集計はこれからだが、集まった署名は2時間で、ざっと250人強から300人弱ほどか。現在(4月29日現在だが)、全国署名は659万人。目標の1000万人に向け、5月末締め切りまでさらに呼び掛けが必要になる。

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Dscn8616 (乙女たちが脱原発署名に次々と応じてくれたのが印象的だったー)

 この日はハンドマイクがあったので、懐かしさ?からわたしはすぐに肩に背負って、「第一声」。「こちらは原発いらない栃木の会です。脱原発、さようなら原発の声を国に届ける1000万人署名を呼びかけております。原発はいらないという声を国に伝えていこうではありませんか」。

 続いて「この署名はノーベル賞作家、大江健三郎さんや落合恵子さん、坂本龍一さんらが呼び掛けており、7月16日には東京で10万人集会・デモ・パレードも予定されてもおります。フクシマで明らかなように原発は事故が起きれば、過酷な結果が待っている負のシステムであり、はるか未来まで汚してしまいます。その原発は計画的に廃炉にしてゆく、その署名にご協力ください」。

 こう呼び掛けながら、写真を撮るのを忘れていたので(私はこの日の写真係だった~)、ハンドマイクを役員に交代。すると、「通行中のみなさん、わたしたち栃木の会では、脱原発を実現し、自然エネルギー中心の社会を求める全国署名をしております」と。おおざっぱなわたしの呼び掛けと違って、丁寧な呼び掛けに変わった(笑い)

Dscn8613 (署名に応じてくれた若い男性たちを談笑する栃木の会のメンバー)

 署名に応じていただいた人からは「がんばってください」といったエールを送ってくれた人もいたが、「急いでいるので」とやんわり、署名を断る中年の女性も。若い男性からは「エネルギー不足には原発が必要だと思う」、幼児2人を連れたお父さんからは「原発には反対ではないので」といった反応もあった。 

 放射能問題が身近な日光に比べ、<宇都宮では脱原発に対する関心というか、反応はいまひとつ違うな>、そんな印象を受けた。例えば、女子高生などに「フクシマ原発事故が起きる前に国内で稼働していた原発は何基だか、知ってる?」と問うと、戸惑いながら「45ぐらいかな」と答えていたほど。

 だだし、二荒山神社前交差点で次々と道をゆく人たちに署名を呼び掛けていた同会事務局長の大木一俊弁護士によると、「呼びかけた10人のうち2人ぐらいは応じてくれた。宇都宮にしてはこの日は署名に応じてくれたほうではないか」という。

 「1000万人全国署名」の締め切りまであと半月強。あと300万人強は上積みしなければ、目標は達成できない。この日は宇都宮だったが、わたしが暮らす日光でも、もう一度、街頭署名をしなければならないだろう。わたしも会員の「さようなら原発!日光の会」でそれができるかどうか、提案してゆくつもりだ。

Dscn8601 (ハンドマイクで脱原発の全国署名を呼びかける「原発いらない栃木の会」メンバー)

Dscn8595 (署名活動のエリアでは「1000万人アクション」の「横断幕」?も登場させた)

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2012年5月10日 (木)

説得力ある山本義隆の脱原発論  鬼っ子の同人誌「あとがき」で強調 

 6月30日の発刊をめざしている戦後の鬼っ子たちの同人誌『序説 第19号』の編集作業のヤマ場が昨夜、ようやく終えた。1年に一回、この時期に発刊、その事務局をわたしが務めている。

 今回の執筆は同人の半数の6人。いつもよりやや少ない。内容はエッセイ、詩だが、いずれもそれぞれに「あとがき」も頼んでいる。近況など原稿用紙1~2枚をというのが、注文。その「あとがき」だけの同人も一人おり、計7人が第19号に寄稿した。

 出版社は宇都宮市の「随想舎」。同人の原稿はすでに出稿済みで、最後に残ったのが、事務局のわたしだった~。9日までにこの1年のうちに各詩誌などに発表してきた詩10篇(いずれも原発震災詩))を送った。

