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2015年9月 8日 (火)

永遠の「不良少年」 追悼 鶴見俊輔  折々の<状況>その33

 

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 私の「ともだち」のかなりな読書家でも、「つるみしゅんすけって誰?」、そんな反応に出会って、びっくりー。それも複数で。確かに高齢で、最近は現役ではなかったが、この人は戦後の「日本の良心」みたいな立ち位置にいた。

 

 それだけに、鶴見俊輔がふつうに知られていないことに驚いてしまったのです。私は新刊でも古書でも「鶴見俊輔」の名を見つけると、大半は手元に求めてきたので。それほど熱心な読者とはいえないが、何かの拍子に彼の本へ。

 というのは、私の場合、ある読書傾向があるのだが(笑い)、どうもバランスが崩れているな?、そんな感覚を覚えたとき、鶴見俊輔を読んでいるようです。深い知識と経験に裏付けられた思わぬ「ヒント」が彼の本にはあるのです。

 

 その意味で、戦争法案で世の中が大揺れの今、改めて、読まれる賢者だと思っていたのです。彼が漫画「がきデカ」が大好きというのも、いいなーと。「不良少年」だからこその見方なのだと思う。ということで、以下へ。

 

 森の書店図書室「霧降文庫」(日光霧降高原)、9月の企画は、「永遠の『不良少年』 追悼 鶴見俊輔」にしました。

 

 今週末、12日(土)、13日(日)~から。オープン時間は13時~19時に変更しました。9月19日(土)~22日(火)の4連勤?も開きます。

 

 戦後、「思想の科学」を創刊し、「ベ平連」の中核となり、「9条の会」を大江健三郎らと立ち上げた哲学者、思想家、社会運動家・・・。今年7月20日に93歳で逝去した。

 

 私の「倉庫」から引っ張りだした「鶴見俊輔座談」や「鶴見俊輔集」などを。それに「思想の科学」の読書会員だった「ともだち」から10冊ほど借りることにしています。今回の企画のために、新たに鶴見俊輔本10冊も加えます。

 

 鶴見俊輔から「新しい地平へ」。そんな思いで、私もまだ手につけていない鶴見俊輔本に触れたいと思っています。 

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経歴[編集](以下はウイキペディアから)

鶴見祐輔の長男として東京市麻布区(現・港区麻布)に生まれる。外祖父は後藤新平。俊輔という名は父親の命名で、伊藤博文の幼名による[1]。厳格な母親に反撥し、東京高等師範学校附属小学校3年生のとき近所の中学生と組んで万引集団を結成。本屋から万引した本を別の本屋へ売りに行く、駅の売店から小物を盗むといった悪事を繰り返す[2]。このためクラスでは除け者にされていたが[2]、このときただ一人鶴見を庇っていた同級生が永井道雄だった[3]。しかし鶴見の側では永井をいじめる態度に出て、大塚駅の前でこうもり傘の柄で永井の足を引っ掛けて水溜りの中に倒し、その後で再びクラスから村八分にされることを恐れて翌日は早くから登校し、クラスの世論を鶴見側に有利に傾けるため事実の捏造をした[3]。肉体的に早熟だったため、小学生時代から性的な思念が頭から離れず、授業中は「パンツの中でペニスが右側に入っているか左側に入っているか」を気にして上の空だった[4]。10歳をいくつも出ない年齢で歓楽街に出入りし、女給やダンサーと肉体関係を持った他[5]、自殺未遂を5回繰り返して精神病院に3回入院させられた[6]。当時、同校の生徒800人のうちただ1人の不良少年であることが誇りだったという。

「平常点はいつもビリに近いところにいた」ため[7]東京高等師範学校附属中学校に推薦されず、府立高等学校尋常科に入学するも、武蔵小山の古本屋で集めた莫大な数の性に関する文献を学校のロッカーに置いていたことが発覚したため[8]入学後1年1学期で同校を退学になり[9]東京府立第五中学校に編入学するもやはり中退。俊輔の将来を心配した父から「土地を買ってやるからそこで養蜂場を経営して女と暮らせ」と言われたこともあるが、最終的には父の計らいで1938年(昭和13年)に単身渡米し、同年9月、マサチューセッツ州コンコードミドルセックス・スクールに入学。全寮制の寄宿舎で9か月間の勉強を経て大学共通入学試験に合格。16歳のとき身元引受人アーサー・M・シュレジンジャー・シニアの勧めでハーバード大学に進学、哲学を専攻。ホワイトヘッドラッセルクワインカルナップに師事。大学では成績優秀で、1000人いる同級生の中の上位10%に入っていたため飛び級コースに入る[4]。18歳の時には、当時働いていたニューヨーク図書館ヘレン・ケラーと一度会い、言葉を交わしている。この頃、ハーバードの経済学講師の都留重人と出会い、プラグマティズムを学ぶことを勧められる。都留は生涯の師となった。

