ひと
「党綱領を眺めてみると、ナチスのテーマは『弱者救済』と『ナショナリズム』だったことがわかる。虐げられた国、貧困にあえぐ国では、決まって生じてくる思想でもある。これにドイツ人の合理性が加わることで、『ナチスの思想』が出来上がったといえるだろう。そしてこの党綱領の中には、当時のドイツ人が何に憤慨し、何を求めていたのかが表現されているといえる」
たまたま古本屋で買い求めた『ヒトラーの経済政策 -世界恐慌からの奇跡的な復興 』(武田知弘 祥伝社新書)。初刷は2009年4月。私が手にしたのは、2011年3月の第六刷。もう5年になるが、歴史の分析でもあり、少しも古くなっていない。というか、ナチスについては『第三帝国の興亡』や『ワイマール共和国』などで、興亡や政治はそれなりに承知してはいるが、経済政策は、いわば「盲点」だった。それだけに興味津々で読むことができた。
関心を寄せたのはナチスの経済政策を引っ張った「シャハト」についての記述だ。本来ならこの本は『シャハトの経済政策』としなけれなならないところである、と著者が述べているように、そこにかなりのページを割いている。ナチスの初期の経済政策を成功に導いた財政家、ドイツ帝国銀行総裁のヒャルマール・シャハトのさまざまな経済的な手法についての言及だ。
私たちもよく知るアウトバーンー。それらに「多額の公共事業費を捻出し、インフレが起きないように巧みに通貨を調節し、ブロック経済で封鎖された世界経済に風穴を開けた新しい貿易システムを構築するなど、彼の功績を挙げれば枚挙にいとまがない」という。しかし、シャハトはナチス政権半ばにヒトラーにうとんじられて辞めてしまう。だから、この本では「準主役」としての位置づけだ。
ここでは、シャハトがナチス政権以前にとった土地を担保に発行され、超インフレを収めた「レンテンマルク債」やナチス政権で導入した労働力を担保にした「労働債」などによる経済政策を挙げるにとどめる。いかにシャハトが「役者」であったかー。1931年、ナチス政権の可能性が高まったとき、アメリカのジャーナリスト、ドロシー・トンプソンとのやりとりでわかろうというものだ。本書では、こう紹介されている。
トンプソン 「ナチス政権でもドイツ経済を繰ることができるか」
シャハト 「当然だ。ナチスに統治はできない。私がナチスを使って統治する」
初期のナチスで重要な役割を果たしたシャハトは戦後はどういう立場に?。と思っていいたら、その簡単な記述があった。彼は1944年にヒトラー暗殺グループに関与したとして、ゲシュタポに逮捕され、軟禁状態のまま戦後を迎えたという。それが幸いし、戦後は「労働奉仕8年の刑」で済み、1948年9月まで服役。釈放後はデュッセルドルフ銀行に入り、インドネシア、エジプトなど発展途上国の経済・財政に関するアドバイサーになったというのだ。
書評的に書こうとする短いこの文章では、私もさらにシャハト、というか、ナチスの経済政策を知ってから再び、彼について、語ることにしたい。ここでは、冒頭に挙げた「ナチスの思想」、その元になる党綱領について、その特徴に注目したい。意外とナチスの党綱領について、私たちは無頓着だったように思う。25カ条ある。
そのうち、いかにもナチス的だと思われるのは、1、2、3、4,5、6と23だ。
1 すべてのドイツ人が結束する
2 ベルサイユ条約の廃止
3 ドイツ人を扶養できるだけの土地(植民地)を要求する
4 血統的にドイツ民族の血をひくものだけが、ドイツ国民になるうる
5 ユダヤ人などドイツ国民でない者は、外国人法の適用を受けねばならない
6 国民の権利は、ドイツ国民のみが有する。公職から外国人を締め出し腐敗した議会を糺す
23 非ドイツ人のマスコミ活動の禁止 公共を害する報道の規制
この一方で、ナチスは社会主義的で弱い者の味方であるという綱領もきちんと入れていた。暴力だけではなく、この時代のドイツ人からそれなりの支持、それも最後は第一党になる(最後まで過半数まで届かったのだがー)背景もわかろうというものだ。11、13、14、15、18,20、21の各条だ。それを示して、タイムアップ的に、ひとまず、「撤退」しよう。
11 不労所得の撤廃、寄生地主の打倒
13 トラスト企業の国有化
14 大企業の利益の国民への分配
15 老人社会保障制度の大幅な強化
18 高利貸し、闇商人の追放
20 無償の高等教育制度の制定
21 母子の保護、少年労働の禁止、体操とスポーツを義務として法的に定める
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