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2015年6月

2015年6月29日 (月)

私たち一人ひとりが「新しい暮し方」求められていると―折々の言葉(10)

折々の言葉(10)

私たち一人ひとりが「新しい暮し方」求められているとー

 首都・東京だけではなく、この栃木県の地元でも脱原発の大きな声を響かせ、内外に思いを広く伝えようー。そうした発想から立ち上がった「さようなら原発!栃木アクション」の趣旨に、私たち「さよなら原発!日光の会」(会員116人)は大いに共感し、発足時から積極的に参加しています。2014年11月16日の第3回「栃木アクション」についても、広く市民の参加を呼びかけようと、その10日の11月7日、日光市中心部で「栃木アクション」のチラシを街頭の市民に手渡しながら、参加を強く呼びかけました。

「脱原発社会に向け、地域から運動を進めていこう」―。それが日光市民を中心に発足させた「日光の会」の合言葉です。昨夏の第3回総会でも「原発の再稼動に反対し、原発の即時中止を求める」ことを満場一致で決議しています。この決議は直ちに、川内原発1、2号機を再稼動させようという九州電力などに送付・抗議しています。
 このため、「栃木アクション」では毎回、会場スタッフを送り出す一方、会員が日光から電車やマイカーで、さらに「日光の会」の専用マイクロバスで駆けつけています。とくに2014年の場合は「もうたくさん!原発はまっぴらゴメン」の横断幕を新調するなどしてパレードに加わりました。

 総会決議では塩谷町放射性廃棄物最終処分場候補地問題について、「国内各所に汚染物質を点在させ、後世まで危険をまきちらそうとする国の無策・無責任さは許されない。政府と東電がきちんと責任を果たすべきである」と強調。白紙撤回の署名活動に乗り出す一方、初冬には、現地視察会を「日光の会」として行うなどしてきました。
 同時に「日光の会」は独自の自主講座を開いており、2月には日光市栗原で進められている「木質バイオマス発電問題」について、地元市民を中心につくっている「日光市の木質バイオマス発電を考える会」の若いお母さんを講師に現状を把握。5月には「東海第二原発差止訴訟の論点」と題し、「原発いらない栃木の会」事務局長でもある野崎嵩史弁護士から裁判の争点を学んでいます。

 「日光の会」では発足時から毎年、春から夏にかけ、小学校を中心に全市内を対象にした放射線汚染について、高性能機器を手に会員が手分けして測定、日光市における汚染の現状も公開しています。今年も5月連休明けから始めています。さらに6月6日には非電化冷蔵庫や非電化除湿器などを発明している「非電化工房」(那須町)の見学会を実施しました。政府と各電力会社が進めようとしている原発再稼動について、さまざまな手段による反対行動に取り組む一方、「3・11以後」の脱原発社会に向け、私たち一人ひとりが「新しい暮らし方」が求められていると思っているからです。

★以上の記事は、超党派の市民団体「さようなら原発!栃木アクション」告知号外・第4号(6月20日発行 1万部)に掲載されたアクション参加団体の活動状況報告のひとつ。「さよなら原発!日光の会」」代表・富岡洋一郎として執筆した内容です。この第4号ではスペースの都合から以上の記事をもう少しコンパクトにしてあります★

2015年6月27日 (土)

詩は新しい私に出会うために書かれる 折々の言葉(9)

折々の言葉(9)

「詩は新しい自分に出会うために書かれる」

霧降文庫」6月最後のオープンは、28日(日)と29日(月)。

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企画は「寺山修司生誕80周年」。アングラの女王と呼ばれた浅川マキの実質的なデビューとされる新宿のアングラ公演で、彼女の歌をプロデュースしたのも、寺山修司。短歌、俳句、詩、劇団「天井桟敷」主宰、映画監督、脚本家など、異能な天才だった。「書を捨てよ、町へ出よう」の本で知られる。

私は彼の詩論にある「詩はもうひとりの自分に出会うために書かれる」、その発想に惹かれる。

 その歌のひとつが「かもめ」。もちろん、唄は浅川マキ。私の十八番のひとつ。これがシャンソンにも似合う。なので、浅川マキが名古屋公演中に急死、その後に出されたCDを買い求め、3枚組のポスターをゲットし、今も私の居間の壁掛けに(浅川マキは生前、LPレコードは何枚も出しているが、CD化は拒否していたので)。

1970年代前期、大晦日恒例の紀伊國屋ホールコンサートの会場に私も、私たちもかー。それはイメージとおりのコンサートでありました。

2015年6月26日 (金)

7月3日(金)の活動に参加を 戦争法案反対全国署名を日光で

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戦争法案反対の全国署名活動に参加をー
7月3日(金)13時半~15時


