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2012年6月

2012年6月28日 (木)

3・11以後の世界を生きるための哲学の構築を 若松丈太郎「10万年後への責務を果たすために」 

Dscn9581  月刊詩誌「詩と思想 7月号」の好エッセイ、福島原発難民詩人、若松丈太郎さんの「10万年後への責務を果たすために」

 とにかく、ここだけは伝えたいというフレーズについてだけ、アップすることに。30日にわたしのところで開く同人誌「序説 第19号」の発刊総会資料づくりや、きょう29日夕からの首相官邸前抗議デモの準備などがあるので、今回は「速報」?(後日、きちんと伝えたい)

 ということで、以下は福島県南相馬市の詩人、若松丈太郎さんのエッセイから3か所だけ抜き出すことに。詳しくは「詩と思想 7月号」(144頁~145頁)をぜひ。若松さんの詩集、例えば「福島原発難民 南相馬市・一詩人の警告」(コールサック社)はそれこそお薦めだ。

177_150x2211_2  

 <核災>が犯した罪の重大性を学習せず、<核発電>を存続しつづけようとし、その輸出を目論んでいる背景には、そこにおおきな利権が存在するからにちがいない。個人や企業の利益のために、わたしたちとわたしたちの子孫の生命と尊厳とが脅かされることをわたしは承認するわけにはいかない

                                                     

 全地球規模で影響を及ぼす<核災>の真の意味での終熄までには世代を超えて10万年に及ぶ長い時間を必要とする。仮に、<核災>がなかったとしても、ながい将来にわたって放射能を発生しつづける膨大な量の廃棄物を後代に遺すことは、人としてあるまじき犯罪行為である。

                                                             

 わたしたちは、わたしたちの子孫、10万年後の人類にどんな世界を用意してやらねばならないのかについて、考究し、実行する責務を負ったのである。それだけに、これから来る人びとへの責任を考えた生き方を、3・11以後の世界を生きるための哲学の構築を、すべてのわたしたちは求められているはずである。

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2012年6月27日 (水)

あなたも歴史の転換点の一員に 「7・16さようなら原発10万人集会」へ

716_page00017・16さようなら原発10万人集会、参加の呼び掛け

「さようなら原発!日光の会」からの呼びかけ

 日光の会では7月16日(月・海の日の祝日)午後零時半から東京・代々木公園で行われる「さようなら原発10万人集会」へ、日光方面から大型バスで向かう企画を立てました。「この夏が勝負!脱原発を行動で~」。6月22日(金)の首相官邸前の大飯原発再稼働反対の抗議行動に4万5000人が声を上げました。29日(金)はさらに多くの声が、それも個人こじんの自発的な抗議の声が東京の夜空にこだまするでしょう。

 わたしもメンバーとなっている「栃木の会」でも、「あなたも歴史の転換点の一員に」と呼びかけています。そのとおり、ここで10万人、20万人、30万人が東京で脱原発の声を行動で示すこと、思っていることを現実に表現すること、脱原発を望む国民の、わたしたちの多くの声を政府に示すこと。それは必ず歴史のうねりとなって、今後のエネルギー政策の転換に大きく反映されることになるでしょう、いや、そのようにさせないといけないと思います。ぜひ、この機会にふだんの仕事のやりくりをつけながら、日光から東京へ向かいましょう。それを強く呼びかけたいと思います。

 日光方面からは午前6時半に足尾(予定)渡良瀬公園、さらに日光の清滝、花石、東武駅前、今市・大谷橋、みとや寿司前から。往復3000円(バス代、弁当付き)。申し込みは「日光の会」代表の福田洋吾TEL&FAX0288・32・2250、携帯090・8803・9790。あるいは黒川純(冨岡洋一郎)TEL$FAX0288・25・3348 eMAIL qk3y-tmok@asahi-net.or.jpでも。日光以外の宇都宮など県内からは「原発いらない栃木の会」がやはりバスを用意、参加を呼び掛けています。このブログを観ている日光以外の方はぜひ、「栃木の会」にご連絡を。

(以下は「原発いらない栃木の会」の呼び掛け) 

「原発いらない栃木の会」のお知らせ

栃木の会では7月16日(月/休日)に東京代々木公園で行われる
「さよなら原発10万人集会」にむけバスを手配しました。
是非多くの会員、会員以外の方も参加していただけますようお知らせします。
集合場所は宇都宮市戸祭の県体育館。集合時間は朝8時。駐車場は県体育館もしくは
近くの労働福祉会館駐車場です。往復弁当付きで3000円です。
定員40名。より多くの申し込みがあれば(なければおかしいのですが)もう一台バスを手配します。
当日会場付近の公共交通機関の駅はかなりの混雑が予想されますので、電車で向かう計画の方も当会のバスをご利用下さい。周囲の方にも声をかけて下さい。
日光方面の方は「さよなら原発日光の会」でもバスを出しますので同会の富岡さん <qk3y-tmok@asahi-net.or.jp>までお問い合わせ下さい。

 大飯原発の再稼働に反対する首相官邸前の抗議集会には、6月16日に1万5000人
6月22日には4万5000人もの人が集まり、怒りの声を官邸にぶつけました。
国会で「あの声が聞こえたか」と質問された野田首相は「聞こえました」と答弁せざるを得ませんでした。
6月29日の抗議行動にはより多くの、それも組織動員ではなく自分の意思で抗議しようと言う名もない市民が続々と集まってくるのではないかと思われます。
マスコミはかつてない市民の怒りの広がりをきちんと報道しようとはしていません。

