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2015年8月

2015年8月29日 (土)

9月4日の街頭署名は延期  歴史的な「10万人集会でも」をにらみ

9月4日(金)の日光戦争反対街頭署名を延期します。

「戦争させない全国署名栃木県連絡会・日光」が呼びかけていた9月4日(金)の戦争法案反対街頭署名は、都合により、延期いたします。

6月、7月、そして敗戦記念日の8月15日と、街頭署名をやってきました。9月も会期末の9月27日を視点に、次へと。しかし、8月30日(日)は、東京で歴史的な「戦争反対10万人集会でも」があります。その成果、状況、波紋をにらみながら、別の「行動」を設定したいと考えています。

2015年8月28日 (金)

「序説第22号」総会は29日  総会資料は12枚にも

 Img_2804_3 社会派同人誌「序説 第22号」総会資料、ようやくできあがる。明日29日(土)、栃木県那珂川町であるのです。仲間うちなので、口頭でもかまわないのだが、いちおう「記録」として、残しておくために。

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整理していたら、1年前に陸前高田市の詩人から「創刊40周年祝金5000円」の寄贈を受けていたことを思い出しました。その5000円に昨日、「対面」したのです~。「あっ!、そういえば」と。1年間、封をしていたのですね。ふ~ん、「なかなか、余裕だね」。と、独り言を口にしていたのです(笑い)。

 

さらにきょう29日に4枚を加え、総会資料は計12枚も。同人にいろいろと伝えたいことがあるのですねー

2015年8月27日 (木)

折々の<状況>は、こんな経緯から  「序説第22号」あとがき

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あとがき  
  同人誌「序説 第22号」(私・黒川純が事務局)の今号に「折々の<状況> その(1)」を投稿した。朝日新聞1面で始まった哲学者・鷲田清一さんの連載「折々のことば」にならった、触発された題名だ。 鷲田さんのようにはいかないが、書籍や新聞、世間の話題などで気になった、ためになる、あるいは、覚えておきたい、批判したい言葉や現象、思想にコメントをつけてみたいー、ふと、そのように考えたから。
 
 毎日のように応答しているFACEBOOKや私のBLOG「懐かしい未来」では、短い書評的なことが多かった。このため、最初の題名は「折々の言葉」としていた。
 
   ところが、途中で、私が代表や幹事を務めている市民団体「さよなら原発!日光の会」や「さようなら原発!栃木アクション」の会報やチラシ・ポスター、パブリックコメント、あるいは私が運営している古書店図書室「霧降文庫」の企画テーマやイベントの呼び掛けなどが入るようになってきた。さらに初夏から7月16日の与党だけで採決した安保法制問題が重なってきた。
 
 いわば、毎日起きている政治・社会現象にいやでも向き合わざるをえなくなってきた。実際、それに対抗する街頭活動なども行ってきているが、題材や内容が、「言葉」では表現できなくなってきた。主題と内容にずれがどうも生じるように。それで「折々の情況」とか「情況の言葉」とかに変えようか、そうも思うようになっていた。
 
  結局、あれこれと次々と起こる、折々のことに対して、かなりリアルタイムに言葉を示してみせる「状況」、それも少し構えてみせる<状況>を組み合わせることにしてみた。となると、今号だけの一回で終わるはずもない。原稿の締め切りが終わっても、「折々の<状況>」を書きつづっていくことになる。そのため、あえて、連載になるだろうことを示唆したような表題となった。
 
  ・・・それにしても、こんなに安保法制と<格闘>しようとはー。これに取り組むだろうことは、もともとうすうす感じてはいた。しかし、「違憲」であることは明白である安保法制の内容もそうだが、ごう慢を絵に描いたような安倍内閣の姿勢―。それに対するごく自然な当たり前の怒りが重なり、「折々の<状況>」の後段は思わず、安保法制をめぐる情況と批判が大半を占めてしまった。
 
 次回は、「懐かしい未来」をめぐる<状況>、いわば形を変えた『ぼくらの民主主義なんだぜ』(高橋源一郎)的なエッセイになれますように。乞うご期待―(笑い)
(富岡洋一郎)

2015年8月26日 (水)

いい雰囲気の記念写真 第4回総会・記念講演会を終えて

いい雰囲気の記念写真なので、一枚アップ。講演「5アンペア生活をやってみた」(8月22日、「さよなら原発!日光の会」第4回総会記念、日光市中央公民館中ホール)の講師、斎藤健一郎・朝日新聞記者(名古屋)を囲んで、「歓迎慰労打ち上げ会」。
 
