「おとといおいで」、葬るしかない戦争法案 折々の言葉(13)
折々の言葉(13)
「おとといおいで」、葬るしかない憲法違反の与党の戦争法案
「現行憲法には国民の憲法尊重擁護義務規定が存在しません。当たり前ですが、それは制定主体が国民自身だからです。自分が制定したものを遵守しないはずがない。という自明の理によって国民の憲法尊重義務規定は言い落されている。でも、自民党改憲案はうっかりそれを書き足したことによって、この憲法の制約主体が国民でないことを自分で暴露してしまった」(『憲法の「空語」を充たすために』内田樹 かもがわ出版 2014年8月15日)。
文中、「この憲法から・・・暴露してしまった」までは筆者が強調している)
ここである「うっかり書き足してしまった」とあるのは、「全て国民はこの憲法を尊重しなければならない」という自民党改憲案の102条。憲法尊重義務は、現行では公務員なのだが、それを全国民に拡大してしまった。ここから、この本の著者、内田樹は以下のように指摘する。
「 おそらく、この条文に基づいて、『自民党憲法を守ろう』という護憲集会に対して反対する政治的意見はそれ自体が憲法違反だとして抑圧されることになるでしょう。・・・自民党憲法下では憲法批判の自由は国民にはもう許されません。「公益及び公の秩序を害する目的」でなされたと政府が判断すれば、言論の自由を要求することは誰にもできなくなるからです」
いやはや、自分たちの、自民党の憲法改正案では「すべて国民はこの憲法を尊重しなければならない」と、義務規定を設けているのに、それほど憲法は大事だとしているのに、 憲法9条違反が明らかな安保法制を成立させようとしている。衆院憲法審査会に呼んだ憲法学者、それも与党も含めた憲法学者がこいずれも「憲法違反」だと指摘。予期しない発言に自民党は真っ青―。合憲だとする根拠は砂川事件最高裁判決(1959年12月)だが、 全文を読めば、そこに集団的自衛権の根拠になる判示、判断はなされていないことはすぐにわかる。
その意味も含めて、つまり、自民党改憲案が「憲法尊重」を国民にまで(本来の制定主体なのだが、いや、実際の今の憲法はそうなっている)、求めていることも含めて、今の憲法に違反する、具体的には憲法9条に違反する戦争法案を成立させようとする発想、行動の罪は重いものがある。「後方支援は後ろから戦争に参加することだ」などの筋がしっかりした批判もあるが、要は、憲法に違反した法案は提出する資格がない。「おとといおいで」みたいな感じであり、葬る、廃案にするしかない。実際、これから7月、8月と、その声はさらに大きく高まってゆくことだろう(2015年7月3日)
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