日光の「かましん今市店」裏表(今市中心部の日光街道沿いのスーパーです)

「戦争させない全国署名栃木県連絡会」(事務局・栃木県平和運動センター)と「にっこう九条の会」の共催による、戦争法案反対署名行動です。

 署名簿は「『集団的自衛権』行使容認の閣議決定即時撤回を!」 戦争をさせない全国署名2015年版。

 6月5日にも同じ「かましん今市店」で16人が参加、1時間半にわたって、すじがまったく通らない、論理的にも手の打ちようがなく、行き詰ってしまった、憲法違反であることが天下に明らかにされてしまった今回の戦争法案の問題点を訴え、市民に次々と署名をしていだきました。その数、わずか90分で117筆。

 国会の会期を95日間、9月27日まで延期してまで、強行突破しようという安倍内閣に日光から反対の声を届けるために、今回もぜひ多くの参加を。署名活動はその2回目です。

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2015年6月25日 (木)

逆立ちしても影も形もない 砂川事件最高裁判決

折々の言葉(8)

「わが国が主体となって指揮権・管理権を行使し得ない外国軍隊は『戦力』に該当しない」

砂川事件最高裁判決(全文) 

全文はきょう初めて読みました。争点は米軍の駐留が憲法9条に違反する「戦力」にあたるのかどうかー。その判断をいかに行うかでしかない。逆立ちしても「集団的自衛権」の影も形もない。安倍政権はこの判決の「無」から「有」を生み出して、戦争法案を準備・成立へと画策。「黒」を「白」といいくるめる言い方があるが、むしろ、何もないところから虎をひっぱりだす、いわば手品師を演じている。観客の目先を幻惑しながら、「合憲だ」「枠内だ」と、だだをこねている状態だ。そのことは、小学生でも、ふつうに理解できる、詐欺まがいの論法だ。この砂川判決から自公の言い分を読めば、何にもないところに幻の安倍城を無理やり建てるようなもの。それだけに自分から崩れてしまう、自壊してしまうのは自明のことだ。なぜなら、「憲法違反」が明白な、それこそ、ほんものの「砂上の楼閣」でしかない戦争法案だからだ。

(なお、私は朝日新聞北海道報道部で札幌地裁・高裁担当の司法記者もやっておりました。そのひとつの仕事に泊原発運転差止訴訟などもありました。脱原発活動をしているのは、そんな「反省」からも、なのです)

(以下、ウイキペディアから)

[文書名] 砂川事件に関する最高裁差戻判決
データベース『世界と日本』日本政治・国際関係データベース
東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室
[年月日] 1959年12月16日  [出典] 日本外交主要文書・年表(1),954‐958頁.最高裁判所「最高裁判所刑事判例集」第13巻第13号,3225‐3228頁,3231‐3237頁.

[全文]

○日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定に伴う刑事特別法違反被告事件

(昭和三四年(あ)第七一〇号 同年一二月一六日大法廷判決 破棄差戻)

【上告人】東京地方検察庁検事正 野村佐太男

【被告人】坂田茂 外六名

弁護人 海野晋吉 外二八二名

【検察官】清原邦一 村上朝一 井本台吉 吉河光貞

【第一審】東京地方裁判所

○判示事項

一、憲法第九条はわが国の自衛権を否定するか

二、憲法はわが国が自国の平和と安全を維持しその存立を全うするための自衛の措置をとることを禁止するか

三、憲法は右自衛のための措置を国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事措置等に限定し他国にわが国の安全保障を求めることを禁止するか

四、わが国に駐留する外国軍隊は憲法第九条第二項の「戦力」にあたるか

五、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(以下安保条約と略す)と司法裁判所の司法審査権

六、安保条約がいわゆる前提問題となつている場合と司法裁判所の司法審査権

七、安保条約は一見明白に違憲と認められるか

八、特に国会の承認を経ていない安保条約第三条に基く行政協定(以下行政協定と略す)の合憲性

○判決要旨

一、憲法第九条は、わが国が主権国として有する固有の自衛権を何ら否定してはいない。

二、わが国が、自国の平和と安全とを維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置を執り得ることは、国家固有の権能の行使であつて、憲法は何らこれを禁止するものではない。

三、憲法は、右自衛のための措置を、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事措置等に限定していないのであつて、わが国の平和と安全を維持するためにふさわしい方式または手段である限り、国際情勢の実情に則し適当と認められる以上、他国に安全保障を求めることを何ら禁ずるものではない。

四、わが国が主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得ない外国軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、憲法第九条第二項の「戦力」には該当しない。

五、安保条約の如き、主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係を持つ高度の政治性を有するものが、違憲であるか否かの法的判断は、純司法的機能を使命とする司法裁判所の審査には原則としてなじまない性質のものであり、それが一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外にあると解するを相当とする。

