「『複眼のセンス』を歩くのだ」 「詩と思想」5月号黒川純エッセイ
「詩と思想」5月号(5月1日発行)、その発行日に出版社から同号が2冊、贈られてきた。特集「壁を超えて」に私もペンネーム・黒川純でエッセイ「『複眼のセンス』を歩くのだー政治という壁ー」(58~59頁)を寄せているため。
それにしても、執筆者の一人として、「栄誉ある」?表紙に掲載されるとは思ってもいなかった~。この特集のエッセイでは4人の詩人が執筆しているが、論旨がうまくかみ合っていたのが、新井高子さんの「xとY 詩を声にする「調子」をめぐって」。
朔太郎の自作朗読が入ったCDを掛けた時のこと(そんな声が残っているのか)から始まり・・・・「昭和天皇が敗戦を告げた玉音放送。徹底して棒読みな、感情を露出しないがゆえに非日常なあの声・・・・・」なども。2頁のエッセイだが、ぐいぐいと惹きこんでゆく。
黒川純は?ー。う~ん、必要なエッセイだが、出来栄えは?~。実物は書店で?~(笑い)~(「詩と思想」5月号は本体1300円)
月刊詩誌「詩と思想」
2015年5月号テーマ<壁を超えて>
エッセイ
主題「『複眼のセンス』を歩くのだー政治という壁―」
ペンネーム 黒川純(富岡洋一郎)
私がその集会で口にしたのは、「戦後詩の長女」と呼ばれた茨木のり子さんが1945年の「敗戦」の心模様をうたった有名な詩『わたしが一番きれいだったとき』のなかのこのフレーズだった。
「わたしが一番きれいだったとき/ラジオからジャズが流れた/禁煙を破ったときのようにくらくらしながら/わたしは異国の甘い音楽をむさぼった」。
集会では、「福島核災棄民」と名乗る詩人、若松丈太郎さんの『神隠しされた街』全文を、とうとうと朗読する場面もあった。何の集会かというと、私・富岡洋一郎=ペンネーム・黒川純の総決起集会。2014年3月31日、日光総合会館大会議室だった。告示まであと1週間、4月13日投開票の日光市議選(定数28)に立候補したが、その表明は新春。実質的な「選挙活動」はわずか2カ月ほどだ。立候補者は定数を2人だけ上回るだけの30人と想定された。それに向け、陣営の気勢を上げるための集会に集まっていたのは70人ほど。わくわくするアフリカンバンドのリズム、仲間たちによる大受けの人形劇、脱原発詩の朗読・・・。「政治集会」なのだが、楽しいイベントそのものだった。
総決起集会は大いに盛り上がった。しかし、ふたを開けてみると、私の得票数は440票(最高得票は2417票、最下位当選得票は938票)。まさかの最下位落選という、惨敗に終わった。私の場合、政党や団体、自治会といった支えは、ほとんどなかった。脱原発をめざす市民団体「さよなら原発!日光の会」代表であることをバックに、その仲間や「3・11」の災害ボランティアなど、市民グループが中心だった。それがどこまで世の中に食い込むことができるのか、政党や地域代表などではない新しい時代の議員を生み出せないか。新たなスタイルの選挙戦ができないだろうかと、模索しながらの選挙運動だった。「脱原発都市宣言」をする、「再生可能エネルギー条例」をつくるなど、脱原発を基本に「懐かしい未来」の暮らし方や街づくりを盛り込んだ数十の公約を練り上げた。キイワードの「懐かしい未来」は、GNPではなく、GNHをめざすヒマラヤの小国ブータンの哲学を基本にした新しい幸福観の暮らしや政治の方向だ(ヘレナ・ノーバーク=ホッジ著『懐かしい未来 ラダックから学ぶ』などで知られる)。「無所属市民派、元朝日新聞記者」を前面に打ち出し、選挙ポスターには「さよなら原発!」と大書した。