 その乾杯場面。会場は映画「フーテンの寅」のポスターが似合う日光の有名な頑固おやじの居酒屋です。
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2015年8月25日 (火)

9月3日(木)から再開します  古書店図書室「霧降文庫」 

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 7月26日から「バカンス」に入っていた古書店図書室「霧降文庫」(日光霧降高原)を再開させす。夏の8月は月末までもさまざまに多忙のため、再開は9月から。それも3日(木)、4日(金)から。
 
 
 「読書の秋」が始まる9月から、なるべく、週末の土、日にオープンしようと、思います。ですが、みなさんと同じく、週末は、戦争法案反対集会、脱原発市民団体集会とデモと現地視察など、それに自治会の用事などが入っており、なかなかオープンが難しいことに。
 
 
 それでも、なるべく、暮らしている霧降高原で「霧降文庫」を開き、良書をみなさんの手にー。数少ない「霧降文庫」ファンのためにも。気軽に立ち寄り、香り高い可否を味わいながら、古書の世界へ。そう思っているのです。
 
 
 ということで、オープンできる週末を中心に以下の日程で。
9月の企画は9月に入ってから考えることにします(おいおいとは思っていますー笑いー)
オープンします。以下の日程で。
 
 9月3日(木)
   4日(金)
   12日(土)
   13日(日)
   19日(土)
   20日(日)
   21日(月)ー祝日ー
   22日(火)ー祝日ー
   26日(土)(まだ未定)
   27日(日)(まだ未定)
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2015年8月24日 (月)

声を大に訴える「嬉しさ」が   戦争反対、宇都宮で2000人  

折々の<状況> その30

 「戦争反対」「憲法守れ」を笑顔で、大声で。「私たちが主権だ」、「私たちが国民だ」。「私たちが民主主義だ」・・・それらを伝えられる嬉しさが集会で、街頭にあふれた。そんな戦争法案反対集会街頭行動だった。

 

 主催者発表が「2000人」。しかし、現場にいると、それ以上に参加していたと思える集会とデモだった。23日、宇都宮城址公園での「平和憲法を守り戦争法案反対する栃木県民パレード」(栃木県弁護士会主催)。

 

天候も集会日和だったのと、参加者の熱気がかなりあったこと、若い人や中年参加者、働き盛りの市民の参加が目立っていた。プラカードにもさまざまな工夫が。それぞれの意気込みがわかる。

 なにより、「戦争反対」「憲法守れ」。それを大きく語ることができた喜びが。私は、先頭から最後列まで、写真を撮っていたが、笑顔が次々と。

 

 東京では、いよいよ「眠れる獅子」、国内最大のナショナルセンターである「連合」(682万人)が国会前集会を大々的に。主催者発表では市民も含めて1万4000人。反安倍で。いよいよ、流れがさらに反戦争法案へ。

 

 この戦争法案反対の潮の流れが変わったのが、憲法審査会で、3人の憲法学者がいずれも「違憲」と断じたとき。これは「えらいことになるなー」と、思っていたら、案の定だった。それに若者たち、それも20代、10代が立ち上がり始めた。60年安保、70年安保以来のことだ。

 

 さらにイメージとしては、民主党右派の思潮が主流と思える「連合」も加わったことで、一気に「打倒安倍」の風が。その流れに大きく向かうかどうか。いずれにしろ、組織労働者の大半は、反安倍で決まり、参院審議はさらに「熱気」を増すことは確実だ。

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2015年8月23日 (日)

まるで落語会のように楽しく  講演会「5アンペア生活をやってみた」。

Img_2601 講演会「5アンペア生活をやってみた」。

斎藤健一郎・朝日新聞記者がはるばる名古屋から日光へ。22日、「さよなら原発!日光の会」第4回記念講演会で。2

時間弱たっぷりと、夫婦でも毎月の電気代195円の<世界>を、まるで落語会のように楽しくためになる話を実践的に。

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本人も会場の懸命な雰囲気に感激し、熱弁。無料にしたのかよくなかったのか、参加者は大いに想定を下回ってしまった。いい講演だったと、口々に。

