「うまく生きる」と「よく生きる」 黒川純「序説第22号」編集後記
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黒川純
私の好きな哲学者・鷲田清一さんが、朝日新聞1面で「折々のことば」を毎日書いている。<なるほど~>、そう思うことばかりでもないが、5月17日の第46回は、読後感があった。いわゆる膝を打つ、典型的な内容だろう。
「うまく生きる」ことには役立ちません(たぶん)。けれども「よく生きる」ためには欠かせないものです(ぜったい)。大嶋義実
音楽のことを言っている。子どものための音楽教室を開いているフルート奏者のことば。音楽を勧める理由にも引かれるが、括弧内の挿入が、主旋律に絡む軽やかな装飾音のようですばらしい。音楽家らしく、文章のリズムも抑揚も心地よい。このフレーズ、多用は無用だが(たぶん)、でも、いろんなケースで使える(ぜったい)
紙面を手に、思わず、微笑んでしまった。というか、<これは面白い言い方だね~、鷲田さんが引用を展開した(たぶん)も(ぜったい)も座布団一枚差し上げたい>、そう感心してしまった。対象は音楽のことだが、それ以外のどんな場面でも実際、当てはまりそうなフレーズだと思えた。例えば、私たちの同人誌『序説』などはそれにぴったりかもしれない。はた!と思えたのだったー。
「序説」は、一年に一度だけ会費を出し合い、発刊してきている。今年は四半世紀ぶりに復刊してから10年目の「復刊10周年記念号」。ときおり市販することもあるが、基本は分け与えてしまう頒布だ。一部はいわゆる「文学館」などに寄贈しているが、だいたいが「友人」や「知人」など、自分たちの関係者の手に渡るだけ。これを発刊することで「うまく生きる」ことには、とても役立つそうにない。(たぶん)というより、(まったく)、そのほうが似合っているかもしれない。
お互いに若者時代の生活や人柄、思想的な背景を承知している。そのうえで、毎回、示される原稿に新たな<知見>を覚えるのだ。「おっ、そうきたのか」「そんなに考えるようになったのだね」「これは知っておくべき情報だ」「そこまで突っ込んで批判するのか」「そんなことが悩みの種なのだね」「どうしたらそんなうまい展開の言葉を」「そこにこだわっているのか」などなど。
さらに発刊するその直前に同人が、関東地方を中心に基本的に一同に会して、「発刊記念会」という呑み会をやっている。夜遅くまで語り明かし、飲み明かすのが常。そこで、仲間の暮らす世界や世間、今向き合っている社会について、感じたり、納得したり。あるいは、うなずいたり、批判したり。話題が近況から政治課題、世の中の方向になってくるとー、口から泡を飛ばすことも(この頃は以前に比べてそんな場面はいくらか少なくなってきたがー)。
別に大それた話をしているわけじゃない。<交流>している。ただ、<交流>しているだけだ。あるいは時間を<共有>している。時間を<分け合っている>だけだ。いわば、原っぱで、精神のキャッチボールをやっているようなものだ。そう、少しは人生の<知恵>を交換し合っていることもあるかも。でも、基本は<君が、あなたが、おまえがいないと、プレーができないじゃないかー>。
お互い、もともとは70安保の<怒れる若者>同士。同時に大きく得ることがあった喜びや、大きく失った痛い経験がある。その消すことのできない記憶を背景に、すんなりと、当然のごとく、発刊している。小さな同人誌だが、発刊するには、それなりの手間も資金もかかる。
それでも創刊から41年―。どう考えても、「うまく生きる」ことに役立ちそうにない。そう、ただ、結果的にだが、「よく生きる」、そのために発刊しているのかもしれない。でも、それが(ぜったい)欠かせないとは言わない。この場合は、(たぶん)。
(黒川純)
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