「事件」。。。。新しい何かが突然に 「詩と思想」3月号「詩人の眼」
「詩と思想」2016年3月号 「詩人の眼」原稿 (2015年12月20日)
「事件」・・・・新しい何かが突然に
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「詩と思想」2016年3月号 「詩人の眼」原稿 (2015年12月20日)
「事件」・・・・新しい何かが突然に
小規模自家発電ワークショップ、IN日光市民活動支援センター(2月27日15時~17時)定員25人とほぼ同じくらい、飛び入りの2人を含め、26人前後が参加しました。
3.26原発のない未来へ!全国大集会まであと1カ月、いよいよ、本格的に参加者を募ります。「さよなら原発!日光の会」の貸し切り大型バス。定員53人のうち40人(残る13人席は「原発いらない栃木の会」などの枠で)。すでに8人(あるいは7人)の手が上がっており、残るは32席(33席)です。秋の「栃木アクション」では、29人乗りマイクロバスが満員御礼。何人の方にお断りの「乗車拒否」?をしています。このため、今回はそれなりにお早目に。「福島第一原発から5年目、チェルノブイリから30年」、その今年、ぜひ、脱原発の声を。きょうの新聞ニュースでは原発の運転期間「40年廃炉原則」を突き破り、老朽原発の運転を延長し、「60年廃炉」へ道を拓く、原子力規制委員会のとんでも判断も。これ以上の原発社会は許さないという力を共に示しませんかー。
(たまたまだがー)。「誕生日プレゼント」は、RITE WAYのクロスバイク、「シェファード シティ」(前輪3段変速、後輪8段変速)を。入荷、鍵、空気入れ、レンチなど各器具の説明を「神チャリ」から丁寧に受けたあと(レンチは「誕生日プレゼント」、かみやまさん、ありがとう)。
可否で「自転車主義」:について、30分ほど談笑。「それー」と初飛行?ー。霧降高原は坂、そして坂。。。坂を下がること、風のごとし、坂を上がること、岩のごとし。なので、15分ですでにばててしまいました(笑い)。クロスバイク、デビュー、初日でした。4
高校生のときは、片道8キロ、往復16キロを3年間、ペダルをこいでおりましたが、それ以来?(そういえば、転勤の厚木や坂がほどんどない自転車の街・静岡では自転車通勤でした~)
第56回足尾合同新年会へ。「さよなら原発!日光の会」代表、「戦争させない総がかり日光市民連合」共同代表として、「挨拶してね」と。足尾には「日光の会」の副代表や複数の役員も。久しぶりに「挨拶メモ」をつくって。「3・26 脱原発大集会」参加呼び掛けのチラシ付きだったのは、さすがです。
(この挨拶で手にしていたメモ。このうち8割ぐらいを伝えました)
「国民の7割が原発はもういい」
★脱原発社会をめざす市民団体「さよなら原発!日光の会」(約80人)。福島第一原発事故から5年、チェルノブイリ原発事故から30年。今も10万人。政府・東電は川内原発1号機、2号機再稼動、さらに高浜原発を再稼動。
★原発事故被害者の救済と補償も含め。「さようなら原発1000万人アクション」など(「原発をなくす全国連絡会」「首都圏反原発連合」主催)第6回ノーヌークスデイ」、3月26日、代々木公園で過去最大規模集集会をめざす。「日光の会」も大型バス(53人乗り)。ML、FACEBOOKで募集開始。3000円往復。ぜひ参加を。
★うたぐり深い人は「デモで社会が変わるのか?」。『ぼくらの民主主義なんだぜ』(高橋源一郎)。「柄谷行人はこう答えるか。『デモで社会は変わる、なぜなら、デモをすることで、人がデモをする社会に変わるからだ』」と。
★新しい暮しへ。スモール、シンプル、スロー。災害対応ものソーラー。27日、日光市民活動支援センター「小規模自家発電ワークショップ」。25人定員、ぜひ参加を。
「新しい戦前にしないために」
