山本義隆がついに公に発言だ 「私の1960年代」
なにはともあれ、入手して、読まないことには。それにしても1960年の安保から東大安田講堂まで、そしてその後の人生が。すでに70歳を超えたのですねー。総括の「回顧録」だろう。
(以下は朝日新聞デジタルから)
「若い人の運動に励まされた」
元東大全共闘代表・山本義隆さん回顧録
2015年10月6日16時30分]
1960年代末、大学や社会に異議を申し立てた学生たちの象徴ともいえる元東大全共闘代表の山本義隆さん(73)が、回顧録『私の1960年代』(金曜日)を出版した。山本さんは、国会前などで安保法制に抗議する学生たちの行動を受け、「若い人たちによる運動に期待し励まされて筆を執った」とコメントしている。
山本さんは昨年、東京都内での集会で、公の場では初めて当時のことを語った。その講演内容をもとに今回の本を書いた。
60年に東大に入学した山本さんは、同年の安保闘争に参加。その後、大学の自治や改革をめぐる運動に加わり、大学院時代の68年、東大全共闘の代表に就いた。
著書で山本さんは、全共闘が「自立した個人の集まり」のように言われるのは「きれいごと」で、実際は政治党派の思惑がからんでいたと記した。党派に対して仲間からは「強気に出ろ」と言われたが、「当時はできなくて、私の弱さだった」と振り返る。
各地で起こった学生運動は、内部の対立が激しくなって「自壊」。山本さんは「無念の思い」と記した。
山本さんは出版に際してのコメントの中で、「単なる回顧をこえて今日的な意味があるのではないか」と自身に言い聞かせて執筆したと明かした。
全共闘の時代を分析した『1968』などの著書がある歴史社会学者の小熊英二さん(慶応大教授)は、山本さんの回想を読んで「当時は、学内での闘争、教授との関係が中心のまさに『学生運動』であったことがわかる」と指摘。「現在のSEALDs(シールズ)などは、主として学外に訴える『社会運動』とでも言うべきもので、その違いが印象的」と話している。(藤井裕
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