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2015年9月 1日 (火)

エッセイ 京と (2)(高橋一男) 「序説」第22号、9月1日発刊

社会派同人誌「序説」第22号、本日の9月1日、発行されました。8月29日~30日に那珂川町で同人発刊記念会(呑み会?)を挙行。深夜まで「精神のキャッチボール」を8人で(同人は10人だが、自治会役員の仕事などで2人が欠席)。小詩編「夜ノ森」発(2015年茨木新聞新春詩壇最優秀賞作品)やエッセイなど多彩に。「霧降文庫」にどっさりありますー(編集委員会事務局は日光霧降高原なので)。Img_2804_2
最初は、京と (2)(高橋一男)から紹介します。

京と (2)        高橋一男+ゴン太(耳の湿疹のため今回は休み)

 

狭い階段を下りて地下のお店に行くと満員だったので一階のお店に行った。混雑はしていたが席を譲ってくれた人がいて、しばらくすると水とガラスの灰皿と新しいマッチ箱を店員の女性が持ってきた。

マッチ箱にはCyTwomlyに似た絵が描かれていた。

ぼくはホットコーヒーをお願いした。(先日行ったときには、地下のお店もすいていてコーヒーの他にドーナツとトーストを食べたが最高に旨かった。それから緘黙のマスターの印象もよかった)お店はレンガの内壁で、チョットした湿度とタバコの煙とコーヒーの香りを感じる薄暗い空間で、学生の頃よく行った喫茶店の風景であった。

前に座っている老舗の御主人という感じの老人は先ほど席を譲ってくれた人で、黒いカシミヤのロングのコートにステッキがよく似合い、タバコの吸い方もお洒落であった。

 

 

去年(2014年)の暮れ行った「六曜(ろくよう)社」という三条河原町交差点近くにあるお店で「そこにはまだ昭和の空間があって」、クリシェ的には「ぼくたちの思いっきり青春だった時と同じ空間」があった。

 

1969年(昭和44年)4月15日(火曜日)小雨が降る日だった。

高野悦子はこの店(ろくよう)でオンザロックとジンライムを飲みアスパラを食べた。

彼女の著書「二十歳の原点」には、その日のことが記されている。

「ろくよう」には、もう恥ずかしくていけない、私のすべてをひっかけちゃったもの。

見ず知らずの隣りの学生風な男に、「自然をどう思いますか、青い空、広い海」なんて話かけちゃたんだから。全力投球なんてかっこいいこといってるけど醜い。

肉体的にはたしかに存在しているが一体何なのかよくわからない。私は地道に追求していかなくてはならないと思っている。後ろをふりかえるな。そこの暗闇には汚物が臭気をはなっているだけだ。「ろくよう」に独りで呑みだしてから私はよく笑った。そして泣いた。泣  き笑いのふしぎな感情ですごした。 (二十歳の原点 117頁)

 

 

「ろくよう」でトーストを食べ、吉郎君(石原吉郎)の詩をペラペラ読んで、バイトの時間になったので自転車でホテルへいきました。 (二十歳の原点 167頁)

 

 

「風もない空間にある塵のような私の存在」 (二十歳の原点 168頁)

 

 

日も暮れて川原町通を四条通に向かって歩く、小雨が降っていて年の暮れなので街は混雑していた。数年前からかある一定の距離を歩くと足が、時には腰が痛くなって自分の意志通りに足が動いてくれない時がある、例外にもれず今日も京都で足が痛みだしたので、持っていたビニール傘を杖替わりにした。四条川原町交差点まで行くと左折をして四条大橋まで歩いて鴨川に面していてチョット色っぽくて年老いた西洋建築(ヴォーリズ建築事務所 

1926年竣工)の中華の店に行った。お米がパラパラのチャーハンが旨かった。窓越しに見える鴨川、そしてその先に見える歌舞伎座と祇園の街と東山。この角度から見る鴨川は久しぶりであった。川上にまだのホテルフジタがあった頃、窓から見た年の暮れの鴨川の景色であった。ホテルフジタあった場所には高級ホテルが建っている。街が動いている何かに向かって動いている、京都も例外ではなかった。

ぼくが京都へ行くようになったのは、1980年頃からだったと思う。特に古い街並みや建築が好き、興味があったからではなくて、自分で仕事を始めた(独立)ことで、時間が自由になったことと、伏見稲荷大社での不思議な空間体験と当時夢中になっていた高松伸(建築家)の建築が京都にあったからだと思う。ポストモダン最盛期の時代で、今から思うと、ぼくが15歳の時から教えてもらった建築は機能性、合理性が中心のモダニズムの建築で、それこそが正義の建築だと信じていた。それが独立する頃には大きく変わって過去の時間を建築に塗りこむような建築表現(建築の視覚性)が現れて、何か建築が自由になったようで、建築の大きな可能性みたいなものを、勝手に感じていた。吉田保夫、安藤忠雄そして高松伸、とにかくカッコイイ(cool)建築を設計するのが関西の建築家達であった。(吉田保夫の建築は実際には体験していない)