★安倍政権、昨年9月19日、強行採決で憲法違反は明らかな戦争法。シールズ(自由と民主主義のための学生緊急行動)が昨夏、全面に。栃木県でも若者がD3「安保法制に反対し、選挙投票を促すデモ」を初めて企画。この1月24日、宇都宮城址公園で。参院選をにらんだ行動。
★1月26日、「戦争させない総がかり日光市民連合」結成。足尾の九条の会やさよなら原発!日光の会など11団体。県内でも1週間ほど前、2月6日「戦争法の廃止と立憲主義の回復を求める栃木県民ネットワーク」を結成。全県から35団体が参加。★2000万人署名。若者選挙権。毎月19日行動も。「市民連合」の目標1万6000筆。
★いずれにしろ、参院選。熊本、野党統一候補実現。斎藤美奈子紹介「独裁体制から民主主義へ」(ジーン・シャープ)。権力に対抗するための演説、声明、宣言、集会、抗議、討論会など「非暴力行動198の方法」。それらの闘いへ。
★けさの朝日新聞栃木版「足尾に緑を育てる会、今春、20周年ですね」の記事に登場していた元足尾砂防出張所長の鶴巻和芳(つるまきかずよし)さん。「足尾の二度泣き」-赴任時は辺地に泣き、離任時は人情豊かな地との離別に泣く。
本日12日から日光市の指定管理者として日光市市民活動支援センターを運営している特定非営利活動法人、「おおきな木」の事務局・スタッフのひとりとなりました。名刺はこれから。
特命事項「(仮称)にっこうけっこう基金」づくり担当として。いわば「生活困窮者のためのセカンドブックプロジェクト」といった性格の基金を積み上げようという計画です。
5月中旬にも稼動させようと考えていますが、なにしろ、新たな「社会」の助っ人となりうる仕組みづくりなので、どこまで形になり、その果実を生み出せるか~。目標はこの方面での全国の「日光モデル」を。高い壁であるのは承知なのですが、「視る前に飛べ」(寺山修司)。といういつものスタイルで(笑い)。
「私たちが生きているのは、経済が社会的な価値のかなりの部分を方向づける時代である。どのような青春時代を送り、その大学で学び、どの会社に入り、結婚するか、しないか、子どもを産むか、産まないか、親の面倒をみるか、みないかーー。人生のすべてを経済が決定づける一歩手前の場所だ。だが、そんな経済の時代を終焉させるということは、資本主義を社会主義やその他の何か決まった社会に変えることではない。経済を制御可能な正しい場所へ誘い、互いに助け合い、ささえあうという人間の本来の性質に輝きを取り戻させることで、より人間の顔をした経済とよりよい生の条件を作る、そのような時代に変わるということである。この理念が共有されたとき、いかなる手段を用い、どのような社会をめざすのかは、人間の決断に任せればよい」
今年の「大仏次郎論壇賞」。『経済の時代の終焉』(井手栄策 岩波書店)。清水の舞台から飛び降りるつもりで、本体2500円。いい本であるのはわかっているが、なるべく1000円台にして欲しい。ともあれ、本は基本的に高すぎるね。「図書館」利用者が増えるのは、わかる気がします。
第一章は「私たちはどのように新自由主義に飲み込まれたのか?」、第二章は「なぜ私たちの賃金は下落するのか?」、第三章は「グローバリゼーションは、なぜ世界経済を揺るがしたのか?」、第四章は「なぜ財政危機が問題なのか?」、そして終章である第五章は「経済の時代の終焉―再分配と互酬のあたらしい同盟―」。
経済と財政の歴史が次々と語られ、第三章までは、この方面の知識が豊かでないと、読み進めるのがかなり難しい(私のように)。でも、最終章は、すごくわかりやすい。読み進めるのがもったいないぐらい。最終章は、可否タイムを何度か、とりながら読み終えました。ピケテイとは一味違った魅力的な論考だ。基本的に大いに賛同する。
経済の歴史を論じているのだが、全体に社会学的な視点が随所に。「あとがき」を読めば、その人柄がわかろうというものだ。こういう結びになっている。