 7.16代々木集会は10万人集会と銘打っていますが、10万ではなく20万、30万の声が
政府や原子力村を動かす力になります。マスコミも黙殺は出来ません。
「私くらい参加しなくても」ではなく「私が自らの意思で参加する事で」世の中が少しずつですが変わっていくのです。市民の意思の結集が日本の民衆史をそして原発依存を変える事につながります。
7.16代々木集会はきっとあなたを歴史の転換点の一員とするでしょう

申し込みはバスの手配等もありますので、6月30日までにお願いします。

(ギリギリで7月5日までです)

申し込み先は、島田 晴夫[shimadah@jb4.so-net.ne.jp]

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2012年6月26日 (火)

おいおい、その判断は民意と違うだろう! 大飯原発再稼働のゴーサイン抗議文

Tochigimap06_2  (「原発いらない栃木の会」などが提出した「脱原発」陳情の栃木県内各議会採択状況図=6月25日現在。私も事務局を務めている「・・栃木の会」のHPから転載。緑、黄緑は3月議会、6月議会で採択済み。栃木県内各議会では採択が圧倒的だ。だが、足利市や芳賀町など赤色は上程されなかったり、否決されたり、あるいは趣旨採択という否決だったり。赤色の県議会は「継続審議」だが、限りなく否決に近い)

 わたしは「さようなら原発!日光の会」のメンバーであるほか、「原発いらない栃木の会」の事務局の一人でもある。ともに脱原発をめざした活動を進めている市民団体だ。そのうち、「栃木の会」で大飯原発再稼働を止めよ、とする抗議文を「会報」に掲載することを決めた。

 すでに「栃木の会」では春の総会の際に大飯原発3.4号機の再稼働の断念を求める決議を総意で採択している。だが、野田首相は8日の記者会見で、民意に反した再稼働表明をした。その誤まった判断に対し、改めて抗議の意志を明らかにしようという抗議文だ。わたしがその担当になり、25日にその原稿を書きあげた。

 「会報」では最終的に調整される可能性もないではないが(どうかな?)、「文責」としてはわたしなので、その原稿のまま、ブログにアップすることにした。なぜ、大飯原発再稼働に反対するのか?。自分自身にも問い掛けるように、筋道を明らかにして、広く伝えたい、そう思ったためだ。そのうえで、29日の首相官邸前抗議集会、7月16日の「10万人抗議集会・デモ」に断固、参加しようと思っている。

以下は「抗議文原稿」から。

「国民を守る」なら大飯原発3、4号機の再稼働は止めよ

 「セシウム」に「プルトニウム」、「シーベルト」に「ベクレル」―。それまで縁のなかった記号や単位に向き合わされている国民・市民は耳を疑った。脱原発依存ではなく、国内外の批判や懸念をよそに、むしろ、原発依存に舵を切るかのような姿勢を逆に示したからだ。野田佳彦首相が6月8日の記者会見で関西電力大飯原発3、4号機を再稼働させるとした、その発言だ。動かさないと計画停電に迫られ、電気料金も上がる、経済・雇用にも影響が及ぶという。それも「国民生活を守るため」という、いかにもまやかしの理由ならぬ理由で。肝心の安全については、「安全対策に絶対はない」としながら、安全策は暫定基準のままで再稼働させるという矛盾そのもの。その稼働も電力の需要が高まる夏場限定にしないとも。夏場の緊急時の再稼働という大義名分を飛び越え、なし崩しの再稼働であることも示した。真意は「電力不足」への対応ではなく、とにかく原発を動かすことが狙いであることを、はからずも赤裸々にした。

 おいおい、その判断はどう考えても違うだろうー。多くの国民が直感でも論理でも、さらに倫理的にもそう感じている。そもそも東京電力福島第一原発事故の原因がはっきり明らかにされていないばかりか、事故そのものが未だに収束もされてもいない。なおかつ最も危険とされる4号機を鎮めていくことも不透明な状況にある。そのうえ、今回の事故を起こした東京電力や政府の責任も明らかにされておらず、だれも責任をとっていない。さらに新しい決定的な安全対策が示されたわけでもなく、緊急時の司令塔となる免震施設の建設や放射能除去フィルターの設置などの対策は先送りのままだ。一方で会見では福島のような地震・津波が起こっても、「事故を防げる対策と態勢は整っている」と強弁する。もはや「安全、対策、責任」の言葉は耳慣れぬ外国語のようだ。それがお題目に過ぎないことは、フクシマの事故で心身ともに手痛い目に遭い、不安な日常を暮らす国民の多くが気づいている。

そのうえ、原発を稼働させればさせるほど、危険性を伴ったまま処理もできず、未来の世代につけを回す核のゴミをさらに生み出してゆく。ウランの採掘から原発の稼働や保守・点検・管理の、あらゆる過程で原発労働者を被曝させ、福島のような事故が起きれば、放射能で想像もできない被害を地域、地方、国内、さらに海外に飛び火させる。故郷に帰れない原発難民を生み出し、放射能の健康被害を子供たちに押し付ける。そのうえ土や森や海など、豊かな自然にダメージを与え続ける。原発はそんな犠牲のシステムで成り立っている。それが世界でも名だたる「地震大国」ニッポンに世界第3位の54基も建っている。そうした事実を多くの国民が今回の事故で身をもって学び知った。「再稼働反対!」。その声が首相官邸前で毎週毎に高まり、6月22日の金曜日にはtwitterなどの呼びかけでついに4万5千人という数に達した。主婦や会社員らの市民に加え子供たちまでが国の方針に否の声を上げた。大飯原発再稼働がいかに民意に反した判断であることがわかろうというものだ。