 残るは「あとがき」だが、書き始めたら、1~2枚では足らない。最終的に原稿用紙8枚ほどに。「長~いあとがき」になってしまった。それを送ったのが9日深夜。書いたのはやはり脱原発に関して。ひと足早く、それをブログにアップすることに(以下は『序説 第19号』用のわたしの「あとがき」だ)。

Dscn3323_2 (『序説 第19号』は6月30日発刊。写真は昨夏発刊した第18号表紙)

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 「3・11」以後、本の読み方、というか、手にとる本の種類がそれまでとまるっきり変わってしまった。大震災に関するものも読んではきたが、昨夏から読む本の大半は「原発本」になっている。核と放射能の技術、科学史、反原発史、原発事故隠し、政治的思惑、被曝労働と原発訴訟、放射能汚染、とくに内部被曝と、さまざまな分野にわたり、それぞれを交差させないと、「なるほどな」「そうなのか」と思える地点に届かない。核エネルギーの分野がこれほど奥の深いものとは思ってもみなかった。それが正直な感想だ。

 読んだ本を積んである書棚から手にとってみるだけでも、以下がある。広瀬隆『第二のフクシマ、日本滅亡』、広瀬隆・明石昇二郎『原発の闇を暴く』、樋口健二『闇に消される原発労働者』、高木仁三郎『原発事故はなぜくりかえすのか』、肥田舜太郎・鎌仲ひとみ『内部被曝の脅威』、武田邦彦『放射能列島 日本でこれから起きること』、大澤真幸『夢よりも深い覚醒へ』、菅谷昭『これから100年 放射能と付き合うために』

 

 小出裕章『小出裕章が答える原発と放射能』、松井英介『見えない恐怖 放射線内部被曝』、朝日新聞特別報道部『プロメテウスの罠』、肥田舜太郎『広島の消えた日』、宮台真治・飯田哲也『原発社会からの離脱』、高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』、絓秀実『反原発の思想史』―(このうちの何冊かはTWITTERや私のブログ「砂時計主義」でも紹介してもいる)。

 小出さん、広瀬さん、武田さん、肥田さん、高木さん、飯田さんらは、それぞれ現代日本で脱原発派を代表する論客(もっとも小出さんは脱原発派ではなく反原発派、高木さんは故人だが)。これらから、驚いたり、怒ったり、考えたり。それらから学んだうえで、私がこの間、最も感銘を受けたのは山本義隆の『福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと』(みすず書房 第一刷2011年8月25日)だ。

 著者略歴では「学校法人駿台予備学校勤務」とだけあるが、知っている人は知っている、あの東大全共闘議長。たまたまだが、この本と前後して大仏次郎賞を受賞したヤマモトヨシタカの『磁力と重力の発見』(3巻本)、その前段を展開している『16世紀文化革命』(2巻本)を読んでもいた。

 偶然だが、この『福島の原発事故・・・』の強い読後感が残っていた昨年(2011年)11月5日、岩手県北上市の日本現代詩歌文学館で開かれた集いのパネルトークにパネラーのひとりとして招かれた。「輝け9条! みちのくのつどい」(「九条の会」アピールに賛同する詩人の輪・実行委員会主催)。プログラムの「大震災のこと、平和憲法のこと」についての論議だ。パネラーに北上市の詩人で私の年上の詩友でもある斉藤彰吾さん、石巻市の詩人で弁護士のみちのく赤鬼人さん、それに私の3人。司会役は詩誌「コールサック」編集者で詩人の佐相憲一さん。

 そのパネルトークの会場に私はメモ的なレジュメ3枚を携えていったが、そのメモの最後(「資料10」として)に山本義隆のこの本『福島の原発事故・・・』の文章を抜き出していった。「とするならば、脱原発・反原発は、同時に脱原爆・反原爆でなければならないと言えよう。・・・核兵器保有の潜在的能力を高めなければならないという岸(岸信介元総理)の倒錯した論理を、原発とともに過去のものとしなければならないであろう」。そうしたことを岩手県など東北を中心に参加した会場の詩人たちに伝えようと思ったからだ。