(反対意見がある。)

六、安保条約(またはこれに基く政府の行為)が違憲であるか否かが、本件のように(行政協定に伴う刑事特別法第二条が違憲であるか否かの)前提問題となつている場合においても、これに対する司法裁判所の審査権は前項と同様である。

(反対意見がある。)

七、安保条約(およびこれに基くアメリカ合衆国軍隊の駐留)は、憲法第九条、第九八条第二項および前文の趣旨に反して違憲無効であることが一見極めて明白であるとは認められない。

八、行政協定は特に国会の承認を経ていないが違憲無効とは認められない。

○主文

 原判決を破棄する。

 本件を東京裁判所に差し戻す。

○理由

 東京地方検察庁検事正野村佐太男の上告趣意について。

 原判決は要するに、アメリカ合衆国軍隊の駐留が、憲法九条二項前段の戦力を保持しない旨の規定に違反し許すべからざるものであるということを前提として、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約三条に基く行政協定に伴う刑事特別法二条が、憲法三一条に違反し無効であるというのである。

一、先ず憲法九条二項前段の規定の意義につき判断する。そもそも憲法九条は、わが国が敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことに伴い、日本国民が過去におけるわが国の誤つて犯すに至つた軍国主義的行動を反省し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、深く恒久の平和を念願して制定したものであつて、前文および九八条二項の国際協調の精神と相まつて、わが憲法の特色である平和主義を具体化した規定である。すなわち、九条一項においては「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」することを宣言し、また「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定し、さらに同条二項においては、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と規定した。かくのごとく、同条は、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているのであるが、しかしもちろんこれによりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。憲法前文にも明らかなように、われら日本国民は、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めることを願い、全世界の国民と共にひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するのである。しからば、わが国が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のことといわなければならない。すなわち、われら日本国民は、憲法九条二項により、同条項にいわゆる戦力は保持しないけれども、これによって生ずるわが国の防衛力の不足は、これを憲法前文にいわゆる平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼することによって補ない、もつてわれらの安全と生存を保持しようと決意したのである。そしてそれは、必ずしも原判決のいうように、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事的安全措置等に限定されたものではなく、わが国の平和と安全を維持するための安全保障であれば、その目的を達するにふさわしい方式又は手段である限り、国際情勢の実情に即応して適当と認められるものを選ぶことができることはもとよりであつて、憲法九条は、わが国がその平和と安全を維持するために他国に安全保障を求めることを、何ら禁ずるものではないのである。

 そこで、右のような憲法九条の趣旨に即して同条二項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条一項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従つて同条二項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。

二、次に、アメリカ合衆国軍隊の駐留が憲法九条、九八条二項および前文の趣旨に反するかどうかであるが、その判断には、右駐留が本件日米安全保障条約に基くものである関係上、結局右条約の内容が憲法の前記条章に反するかどうかの判断が前提とならざるを得ない。

 しかるに、右安全保障条約は、日本国との平和条約(昭和二七年四月二八日条約五号)と同日に締結せられた、これと密接不可分の関係にある条約である。すなわち、平和条約六条(a)項但書には「この規定は、一又は二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される二国間若しくは多数国間の協定に基く、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐とん{前2文字強調}又は駐留を妨げるものではない。」とあつて、日本国の領域における外国軍隊の駐留を認めており、本件安全保障条約は、右規定によつて認められた外国軍隊であるアメリカ合衆国軍隊の駐留に関して、日米間に締結せられた条約であり、平和条約の右条項は、当時の国際連合加盟国六〇箇国中四〇数箇国の多数国家がこれに賛成調印している。そして、右安全保障条約の目的とするところは、その前文によれば、平和条約の発効時において、わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状に鑑み、無責任な軍国主義の危険に対処する必要上、平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き、わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにあることは明瞭である。それ故、右安全保障条約は、その内容において、主権国としてのわが国の平和と安全、ひいてはわが国存立の基礎に極めて重大な関係を有するものというべきであるが、また、その成立に当つては、時の内閣は憲法の条章に基き、米国と数次に亘る交渉の末、わが国の重大政策として適式に締結し、その後、それが憲法に適合するか否かの討議をも含めて衆参両院において慎重に審議せられた上、適法妥当なものとして国会の承認を経たものであることも公知の事実である。