再稼働がいかに福島の事故の教訓からかけ離れているか、脱原発を鮮明にしたドイツ政府の判断を促した「倫理委員会」(安全なエネルギー供給に関する倫理委員会)の見解がそれを示している。同委員会は、原子炉に対する技術的なリスク評価について、福島の事故で明らかになったのは、「地震に対する安全性や津波の高さといった特定の想定に基づいていたが、しかし、現実はそのような想定を覆し得る、ということである」と指摘。そのうえ、「民意の大部分にとっては、もはや『原子力に賛成か否か?』といった問いではなく、脱原発についての問いが、したがって、『脱原発は早期にか、それとも徐々に?』といった問いが重要になっている」と述べ、原発からの10年以内の離脱を結論づけているのだ。

 以上からも「国民生活を守る」というのなら、大飯原発の再稼働を断念する方針を明らかにすべきである。そのうえではっきりと新たな原発はつくらない、老朽化でさまざまな事故の危険が高い原発は、廃炉にしてゆく、その一方で福島第一原発事故の原因を徹底的に究明し、事故の責任を明らかにして、その責任をきっちりとらせる。さらに共に再生可能エネルギーなどを重視した新たなエネルギー社会をつくる覚悟と方法と工程を示してみせる。そうした発言こそ、「3・11」以後の首相・政府に求められているはずだ。わたしたち「原発いらない栃木の会」は4月20日の総会で大飯原発3.4号機の再稼働の断念を求める決議を総意で採択しているが、今回の「再稼働ゴーサイン」についても、改めて断念するよう強く求める。

2012年6月25日(月)    文責・事務局・富岡洋一郎 

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2012年6月25日 (月)

「再稼働、反対!」に次々とアイコンタクト 撮影する女性の健気な声が印象的

 Dscn9580_3  (首相官邸に向かって「再稼働反対」とコールする人々。写真は東京新聞23日付1面転載)

「再稼働反対!」ー。そう呼びかけながら、22日夕から夜にかけて首相官邸前で大飯原発再稼働に抗議する人々を撮影して歩くその映像がTWITTERで流された。デモを撮影した動画はさまざまにあるが、抗議する人と撮影する人が一体になったこうした映像は珍しい。

 撮影しながら「再稼働反対」と呼び掛けると、抗議で集まったさまざまな人たちがアイコンタクト。うなづいたり、手を振ったり、唱和したり。中には手話で応える女性も。声からして若い女性らしい撮影者の涙声もまじりながらの懸命な様子がうかがえる。

 もともとはTWITTER友達?というのか、歌手・チグリハーブのつぶやきをフォローして、見つけた動画だ。よく観ていると、当のチグリハーブもほんの一瞬だが、カメラに手をふっている様子も写っている。この動画を観ていると、再稼働抗議で集まった「4万5千人」は、ほんとうに普通の人々であることがよくわかる。

 毎週金曜日夕から行われているこの抗議集会・デモ。4000人、1万2千人、4万5千人ー。週を重ねるごとに膨れ上がっている。次は29日。「鉄は熱いうちに叩け」ではないが、私もこの熱気の渦へ。抗議の意思を示す人々が「10万人」規模になってゆけば、また再稼働問題は一気に次の舞台が用意されるのではないか。

 ということで、「紫陽花革命」とも呼ばれるようになってきたこの抗議行動。「再稼働反対!」と、懸命に掛け声をかけながら、22日の集会・デモの人びとを撮影した動画をブログにアップすることに。それにしても、これを撮影した女性に会ってみたい、そう思える健気な呼び掛けが印象的だ。

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2012年6月22日 (金)

大らかで力強い共同体的美意識  「表現の周辺 4」(下)冨岡弘

Dscn9556( 発刊された「序説 第19号」の冨岡弘のエッセイ、「表現の周辺 4」)

Dscn9539

表現の周辺 4 (下)

           冨岡 弘 

 数年前から、意識的に装飾的な抽象画を描いている。近代が捨て去ったものを、もう一度すくいあげてみたくなった。合理的なものの組み立て方ではない、言い換えれば余り知性的ではない粗野な視点とでも言ったらいいのか。澁澤龍彦の著書に日本芸術論集成というのがあるが、その中の日本の装飾主義とマニエリスムという項目で、「日本の芸術的知性は、あらゆる時代、あらゆる流派において、写実から装飾へと歩むもののごとくでさえある。それは、不安を克服する道なのだろうか。」などとある。

 日本の文学についても、谷崎潤一郎や川端康成などの小説家を採り上げている。しかし、私が目指しているのは、澁澤が語っているような、技巧的でしかも洗練された装飾ではなく、どこか野暮ったく少し原始的とも言えるものに興味がある。たとえば、お神輿の過剰とも言える金箔の輝きに満ちた装飾、逆に、縄文土器の大胆なデフォルメに宿る素朴で力強い表現。どちらも魅力的である。私の中では、洗練された技巧的なものより、力みなぎる野生がほしいのかも。岡本太郎も縄文文化をこよなく愛した芸術家であったが、不思議なことに、若い頃の私には、その良さは分らなかった。

 若造の頃は、何処か生意気で、自意識のかたまりみたいなもので、大衆的なものを毛嫌いしていて、避けて通る傾向があった。西洋文学に傾倒したり、アングラ演劇やロックコンサートにのめり込み、美術に関しては、銀座界隈の新しい傾向の作品と出合える画廊に、頻繁に出かけたりしていた。特に現代美術と評されていた作品群に、いたく影響された。今思えば、それら現代美術は、ややひ弱な知的ゲームに過ぎなく見えてしまうこともある。勿論、全面否定するつもりはないが。

 自我でも個我でもいいが、一歩間違えると、脆弱な引きこもりの美意識に満ちたものになりかねない。しかし、縄文文化には、個人の美意識を乗り越えた大らかさが感じられ、姑息な知的ゲームに陥ることのない、共同体的美意識に裏打ちされた力強さがある。共同体というファクターを通過して、表現が成立している。現代において、過剰な個人優先主義とも言える状況下で、逆に個人が縛られ、息苦しい生活環境をつくってしまっている。誰しも、そんなことは薄々気づいている筈である。