「歓迎慰労打ち上げ会」には斎藤記者を囲みながら、7人が。なごやかに講演の続きの質問を次々と。そのまま、二次会、三次会へと流れていったのでした

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2015年8月21日 (金)

22日です・「5アンペア生活をやってみた」 「さよなら原発!日光の会」第4回総会・記念講演会

 「さよなら原発!日光の会」第四回総会・記念講演会は、22日(土)午後1時半から、日光市中央公民館中ホール(平ケ崎)で、総会、午後2時45分から、記念講演会「5アンペア生活をやってみた」(講師・斎藤健一郎朝日新聞記者)。夕方5時まで。入場無料です。
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Photo 電力会社の電気に頼らず、どこまで暮らせるのか。一人暮しの朝日新聞記者の「5アンペア生活」。昨夏から伴侶が加わり、夫婦でも5アンペアを続けている。スイッチ一つで済ませていた暮しの一コマ一コマを、少しだけ人の手に返してやればいい~。東日本大震災・東京電力福島第一原発事故をきっかけに、身の回りにあふれる家電製品と決別して、始めた節電生活、無理せず、楽しく快適に。創意と工夫で手に入れた豊かで人間らしい生き方とはー。実践的な非電化の暮らし方について、失敗談も交え、その教訓や方法などを語っていただきます。
 
   当日の総会の情勢報告は以下の通り。
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市民団体「さよなら原発!日光の会」           2015・8・22 

情勢報告 

1 「原発回帰」の川内原発(鹿児島県)再稼動

九州電力川内原発1号機(鹿児島)が8月11日、再稼動した。「3・11」から4年半、関西電力大飯原発4号機(福井県)が定期点検で停止、国内すべての原発が止まってから1年11カ月ぶり。福島第一原発事故で47都道府県にちりぢりになった「原発難民」は今も約11万人。福島の惨状に目をそむけた再稼動であり、強く抗議する。

 

2 「安全神話」は、誰も責任をとらない仕組みでスタート

安倍首相は「原子力規制委員会によって安全が確認された原発は再稼動する」、田中規制委員長は「絶対安全とは申し上げない」、菅官房長官は「再稼動の責任は事業者」。それぞれが「あなた任せ」、「他人事」であり、誰も責任をとらない。新たな「安全神話」は、無責任さがまかり通った危うい仕組みのうえに成り立っている。

 

3 最新の世論調査で、川内原発再稼動「反対」57%、「賛成」30%

毎日新聞が8月8,9日両日行った全国世論調査によると、川内原発再稼動に「賛成」は30%、「反対」は57%だった(安倍内閣の支持率は3ポイント減の32%、不支持率は2ポイント減の49%)。川内原発再稼動について、内閣不支持層では、「反対」が74%にのぼり、「賛成」は18%だった。

 

4 東電元幹部の刑事責任が初めて裁判で問われることに

福島原発原告団の告訴を受けて、東京第五検察審査会は7月31日、東電の元会長と元副社長2人の計3人について、業務上過失致死傷罪で強制的に起訴すべきだと、2度目の議決を公表した。今後、検察官役の弁護士が起訴し、裁判が始まる。福島第一原発事故で刑事責任が問われるのは初めて。「あの事故で誰も責任が問われないのは、おかしい」。それが形を示した歓迎すべき画期的な察審査会の判断だ。

 

5 2030年度の電源構成の原発は福島の事故から学ばない「20~22%」

経済産業省は7月16日、2030年度の電源構成(エネルギーミックス)を原案通り正式に決めた。そのうち原発は、運転を60年にするか、新設・増設などを前提にしないとその数字にならない「20~22%」としている。私たちは7月1日、パブリックコメントで厳しく批判、電源構成案を直ちに撤回するよう求めた。

 

6 少しずつ下がってきているが、日光市では今も放射能汚染が続いている

空間放射線量については、日光市が観測した公表によると、年月の経過で確実に下がっていることが視てとれる。小中学校や保育園の一部で0・12~0・10μ㏜があるものの、大半は0・10以下になってきている。しかし、本会による今年の晩春から初夏の空間放射線量測定では、まだ、一部だが、平均値0・20、最大値で0・3μ㏜毎時(基準値年間1m㏜)が観測される箇所もあり、汚染状況は続いている。

 

