「最後の手段」から「最初の手段」へ 「アトムズ・フォー・ピース」
「最後の手段」から「最初の手段」へ
「アトムズ・フォー・ピース」について
ピーター・カズニック(アメリカン大学歴史学教授)は、日本の原子力導入について、広島市立大学の田中利幸教授と『原発とヒロシマ「原子力平和利用の真相』(岩波ブックレット 2011年)を共著したことに触れて、以下のように「原子力の平和利用!」(お~平和利用~!)について、驚くべき舞台裏を明かしている。「驚くべき」と書いたが、実際、「裏の『事実』はそういうことだったのか!」、思わずそんな声を出してしまうだろうー。アイゼンハワーの有名な演説「アトムズ・フォー・ピース」についてだ。
平和のための原子力、核の平和利用とも呼ばれる「アトムズ・フォー・ピース」は、東西冷戦下の1953年12月、アイゼンハワーが国連総会で演説したキイワード。そのことは私たちも知ってはいるが、その狙いとするところは、意外と知られてはこなかったのではないか。
というのも、例えば、有馬哲夫の『原発・正力・CIA 機密文書で読む昭和裏面史』(新潮新書)では、アイゼンハワーの演説の思惑について、こんな緩やかな見方を示しているからだ。同書のこの部分は以下の通りだ。
アメリカの持つ原子力関連技術をむしろ積極的に同盟国と第三世界に供与し、これらに国々と共同研究・開発を行おう。そうすれば、これを誘い水として第三世界を自陣営にとりこみ、それによって東側諸国に対する優位を確立できる。さらに、自らの主導で原子力平和利用の世界機関を設立すれば、この機関を通じて世界各国の原子力開発の状況を把握し、それをコントロールすることができる。
もっとも同書では、アメリカはその後も水爆実験を続け、各兵器の威力を大きくする技術の開発を続けたとする。実際、第五福竜丸事件を起こしたビキニ環礁での水爆実験は国連総会演説後の3カ月後だったと、指摘してはいる。
それにしても、以下に紹介する本当の「事実」からは、かなり遠い。というか、事実に肉薄できないでいる、それを知ることができる。といっても、私もこの「アトミズ・フォー・ピース」については、『原発・正力・CIA』ぐらいの知識でしかなかったのだがー。
以下は『オリバー・ストーンが語る日米史の真実 よし、戦争について話をしよう。戦争の本質について話をしようじゃないか!』(2014年8月20日初版)にある「外国人特派員協会での会見時の応答 世界を変える時間はある」(2013年8月12日)
アイゼンハワーは1953年に大統領に就任したとき、米国は1000の核兵器を持っていました。アイゼンハワーが任期終了したときは2万3000もあったのです。アイゼンハワーの予算周期が終わったときには3万に膨れ上がっていました。アイゼンハワー政権下で、各兵器の存在は「最後の手段」から「最初の手段」と位置付けられたのです。核のボタンに指を載せられる人間は一人だったのが、何十人にも増え、米国がアイゼンハワー下でソビエトとの戦争を起こしたら、6億5000万人の死者が出ると予想されました。こんなリスクを抱えることをアイゼンハワーはどうやって世界を納得させたのでしょうか? 彼は「人々に、核というものは良いものなのだと教え込ませないと各兵器を使うことを容認しないだろう」と言いました。そしてアイゼンアワーは1953年12月に「アトムズ・フォー・ピース」の演説をするのです。これはウソで欺瞞に満ちたものでした。詐欺と言ってもいいでしょう!これらの書類を見たら明確に「核兵器を使用可能にするために必要だ」と書いてあります。それが戦略だったのです。
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(折々の<状況>その40 2015.12・18)
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