最終的に「国労宇都宮支部」と「鉄道退職者の会宇都宮支部」の推薦を受けることができたが、当初考えていた得票には、とにかくほど遠かった。結果的には、現職組が強みを発揮し、政党、組織や血縁、人脈、労組、団体の支えなどが勝敗を分けることになった。「公明党公認」の新人が、ダントツのトップ当選を果たしたことなどがその象徴だった。なんと、その新人は私の約5倍も得票していたのだった。新聞記者35年。2010年春の定年退職を機に「晴耕雨読」へー。ところが、2011年「3・11東日本大震災・福島第一原発事故」。茨木のり子さんが生きていたら、そう思ったであろう「第二の敗戦」で、状況が一変してしまった。原発の「安全神話」が吹き飛んでしまったのだ。仲間には「趣味はデモ」と公言(笑い)、代々木公園の脱原発17万人集会・デモ、反原発首都圏連合の10万人集会へ・・・・。その一方、脱原発を議会で決議してもらおうと、陳情や傍聴などを行っているうちに、「脱原発を唱える市民がそのまま議会の場へ」。そう思うのが自然になってきていた。安倍政権の国政とは違う空気を地方の議会から流し込める、そんな思いもあった。何かと世の中のやり玉に挙げられる「団塊世代」の役目のひとつとして、この際、目の前の「政治」の舞台に飛び出すしかないだろうー。それは「70年安保」の「全共闘世代」として(1971年の沖縄返還協定闘争で独房生活も味わった)、あの時に「けじめ」をつける意味でもそう思ったのだった。
結果は「政治の壁」に跳ね返されてしまったが、「一票の世界」、それも市議選という一人一人の顔が視えてしまう「路地裏」の選挙では、まっとうな主張や魅力的な政策を唱えたとしても、脱原発という大きな岩盤からの支持をすんなり受けられないことは学んだ。「3・11」以後の市民はこれまでのそうした価値判断から乗り換えるある割合がそれなりにあると踏んだのだが、実際はそこまでの世の中にはなっていなかった。結果からは、確かに構図を読み間違えていたということになろう。だが、この市議選を通じて、世の中が進むべき方向について、はっきりと打ち出し、呼びかけたたつもりだ。つまり、訴えた理念・政策を日々の暮らしの中に生かし、形にして、伝えてゆくこと、ようするに「懐かしい未来」を今から少しでも取り入れて、政治を先取りしてゆくこと、一方で政治に対し、変に背中を向けたり、距離を置いたりせず、「非暴力行動198の方法」が記されている『独裁体制から民主主義へ 権力に対抗するための教科書』(ジーン・シャープ)ではないが、声を上げる場面ではきちんと声を上げてゆくことだと。この「熱狂なきファシズム」の時代に向き合いながら、「政治の壁」を乗り越えてゆくのは、そうした「政治」と「生活」をきちんと往還する、行き来するところからだろうと確信している。
その際、<世界>を正しく視るために、「均衡を失って崩れかけているところ、なにか途轍もない地殻変動が起こりそうな気配を取り逃がさないこと・・・」(『哲学の使い方』)、私が好きなこの新書の著者、鷲田清一さんは、つまり感度のよいアンテナを張り巡らせることができる「哲学のセンス」を持つことが必要だという。私も期せずしてか、思わずか、後から考えると、そのような視点から、別荘の自宅を開放した古書店兼図書室「霧降文庫」(オープンは月、日、祝日)の毎月のテーマ古書展で、その「センス」の在り処を示そうとしてきたようなのだ。
昨夏から世の中の動きに応じて、「懐かしい未来へ」「<丁寧な>暮し」「魂の<潜水法>」「<紅い>遠泳術」「<世界>まで何マイル?」・・・とやってきた。2015年2月は「身辺の<経済学>」。それもあり、「ときの人」トマ・ピケティ教授の『21世紀の資本』を読み解く自主講座を3月に試みることにした。これなども「生活」と「政治」という、視えそうで視えない構造を往還させる、取り結ぶ「複眼の視点」、あるいは「複眼の技法」でもいいが、そのひとつではないかと思っている。(了)
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