7 日光市でも心配される子供たちの甲状腺ガン

甲状腺超音波検査。日光市では、2013年度は申し込み2418人のうち、1713人が受検した。そのうち「B」判定18人、直ちに精密検査が必要な「C」判定3人。2014年度は1513人が申し込み、1311人が受検。結果は「B」判定が前年度と同じく18人、「C」判定は1人。2015年度も8月と2016年1月に予定されているが、今のところ1161人が申し込んでいるという。

 

8 指定廃棄物最終処分は政府と「東電がきちんと責任を果たすべきだ」

日光市に隣接する塩谷町の素晴らしい水源地が選定されているが、町長を先頭に断固反対の姿勢でいる。私たちも昨冬、現地を視察、選定反対の方針を確認している。放射能汚染の全国的な拡散は許されず、ゴミを出した当事者がとっとと持ち帰るのがスジであるのは論を待たない。事故を起こした政府と東電が「きちんと責任を果たすべきである」。

 

 省エネ、節電、再生可能エネルギー創出の「新しい暮らし方」が

本日の記念講演会「5アンペア生活をやってみた」(斎藤健一郎さん)の知恵から学ぶなど、身近な省ネ・節電を意識的に進めるほか、小水力、太陽光、風力など再生可能エネルギーに眼を向けた「3・11以後」の「新しい暮し方」を取り込んでいく時代に直面している。

 

10 東海第二原発事故に対応する「日光市避難計画」はー

国は防災重点区域を30キロ圏に広げ、圏内の病院などにも避難計画づくりを求めている。しかし、避難計画について、川内原発の10キロ圏の17の医療機関と社会福祉施設はつくったが、10~30キロ圏の227施設はつくっていない。30キロ圏9市町村の避難計画はあるが、最新の避難訓練は行われていない。さて、日光市ではー。

 

11 「国民が権威」であることをわきまえない時代錯誤の政治判断

日本国憲法前文は「国政は国民の厳粛な信託により、その権威は国民に由来する」とする。国民が意思を示し、それを国政が尊び、くみ取る相互作用が国のかたちをつくる。政治判断の権威は国民に起源がある。脱原発を志向する国民の意思に反する今の政治判断は、国民に由来する権威の裏打ちがない。「原子炉のブレーキ役である制御棒にあたる権力の制御棒は、いうまでもなく日本国憲法だ」。私たちは自信を持って脱原発の運動を進めてゆく。

参考資料(順不同)

●朝日新聞(8月12日朝刊1面) リスク抱え原発再稼動

●朝日新聞(8月12日朝刊12面) 社説 原発再稼動 川内をひな型にするな

●朝日新聞(8月16日) 社説 戦後70年に問う 個人を尊重する国の約束

●東京新聞(8月11日) 社説 誰が責任を負うのか 原発ゼロが終わる日に

●福島原発告訴団(8月1日) 東電元3幹部強制起訴へ!

●朝日新聞デジタル(8月1日) 社説 原発事故起訴 新たな検証の機会に

●朝日新聞デジタル(8月1日)東電元会長ら強制起訴へ 検察審が再議決 福島原発事故

●毎日新聞(8月9日) 本社世論調査 川内原発再稼動に反対57%

●朝日新聞(7月16日 朝刊7面) 2030年度電源構成 経産省決定

●「さよなら原発!日光の会」(7月1日) エネルギーミックス案 パブコメ

原発社会に戻ろうとする2030年度「エネルギーミックス」案は撤回を

●朝日新聞デジタル(8月12日) 時々刻々 原発再稼動、責任あいまい、反対世論に警戒感

●「新しい日光」(8月2日 第2177) 夏休みを利用し、甲状腺超音波検査が

●日光市ホームページ(7月14日更新) 放射性物質対策事業 平成27年度日光市甲状腺検査を実施します

●日光市ホームページ(健康福祉部健康課) 平成26年度甲状腺検査結果報告

日光市ホームページ(学校教育課) 放射線測定の公表について

平成24年10月15日~10月25日

同24年10月24日~11月1日

同25年8月5日~8月16日

同27年8月5日~8月14日

 

「さよなら原発!日光の会」(8月11日) 2013年―2015年 市内放射線測定結果

東京新聞(6月18日 24面) 国の姿勢に批判噴出 二度目の候補地―指定廃棄物の行方―

●塩谷町ホームページ 候補地選定までの経緯と現状

塩谷町民同盟会FACEBOOK(7月29日) 8月29日に3000人集会!

