明治人は現代人よりも多忙であったー 「凛冽たり近代 なお生彩あり明治人」
この数日、就寝時に手にしているのが、これ。「凛冽たり近代 なお生彩あり明治人」。第一部の「『坊っちゃん』の時代」から始まり、第五部「不機嫌亭漱石」まで。
手元には1、4、5部。2、3部が欲しい~。漱石、鴎外、啄木、寒村、秋水、管野須賀子、田中正造、北一輝、いやはや、そうそうだる顔ぶれが「交差」する大きな「物語」なのだ。なんといっても関川夏央と谷口ジローのコンビなのだからー。
第一部の「あとがき」になる「わたしたちはいかにして『坊っちゃんの時代』を制作することになったか」で、関川夏央がこう記している。
「明治は激動の時代であった。明治人は現代人よりもある意味では多忙であったはずだ。明治末期に日本では近代の感性が形成され、それはいくつかの激震を経ても現代人のなかに抜きがたく残っている。われわれの悩みの大半をすでに明治人は味わっている。つまり、われわれはほとんど(その本質的な部分では少しも)新しくない」
「明治は、そして明治人は学べば学ぶほど奥深い。時代をつらぬいてかわらない日本人の精神の相当の部分、文化的特性や近代的病理の根源は、やはりたしかにその時代に源をたどることができることを知り、わたしの知的な興味はかきたてられた」
印象に残るのは「明治人は現代人よりもある意味では多忙であった」、そのことだろう~。6頁にわたる「あとがき」から「なるほどなー」と思わされた2カ所だけあげてみた。後半の「明治は・・・」は確か、吉本隆明もそれに似たような言い方をしていた記憶があるが。というか、漱石の小説そのものの多くがそうだ。ー(いずれにしろ、もう一度。隆明の「漱石論」にあたってみることに)。
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