 

 

1969年(昭和44年)3月16日(日曜日)

きのう、お目ざめの時、空は青空だった。春に近いことを思わせる。ブルーの空と純白の雲、あの雲の中を鳥のようにフワフワ飛んでみたらなんて夢想にふける。「松尾」で食事した。お金もないのに、計二七〇円。「松尾」で知床半島の写真をみて海と原始的な自然にひかれる。それから網走の流氷。青年よ。野に街に出よう!(二十歳の原点、84頁より)

 

 

(今年の六月末の晴れた日)自転車に乗って「松尾」に向かう、烏丸御池近くの宿泊先から東洞院通を四条通りまで行って右折する。このあたりは京都というよりも日本屈指のクオリティーの高いオフィス街である。四条通りを西に向か走る。移り変わる街のシークエンスは作業服姿の人たちが多く見受けられる工場のエリア、高層のマンションが建っていて数多くの人達が住んでいるエリア、それから故郷の国道で前橋から桐生までの間で目にする子供頃から見慣れている気取ってない風景のエリア、約7キロメートルの距離を自転車に乗って途中で感じたことは、ぼくの京都に対するイメージとは違った京都の風景が展開されたことであった。しばらく行くと桂川に架かる松尾橋に着いた。早く着いたので、さっそく松尾大社参道の近くの「松尾」(松尾蕎麦)に行ってみると店主らしき人がお店の前を掃除していた「すいません、お店何時からですか」と聞いてみると「11時から」との返事であった。時計を見るとまだ10時半になるところだったので、近くの松尾大社に行ってみることにした。松尾大社には重森三玲最晩年の設計として作庭(昭和50年)されている庭があることは知っていた。(昭和50年作庭の庭だから高野悦子はこの庭のことは知らないはずだ)同じ重森の作庭の庭でも、平石と苔が市松模様になっているミニマルな東福寺の庭とはちがって、松尾大社の庭は美術的にいうと曲線、自然石(緑泥片岩)を大胆に使った表現主義ぽい庭だった。

 

 

時間も過ぎて、いい時間になったので再度「松尾蕎麦」に行ったがお客さんはいなかった。店内は落ち着いた昔ながらのお蕎麦屋さんで「知床半島の写真」も「網走の流氷の写真」もなかった。46年の間にはお店の改修もあったろう。しかし、天井は当時のままかもしれない、今見ている天井は彼女も見ていた天井だと思うと嬉しくなった。なにか遠い記憶の中にある足利のお蕎麦屋さんにいるような変な懐かしさと同じような時間の重さを感じた。(改修工事では壁の変更は一般的であるが天井には手をつけないことも多い)店員の女性が水を持って来てくれたので、山菜そばのセットをお願いした。関東の人には考えられないくらい、透明で味のうすい汁の山菜そばではあったが何年も塩分控えめの生活をしている、ぼくには上品な味でたいへん旨かった。

 

 

松尾公園に散歩にいった

タバコをもっていった。

吸いたいと思ったし 外で吸うことも恐れた

吸わなかった  (二十歳の原点 41頁より)

 

 

「松尾公園」へ行こうと調べたがよく分からなかったので、松尾橋を渡った左側にあったコンビニで聞いてみるとたまたま地元の方でいて、親切に教えてくれた。「松尾公園」とは松尾橋から渡月橋までの桂川に沿った嵐山側の河川敷の緑地帯ことで、「嵐山東公園」だということが分かった。ぼくはタバコを吸った。まわりには誰もいなかった。46年前、彼女もこの公園で同じようにタバコを吸い、青春を苦悩し、美しい夜空の星を見ながら故郷の西那須野のことを思ったこともあっただろう。同じ街の川でも、桂川と鴨川では表情というか、風景というか、あきらかに何かが違うような気がした。今、この場所にある住宅、お店、集合住宅、事務所、などの建物の多くはこの46年の間に建て替えられていた。46年という時間が意味するもの、そして認識させてくれるもののすべてが街の風景となって、ぼくの目に映った。

 

自由のしるしよ 煙草よ 眼鏡よ  (二十歳の原点 46頁)

 

屋上から町並みを眺めると四方を山に囲まれた箱庭のような京都の町がある。せせこましく立ち並んだ小さな家々、ばかばかしいほど密集している小さな存在。 (二十歳の原点  206頁)

 

屋上から眺めるマッチ箱のような家々に生活している人々なのです。 (二十歳の原点 207頁)

 

その日は、夜のアスファルト道路をスカボローフェアを口ずさみながら歩いて下宿に帰ったのを覚えている。 (二十歳の原点 216頁) (1969年6月21日) 

 

 

個々の建築には他者に対して影響を与える磁場(引力)と建築の質である磁束密度があると自分勝手に考えている。

 