 ところで、本件安全保障条約は、前述のごとく、主権国としてのわが国の存立の基礎に極めて重大な関係をもつ高度の政治性を有するものというべきであつて、その内容が違憲なりや否やの法的判断は、その条約を締結した内閣およびこれを承認した国会の高度の政治的ないし自由裁量的判断と表裏をなす点がすくなくない。それ故、右違憲なりや否やの法的判断は、純司法的機能をその使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、従つて、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外のものであつて、それは第一次的には、右条約の締結権を有する内閣およびこれに対して承認権を有する国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的判断に委ねらるべきものであると解するを相当とする。そして、このことは、本件安全保障条約またはこれに基く政府の行為の違憲なりや否やが、本件のように前提問題となつている場合であると否とにかかわらないのである。

三、よつて、進んで本件アメリカ合衆国軍隊の駐留に関する安全保障条約およびその三条に基く行政協定の規定の示すところをみると、右駐留軍隊は外国軍隊であつて、わが国自体の戦力でないことはもちろん、これに対する指揮権、管理権は、すべてアメリカ合衆国に存し、わが国がその主体となつてあだかも{だにママとルビ}自国の軍隊に対すると同様の指揮権、管理権を有するものでないことが明らかである。またこの軍隊は、前述のような同条約の前文に示された趣旨において駐留するものであり、同条約一条の示すように極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、ならびに一または二以上の外部の国による教唆または干渉によつて引き起こされたわが国における大規模の内乱および騒じよう{前3文字強調}を鎮圧するため、わが国政府の明示の要請に応じて与えられる援助を含めて、外部からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用することとなつており、その目的は、専らわが国およびわが国を含めた極東の平和と安全を維持し、再び戦争の惨禍が起らないようにすることに存し、わが国がその駐留を許容したのは、わが国の防衛力の不足を、平和を愛好する諸国民の公正と信義に信頼して補なおうとしたものに外ならないことが窺えるのである。

 果してしからば、かようなアメリカ合衆国軍隊の駐留は、憲法九条、九八条二項および前文の趣旨に適合こそすれ、これらの条章に反して違憲無効があることが一見極めて明白であるとは、到底認められない。そしてこのことは、憲法九条二項が、自衛のための戦力の保持をも許さない趣旨のものであると否とにかかわらないのである。(なお、行政協定は特に国会の承認を経ていないが、政府は昭和二七年二月二八日その調印を了し、同年三月上旬頃衆議院外務委員会に行政協定およびその締結の際の議事録を提出し、その後、同委員会および衆議院法務委員会等において、種々質疑応答がなされている。そして行政協定自体につき国会の承認を経べきものであるとの議論もあつたが、政府は、行政協定の根拠規定を含む安全保障条約が国会の承認を経ている以上、これと別に特に行政協定につき国会の承認を経る必要はないといい、国会においては、参議院本会議において、昭和二七年三月二五日に行政協定が憲法七三条による条約であるから、同条の規定によつて国会の承認を経べきものである旨の決議案が否決され、また、衆議院本会議において、同年同月二六日に行政協定は安全保障条約三条により政府に委任された米軍の配備規律の範囲を越え、その内容は憲法七三条による国会の承認を経べきものである旨の決議案が否決されたのである。しからば、以上の事実に徴し、米軍の配備を規律する条件を規定した行政協定は、既に国会の承認を経た安全保障条約三条の委任の範囲内のものであると認められ、これにつき特に国会の承認を経なかつたからといつて、違憲無効であるとは認められない。)

 しからば、原判決が、アメリカ合衆国軍隊の駐留が憲法九条二項前段に違反し許すべからざるものと判断したのは、裁判所の司法審査権の範囲を逸脱し同条項および憲法前文の解釈を誤つたものであり、従つて、これを前提として本件刑事特別法二条を違憲無効としたことも失当であつて、この点に関する論旨は結局理由あるに帰し、原判決はその他の論旨につき判断するまでもなく、破棄を免かれない。

 よつて刑訴四一〇条一項本文、四〇五条一号、四一三条本文に従い、主文のとおり判決する。

 この判決は、裁判官田中耕太郎、同島保、同藤田八郎、同入江俊郎、同垂水克己、同河村大助、同石坂修一の補足意見および裁判官小谷勝重、同奥野健一、同高橋潔の意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

2015年6月24日 (水)

花の命は短くて  我が家で今が盛りの夏椿

我が家の夏椿は今が盛り・・・だが、咲いたと思ったら、すぐに地上へ。夏椿の花の命がこんなに短いとは。

それにしてもつぼみはまだまだたくさんあり、当分、夏椿の盛衰を見守りながら、デッキ補修に薪小屋や薪づくりの日々へ、と思っているのだが、。。。

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世の中の「情勢」が、その作業に待ったをかけています~。

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2015年6月23日 (火)

安倍政権の暴走を許さない 小雨の宇都宮で470人集会

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折々の言葉(7)