  表現は大きく分けた場合、二とうりあると思う。個人的表現、そして共同体的表現。現代においては、やや個人的表現に比重がかかり過ぎてはいまいかと言いたいのだ。そんな意味で、お神輿の一見悪趣味とも見える過剰な装飾、素朴で大らかな縄文時代の装飾に、もう一度着目する価値がある様に思えてならない。(了)

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2012年6月21日 (木)

俳句などという一見浮世離れした世界でも 「表現の周辺 4」(中)冨岡弘

Dscn9547  表現の周辺 4 (中)

            冨岡弘

 俳句に殆ど精通していない私でも、金子兜太の名前は知っている。その金子兜太が、ある新聞紙上の¬震災後論」というコーナーで彼の自然観について語っていた。

 「日本人は自然と親しんできた民族です。私の言葉で言うと、欧米はものと対決する(対物)主義。そこから自然科学が生まれた。自然を克服するという考え方も出てくる。それに対して日本、東洋は、ものと自然に即していく、(即物)主義です。」

 まあこう考えるのは金子だけではないだろう。欧米流の科学により自然は簡単に克服できるという考え方、その傲慢さが福島第一原発の事故であったと続ける。俳句などという一見浮世離れした世界でも、震災そして福一事故は、俳人達に少なからず衝撃を与えたのであろう。俳句にとって自然は必須のものである。私の様な門外漢は、自然に親しみ自然を愛でることが、大方の俳句に見られる傾向なのではないかと思ってきたが、事実そのような句が多くある筈である。

 吉本隆明ふうに言えば、自己表出としての、自然は(ああ美しい)とか(ああ素晴らしい)とかいう、自然賛美の句が圧倒的に多いいはずである。そこで今回の震災及び福一の事故後金子兜太は、自身自然への畏れを本当の意味では知らなかったことに、気付かされたと語っている。「私は俳人です。自然への親しみは俳句の土台になってきました。しかし、本当の俳人にはやはり自然への畏れがある。正岡子規にも、松尾芭蕉にもある。中でも、それが最も端的に表れているのが江戸時代の俳人、小林一茶です。

  
   花の影寝まじ未来が恐ろしき

(花)は桜です。桜の花影で昼寝でもしたいなと思う。親しんでいるからこそ、そう思う。
しかし、自分も年だから、うっかり寝たら死んでしまうかもしれない。怖い一面を、自然は用意しているかもしれない。」と金子は語る。
 (ああ美しい)や(ああ素晴らしい)だけではなく、(ああ恐ろしい)(ああ怖い)という認識も必要で、自然は両面あるのだ。つい我々は自分に都合のいいことだけに目を奪われがちだが、必ずと言っていいくらいマイナス面もある。

 衛星放送の句会を、気まぐれで見ることがある。以前から素朴な不満としてあったのは、俳人と一般参加者達の会話において、もっぱらの関心事は、言葉のいいまわしについて語っていることが多い。言葉遊びの要素が強すぎて、一寸面白い言いまわしに苦心していて、そこに、重点が置かれ過ぎているのではないか。もっとも、知的嗜みとして俳句にいそしんでいる人が大多数のわけだから、余りきついことを言うのも野暮なことだとは、重々承知だが。表現として意識するなら、もう少し踏み込んで行く姿勢も、必要とされるのではないか。私が感じていた物足りなさは、金子の言葉を借りれば、自然への畏れという視点の欠如に由来しているのかもしれない。もっと、各個人の自然観などの、表現のバックボーンとなっている部分に肉薄して語ってもらうと、我々門外漢にも、もっと伝わってくるのではないかと思ってしまう。
金子が、文末に長谷川櫂という俳人の句を紹介している。

  日本の三月にあり原発忌

(続く)

Dscn9539

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2012年6月20日 (水)

私の人生で最高に楽しく毎日を過ごせた時期と言えば 「表現の周辺 4」(上)冨岡弘

Dscn9539_2 (6月30日発行予定の同人誌『序説 第19号』。10日も前に私の手元に届いたー)  

 戦後の鬼っ子たち、つまり全共闘世代である私たちを中心にした同人誌『序説19号』が完成し、きょう20日、わたしの家に届いた。出版社はわたしの友人が経営している宇都宮の随想舎。第13号から毎年、一年に一回、この時期に発行している。もう季節の風物詩?のようなものだ。

 同人は関東地方が中心だ。事務局のわたしが暮らす栃木県のほか、群馬県、茨城県、さらに東京や福島県にも。仲間は現在は12人。このほか、過去に執筆している友人2人が準同人で(わたしが勝手に準同人にしているのだがー)。

Dscn9540_2

 定価は一冊「1000円+税」にしているが、今回は基本的には非売品で。部数も前号18号(「東日本大震災・フクシマ原発特集号」)の半分のため、読書が好きな友人・知人に手渡すぐらい(「いや、ぜひ買いたい」という、ありがたい人はよろしくお願いいたします)。

 冊子の完成を伝えるだけでは、もったいないので、今号の巻頭を飾った「表現の周辺 4」をブログにアップへ。「私の人生で最高に楽しく毎日を過ごせた時期と言えば」で始まる、美術家のエッセイ。非常に読ませるので、3回に分けてアップしようと思う。