「さよなら原発!日光の会」(2014年8月29日) 第3回総会決議

「さよなら原発!日光の会」(2014年8月29日) 第3回総会情勢報告

「さよなら原発!日光の会」 第4回総会記念講演会チラシ・ポスター

●東京新聞(8月12日 23面) 本音のコラム 制御棒な

2015年8月16日 (日)

署名をする人は<いい顔>でした  戦争法案反対街頭行動in宇都宮

Img_2553 折々の<状況> その30
 昨日・15日の日光に続いて、きょうも「戦争法案反対全国署名」の街頭署名活動ー。ただし、場所は宇都宮の繁華街、二荒山神社前。栃木県連絡会の共同代表である太田うるおう弁護士や県平和運動センター、社民党県本部、自治労県本部の役員など私も含めて、わずかに6人。そろそろと始めていたところに強力な助っ人が現る(飛び入りで)。
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 この広場で「レゲエの神様」と呼ばれているミュージシャンがやってくるので、家族でやってきたという、おおぬきさん。昨日も日光で同じ街頭署名をした仲間だが、ともに観光地の反応の悪さにがっくりしていたところ。結果的に前日の日光で「鍛えられた」ので、宇都宮ではさらに声掛けを。
 
 すると、意外にそれなりに。帰省や演奏会などでやってきた東京都、福島県、静岡県などの人たちが積極的に署名に応じてくれていた。最後は「頑張って」の激励も(おおぬきさんが署名をいただいた人は、30日の国会前の大集会にも参加すると言っていたといいう)。私とおおぬきさんの2人だけで27人の署名が集まりました(15日の日光は7人で21人)。
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 もちろん、戦争法案にかかわりたくないという様子を歩く姿で最初から示していた人が多かった。でも、署名に応じてくれる人もそれなりに。その人たちに共通するのは、<眼線>がしっかりしている、<眼線>にぶれがないというかー、いわば、ふだんの意思が顔の表情の<豊かさ>に示されている。これは例外がなかった。つまり、<いい顔>をしていたのです。
 
 戦争法案問題を危ういと思っている人は、ふだんの生活でも、いわゆるしっかりした姿勢で毎日を生きているのだろうなー、そう思わされたのでありました。この感じは、石巻や南三陸のボランティアで現地に入った際に、そこで出会った人たちと同じ感じ、雰囲気でありました。災害ボランティアたちは、それぞれ一様に<いい顔>をしていたのです。いや、ほんとー
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2015年8月15日 (土)

日光観光地の中心地点で街頭活動 「戦争法案反対全国署名」で

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戦争をしない国から戦争をする国へ、世界に知られる、世界に誇る国の姿を変えてしまう戦争法案に反対する全国規模の街頭署名活動を、終戦・敗戦記念日のその日、8月15日、この観光地、日光の松原町交差点でやりました。「戦争させない全国署名栃木県連絡会」が。参加したのは、7人。平木ちさ子栃木県議、阿部和子日光市議など、いずれも脱原発の市民団体「さよなら原発!日光の会」のメンバーでもありましたー

 

2015年8月14日 (金)

「うまく生きる」と「よく生きる」   黒川純「序説第22号」編集後記

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ランキングの順位が急降下しているので、ぜひ、「励まし」の「ポチッ」をランキングで御確認ください、13日現在では第25位ですー。
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黒川純 
 
  私の好きな哲学者・鷲田清一さんが、朝日新聞1面で「折々のことば」を毎日書いている。<なるほど~>、そう思うことばかりでもないが、5月17日の第46回は、読後感があった。いわゆる膝を打つ、典型的な内容だろう。
 
 「うまく生きる」ことには役立ちません(たぶん)。けれども「よく生きる」ためには欠かせないものです(ぜったい)。大嶋義実
 
 音楽のことを言っている。子どものための音楽教室を開いているフルート奏者のことば。音楽を勧める理由にも引かれるが、括弧内の挿入が、主旋律に絡む軽やかな装飾音のようですばらしい。音楽家らしく、文章のリズムも抑揚も心地よい。このフレーズ、多用は無用だが(たぶん)、でも、いろんなケースで使える(ぜったい)
 
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 紙面を手に、思わず、微笑んでしまった。というか、<これは面白い言い方だね~、鷲田さんが引用を展開した(たぶん)も(ぜったい)も座布団一枚差し上げたい>、そう感心してしまった。対象は音楽のことだが、それ以外のどんな場面でも実際、当てはまりそうなフレーズだと思えた。例えば、私たちの同人誌『序説』などはそれにぴったりかもしれない。はた!と思えたのだったー。
 
