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2012年6月21日 (木)

俳句などという一見浮世離れした世界でも 「表現の周辺 4」(中)冨岡弘

Dscn9547  表現の周辺 4 (中)

            冨岡弘

 俳句に殆ど精通していない私でも、金子兜太の名前は知っている。その金子兜太が、ある新聞紙上の¬震災後論」というコーナーで彼の自然観について語っていた。

 「日本人は自然と親しんできた民族です。私の言葉で言うと、欧米はものと対決する(対物)主義。そこから自然科学が生まれた。自然を克服するという考え方も出てくる。それに対して日本、東洋は、ものと自然に即していく、(即物)主義です。」

 まあこう考えるのは金子だけではないだろう。欧米流の科学により自然は簡単に克服できるという考え方、その傲慢さが福島第一原発の事故であったと続ける。俳句などという一見浮世離れした世界でも、震災そして福一事故は、俳人達に少なからず衝撃を与えたのであろう。俳句にとって自然は必須のものである。私の様な門外漢は、自然に親しみ自然を愛でることが、大方の俳句に見られる傾向なのではないかと思ってきたが、事実そのような句が多くある筈である。

 吉本隆明ふうに言えば、自己表出としての、自然は(ああ美しい)とか(ああ素晴らしい)とかいう、自然賛美の句が圧倒的に多いいはずである。そこで今回の震災及び福一の事故後金子兜太は、自身自然への畏れを本当の意味では知らなかったことに、気付かされたと語っている。「私は俳人です。自然への親しみは俳句の土台になってきました。しかし、本当の俳人にはやはり自然への畏れがある。正岡子規にも、松尾芭蕉にもある。中でも、それが最も端的に表れているのが江戸時代の俳人、小林一茶です。

  
   花の影寝まじ未来が恐ろしき

(花)は桜です。桜の花影で昼寝でもしたいなと思う。親しんでいるからこそ、そう思う。
しかし、自分も年だから、うっかり寝たら死んでしまうかもしれない。怖い一面を、自然は用意しているかもしれない。」と金子は語る。
 (ああ美しい)や(ああ素晴らしい)だけではなく、(ああ恐ろしい)(ああ怖い)という認識も必要で、自然は両面あるのだ。つい我々は自分に都合のいいことだけに目を奪われがちだが、必ずと言っていいくらいマイナス面もある。

 衛星放送の句会を、気まぐれで見ることがある。以前から素朴な不満としてあったのは、俳人と一般参加者達の会話において、もっぱらの関心事は、言葉のいいまわしについて語っていることが多い。言葉遊びの要素が強すぎて、一寸面白い言いまわしに苦心していて、そこに、重点が置かれ過ぎているのではないか。もっとも、知的嗜みとして俳句にいそしんでいる人が大多数のわけだから、余りきついことを言うのも野暮なことだとは、重々承知だが。表現として意識するなら、もう少し踏み込んで行く姿勢も、必要とされるのではないか。私が感じていた物足りなさは、金子の言葉を借りれば、自然への畏れという視点の欠如に由来しているのかもしれない。もっと、各個人の自然観などの、表現のバックボーンとなっている部分に肉薄して語ってもらうと、我々門外漢にも、もっと伝わってくるのではないかと思ってしまう。
金子が、文末に長谷川櫂という俳人の句を紹介している。

  日本の三月にあり原発忌

(続く)

Dscn9539

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