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2015年1月19日 (月)

終章「小さな社会」の構想・・・・「マルクスとともに資本主義の終わりを考える」

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「停滞という言葉は現在では忌み嫌われることばですが、人類史をざっと眺めれば19世紀、20世紀を除けば停滞そのものの社会であったわけで、その意味では最も人間社会にとって、適応的で、永続的な社会なのかもしれません」

 

というのが、254頁のこの本の締めくくり、結語だ。『マルクスとともに資本主義の終わりを考える』(的場昭弘、亜紀書房 2013年10月2日 第一刷)。う~ん、最後の章は「終章 「『小さな社会』の構想」・・・・。なので、期待して読み進めたのだがー。しかし、最後まで「構想」のみで、現在の資本主義状況から視た魅力的な提唱は示されてはいない。まぁ、「ないものねだり」なのかもしれない。

 

 

 

 

 マルクス主義者、的場先生(神奈川大学定員外教授―名誉教授というのでもないのだねー)だから、というか、『マルクスだったらこう考える』(光文社新書 2004年12月20日初版)から10年、どんな構えを見せてくれるのか?、その期待感があった。なので、きょう19日の夜に一気読みしたのです。

 

 

 

 

 

 もちろん、そこかしこで、さすがの指摘はあるのだが、私からすると、今市という感が拭えない。今では珍しいマルクス研究の第一人者だというところから、期待過剰だったかも。それでも、終章でかなり突っ込んで展開しているプルードン(無政府主義の父 この人も苦労人だね~)―プルードンの生涯は後記―とマルクスとの比較は、私にとっては新鮮な指摘ではあった。 

 

 

「マルクスは過渡的に国家権力を認めますが、いずれ廃棄されるものと考えます。マルクスから見れば、プルードンは資本主義社会の本質的姿を変えないで、よき資本主義を実現することで、アソシアシオン(注=新しい概念の世界、権威を否定した権威のない世界、中央集権を否定した分権の世界・・・)は可能だと考えていると批判しています。しかしプルードンは、国家権力を収奪した集団は、いつのまにか新たな権力として支配の座にすわり続けることになるはずだと考えます。この二つの考えの違いは、ソ連の歴史、社会民主党の違いに反映しているともいえます。いずれにしろ、どちらの意見にもうなづけえるところがあることに気づきます」。

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プルードンの生涯

フランス・ブザンソン郊外のムイエールと呼ばれるところで生まれた。父は醸造職人・樽製造職人をしていた。8歳頃から宿屋の食糧係として働きはじめ、コレージュの6年生に通学生として編入された。仕事のために授業を時々休み、教科書を筆写したり街の図書館に通ったりとほぼ独学の状態で、学業を完全に終了することはなかった。19歳から自分で生計を立てねばならず、ブザンソンの印刷所に校正係として就業した。この時期、教会用のラテン語聖書の校正をしているうちに広汎な神学の知識を身につけヘブライ語を覚えてしまったという。言語学も独学し、1837に最初の著作『一般文法論』を自費出版し、これによりシュアール年金という奨学金を受け、3年間パリを遊学する。

1839『日曜礼拝論』を発表するが、その内容が財産平等の理想に基づく社会改革思想であるとして聖職者会議に忌避され、発禁処分を受けた。18406『財産とは何か』が出版されたが、「財産、それは盗奪である」などの過激な表現によりブザンソン・アカデミーが出版の認可を取り消したものの、プルードンは撤回を拒否する。18414に財産に関する第二論文『ブランキ氏への手紙』、18421に第三論文『有産者への警告』が刊行された。第三論文『有産者への警告』がブザンソンの司法官憲に押収され、起訴される。18433に印刷所の仕事を辞め、184710までリヨンのゴーチエ兄弟商会の事務員・法律顧問となる。実務に妨げられながら経済学者と交遊を重ね、1843『人類社会における秩序の創造』、1846『経済的矛盾の体系、または貧困の哲学』を出版する。このころ、ロシアバクーニンとも知り合い、ヘーゲル弁証法について徹夜で議論している。同時期に1844年から数回会っているマルクスから共産主義通信委員会の通信員となるよう依頼を受けているが、同意しつつも教条主義や権威主義的な傾向を危惧して多くを留保している。マルクスは「彼の著作はフランス・プロレタリアートの科学的宣言」とまで称賛していたが、この頃から軋轢が生じたとされる。

1848二月革命のさい、テュイルリー宮殿の無血占領に参加し、27からロシアの社会主義者アレクサンドル・ゲルツェンの協力も得て『人民の代表』『人民』『人民の声』などの新聞を発刊し、人民銀行と相互主義的交換組織を試み、6月の補欠選挙で国民議会議員に選出される。1849に大統領ルイ・ナポレオンを反動の権化として自分の新聞で攻撃したため、3年の禁固刑と1万フランの罰金刑を宣告された。獄中生活の中で裁縫師ユフラジ・ピエガールと結婚して子供をもうけ、『一革命家の告白』(1850)、『十九世紀における革命の一般理念』(1851)などの代表作を執筆する。

出獄後の1858に出版した『革命の正義と教会の正義』は6000部売れるが、公共道徳・宗教・国家を攻撃したとして官憲に押収され、再び禁固3年と3千フランの罰金刑を宣告され、家族とともにベルギーブリュッセルに亡命した。1862にフランス政府の特赦を利用して帰国し、1863『連邦主義的原理と革命党再建の必要について』を執筆する。遺著『労働者階級の政治的能力』を口述して完成し、パリ・コミューン5年前にパッシー(現在のパリ16)で心臓病により死去した。

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