1941年(昭和16年)12月8日に日米開戦。1942年(昭和17年)3月末、大学の第3学年前期が終わったとき無政府主義者としてFBI逮捕され、東ボストン移民局留置場を経て、メリーランド州ミード要塞内の捕虜収容所に送られる。この間、後期はまったく授業に出られなかったが、収容所から提出した卒論が受理され、19歳のときSumma Cum Laude[10]の成績でハーバードを卒業。1942年(昭和17年)6月、日米交換船グリップスホルム」と「浅間丸」に乗ってロレンソマルケス経由でアメリカ留学から帰国。ただしこれは強制退去ではなく、送還か収容所送りかの選択を迫られて鶴見自身が決めたことであった。収容所にとどまれば食事の心配がないのに敢えて帰国を選んだ理由について鶴見は「(収容所にとどまれば)敗戦後の日本に帰るときには大変に後ろめたい思いをしなきゃいけない」「アメリカに残っていたら、収容所といえども飯は結構困ることないんだよ。イタリア人のコックだし。私にとって(収容所の)飯は旨かったんだよ。だけどそれを戦争の終りまで─負けることは判ってる─終りまで、これを食い続けるのは悪いなという気がしたんだよ」と説明している[11]

第二次世界大戦中には結核持ちであるにもかかわらず徴兵検査に合格したため、徴兵を避けるために海軍軍属に志願し、1943年(昭和18年)、インドネシアジャワ島に赴任。主に敵国の英語放送の翻訳に従事。1944年(昭和19年)12月、胸部カリエスの悪化により帰国。敗戦を日本で迎えた。

戦後、海軍を除隊後に、姉鶴見和子の尽力で、和子と丸山眞男、都留重人、武谷三男武田清子渡辺慧とともに7人で「思想の科学研究会」を結成して雑誌『思想の科学』を創刊し、同会で『共同研究 転向』(上・中・下、平凡社、1959年 - 1962年)など思想史研究を行う。アメリカのプラグマティズムの日本への紹介者のひとりで、都留重人丸山眞男らとともに戦後の進歩的文化人を代表する1人とされる。京大助教授時代、1951年(昭和26年)にはスタンフォード大学から助教授として招聘されたが、原水爆反対運動に関与したことが神戸市の米国総領事館から問題視されて米国への入国を拒否され、その後一度も渡米していない。

60年安保時には、政治学者高畠通敏とともに「声なき声の会」を組織して岸内閣による日米安全保障条約改定に反対[12]ベトナム戦争期には高畠らとともに「声なき声の会」を母体として「ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)」を結成し、代表に作家の小田実を迎えて、自身もその中心的な人物として活躍した。鶴見自身はマルクス主義者ではなく、「私は日本にいたときからクロポトキンを一生懸命読んでいた。クロポトキンにはマルクスに対する偏見がありますから、それが、私がマルクス主義者にならない、一種の予防注射になった」[13]と述べている。反戦運動を行う中で、戦時中に海軍軍属に志願した事に関して「なぜ戦争中に抗議の声を上げて牢屋に入らなかったっていう思いは、ものすごく辛いんだよね。だから、英語がしゃべれるのも嫌になっちゃって。戦争中から、道を歩いていても嫌だって感じだった。鬱病の状態ですよ」と本人は後に釈明している[14]。 

しかし2000年代以降は、「私は参政権を持ってから、共産党だけに投票してきたことは確か」[15]と、日本共産党支持の姿勢を明確にして、九条の会の呼びかけ人にもなっている。同党を「全ての陣営が、大勢に順応して、右に左に移動して歩く中で、創立以来、動かぬ一点を守り続けて来た。北斗七星のように、それを見ることによって、自分がどの程度時勢に流されたか、自分がどれほど駄目な人間になってしまったかを測ることの出来る尺度」と評価している[16]

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