さすが最終連続講義「言語にとって愛とは何か?」 内田樹『街場の文体論』
(「言語にとって愛とは何か?」とうたっている内田樹「街場の文体論」)
読み応えがある一冊にぶつかった。もともと内田樹については「寝ながら学べる構造主義」でファンになり、「一人で生きられないのも芸のうち」で感心してはいた。そのなかでも力が入った一冊だ。さすが、本人の最終連続講義。それもホームでの「言語と文学」であるだけにエピソードも含めて滑らか。驚きの指摘もたくさんある。
「文学と言語について『これまでウチダが言ってきたことのまとめ』として読んでいただければよろしいかと思います」。
ご本人はこんなことを言っており、実際にそうした内容だと思う。ただ「これはいいよ」と言っても、芸がない。なので、とくに私が驚いたところをひとつ挙げたい。というか、買ってはいるが、きちんと読んだことがないロラン・バルトをしっかり読まないといけないなー。そう思わされた具体的な事柄と分析について。「第7章 エクリチュールと文化資本」のなかのひとつだ(「文化資本」は内田樹のホームだ)。
パリで美術館と博物館のフリーパスを買いたいという学生に内田樹が同行する。「地下鉄主要駅で売っているとガイドブックに書いてあったので、いっしょに来てください」と頼まれた。ところが地下鉄主要駅も観光案内所でも「ここにはないが、どこどこ駅ならある」という。そうやって11カ所を回って、もしやとルーブルに行くと、「あるが、去年発売中止になった」と知らされる。
ここで内田樹はこう伝える。「僕はこのときフランス社会のある種の『病』を感じました」。何かなと思って次の文章を読むとー。自社商品が発売中止になったことを彼らが会った職員は誰も知らなかった。それはいいという。問題は誰一人「その商品のことは知らない」とか、「同僚に『どこで買えるの?』と訊いた人は一人もいなかった。全員が『ここにはないが、あそこに行けばある』と即答した」というのだ。
「階層上位でない彼らは『知らない』と『教えてください』を口にすることを制度的に禁圧されている。そのセンテンスを口にすると人に侮られ、いらぬ借りを作ってしまうと信じている」「『オレは知っている』『オレはできる』『オレは誰にもものを頼まない』『オレは誰にも頭を下げない』ということを生き方の規律にしている人はそうすることによって階層下位に自分を呪縛しているのです」
この結びでは以下のように分析する。
「これは『虚のエクリチュール(社会言語、あるいは集団的言語運用)』と言っていいと僕は思います。ある種のことばを口にすることへの集団的な禁忌、ある社会集団に固有の『欠性的な言語』、ある集団でのみ選択的に口にされない言葉づかい。これは検知することが困難です。『ないもの』がある。ということですから。・・・・口にされてよく、口にされるべきなのに、口にされることを許されない言葉があり、それが集団の構成員たちに固有の慣習行動を『振り当てている』なら、それはまた一首の『エクリチュール』と呼んでいいだろうと僕は思います」。

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