集団的自衛権は論理的に破たんしている 状況のことば(19)
この決まりだけは勝手に変えられないおきてである憲法を私物化し、その憲法に違反するという世論をまったく無視して強行採決した戦争法案、自分だけが正しいと思い込み、我が世の春と、おごりたかぶった安倍政権ー。世の中、そんなに甘くないのが歴史の教えるところ。国民は,市民は、庶民は、いつまでも、なめられているわけにいかんのさ。
集団的自衛権はもう論理的に破たんしている」
集団的自衛権は国際法で認められているのは明らかだが、憲法9条を持つ日本はそれを使わない、世界に対し、そういう国の構えを示してきた、ということを内閣の解釈してきたのは常識の範囲内ですね。そのため安倍政権は「米軍の駐留は違憲」という伊達東京地裁判決(1959年3月)をくつがえすための砂川最高裁判決(1959年12月)で集団的自衛権が認められるという苦肉策を打ち出したが、砂川判決全文の縦も横も、どこを読んでも、集団的自衛権など、ありはしない。もともと争点は駐留する米軍が9条で禁じている「戦力」かどうかなのだから。
つまり、黒を白、あるいはハンカチから鳩を出すような目くらましの手品で集団的自衛権・安保法制を正当化しようしている。まさに若者が叫んでいるように「へりくつ言うな」。だから、集団的自衛権はすでに論理的に歴史的に破たんしており、もう論外のことだ。国力がある日本がこの9条を守って(硝子細工のような仕組みで自衛隊を合憲としてきているが)いることが、どんなに世界に誇れることか。世界に出掛け...ているNGOがそれにいかに助けられていることか。アフガニスタンの「ペシャワール会」などが典型だ(私も会員だが)。
かっての侵略国が非侵国、戦争を仕掛けない国として、位置づけられているからこその、親愛される国に。いたずらにロシア、中国、韓国の脅威をあおっている知ったかぶりな方が多いが、集団的自衛権に乗り出すことのほうがさらに脅威を育てることを知らないのだろうか。いずれも米軍が仕掛けたベトナム戦争といい、、結局、失政を明かにしたイラク戦争といい、その総括もできていない日本が、今度は海外へ?。そんな資格などないでしょう。
今回の集団的自衛権が認められないことは100%明らかだが、これを機会にベトナム戦争やイラク戦争を徹底的に総括したうえ、日本のような構えの国を増やしてゆくアジアの平和国際ネットワークづくりに乗り出すなど、新たなほんものの「平和・安全」構想づくりが求められる、そういう環境づくりをすることこそ、戦後70年を経た日本の役割ではないのだろうか。安倍政権の「平和・安全法制」は、どこからチェックしても、まるっきりの「戦争法案」だがー。
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