集団のパフォ-マンス 「折々の言葉」(1) 黒川純
折々の言葉 (1)
黒川 純
知性は個人の属性ではなくて、集団的にしか機能しない。だから、ある個人が知性的であるかどうかは、その人の個人が所有する知識量や知能指数や演算能力によっては考量できない。そうではなくて、その人がいることによって、その人の発言やふるまいによって、彼の属する集団全体の知的パフォーマンスが、彼がいない場合よりも高まった場合に、事後的にその人は「知性的」な人物だったと判定される。
「それまで思いつかなかったことがしたくなる」というかたちでの影響を周囲にいる他者たちに及ぼす力のことを、知性的と呼びたいと思う。その例として、ずつと忘れていた昔のできごとをふと思い出したり、しばらく音信のなかった人に手紙を書きたくなったりー。
その人がいるせいで、周囲から笑いが消え、疑心暗鬼を生じ、勤労意欲が低下し、誰も創意工夫の提案をしなくなるー。つまり、集団全体の知的パァフーマンスが下がってしまう場合、その人は「反知性的」とみなすことにしている。
以上はいずれも『日本の反知性主義』(晶文社 2015年4月25日4刷)の編者である内田樹さんの「反知性主義者たちの肖像」の小見出し「知性とは集団的な現象である」から(22頁~23頁)。朝日新聞の朝刊一面で「折々のことば」(「折々の言葉」ではありませんー笑い)を連載している哲学者・鷲田清一さん、「永続敗戦論」の著者・白井聡さん、「東京プリズン」で知られる赤坂真理さんなど9人の論客が寄稿などしている。
この本では内田さん以外にも「折々の言葉」を紹介したい筆者がいるのだが、ここは巻頭論である内田さんの言葉から。キイワードは集団のパフォーマンス。パフォーマンスのいろいろな意味のなかでも、出来栄え、高性能、演技、演奏など、なかでも「出来栄え」がそれか。
これは市民団体でも町内会でも、労働組合でもイベントを組むとき、居酒屋での呑み会でも。集団があるときに、常に大なり小なりあることだ。みんな、それぞれ、思い当たることがあることだろう。もちろん、私もだ。
だから、「それまで思いつかなかったことがしたくなる」、そんな集団や仲間たちの空気をいかに生み出すことができるか?―。ふだんの日常の中で、生活の中で、頭の奥にこんな構え、発想を、ごく自然にふと思い浮かぶべることができるかどうか?ー自戒も込めて。
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