 「安倍政権の暴走を許さない!」。

きょう23日夜、宇都宮市で開かれた「戦争法案反対・9条壊すな!県民集会」。小雨の中、次々と集まってきた470人(主催した「戦争させない全国署名栃木県連絡会」発表)が気勢を上げた。参加したのは労組員や学者、弁護士、代議士、県議、市議、農家、脱原発活動家、政党役員、団体役員、看護師、自治会長、元会社員、ユニオン役員、NPO活動家など(いずれも私が知っている「ともだち」や「知人」ですが)。  

駆けつけてきたのは、地元の宇都宮はもちろんだが、佐野、鹿沼、栃木、日光の各市、茂木、塩谷など各町など県内各地から。この中にはFACEBOOK「ともだち」たちも。とくに「原発いらない栃木の会」の役員の多くの顔があったのが印象的だ。決議文は「栃木から総力をあげて戦争法制を阻止するために多様な行動を」。  

朝日新聞(23日朝刊)の調べでは、安保法案の賛否は「賛成」29%、「反対」53%と、反対が過半数を占めている。内閣の支持率も5月中旬の45%から39%と、40%割れしてきた。特に女性では支持(34%)と不支持(37%)が逆転し、女性の安倍政権離れがくっきり。

 憲法学者3人が衆院憲法審査会で全員が「憲法違反だ」と、異例の指摘を行ったことがこうした判断に直結したのだろう。実際、この会場に駆け付けた「戦争させない1000人委員会呼びかけ人」も憲法違反発言から情況が大きく変化したことを指摘していた。

 「国会は過去最大の95日間延期の9月27日まで」。そうせざるをえなくなったのも政権にとっては、まったく不利な憲法論の高まりが毎日のように。それに危機感を抱いたのだろう。会期延長は政権の延命策のつもりだろうが、「おっと!どっこい」ー。逆に東京や京都などで若者たちもついに立ち上がり始めた。「若者の怒り」はこれから加速度的に高まっていくだろう。  

とにかく安保法制が論理的に破たんしたのはもう明らか。それでも強行しようという思惑があっても、市民の反対の意思がそれを許さないだろう。戦争法案反対の世論が高まっているが、行動の方はまだまだ序曲。それが栃木県でも始まったばかりで、今夜はその象徴の集会だった。本番はこれからー。

2015年6月14日 (日)

15日は正午~16時です  古書店図書室「霧降文庫」

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お知らせ 古書店図書室「霧降文庫」の15日(月)は、時間短縮になります。正午~16時までのオープンです。

ふだんは午前11時~17時ですが、いろいろと「都合」がありで・・・。

「霧降文庫ファン」のみなさん・・・・(いるのかな?ー笑いー)、誠に申し訳ありません~

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2015年6月13日 (土)

「戦争はゴメンだ!」 佐野で14日、戦争法案反対集会・デモ

用意はしっかり~。「戦争はゴメンだ!」市民パレードー。14日(日)13時半~佐野駅南口西側の広場=ぽるぽーと交流広場から。14時半の出発で、発表によると、2・5キロのデモ。「ピースライヴ」付きの座り込みデモもあり。「まだ間に合ううちに声を」。と主催する実行委員会は呼びかける。

 自公がやっていることは、戦後の世界に日本は「海外派兵」せず、武力で他国を攻撃しない、いわゆる「専守防衛」の国から飛び出し、地球の裏側まで出かけて戦争に参加する国へ。4日の衆院憲法審査会で各党に招かれた3人の憲法学者はこんな安保法制について、こぞって「違憲」と断じた。それを今度は米軍駐留の可否の判断を示したに過ぎない最高裁の「砂川判決」を持ち出し、苦し紛れの言い訳をしている。

 その当の砂川事件弁護団は12日、「裁判の争点は日米安保に基づく米軍駐留が憲法9条に違反するかどうかに尽きている」と指摘。今回の戦争法案の「撤回を要求する」という声明を出している。衆院の論議で「後方支援」(後ろから戦う)のほころびが明確になったうえ、「集団的自衛権」を認めていない憲法を無理くり曲げて解釈し、閣議決定だと胸をそらしている。

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 わかりやすい指摘が12日の東京新聞社説に。「最高裁の判断をねじ曲げ、国会での議論の積み重ねを顧みず、憲法学者の忠告を聞かず、一内閣の判断で集団的自衛権の行使を認める。こんな憲法破壊を許しては戦後日本の平和国家としての歩みに汚点を残す」。問題の在り処をわかりやすく、ばっさりと斬っている。まるで「だだっこ」の安倍政権はいわゆる「聞く耳を持たす」だからこそ、声を上げねばなるまい

2015年6月12日 (金)