 だが、山本義隆のこの本に感銘を受けたのは、「物理教育にはしくれにかかわり科学史に首を突っ込んできたわたし(山本義隆)」の原発に対する以下などの真摯な見方からだ。

 その指摘は自動車や飛行機などの事故と原発事故を同列に論じ、原発廃炉を主張するなら、なぜ自動車や飛行機を止めると言わないのか、結局、人間・人類は科学の進展を押しとどめることはできないのだ、というおよそ考えられない論理ならぬ論理を持ち出す人々に対する痛烈な、そして根底的な批判になっている。残念ながら、私が学生時代から畏敬してきた詩人、思想家・吉本隆明も含まれている。かのリュウメイでさえ、こうした科学信仰病にかかっていたのだ。いや、東工大出身であったリュウメイだからこそではなかったか。吉本の原発推進発言を知ったとき、最初は「ウソだろう」と驚いたが、今、思うと、そういうことだろう。

 この本『福島の原発事故・・・』から任意に抜き出してみただけでもそうしたお門違いの見方に対する論理的でも倫理的でもある指摘を示すことができる。少し長いが、大事なところなので、お読みいただきたい。

 「原発事故を蒸気機関の創生期にあったような事故と同レベルに捉えることは根本的に誤っている。原発以外では、事故の影響は時間的・空間的にある程度限られていて、事故のリスクはその技術の直接の受益者とその周辺が負うことになる。それに対して原発では、事故の影響は、空間的には一国内にすら止まらず、なんの恩恵をも受けていない地域や外国の人たちにさえ及び、時間的には、その受益者の世代だけでなくはるか後の世代もが被害を蒙る。実際に福島の事故では、周囲何キロかは今後何世代にもわたって人間の立ち入りを拒むスポットとなるであろう」

 さらに、この本の以下の文章も深くうなづくことができる。

 「それでも原発はやめなければならないと思っている。事故のもたらす被害があまりにも大きいだけではない。いずれウラン資源も枯渇するであろう。しかしその間に、地球の大気と海洋そして大地を放射性物質で汚染し、何世代・何十世代も後の日本人に、いや人類に、何万年も毒性を失わない大量の廃棄物、そして人の近づくことのできないいくつもの廃炉跡、さらには半径何キロ圏にもわたって人間の生活を拒むことになる事故の跡地、などを残す権利はわれわれにはない。そのようなものを後世に押し付けるということは、端的に子孫にたいする犯罪である」

 原発は想像を超えた事故の過酷さはもちろん、採掘から稼働へ至る被曝労働者を生み出し、放射性廃棄物を処理することもかなわない。高橋哲哉ふうに言えば、「犠牲のシステム」そのもので成り立っている。そのうえ、子孫、はるか未来(それも「10万年後」というような、人類が生き残っているかどうかもわからない気の遠くなる未来)への犯罪に手を染めるシステムなのだ。ドイツが脱原発を決めたのも、こうした倫理感からの判断が大きく働いたという。

 負の連鎖にまみれた原発(福島第一の4基の廃炉が決まり、現在五十基)をいかに廃炉にしてゆくか。そのためのさまざまな手段や行動(例えば、わたしはデモ、集会、署名、映画会、講演会、陳情、放射能計測などにかかわっているが)をとらざるをえない。原発について知れば知るほど、その思いをますます強くしている

 短い「あとがき」にするつもりが、書いているうちに少し長くなってしまった。このようなエッセイ的な文章を書いたのも、こうした見方が、原発に対する根底的な批判が、わたしが詩を書こうとするときのバック、大きな動機にもなっている。それも伝えたかったかもしれない。「ほんとうに怒ったときにしか詩は書かない」。詩人、金子光晴がそう語ったとされるが、結果的に今のわたしはそれに近い。

 

 今号では大震災について、初めて意識した「鎮魂詩」も書いているが、最近の気分はいかに「原発主義」を凍らせることができるか、そのことに思いをめぐらせてもいる。名古屋コーチン一羽を育て、今年も春から青空古本屋「砂時計主義」を出店させつつ、初めて「市民農園」2区画を借りて野菜づくりに取り組もうとしている5月初旬に。(黒川純)

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2012年5月 9日 (水)

霧降高原は花の季節へ ヤマツツジは開花へ向け毎日「膨張」

Dscn8579 (一日ごとに膨張している霧降高原のヤマツツジのつぼみたち=5月8日)