左京区の一乗寺駅の近くにある「恵文社」(恵文社一条寺店)という本屋さんへ「街を変える小さな店」という本を買うために行った。本はどこでも買えるが著者(堀部篤史)がこの本屋さんの店長であったことと、本のタイトルからこの本屋さんがどんな場所にあって、どんな人たちがいて、どんな磁場、磁束密度を出しているのか感じてみたかったからである。以前この本屋さんの道路を挟んで反対側には京一会館という映画館があって、開館時間前には若者の列できたらしい。今でも街には当時の余韻(昭和の風景)があって、「こころ旅」の火野正平のようなファッションを売るお店、小さなパン屋さん、小さな食堂など個人のお店が目立ち、無理のない普通さが街に集まる多くの若者たちに受け入れられている。そして帰りには、自転車に乗って寺町通沿いで御所の南にある三月書房で「70年代のノート(田家秀樹 著)」を買った。

 

本屋さんで思い出すのは、子供の頃お年玉を貰うと市内循環のバスに乗って田舎から都会にある「換乎堂」へ行った。換乎堂は群馬県庁や前橋市役所に近く、国道50号線に面していた。高校生になると学校帰りに「換乎堂」の2階にあったギャラリーで初めて見るアバンギャルドの美術の世界に興奮し、「換乎堂」の知的空間を体験した。

換乎堂は白井晟一(建築家、京都生まれ、1905-1983)の設計で1954年に竣工していて白井晟一著「無窓」の中で、「換乎堂」にふれている。「文人社長たる施主はいかなる夢をもちどのような造形を建築家に期待されたのであろう」「施主はだまって設計者にサイコロをへらせた」そして「半年の間の知遇への追懐が心たのしく残っている」という施主に対するリスペクトの文章で終わっていた。

恵文社一乗寺店も換乎堂(白井晟一の設計した換乎堂は現存せず)も本屋さんという共通点だけでなく、存在そのものが持つ、街に対しての同じような磁場(文化)を強く感じた。

 

 

diatxt number 09「特集」<京都イメージ>をめぐって 京都芸術センター  「住友文彦」氏の連載「情報と美術」が印象に残った。カッセル・ドクメンタ11のことから始まり20世記の美術(美術館コレクション)が大まかな分類で巨匠を見つけだすことができるような展示方法がとられている。ことや20世紀の美術が外界や概念の再開―表象という表現モデルを破棄して、見えるもの/見えないもの、すなわち、経験的なもの/超越的なものという2項対立の無効化であったと考えたこと。それから、実験工房の結成(1951年)メンバーのひとり秋山邦晴がアーネスト・サトウの助手をしていたこと、実験工房のメンバーのほとんどが美術や音楽のアカデミックな教育を受けず、団体にも属さないでCIE(民間情報教育局)図書館(開架式)で知の情報を得て同時代の日本美術にはない作品を構想したことなどに深い興味を持った。

カッセル・ダクメンタの国際展は実際に見たことはないが、1992年のカッセル・ドクメンタ9ディレクターのヤン・フートのことは知っていた。1986年ベルギーのゲントで彼が企画したジャンブル・ダミ(友人の部屋)展、50ケ所の住宅を会場として、51人のアーティストが作品を制作した国際展は住宅を外部に開き、限られた期間ではあるが、住宅が公共的な空間となり、個々の住宅の磁場がお互いに繋がり面となって大きな平面(床面積)を持った美術館になった。街と住宅の関係性(可能性)に興味を持った。アーネスト・サトウ(1927-1990)は父親が群馬県生まれで、京都「俵屋」の当代主人、佐藤年さんの夫で「新即物主義」の系譜を引く写真家でもあり、彼の作品「リバーサイドパーク、雪の朝」は絵のようなアメリカの風景の静けさそのものが表現されていた。

 

 

参考資料

二十歳の原点 高野悦子著 (株)新潮社

diatxt.09 「特集」<京都イメージ>をめぐって 京都芸術センター (株)星雲社

街を変える小さな店 堀部篤史著 (株)京阪神エルマガジン社

美術の解剖学講座  森村泰昌著  (株)平凡社

俵屋の不思議  村松友視(ともみ)著  (株)世界文化社

 

編集後記

 

同人の郡司君と話していると、栃木弁のやさしい言葉の響きから、いつも高野悦子を思い出してしまう。というよりも、高野悦子と話しているような錯覚に陥ってしまうのです。栃木弁を話す漫才のU字工事とはちょっと違って、もっと色っぽくて知的なのです。郡司君は学生の時、彼の下宿で、ヨーゼフ・ゲッペルスの話をしてくれました。郡司君は栃木ネイティブ(今までの生活の場が栃木県内だから)なのです。高野悦子も京都の立命館大学へ入学するまでは郡司君のようにやさしくて知的な話し方をしていたのでしょう。

 

高橋一男

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