「序説」は、一年に一度だけ会費を出し合い、発刊してきている。今年は四半世紀ぶりに復刊してから10年目の「復刊10周年記念号」。ときおり市販することもあるが、基本は分け与えてしまう頒布だ。一部はいわゆる「文学館」などに寄贈しているが、だいたいが「友人」や「知人」など、自分たちの関係者の手に渡るだけ。これを発刊することで「うまく生きる」ことには、とても役立つそうにない。(たぶん)というより、(まったく)、そのほうが似合っているかもしれない。
 
 お互いに若者時代の生活や人柄、思想的な背景を承知している。そのうえで、毎回、示される原稿に新たな<知見>を覚えるのだ。「おっ、そうきたのか」「そんなに考えるようになったのだね」「これは知っておくべき情報だ」「そこまで突っ込んで批判するのか」「そんなことが悩みの種なのだね」「どうしたらそんなうまい展開の言葉を」「そこにこだわっているのか」などなど。
 
さらに発刊するその直前に同人が、関東地方を中心に基本的に一同に会して、「発刊記念会」という呑み会をやっている。夜遅くまで語り明かし、飲み明かすのが常。そこで、仲間の暮らす世界や世間、今向き合っている社会について、感じたり、納得したり。あるいは、うなずいたり、批判したり。話題が近況から政治課題、世の中の方向になってくるとー、口から泡を飛ばすことも(この頃は以前に比べてそんな場面はいくらか少なくなってきたがー)。
 
別に大それた話をしているわけじゃない。<交流>している。ただ、<交流>しているだけだ。あるいは時間を<共有>している。時間を<分け合っている>だけだ。いわば、原っぱで、精神のキャッチボールをやっているようなものだ。そう、少しは人生の<知恵>を交換し合っていることもあるかも。でも、基本は<君が、あなたが、おまえがいないと、プレーができないじゃないかー>。
 
お互い、もともとは70安保の<怒れる若者>同士。同時に大きく得ることがあった喜びや、大きく失った痛い経験がある。その消すことのできない記憶を背景に、すんなりと、当然のごとく、発刊している。小さな同人誌だが、発刊するには、それなりの手間も資金もかかる。
 
 それでも創刊から41年―。どう考えても、「うまく生きる」ことに役立ちそうにない。そう、ただ、結果的にだが、「よく生きる」、そのために発刊しているのかもしれない。でも、それが(ぜったい)欠かせないとは言わない。この場合は、(たぶん)。
(黒川純)

2015年8月13日 (木)

書を捨てよ!町へ出よう 15日、日光で戦争反対街頭行動へ

 
書を捨てよ! 町へ出よう・・・・かな。
Img_0479 日光で戦争法案反対行動に参加しませんか? 戦後70年、あさっての8月15日(土)、午後1時半から3時まで、日光市の東武日光駅と日光署に近い「松原町交差点」で(東武日光駅がすぐ近くの日光街道です)。
街頭で戦争法案に反対する呼びかけと戦争法案反対の全国署名の呼び掛け。日光地区で最も派手な交差点で。道行く外国人観光客にも呼びかけます。
NO WAR signature collecting campaign
「戦争させない全国署名栃木県連絡会」と「にっこう九条の会」が一緒に。
8月23日(日)、宇都宮城址公園である「平和憲法を守り戦争法案に反対する栃木県民パレード」のフライヤーなども大々的に手渡すことにしています。
憲法違反が赤裸々に明るみにされている「戦争法案」を廃案にさせる行動のひとつです。この機会に「私」も、「俺」も、街に出かけませんかー。

2015年8月12日 (水)

消費即生産の社会システム  「日本における革命の可能性」

Img_1010 折々の<状況>その28

 書棚のこの本と目が会ってしまい、ぱらぱらと。20年も前に一度、読んでおり(初版は1995年2月)、それに原発推進論者というか、科学万能主義者である吉本隆明はもう敬遠していたのですが、なんとなく気になってはいたので。やはり、その文章がありました。第二章というべき「日本における革命の可能性」。そこにこんな文章が。

