詩は時間を止めようとする意志の塊だ 「詩とはー」の連続ツイートをブログで
「詩には詩でないことが書かれる」 (岩田宏)。
twitter上でこのようなことが書き込まれていた。それに触発されて、わたしなら詩や詩人について、どう考えるのか、どう表現するか。そう思いついて、次々に思い浮かべたことばをわたしもtwitter上に。この2.3日のこと。まだ途中だが、今回は「詩とはー」ということで、アップしてみたい。
twitter上のつぶやきをそのままコピーし、ブログへ。文字の操作がうまくいかず、大文字になったり、普通文字になったり。それなら、そのままに。デザインを意識して、このようになったわけではありません。読みにくいかもしれませんが、ご容赦ください。
(以下はtwitterでつぶやいた「詩とはー」。20篇?。一部は手直ししています)
詩は歌を忘れたカナリアの水先案内人である
詩は哲学から飛び出した鬼っ子たちのささやきだ
<
詩が消え去らないのは、いつの時代でもほんとうのことが消えようとするためだ /span> 詩は最も過激な発言を普通に翻訳しようとする 詩は世界に網をかけて魂をたぐり寄せる手仕事だ 詩は生涯を飛び越えた記憶を夢のように覚えている 詩は魂の狙撃兵でもあり、救急医でもある 詩はつまるところ、時間を止めようする意志の塊だ 詩はどこかに死者の無念さを映す呼吸を抱え込む 詩はいつも未来から年齢を数えたがる 詩は常に死者を繰り返し鎮魂することだろう 詩は時代から限りなく離れながら時代に密着している 詩は論理が終わるところから始まる 詩はいつのまにか過去に反抗している 詩はほんたうが背景になければいけない 詩とは想像力が試される鏡だ
詩とはもうひとつの自分に会うために書かれる 華やかな嘘を見破ってしまうのが詩だ 詩は余白がなければ美しくない
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