「他者の他者」たるわたしの喪失 鷲田清一「大事なものは見えにくい」
「晴耕雨読」-。霧降高原は「霧降文庫」を開いた直後の午後から大雨続き。常連客とカレーにほっと可否、あいす可否を味わいながら2時間の「寄り合い」を。
そのあとは読みかけていたこの文庫本「大事なものは見えにくい」(鷲田清一)をじっくり。彼の8冊目のエッセイ集だという。
269頁に90篇ほどのエッセイがたっぷり。BLOGにその引用をしようと思ったのだったー。鷲田本は数多いどの著書を読んでも興味深いー(読み終えたので、この本は古書店「霧降文庫」へ)
<わたし>の存在は、だれかある他者の宛先となることではじめてなりたってきた。<わたし>の存在とは、だれかの思いの宛先であるということ。ヘーゲルやキュルケゴールといった哲学者の言葉を借りれば、「他者の他者」であるということだ。わたし以外のだれかの他者であることによってはじめて、いいかえると、だれかある他者に「あなた」「おまえ」と名指されることによって、わたしたちはひとりの<わたし>になる。だから、死というかたちでの、わたしにとっての二人称の他者の喪失とは、「他者の他者」たるわたしの喪失にほかならない(「大事なものは見えにくい」36頁~37頁)
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