「…もっと建設的にお金が使えるようになることは、とてもいいことだと思います。こういう社会を経済的なタームで表現すると、『消費自体が即生産になる社会』と呼ぶことができます。生産と消費がゼロサム的にプラスとマイナスで打ち消しあうという世の中ではなくて、消費が生産に循環するような社会といいましょうか・・・」。その例として、投資先のレストランで食事をするような状態を挙げる。自分はお金を消費しているだけなのだが、そのお金は循環して自分の儲けに(64頁)。

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吉本隆明の例えが、今市だが、消費資本主義のその先には、こうした仕組みも充分、考えられる。というのも、私が回している、手をつけている小さな古書店兼図書室「霧降文庫」などもそのひとつといえそうだからだ。自分で読みたい本を読むために買い・消費し、その本を古書として・書棚・生産しているのだから。「消費即生産」の典型かもしれない(笑い)(2015年8月12日、FACEBOOKから)。

2015年8月11日 (火)

狂い始めた・・・・折々の<状況> その29

折々の<状況> その29

とても正気だとは。そう、あまりにもあからさまに太陽が西から昇るかのように。けっこうですと、たくさんの、いや、大多数が叫んでいても。10万人単位の難民はそのままなのに、いずれ死語になるだろうその装置、そう、原発を再稼動させる、事故が起きてもその責任はだれも取ろうとしない仕組み、それも平然と、それぞれが安全だとうそぶく、神話はもはや崩れ落ちた、みんながそれを知ってしまった。にもかかわらず。判断停止、いや、思考停止、を意識的に。そのうえ、戦争法は出動の暦を準備するわ、非核3原則はわざと言わない・・・もうそんな時代ではないのだが、権力だけはご主人などおかまいなしに狂気の道を突っ走ってゆく、狂い始めた政治、腐り始めた社会、見えていて見ることをやめてしまう空気、起きた事実をないことにして、想像力を封印してしまう、想像力に背を向ける、パンとカーニバルと高校野球の熱狂がこの夏も列島を夢の、それも無残な夢の世界に連れ出してゆく ・・・その先は・・・・

(2015年8月11日BLOG「懐かしい未来」)

2015年8月10日 (月)

民意をい否定する政権はやがて民意に否定される 「亡国の集団的自衛権」  

民意を否定する政権は、やがて民意によって否定される

 

根本的な矛盾を抱えたまま数の力でつくられた政策は、やがて破綻する運命にあります。それを実行するための国民の理解と支持を欠いているからです。主権者である国民への説明なしに憲法解釈が変更されるとということは、民主主義の危機です。しかし、民主主義の下では、最後の決断は国民に戻ってきます。安倍政権も、この真理から逃れるすべはありません。民意を否定する政権は、やがて民意によって否定される(「亡国の集団的自衛権」あとがき)。

 

元防衛庁長官官房長、元防衛研究所所長など、典型的な「官僚」だが、いいことを指摘、解説している。柳澤協二さん(1946年生まれ)。Img_2460

2015年8月 9日 (日)

政治・社会状況に向き合うために  「序説第22号」あとがき

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(写真は2011年夏、「序説第18号」。このときは「東日本大震災・フクシマ原発特集」だった)

 今号に「折々の<状況> その(1)」を投稿した。朝日新聞1面で始まった哲学者・鷲田清一さんの連載「折々のことば」にならった、触発された題名だ。

鷲田さんのようにはいかないが、書籍や新聞、世間の話題などで気になった、ためになる、あるいは、覚えておきたい、批判したい言葉や現象、思想にコメントをつけてみたいー、ふと、そのように考えたから。毎日のように応答しているFACEBOOKや私のBLOG「懐かしい未来」では、短い書評的なことが多かった。このため、最初の題名は「折々の言葉」としていた。

 ところが、途中で、私が代表や幹事を務めている市民団体「さよなら原発!日光の会」や「さようなら原発!栃木アクション」の会報やチラシ・ポスター、パブリックコメント、あるいは私が運営している古書店図書室「霧降文庫」の企画テーマやイベントの呼び掛けなどが入るようになってきた。さらに初夏から7月16日の与党だけで採決した安保法制問題が重なってきた。

 いわば、毎日起きている政治・社会現象にいやでも向き合わざるをえなくなってきた。実際、それに対抗する街頭活動なども行ってきているが、題材や内容が、「言葉」では表現できなくなってきた。主題と内容にずれがどうも生じるように。それで「折々の情況」とか「情況の言葉」とかに変えようか、そうも思うようになっていた。

