とんぼをとることで自分自身を生産している 岩波新書「資本論の世界」
「つまり、どんぼを生産するというとおかしいけれど、とんぼをとることを通じて彼は自分自身を生産している。それだから、労働が楽しい。子供が、かりに、文章を自由に駆使出来れば、今日一日何を作ったか~~~~~あるいはわれわれの眼から見れば、何をこわしたか~~~~を、今日一日の生きてきた記録として書くでしょう。子供が、ふすまに制作した絵を見ていますと、未開人の制作と同じで、稚拙ながら芸術を感じさせることがあります。全力投球で、しかもピカソにでもなってやろうなどというみみっちい気持がないから、かえって芸術になっている。未開人の制作物と似たところがあります」 。
1966年11月初版。今から半世紀前に発刊された岩波新書だが、さまざまな刺激を受けることができる。これまで下宿を転々としたり、転職や転勤をしたりで、東日本を引っ越しすること10数回。それを重ねるうちに、この本、『資本論の世界』(内田義彦)を、どこかに失っていた。が、つい最近、ご近所の「ともだち」と世間話をしているうちに、「資本論」で盛り上がり、借用することに。この本は、講談調というか、小さな教室で語り掛けるような語り口が魅力的だ。第5章の「相対的剰余価値」、第六章の「資本と人間の再生産」が最も力の入ったところだが、私は第四章の「労働と疎外」がすんなりと。その展開を懐かしく読んだ。その中でも、ここがいいね!が、上記に挙げた文章だ。
私は20代から30代にかけて、労働と制作、労働と仕事、遊戯と労働について、「資本論」を中心にその仕組み、構造、背景を追いかけていた。それを1970年代から80年代にかけて、自分たちの同人誌『序説』に「労働論ノート」として連載するほどだった(確認してみたら、第5号から1981年の第12号まで8回連読で掲載していた。その連載をきっかけに労働業界紙に入り、その後、地方紙、中央紙へ。計35年間の記者生活をスタートさせている)。それほど、「労働」が当時の大きな<課題>だった。『自動車絶望工場』(鎌田慧)や『国家のなかの国家』(熊沢誠)などを手がかりに、仕事の傍ら、暗中模索し、メモに残していた。そのことを「資本論の世界」を読み進めながら、想い出したのだ。その「労働論ノート」、未完のままだが、さて、どうしよう?-(2015年11月23日 折々の<状況>その37
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