 緑の季節がやってきた霧降高原。あたりを見渡すと、新緑はもちろん、見事だが、次は花の季節へ。それを思わせる光景がすぐ近くに広がる。

 8日はベランダに白い花弁がひらひらと。見上げると、すぐわきのヤマザクラの大木が満開に。上空は白でおおわれている。高いので満開に気がつかなかったのだ。

 さらに見渡すと、ヤマツツジのつぼみが一日一日と膨張。もう幾日かで咲くような表情だ。それに白い花、黄色い花。霧降高原は今や、花の季節のすぐ手前にある~。

 わたしが住む霧降高原の別荘地帯は道路という道路がヤマツツジに満ちている。いわば隠れたツツジの名所だ(知っている人だけが知っている、そんな「穴場」だ~)。

 静かな別荘地を散歩しながら、ツツジの海原を泳ぐ(実際、そんな気分だ)、豊かな時間が楽しめるのは間違いない。あなたもこの機会に霧降高原を訪ねてはどうかー。

 そういえば、砂時計家では、ツツジたちをとりこんだベランダを拡張したばかり。満開に近くなってきたら、「ヤマツツジの花見会」を友人たちに呼びかけてみようか。そんなふうに思ってもいるのだが~。

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Dscn8571 (わたしの家のベランダのわきで咲こうとしているヤマツツジ=5月8日)

Dscn8583 (わたしの家の裏手のヤマザクラはもう満開になってきていた=5月8日)

Dscn8576 Dscn8577 (いずれもわたしの家の庭で咲き始めた花。砂時計は残念ながら、花の種類にうといので、詳しい人はこの白い花と黄色い花の名前を教えてくださいね~ と書いたら、9日に霧降高原の「徳次郎さん」がブログのコメントで「ユキヤナギ、ヤマブキ」と教えてくれた。そうか、「ユキヤナギとヤマブキか」ーと。)

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2012年5月 8日 (火)

薪ストーブの薪ラッシュ?、春本番に次々とトラックや軽トラが我が家に

Dscn8556 Dscn8560 (友人が木材会社の2トントラックで霧降高原の我が家に運んできた大量の木材片)

 春本番となり、薪ストーブの季節は終わりを迎えようとしている。霧降高原の我が家でも夜の時間に焚くだけ。それも火力を弱めて。たぶん、あと1週間もすると、(いや半月か?)御世話になった薪ストーブは休みに入る。

 そんな時期の7日、2トントラックいっぱい(それも2回)の木材片と軽トラックの荷台に載せた薪材が相次いで我が家の庭に。それぞれ別々の友人が薪の確保に泣いてきたわたしを気遣って?、ボランティアで運んできてくれたのだ。

Dscn8546 (道路に出ていた分を運んだだけでもこれだけの木材片が薪小屋に)

 とくに木材片の量は「はんぱ」な量ではない。木材会社が製材した杉の切れ端だが、道路にあふれることあふれること。通行のじゃまになってしまうので、道路上にでているものだけは、早く薪小屋へ。と思って始めたら~。

 そう、量が量だけに、何回、階段を往復しても薪の山が崩れる気配がない。かれこれ2時間の「労働」のすえ、ようやく道路の整理が。本体はこの何倍にも。杉はぺらぺらと燃えてしまうが、それにしてもねー。

Dscn8557 (同じ日、別の友人が軽トラで薪ストーブの「王様」だというカシの木を運んでくれたー)

 ヤマツツジの花が咲こうと懸命に伸びている時期だけに、薪運びで汗をかくことかくこと。何回か往復しては「一服」。「よっこらしょ」。そんな声を上げながら、薪小屋へ収納したのだった。残る薪にブルーシートをかけたのは、結局、午後6時半に。

 新春から「薪や~い」と泣いていたわたしだったが、一日にして一挙に薪大臣に。そんな気分になった。いやはや、持つべきものは友、とくに田舎暮らしの場合、薪の友。ということで、きょうの「標語」?は、「薪友達を大事にしよう~」。

 

Dscn8563 (道路にある木材片を薪小屋に運び終え、残りの木材片にブルーシートをかけ終えたのはもう午後6時半だった~。いや~、疲れました)

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2012年5月 6日 (日)

さらにスペースを追加したデッキ 新緑の季節にめでたく完成

Dscn8532 (降雨での中断2日をはさみ、6畳強の拡張工事が終わったウッドデッキ=霧降高原)

Dscn8535 (昨秋、透明屋根をかけたデッキからみた砂時計家のデッキ全景?)