 結局、あれこれと次々と起こる、折々のことに対して、かなりリアルタイムに言葉を示してみせる「状況」、それも少し構えてみせる<状況>を組み合わせることにしてみた。となると、今号だけの一回で終わるはずもない。原稿の締め切りが終わっても、「折々の<状況>」を書きつづっていくことになる。そのため、あえて、連載になるだろうことを示唆したような表題となった。

・・・それにしても、こんなに安保法制と<格闘>しようとはー。これに取り組むだろうことは、もともとうすうす感じてはいた。しかし、「違憲」であることは明白である安保法制の内容もそうだが、ごう慢を絵に描いたような安倍内閣の姿勢―。それに対するごく自然な当たり前の怒りが重なり、「折々の<状況>」の後段は思わず、安保法制をめぐる情況と批判が大半を占めてしまった。次回は、「懐かしい未来」をめぐる<状況>、いわば形を変えた『ぼくらの民主主義なんだぜ』(高橋源一郎)的なエッセイになれますように。乞うご期待―(笑い)―(富岡洋一郎)

2015年8月 4日 (火)

わずかな「歯車」さえ、知らされていなかった  『大本営が震えた日』(吉村昭)

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折々の<状況>その27

1941(昭和16年)年12月1日12時半、上海郊外の台北飛行場を離陸した「上海号」(DC3型、搭乗者18人)が行方不明になったことが発端になり、あらすじが始まる。『大本営が震えた日』(吉村昭)。「草の根を分けても」という捜索活動はどうしてか?読者を物語にひっぱってゆくが、要は「12月8日」までの1週間、陸海空軍一線部隊の極秘行動のすべてを、事実に基づいて再現したノンフィクションだ。

 

 328頁の最後はハワイ奇襲攻撃と軍艦マーチと開戦を告げるラジオ放送―。結びはこうだ。

 

「陸海軍人230万、一般人80万人のおびただしい死者をのみこんだ恐るべき太平洋戦争は、こんな風にしてはじまった。しかも、それは庶民の知らぬうちにひそかに企画され、そして発生したのだ」

 

 12月8日、14歳の少年だった吉村昭が「その曖昧の日の記憶を鮮明にしたかった」、それが取材、執筆の動機だったという。それにしても、そのために九州から北海道まで歩き回り、事故機「上海号」のただ2人の生存者に会うなどして、事実を掘り進めた。知らなければよかった事実も含めて。

 

 その吉村昭が書き終えての感想はもちろん、「あとがき」に。印象的なキイワードは「巨大な機械の頭部」。言葉にすれば、わずか8字だが、その8字のかげに、下に、どれだけの「歯車」が。しかし、当時の国民はそのわずかな「歯車」さえ、まったく知らされていなかった、そのことを伝えたかった。と、言外に。 

 

 開戦のかげには全く想像もしていなかった多くのかくされた事実がひそんでいたことを、私は知った。開戦の日の朝、日本国内に流された臨時ニュースは表面に突き出た巨大な機械の頭部にすぎず、その下には無数の大小さまざまな歯車が、開戦日時を目標に互いにかみ合いながらまわっていたのだ。(吉村昭・あとがき)=2015年8月4日=

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2015年8月 1日 (土)

の桜田門外ノ変から8年で明治維新  「戦後70年」がいかに大事か

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折々の<状況>その26

筆をおいた私は、安政七年(万延元年)三月三日の桜田門外の変から明治維新までわずかに八年であることに驚きを感じた。その間に、さまざまな出来事が重なり合うように起こっていて、大変革が行われる時代には、それをうながす要因が凝集されているのをあらためて感じた。それは、二・二六事件から「大東亜戦争」の勃発、そして敗戦までの歳月を連想させる。国際関係の緊迫、開戦、おびただしい戦闘と敗戦までの傾斜が、九年の間になされていたことと類似しているように思えるのである。 「桜田門外ノ変」(下)吉村昭の「あとがき」

安政七年とは、1860年。大政奉還が成り、明治が始まるのが1868年・・・・。いやはや、その間に長州征伐、下関戦争、鹿児島戦争、鳥羽伏見の戦いが。、二二六は1936年。明治初年から68年。「70年」まであと2年。敗戦が1945年で、確かに「に・に・ろく」から9年。「10年」という単位がいかに大事か。同時に「戦後70年」という時間がいかに持続的な時間であったことかー。

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