13日から「寺山修司・生誕80周年」  霧降高原の「霧降文庫」

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今年は「言葉の錬金術師」と呼ばれた寺山修司が47歳で亡くなってから33年、「生誕80周年」―。故郷・青森など各地で記念イベントが行われているが、ここ日光霧降高原の古書店図書館「霧降文庫」でも、6月のテーマ展として彼を。副題は寺山修司の名言のひとつから。「明日何が起こるかわかってしまったら、明日まで生きるたのしみがなくなってしまうことだろう」

「霧降文庫」の今週の14日(日)は戦争法案反対デモがある佐野市に向かうので、臨時休業。その代わりに週末オープンが期待されているので(そうかな?―笑いー)明日13日(土)に開きます。また15日(月)も。その他の6月は恒例の毎週とも日、月の2日間、開いております。開館時間は午前11時~午後5時。日光市所野1541-2546 0288・25・3348

(以下は「ウイキペディア」から。寺山修司のプロフィールです)

歌人からシナリオ作家へ[編集] 1954年(昭和29年)、早稲田大学教育学部国文学科(現・国語国文学科)に入学。山田太一とは同級。中城ふみ子の影響から短歌を作り始め、在学中から早稲田大学短歌会などにて歌人として活動。18歳で第2回短歌研究50首詠(後の短歌研究新人賞)受賞。混合性腎臓炎で立川の病院に入院。1955年(昭和30年)、ネフローゼと診断されて長期入院となり、翌年、在学1年足らずで退学。

処女戯曲『忘れた領分』が早稲田大学の大隈講堂「緑の詩祭」で上演され、それを観た谷川俊太郎の病院見舞いを受け、交際が始まる。1957年に第一作品集『われに五月を』、1958年に第一歌集『空には本』を刊行する。1959年、谷川の勧めでラジオドラマを書き始める。また、石原慎太郎、江藤淳、谷川俊太郎、大江健三郎、浅利慶太、永六輔、黛敏郎、福田善之らと「若い日本の会」を結成、60年安保に反対した。

1960年(昭和35年)2月、第3作目のラジオドラマ『大人狩り』が放送される。同年、浅利が旗揚げした「劇団四季」で戯曲『血は立ったまま眠っている』が上演される。また、篠田正浩監督作品のシナリオを担当し、大島渚と出会う。25歳でハツと四谷のアパートでおよそ12年ぶりに同居。

1963年(27歳)、松竹の女優だった九條と結婚し、ハツとの同居先を出る。 1960年代半ば以降からは学研の「高三コース」にて高校生の詩の選者を務めて多くの若い才能を掘り起こしたり、新書館の少女向け詩集レーベル「フォアレディース」を編んだりするなど、「青少年のカリスマ」としての位置づけを強めていく。

1963年に『現代の青春論』(『家出のすすめ』)を刊行。 「天井桟敷」結成[編集] 寺山修司のお墓 高尾霊園A区 Google maps 1967年(昭和42年)1月1日、劇団「天井桟敷」を結成。4月18日、草月アートセンターで旗揚げ公演『青森県のせむし男』を上演。6月、新宿末広亭で第2回公演『大山デブコの犯罪』。アートシアター新宿文化で第3回公演『毛皮のマリー』。同作に出演した美輪明宏は、この頃の寺山を「あまりにもシャイで、人の目をみて話せない男」と評している。 3月、評論集『書を捨てよ、町へ出よう』が刊行される。33歳で九條と別居。

1969年(昭和44年)、西ドイツ・フランクフルトの『国際実験演劇祭』に招かれ、『毛皮のマリー』『犬神』を初の海外公演。カルメン・マキ「時には母のない子のように」の作詞を手がける。 1970年(昭和45年)3月24日、漫画『あしたのジョー』の登場人物、力石徹の葬儀で葬儀委員長を務める。

34歳で九條と離婚。離婚後も九條は晩年の寺山のよき協力者となった。 1971年(昭和46年)、『書を捨てよ、町へ出よう』で劇映画に進出。サンレモ映画祭でグランプリを獲得。フランスのニースで作家ル・クレジオと2日間語り明かす。ロッテルダム国際詩人祭に出席し、詩を朗読。フランスナンシーの演劇祭で『人力飛行機ソロモン』、『邪宗門』公演。ベルリンのフォーラム・シアターで『邪宗門』公演。ベオグラード国際演劇祭で『邪宗門』がグランプリ受賞。 1974年(昭和49年)、映画『田園に死す』が公開され、文化庁芸術祭奨励新人賞、芸術選奨新人賞を受賞。

1975年(昭和50年)、杉並区内で上演された市街劇『ノック』が住民の通報により警察沙汰となる。 1979年(昭和54年)、肝硬変で入院。 1980年(昭和55年)、渋谷区内で取材中、アパート敷地に住居侵入したとして逮捕され、略式起訴された(この時の身元引受人は矢崎泰久[2]。「のぞき現行犯」と報道された)。