  表現の周辺 4(上)   冨岡 弘  

 私の人生で最高に楽しく毎日を過ごせた時期と言えば、小学生のころだろう。学校の登下校の際の道草はあたりまえで、徒歩で片道四十分はかかるみちのりを一時間以上かけて通ったものだ。特に帰り道は途中に何ヶ所も遊ぶスポットがあり、その日の気分とか天候により、どんなスポットに寄っていくか決まる。スポットは桑畑であったり、川の堰の周辺や自宅近くの小さな森であったり、線路なども格好の遊び場であった。田舎なのでどっちを向いても自然ばかりで、通学路も砂利の敷かれただけの粗末な未舗装のガタガタのものであった。少し足が取られたりしながら歩いて行くうちに、小石が運動靴に潜りこんできて、そのたびに靴を脱いで小石を振り落とす。舗装道路になれてしまった昨今では考えられないことだろうが、そんなことは当たり前であった。

                                                                                                                         砂利道にはくぼみもいたる所にあり、雨が降れば水たまりができ、アメンボウがすいすい泳いでいて、そいつを棒でかまったり、掌にすくい取ってながめたりもした。子供のうちは誰でもそうだろうが、どんなものでもたちまち遊び相手になってしまう。線路もなかなかの遊び場で、レールの下に敷かれた石の中から、金色に怪しく輝く金属が含まれている物を探しだすと、素早くズボンのポケットの中にしまい込む。家に持ち帰ると何時でも手にとってながめられるところに置いておく。小学生の頃は、金色に光るので勝手に黄金であると思い込み、大切な宝物として扱っていた。後に、少し知識がつくと、全く違う金属であるということが分ってしまい幻滅した。知識は時に勝手な幻想を打ち砕く厄介なものだだ。                                                                                                      

学校帰りの道のりは、毎日が冒険している様なもので、子供の好奇心を満たすのに余りある素材が潜んでいた。家に到着すれば、庭で近所の仲間と野球の真似ごとに興じ、飽きたらビー玉や鬼ごっことネタは尽きない。手元がかすむくらい暗くなるまで遊ぶ。皆泣いたり笑ったりと忙しく、孤独などという文明病に付き合っている時間など勿論ない。毎日が充足していて、勉強しなければなどという強迫観念も勿論微塵もなくて、当然のごとく成績は良くない。今思えば、親は偉かった。勉強しなさいなどと怒られた記憶は全くない。むしろ家の中にくすぶっていると、子供は外で遊んで来いと言われる始末で、雨の日でも、近所の軒下でベーゴマやビー玉遊びをすることが当たり前であった。

                                                                 待ちに待った夏休みが到来すれば、家のすぐ裏手を流れる川があり、そこがもっぱらの遊び場となる。川には堰があり、堰の上流は子供が泳ぐのに丁度いい深さになっていて、村の子供はほぼ全員そこで泳ぎを覚える。上流から下流に向かって泳ぐと、流れに乗っているので、素晴らしく速く泳げる。まるでオリンピック選手にでもなったかのような気分で泳ぐ。対岸に近い流れの緩やかなトロ場には、水藻が茂り藻の中に潜って分け入ると、藻が体全体に微かに触れて気持ちよく、目を見開いたまま前進するにつれ景気が刻一刻変化する。これはもう別世界で、不思議の国のアリス状態である。少年の好奇心は尽きない。

 でも、いいことばかりではない。溺れそうになったことも何度もある。黙々と流れる水に、体が翻弄され、死ということが、一瞬少年の脳裏をかすめる。どうにか、流されながら、足先で河床を捉えられる深さまでたどり着いた時、体の緊張はほぐれ、仲間の方に向かって手を振って、何事もなかったかのように、照れ笑いをしたりもした。  溺れている間、当然何度か水を飲んでしまい、せき込んで本当に苦しい思いをする。しかし、あくる日は、同じ場所で懲りもせず平然と泳ぎの練習をする。そうやって、皆泳げるようになるのだ。

 泳ぎ疲れたら、今度は釣りをする。竿は泳ぎに行く時の必需品で、必ず魚釣りもする。餌は川エビやザリガニが主で、時にミミズもつかう。魚の種類によって使い分ける。オイカワやハヤの類は川エビで、フナやナマズはミミズである。釣ったものは庭の池に放すか川に逃がすかで、食べたりはしなかった。寒くなく天気さえ良ければ川で一日を過し、昼飯も摂らず遊び続けることもあった。夜になればもうぐったりして眠るのみ。                

 たまにホタル取をするため、夜の川に繰り出して追いかけるのに夢中になりすぎ、川にドボンと落ちることもあった。こんなことが夏休み中続くのだから、二学期が始まった時は悲惨である。授業中先生の話は全く耳に入らず、頭の中はまだ夏休み状態で、一か月のブランクには、やはり一か月のリハビリが必要だった。蝉の声、水の音、魚の泳ぐ様、クワガタ、オニヤンマなどなどが頭の中を駆け巡り、それらの就縛からなかなか脱出できなかった。でも本人は苦しんでいるどころか、むしろ思い出を楽しんでいるのであった。

                                                                                                                      子供の頃の、骨の髄まで染み込んでしまった記憶は、今でも鮮明に思い浮かべることができる。身体的記憶はたとえ私がボケ老人になっても、残るのだろう。体に触れた魚の感触、カブトムシの独特のにおい、生栗の皮を歯で強引に剥いた時の独特の渋みと薫り、蝉の目眩がするほどの合唱、真冬の川面に張った薄氷に滑るように投げつけた小石の擦れて遠ざかる音。幾らでも出てくる。

 今まで書いたことは昭和三十年代の私の小学生の頃の話でしたが、こんな経験は私だけの特殊なものではなく、同じ時代を過した田舎の少年なら皆共有している経験でしょう。三丁目の夕日という映画がヒットしているようですが、田舎には三丁目など存在しなく、あったのは夕日そのものでした(続く)

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2012年6月19日 (火)

新古書店もさまざまに工夫へ 久しぶりに連続出店した「砂時計主義」

Dscn9509 Dscn9479 (上は17日の「ニッコウキスゲ祭」、下は16日の「今市宿六斎市」での「砂時計主義」)

