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2013年8月 9日 (金)

核は無用の長物なのだー  ヒロシマ・ナガサキの空に

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「火葬場の少年」ジョー・オダネル
Brothers at Cremation Site by Joe O'Donnell

核は使えない、使ってはいけない、使うべきではない、ー、

 そうした最初から鍵がかかっていて、使えないものをどうして用意し、保持し、必要とするのか?。まったく無駄なものなのだ。小学生でもわかる論理だ。

 

 確かにヒロシマで、ナガサキで米国が使ってしまった。だが、もうそれ以上使えないものなのだ。ひとを、人類を破滅させる悪魔の殺人の炎であること、それが証明されてしまったので。

 米国の元軍事ナンバーワン、パウエルも朝日新聞に最近、語っているように。核はひとを殺すための武器としては使えない、使ってはいけないから、武器としてとして成り立たない。そうした発言をしていた。そのことはこうもいえるだろう。武器としての性格を超越してしまった。超武器ー。それを身にしみて知るべきなのだ。

 7月11日朝日新聞オピニオン面(15頁)で、彼・フパウエルがインタビューで答えている。 

---なぜ核兵兵器が不必要だと思うのでしょうか

「極めてむごい兵器だからだ。まともなリーダーならば、核兵器を使用するという最後の一線を踏み込みたいと決して思わない。使わないのであれば、基本的に無用だ」

 彼自身は「軍事的には無用」だが、「政治的」には北朝鮮がそうであるいように「核抑止力」として生きているとみる。だからこそ、「核軍縮」であり、将来的な「核廃絶」に理解を示す。

 

 だが、わかったようでこの論理はおかしい。軍事的に「無用」なら、「政治的」にも無用であっていい。いや、「政治的」に無用としなければならない。使えないものを威嚇の材料にしてどうするー。現実の世界ではその前提でざまざまな駆け引きが行われているのは周知のようだ。

 だが、その「核武装」とか、「核抑止力」という発想そのものは「核無用論」を前提にしてぐけば、その論理が成り立たない、そのことをふつうに知るべきなのだ。それにとりつかれている人は大勢いるのだがー。1945年8月から。ヒロシマ、ナガサキでいやっというほどわかってしまったのだ。

 その膨大な犠牲から学ばないでどうするのかー。学んでいないからまだ「核兵器削減交渉」とか「六者協議」とか、核心の周囲ですましている。根本のところ、つまりいまだに膨大な核を保有しながら、他国に核放棄を迫る矛盾を横目に、小手先だけの交渉事になっている。マスコミのニュースもまたしかりだ。

 だから潜在的核能力を示す原発維持論も基本のところで破綻している。そのことを互いに確認すべきなのだ。だが、未だにそれにしがみついている「エライ」学者や政治家、官僚が権力の中心にいる、それが信じらないー。

 「戦争は反対で、避けたいが、国を守るために核武装は必要だ」。私からすると、その手の発想そもののの土台が崩れているのだ。いかに国を、郷土を愛しているかのようにふるまいながら、実は国や郷土の精神や心を引き裂く、というか、毒を自らあおってしまう発想なのだ。

 自然に考えれば、いわば狂気の沙汰なのだが、倫理の基本に立ち返ることができない相手はそれがどうにもわからないらしい。改めて核も、原発もいらない、自然にそう口にできる社会や国へ。

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