1981年(昭和56年)、肝硬変の再発で再入院。 1982年(昭和57年)、朝日新聞に詩『懐かしのわが家』を発表。パリで「天井桟敷」最後の海外公演を行い、『奴婢訓』を上演。 1983年(昭和58年)、東京都杉並区永福在住中、阿佐ヶ谷の河北総合病院に肝硬変のため入院。腹膜炎を併発し、敗血症で死去。47歳没。戒名は天游光院法帰修映居士。

没後[編集] 1995年(平成7年)、十三回忌を記念して、砂子屋書房が寺山修司短歌賞を開始。 1997年(平成9年)、青森県三沢市に寺山修司記念館が建てられた。2008年(平成20年)2月、生前未発表の短歌が田中未知編纂により『月蝕書簡』(岩波書店)として刊行された。 年譜[編集] 寺山修司記念館(青森県三沢市) •

1935年(昭和10年)12月10日 青森県生まれ。 • 1941年(昭和16年) 青森県八戸市へ転居。 • 1942年(昭和17年) 青森市立橋本尋常小学校(現:橋本小学校)入学。 • 1948年(昭和23年) 古間木中学校(青森県三沢市)入学。秋、青森市立野脇中学校に転校。 • 1951年(昭和26年) 青森県立青森高等学校進学。 • 1954年(昭和29年) 早稲田大学教育学部国文学科(現・国語国文学科)に入学。第2回短歌研究50首詠(後の短歌研究新人賞)受賞。 • 1967年(昭和42年)1月1日 「天井桟敷」を結成。 • 1974年(昭和49年) 映画『田園に死す』で文化庁芸術祭奨励新人賞、芸術選奨新人賞を受賞。 • 1983年(昭和58年) 肝硬変のため入院。腹膜炎を併発し、敗血症で死去。47歳没

2015年6月 9日 (火)

財産没収、市民権剥奪、懸賞金・・・アインシュタインにナチスがー

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1933年1月、ヒトラーが政権を握り、アメリカ旅行中のアインシュタインは、その年の3月11日に「私は家に帰りません」と公表します。その9日後、ナチスの突撃隊がアインシュタインの家を隠匿武器捜索の名目で家宅捜索しましたが、見出したのはパン切り包丁ひとつでした。アインシュタインは財産没収、市民権剥奪の状態で、首に5万マルクの懸賞金をかけられたと伝えられています。ドイツ国内の反ユダヤ主義運動は、1920年代に世界の物理学リードしたドイツ物理学を壊滅させました。

「原子・原子核・原子力 わたしが講義で伝えたかったこと 」(山本義隆、岩波書店、2015年3月24日第一刷)。  

ユダヤ人の両親から生まれた相対性理論で知られるアルベルト・アインシュタイン(1879年3月14日 - 1955年4月18日).。彼はナチスの迫害を受けていたことはよく知らている。だが、ここまで迫害されていたとは。財産没収、市民権剥奪、それに首に懸賞金―。科学者の受難についても、この「原子・原子核・原子力」の本でしっかりと。2015年6月9日の夜、読み進めていたら、ナチスに関することについても。「第七章 原爆と原発」まで進むためには、この「第4章 アインシュタインと光子仮説」も通らないといけない~。だが、正直、数式はすっ飛ばしているので、どこまで理解できたか?~と自問自答しながらの読書です。

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2015年6月 8日 (月)

その「効能」はどうなることやら? 「非電化除湿器」始動へ

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「非電化工房」(那須)で6日に購入した非電化除湿器。台座をつけて「完成」-。8日、日光霧降高原の古書店兼図書室「霧降文庫」ベランダで。この青い色が濃いピンクになると「満タン」に。天日ケースに入れ、太陽光で蒸発させる。どのくらいの時間で満タンに?。容量は?、蒸発時間は?・・・などはいずれも実際に使ってみてからにー。さて、どんな結果になるやら~。

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2015年6月 7日 (日)

脱原発時代の暮らし方 「非電化工房見学会」へ14人で

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非電化工房」(那須町、藤村靖之代表)の見学会に行ってきました。ようは脱原発時代の「新しい暮らし方・ライフスタイル・仕事の方法」などを「非電化」の発想を土台に情報を共有し、その刺激を自らや仲間たちに活かしてゆく、そんな「自主講座」だったと思います。

 当日は6日午後13時から17時までの予定が、藤村さんの熱の入った「講義」と参加した14人の熱い「傾聴」と質疑応答で、1時間オーバーの18時までも。最後に藤村さんを囲み、主催した「さよなら原発!日光の会」のメンバーらで記念撮影し、充実した一日を終えたのでしたー。

 1万坪ある「非電化工房」での弟子たちとの生活、「非電化」のゆったりした暮らし方、その実践例としての6万円から10万円の暮らし、「月3万円ビジネス」のさまざまな方法、それが今や15版という思わぬ評判を呼び、「続 月3万円ビジネス」が7月下旬?にも初版1万部(なんという大胆な初版ー)で!発刊されること、

...