Dscn8539 (今回は並行して薪小屋の増築もてがけた。手前の柱が高い方。これで容量は2倍に)

Dscn8534 (さらに除染を兼ねて透明屋根の落ち葉をホースで落とし、さっぱりと)

Dscn8525 (もう10日から半月もたつと、「緑のカーテン」におおわれ、デッキは別世界になる)

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2012年5月 4日 (金)

「みどりの日」にナツツバキが全面開葉 日光霧降高原は新緑の季節へ

Dscn8483 (「みどりの日」の4日、全面開葉した我が家のナツツバキの眩い新緑)

 夕方、ラジオを聴いていて、「きょうはみどりの日」と。<そういえば~>。もともと、観測?していた我が家のナツツバキの葉がきょう、全面開葉。その眩いほどの緑に見とれながら、パチリ。

 それを思い出したので、ブログにアップすることに。5日は「こどもの日」だが、同時に北海道泊原発が点検のため停止。これで国内54基(正確には福島第一の4基が廃炉になるので50基)すべての原発が止まることに。

 原発事故で沖縄・石垣島に移住した歌人、俵万智さんふうに言えば、「泊原発が止まってよかったと思ったので、5日は原発停止の日」。「みどり」と「こども」と「原発ゼロ」はいかにも並びがいい。

 たまたま朝日新聞5月1日夕刊の「文芸/批評」に俵万智さんが登場。『「サラダ記念日」から25年、震災後、沖縄に移住』の表題。これは「震災後」ではなく、「フクシマ後」だろうー。

 彼女が歌集『風が笑えば』(中央公論新社)を出したという。そこから一首。

 川べりの道を散歩に選ぶ午後 風が笑えば水面が笑う(俵万智)

Dscn8480 (ナツツバキに近づいて、その葉をアップしてみると、さらにみずみずしくー)

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2012年5月 2日 (水)

ウッドデッキ拡張は降雨で中断 第2薪小屋は自力?完成

Dscn8471 (2日の降雨で拡張工事が中断された「砂時計家」のウッドデッキ=霧降高原)

 春本番霧降高原の「砂時計家」でウッドデッキの拡張工事が始まり、さぁ、最後に追いこみというところで降雨、あえなく工事中断となってしまった。

 昨秋、全天候型?にしようと、デッキの3分の1ほどに透明屋根をかけた。それはそれでよかったのだが、以前に比べて開放感が低下してしまった。

 ということで、今あるデッキ約34畳に7畳を加える拡張へ。同時にデッキ上に第2薪小屋をつくることに。足し算引き算をすると、広さは約40畳に。出来上がりを楽しみにしている。

Dscn8474 (ウッドデッキの拡張部分の骨組みを下から見上げると、こんな感じ~)

 ウッドデッキ拡張工事に合わせて、第2薪小屋も。昨春につくった第1薪小屋だけでは足らないので。第1薪小屋をいっぱいにしても薪ストーブ3カ月強分なのがわかったので。

 今度は横幅は少ないが、高さを2倍に。釘打ちなどは自力でやったのだが、デッキ工事中の匠のみっちゃんが組み立て材料を用意、実際はキットを組み立てるような工事だった。

 横材を据え付ける際に柱から落としてしまうこと2回、その度にみっちゃんに笑われてしまう始末。材木の天・地を年輪から見分ける方法なども教わりながらの、ささやかな薪小屋つくりだった~。懸案だったので、薪小屋完成がうれしい。

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Dscn8464 (自力?で完成させた第2薪小屋。横約1・8㍍、縦約2㍍)

Dscn8461 (第一薪小屋ー手前ーの向こうに新たに加わった待望の?第2薪小屋ー)

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