 16,17日と2日連続で久しぶりに新古書店「砂時計主義」を開店、16日は降雨だったが、17日は梅雨の合間の晴れ模様に。売り上げのほうはいまひとつだったが、のんびりした時間を過ごしたのだった。

 16日の「今市宿六斎市」。午後になって、安吾や大岡信が好きだという若い女性が来店。吉本隆明や岸田秀も薦めたところ、「えっ、その人、どんな人ですか?」。ハングル教室に通っているという向学心旺盛な彼女にして、隆明や岸田秀は「射程」に入ってこなかったのかと?ー。

 たまたまだが、18日の朝日新聞夕刊に連載「本屋さんの逆襲」が。なかなか期待できる記事、そう思ったのは、本屋さんの新しい試みの紹介から。例えば、「丸善丸の内本店」のゆめがある本」という棚には、フロイト「夢判断」から、村上春樹「アフターダーク」、夏目漱石「夢十夜」・・・。

Dscn9510 (「隠居学」「続 隠居学」など魅力的な品ぞろえだと思うが、人気はいまひとつ)

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(焼きそば屋「まつや」。イベントにはやはり焼きそば、まっちゃんの手さばきはさすが!~)

 こうした記事を読んだことで、次に「砂時計主義」を出す際は「時代を振り返る」で、藤沢周平の隣に「薩摩義士伝」(平田弘史」、その隣に「2・26事件」、あるいは「戦艦大和の最後」「ジャズ大名」や「旅のラゴス」といった構成に。これだとしゅーるになってしまう?

 いずれにしろ新古書店「砂時計主義」は「時間」と「主張」がキイワード~。となると、「関東平野」(上村一夫)に「イアラ」、「原発はいらない」「内部被曝の脅威」やブータンの幸福論なども(そうか、「幸福」をキイワードにした構成にすることも~と、自問自答する~

 と、ブログの記事をTWITTERでつぶやいたものを料理してつくってみた。が、外は大雨~!。今夜は「晴耕雨読」、いや、この台風だから、「晴耕荒読」-。きのうからかじっていた文化人類学者、辻信一さんの『スロー快楽宣言!』を手にする一方、楠戸伊緒里さんの『放射性廃棄物の憂鬱』を読み終えることにー。

 

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2012年6月14日 (木)

深夜族にはありがたい地元温泉 霧降高原の日光小倉山温泉「ゆりん」

(一番上の露天風呂のみ、「ゆりん」のHPから転載。あとはわたしが撮った写真だ)Roten_s

Dscn9413                                                              

 行こう、行こうと思っていたのだが、なかなかその機会がなかった日光小倉山温泉  春暁庭「ゆりん」(日光市所野2823 0288・54・2487)。ttp://www.syungyotei.com/yurin.htmようやく先日、入浴することができた。緑に囲まれた好環境も含め、気持が良かったので、さらに1週間後に再び。今度は併設の「バー」?で。ビールに日本酒、唐揚げに冷奴。自宅からわずか2㌔弱のところなのに、これまでなかなか足が向かなかった。

 入口を入ると、左手にカウンター。青年中期の御主人が迎えてくれるか、美人の妹さんが迎えてくれるか。入浴料800円を払い、下駄箱、貴重品入れ(大も小も無料)にお世話になり、いざ、浴槽へ。温度が熱くなくぬるくなく。さらに露天風呂へ。新緑がまぶしい絵のような光景の中でゆったりと。

 TWITTERで「ゆりん」のことをつぶやいたら、「今でも夜遅くまでやっているのですか?」という応答があった。そう、「ゆりん」はなんと~、午前2時まで(受け付けは午前1時まで)。私がたまに行く市営温泉は午後9時で終了。居酒屋さんも旧日光(2社1寺のおひざ元)では一部を除き、午後11時過ぎには多くが閉まってしまう。それが「ゆりん」では未明まで。私のような深夜族には貴重な空間だ。

 聴くと、深夜でも、いや深夜だからこそか、東京方面からの観光客などが夜遅く、入浴にやってくるという。そういえば、私も2回目は午後9時半過ぎに。お風呂でさっぱりしたあと、「バー」といえばいいのか、ビールに日本酒におつまみ。「元は国民宿舎だったが、温泉を掘り当てて」といったことをうかがったり、「脱原発1000万人署名」への協力を頼んでみたり。そんなうちにもう午後11時半。

 旧日光にある代行車を頼み、我が家へ。わずか数分ほどだ。今度は友人を誘って行ってみようか。私も誘われていたが、これまでなんだか気が乗らなかった。「朝令暮改」?だが、たぶん、深夜営業というところに目が向かなかったのかも。「もう少し安ければ」という声も耳にするが、熱海などではだいだい1000円。市営ではなく、民間ではこのくらいは仕方がないかもしれないー。

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Map

2012年6月13日 (水)

完成を祝い合い、「輪」になって踊り合った  被災者の寄合場「歌津迎賓館」(下)

 災害支援「チーム日光」が現地の仮設住宅で暮らす人たちの助っ人も得ながら、つくりあげた被災者たちが明日に踏み出すための建物「迎賓館」。5月23日の完成式では、アイヌのシャーマン、アシリ・レラさんの神事あり、唄い手・チグリハーブの歌あり、舞踏家・塙寛子さんの舞踏あり、あるいはアシリレラさんのユーカラありと、おごそかであったり、なごやかであったり。そんな時間があっという間に。

 「チーム日光」からはもう何日も現地で作業を続けた組、2泊3日のマイクロバス組、当日の日帰り組、さらにレンガ積み作業や建物づくりの指導者たちなど、さまざまなボランティアが歌津に集合した。それも栃木県を中心に北海道、秋田、福島、埼玉、東京などからも。