 美味しい珈琲の入れ方、3年がかりで弟子たちの手でコツコツと作って、つい5月にオープンさせた美しい「非電化カフェ」(光はローソクやカンテラ)、そのモデルが「世界一貧しい」アフリカ・ジンバブエの典型的な家の形だということ(現代の美意識の基準について、考えさせられる実例~)

 もちろん、非電化除湿器(夏の湿気が特に多い霧降高原に暮らす私は即、購入してしまいました~。これで7日から我が家に残る電化製品は冷蔵庫と洗濯機のみに)、非電化冷蔵庫の仕組み、ソーラードライフード製造器、非電化コンポストなどなど・・・

 セミナー会場でもある母屋、さまざまな非電化製品などがあちこちの「アトリエ」、太陽光をうまく蓄熱できる「非電化グリンハウス」、フィンランド製の太陽電池を採り入れた組み立てガーデンハウスーそれらの一つひとつ、ガイド役である「非電化工房副代表」の案内を受けながら楽しく見聞きしたのです。

 そのうえで藤村さんの爆笑を誘いながら、現代の暮らし方を問い、世界や地方のその最前線の取り組みのケースを伝える、とってもためになる「講義」が、実に2時間以上も。LEDファシズム論、格差問題へ言及やメガソーラーの全面批判、農園付き別荘地計画など、いかにも藤村さんらしい講話ではありました

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2015年6月 6日 (土)

7日、8日とおーぷんしています  古書店図書館「霧降文庫」

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日光霧降高原の古書店図書室「霧降文庫」は、7日(日)、8日(月)とオープンしています。午前11時~午後5時。緑の季節のゆったりした「じかん」を、もてなしの可否を片手にJAZZを聴きながら、古書や図書に親しんでくださいー

「霧降文庫」

日光市所野1541-2546

0288-25-3348

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2015年6月 5日 (金)

戦争法案は認めないー。日光市中心部で街頭署名

戦争法案は認めない~-。「戦争をさせない」の意思を込め、「戦争をさせない全国署名栃木県連絡会」と「にっこう九条の会」が共催し、日光市中心部のスーパー「かましん今市店」裏手入り口で、5日(金)午後1時半から3時まで、街頭署名を行いました。

 「集団的自衛権」行使容認の閣議決定の撤回をー。呼び掛けは1時間半。次々とマイクを手にした「リレートーク」や反戦歌、さらに「アメージング・グレイス」の美しい声が響き渡る中で寄せられた署名は117筆。安保法制反対の声の大きさを実感しました。

 参加したのは県議の平木ちさこさん(「戦争をさせない全国署名栃木県連絡会呼びかけ人)や同連絡会事務局で栃木県平和運動センター事務局長の福田宏至さん、

 日光市議の福田悦子さん、同・阿部和子さん、若いお母さんや声楽家、美術家、ペンション経営者、労働組合役員、自給自足家、技術士、「戦争をさせない全国署名栃木県連絡会」呼びかけ人でもある防災士の私など。

...

 16人のうち、15人は私もそうですが、「さよなら原発!日光の会」と「原発いらない栃木の会」の会員でもありました~。脱原発は、そのまま戦争法案反対になるのですねーImg_1427


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2015年6月 3日 (水)

「非電化工房見学会」締切迫る~ 専用バス乗車は4日夜まで

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6日(土)企画・「非電化工房見学会」(那須町)の参加締切があと1日に迫りました。専用バス乗車希望は4日夜8時(20時)で締め切ります。

「どうしようかな?」と考えているお方は、ぜひ、この機会に「新しい暮し」のヒントが満載の「非電化工房見学会」へ、と呼び掛けます。

脱原発社会をめざす市民団体「さよなら原発!日光の会」(会員116人)主催の「自主講座」のひとつです。

発明家・「非電化工房」代表、藤村靖之さん(「非電化思考のすすめ」など著書多数)のセミナーで、膝を合わせて語り合うタイムもありますよー。

問合せは私・富岡洋一郎へ。(0288-25-3348)


バスの行程は
★10時 日光商工会議所前
★10時20分 今市水戸屋寿司前
★11時 塩谷町「道の駅」...

これから那須町へ~
★12時半すぎ 「非電化工房」着

見学会日程
★13時 「非電化工房見学会」スタート
ガイド付き非電化工房見学・藤村代表セミナー・懇親会
★17時 終了予定・帰路へ

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