 寒い冬での作業を含めて(「チーム日光」のメンバーは屋外のテント生活が基本)、ようやく建物が完成し、南三陸町に引き渡すことができたことで、わたしたちも地元の人たちも喜びひとしお。その23日の夜は「カンパイ~」で始まり、軽音楽の調べにのせられるように、みんなで輪に。踊る~、踊る~、踊る~。楽しい時間が過ぎていった。(それから半月以上にもなるが、記録も含めて、アップすることに)

Dscn9118 (「チーム日光」が仮設住宅で暮らす被災者のみなさんと一緒に記念のパチリ=5月24日Dscn9069 (カンパイ~。迎賓館の完成を祝い、23日夜は笑顔、笑顔、笑顔ー)

Dscn9077 (みんなで輪になって踊る~。その歌のままの完成式の夜の宴だった)

Dscn9086 (それにしても音楽の力は大きい~。アシリ・レラさんは「二風谷はもっとすごいー」と)

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(完成した「迎賓館」の前でくつろぐ仮設住宅のお母さんたち=5月23日)

Dscn9150 (歌津から日光へ。わたしたちのバスに「さようなら」と手を振る歌津のお母さんたち)

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(たまには私も入ったみんなの記念写真もアップすることに。どこにいるか、わかりますか?)

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2012年6月12日 (火)

「3・11」から1年3ケ月のこの日に 鎮魂詩「三陸の海の底で」黒川純

;「3・11」から1年と3カ月になった。その鎮魂詩も掲載した「別冊 おなご 30号」が届いたので、それを掲載することに。わたしとしては初めて意識して書いた鎮魂詩だ。詩そのものは、今春に送っている。が、編集作業が遅れたことで、冊子発行はこの6月になってしまったという。

「別冊 おなご」は、岩手県北上市の詩人、小原麗子さんが主宰する「麗ら舎読書会」が毎年発行している冊子。岩手県を中心とした詩人たちが寄稿している。わたしもその仲間の一人だ。読書会は「千三忌」を催しており、麗子さんは太平洋戦争で犠牲になった千三さんの「墓守」を自任している。

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鎮魂詩 三陸の海の底で     

                  黒川純

そのとき語っていたこと

語りたかったこと

語ろうとしたこと

語るべきだったこと

もう語るにも語れないでいる

悔みだけが人生だとしても

準備する時間がなさすぎた

わたしのあなた あなたのわたし

                                                    

どうしたらその声が届くのだろうか

大蛇のような大波に流されて巻きこまれ

引き込まれて落ちながら海原に押し出された

2011年3月11日のそのとき

ひとりびとりの犠牲者にあしたがあったのに

だれも視たことがない大波に引き裂かれ

手も足も

眼も耳も

口さえも縛られた

                                        

だから

幻聴のように響いてくるのか

歴史がやってきた一瞬の悔みを伝えて

だれかが そう問いかけるのだ

いや

だれかではない

海底の光と影の境界で漂っているあなたが

わたしやわたしたちに向かって

ざわざわと

そう ざわざわと

古代がめくれあがった冷たい海底から

もう取り戻せない悔みを取り返したい

ほんとうの死者になりきれない

                                       

夢の中であなたがそうささやいたから

理不尽な哀しみの海に降りてゆき

涙で視えない瞳をそっと閉じてやり

漂う身体にじっと光の焦点を当ててやろう

眩しい輝きが海底から海面を突き破り

たなびく雲にその姿が乱反射する                                        

もくもくと立ち上るその雲をスクリーンに

生きていればいつか願いがかなったときの

あなたが満面の微笑みで登場する

そんなことを夢想したい

                                        

そのとき

あなたは一瞬だけ

瞳いっぱいの涙を

ぽろぽろと溶かすかもしれない

あなたをさらった潮の流れで

今はただキラキラとあくまで蒼く輝く

三陸の海の底で

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2012年6月11日 (月)

苦笑い交え、じっくりと核・放射能問題を語る 鎌仲ひとみ監督の日光記念講演

Dscn9369 (栃木県母親大会で記念講演する鎌仲ひとみ監督=10日、日光総合会館)

きょう日光の「栃木県母親大会」で記念講演した鎌仲ひとみ監督の話は笑い(苦笑もか~)も随所に交えて「たて板に水」という感じの魅力的な講演だった。劣化ウラン弾による「ヒバクシャ」に気づいて世界の「ヒバクシャ」を追う旅から始まり・・・

鎌仲ひとみ監督の話の中で大きなトーンを占めていたのが、被害者の心の分断状況。福島で放射能汚染を心配するお母さんの発言が地元では逆に嫌悪されたり、排斥されるような空気になったり。「アベコベなんです」という指摘。各地でも大なり小なりの傾向が。この指摘は重い。

Dscn9357 (鎌仲監督が紹介したためになる「もんじゅ君音頭」。これは流行らせたい~)

きょう初めて知りました~「もんじゅ君音頭」。さすがもんじゅ君の作詞作曲。日光できょう講演した鎌仲ひとみ監督が紹介。いやはや名曲です

Dscn9350 (講演は核の平和利用?と問い掛ける鎌仲監督の映画「ヒバクシャ」から切り出された)

「親愛なるカマ、どうかわたしのことを忘れないで」。小さな紙切れを渡して白血病で逝った14歳の少女、ラシャ。きょう日光で講演した鎌仲ひとみ監督は劣化ウラン弾とラシャから話を始めた。それが監督の「原点」なのだろうなと。私も映画「ヒバクシャ」で最も強烈なシーンだったのを思い出した

大飯原発再稼働について、鎌仲ひとみ監督ならどういうふうに話すかと思いながら、講演を聴いていたら、「日本が立ち行かないから再稼働する」と野田首相。「恥知らずですね~」。あるいは「恥ずかしいー」とも。いやはやまったく明快に。「恥知らず~」というのは東電もそうだがー。

Dscn9361 (講演では7月7日に日光で上映する鎌仲監督制作の映画「内部被ばくを生き抜く」の紹介も)

鎌仲監督の講演では質疑も。日光のお母さんは我が子の甲状腺ガンの検査をすべきかどうか、医師に相談したら、「検査で悪影響がでてもやりますか?」と。結局、断念したことに「早く検査を。血液検査でも可能」と即答。「さようなら原発!日光の会」はその検査も市に要望中なのだ。

Dscn9391 (講演 終了後の鎌仲監督の著書サイン会は押すな押すなの大盛況だった)

こんなにも行列?。鎌仲監督の講演後の「著書とDVDサイン会」。いやはや次々と買い求める人が続いた(わたしもその一人~笑い~)。そんなに大勢が講演に感銘したのか~と。大成功の「栃木県母親大会」だった。

Dscn9394 (私も鎌仲監督の著書「ヒバクシャ」にサインしてもらったのだ)

鎌仲監督の講演があった会場内で著書も販売、「サイン会」があったので、私も列に交じり、サインを。名前を手渡すと、「味のある字ですね」(確かそんな))、思わず「立看文字です」と。

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2012年6月 7日 (木)

戦後の鬼っ子たちが今年も霧降高原へ 同人誌『序説 第19号』、30日発刊で

 「戦後の鬼っ子」と呼ばれた私たちの世代を中心につくる詩とエッセイの同人誌『序説 第19号』の編集作業も終わり、あとは印刷にまわすばかり。なので、6日は発刊される30日に霧降高原のわたしの家で開く発刊記念懇親会(という名前の吞み会)の案内状づくりに追われた。

 『序説』は12号でいったん休刊。四半世紀ぶりに第13号を発刊し、その後は毎年発刊している。13号から今回で7年目。現在、同人は関東を中心に12人。1974年の創刊以来の仲間が大半で、さらにわたしたちの大学の先生たちも加わってもらっている。

 そんな仲間の同人誌づくりと懇親会の連絡は?。というと、以下のよう。きょう、ようやく〒作業が終わり、あす(いやきょうか)にも郵便局へ。「3・11以後」について、昨年も語り合ったが、今回もフクシマなどについて、激論?が交わされることだろう。

Dscn9326 (30日に発刊される戦後の鬼っ子たちでつくる同人誌『序説 第19号』の校正刷り)

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2012年「序説第19号」連絡
発刊・総会は30日(土)です

        (事務局・日光霧降高原 黒川純)
              2012年6月6日(水)

▽今回は同人12人のうち、7人が参加。頁数は112ぐらい
「序説 第19号」は同人12人のうち、半数強の7人が参加(半数弱は不参加)。冨岡、岩城、高橋、磯山、黒川、安齋、福澤の各同人(福澤先生は「あとがき」のみ参加)。最終的に112頁ほどに。常連の野村、郡司の両君の参加がなかったのが痛い~。ともあれ、13、14、15.16、17、18、19と、再開序説から7年目ですが、今回も発行できることになりました(『序説 第19号』表紙校正刷りを同封します)

▽部数は250部。23日か24日には同人の手元に『序説 第19号』が
制作は順調に進み、今月23日か24日には各同人の手元に届くような手配をしております。今号はいつものペースに戻り、部数も250部に減らします(財政面からも)。同人各人に13部づつ(12人で169部、うち安齋君は26部)全国詩誌や図書館、文学館など寄贈30部、保存30部、準同人(長島、嶋田の両君)に各3部、調整用15部=計250部という予定です(もっと欲しい、もっと減らしての声がありましたら、発送前に事務局へ。「制作進行予定表」を同封します)

▽「序説19号」懇親会は6月30日(土) 日光で
序説懇親会は6月30日(土)日光霧降高原の黒川純宅(ベランダの3分の1に透明屋根をかけ、全天候型に。さらに今春、ベランダを増床し、左右で40畳と開放的に)、懇親会費用一人2千円(黒毛和牛や料理、お酒代込み)。各人とも一品(酒かつまみなど)持参を希望。宿泊は近所(歩いて1分)のペンション「ポコ・ア・ポコ」か、車で5分ほどのホステル「鳴沢ロッジ」を。(それぞれの宿案内と、わたし黒川・砂時計家の地図を同封いたします)

▽6月30日(土)、7月1日(日)のおおざっぱな日程


●30日(土)
午後2時、黒川宅へ(1時間ほど紅茶と珈琲を)
午後3時 チェックイン(「ポコ・ア・ポコ」か「鳴沢ロッヂ」へ)
午後4時 霧降高原か日光の温泉へ(近くの「ゆりん」か「神山温泉」など)
午後5時半 懇親会準備(みんなで~、よろしく)
午後6時 発刊記念兼懇親会スタート(ベランダで)
深夜   ~吞み会~(笑い)


●1日(日)
午前10時 黒川宅へ(30分ほどお茶)
午前10時45分
霧降高原キスゲ平へ(日光キスゲが真っ盛り、暑ければ天然氷の「チロリン村」や霧降高原「森の図書館」へ。高橋君からは一冊寄贈。忘れていなければ、同人も「だれかに読ませたい」一冊の寄贈を。森の図書館長・黒川からのお願いです~。雨天の場合は「小杉記念日光美術館」など候補)
正午過ぎ 昼食 仲間でもあるハーブ茶屋「ソットボーチェ」のカレー・紅茶か、「くじら食堂」の「高級昼食」か(いずれも1000円。それとも?)
午後1時半ごろ 解散

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