「命のつながりのなかで、お金では決して買うことのできないゆたかさを抱きしめながら、僕たちは今を生きるーーこんな照れ臭い言葉をみんなが自然と語り合える時代の訪れを願いながら」。
最終章ではさまざまな視点が散らばっている。その中のひとつ、ふたつを紹介しよう。(時間を作って、きちんとした書評にしたいが、本日は時間切れで紹介のみに)。
「―どうしても避けて通れない問題がある。それは、なぜ日本人は成長神話から脱却できないのか、という問題である。成長神話に絡めとられた私たちという社会的、政治的基盤があるからこそ、アベノミクスは支持される。そして、成長を実現させるためにあらゆる政策が動員され、その矛盾を覆い隠すように政治的右傾化が進んでいる」
「私たちは歴史の結果を知っている。だから、現在からみれば歴史は常に必然である。だが、その必然へと向かうプロセスで、人間は常に考え、悩み、行動してきた。私たちの未来に刻み込まれるのは、経済にひれ伏し、屈服する人間の姿だろうか、あるいは、つながりを求め、経済を飼いならそうと、これに立ち向かう姿だろうか。未来は今この瞬間の決断の積み重ねであり、結果である」
若者政党が第三党に。69議席獲得(全350議席)スペインの「ポデモス」(我々はできる)に学ぶことがたくさんありそうだ。きょうの東京新聞「こちら特報部」で見開きで展開。しかし、この紙面は有料ネットでないと読めないので、代わりにこの記事を。
(2016年1月15日)
昨年12月に行われたスペイン総選挙で躍進した政党・ポデモスが注目を集めている。
ポデモスは2014年1月にできたばかりの新しい政党で、同年5月の欧州議会選挙でスペイン第4の政党に、支持率は一時与党を抜いてトップに立ち、昨年末の総選挙では定数350議席のうち69議席を獲得し、第3党にまでなっている。
では、なぜこの新政党が支持を集めているのだろうか。
まずリーマン・ショック後のスペインは、徐々に改善してはいるが、若者の失業率が約50%と危機的な状況で(全体では約25%)、2011年5月には「Occupy Wall Street」を模倣した大規模な抗議運動が起こり、緊縮政策や格差に対する不満をぶつけた。しかしデモだけでは選挙結果に影響を与えることはできず、与党は単独過半数に。こうした中で、2014年1月に30人の知識人によってポデモスが結党された。ポデモスとは、スペイン語で「我々にはできる」という意味で、政策決定の段階から市民に参加してもらう従来の政治手法とは異なる形を実現しようとしている。メンバーも大半が30代で、若者政党という側面もある。
こうしてみると、一見日本の学生団体SEALDsと似ている印象を抱くが、実際は異なる。
ポデモスの党首パブロ・イグレシアス氏は、1978年生まれの37歳で、マドリード・コンプルテンセ大学の政治学教授、他の主要メンバーも大学教授や学者などで構成されている。残念ながらSEALDsをはじめとする日本の市民運動には「知性」を感じないが、ポデモスは「知性」を持ったメンバーが中心に存在する。
確かに結党当初こそ、グローバル化や市場主義を強く批判し、政策も自由貿易からの離脱、生活に最低限必要な資金提供(ベーシックインカム)、利益を出している企業が労働者を解雇するのを禁止、公的債務支払いに関する市民の監督権といった典型的な左派ポピュリストの政策が多かったが、徐々に現実的な路線に、中道左派寄りへと変化してきている。
最初の非現実的な政策案は、今から思えば戦略の一部であったように思える。つまり、現政権に最も不満を抱えている若者、低賃金層からの支持を集めるためである(スペイン国民の最大の関心事は失業、汚職、経済だ)。ポデモスは政治資金をクラウドファンディングで集め、誰もが参加できる集会を開き、そこで出た意見をマニフェスト(プログラム)に反映させている。そして結党後すぐに行われた2014年5月の欧州議会選挙ではスペイン第4の政党に選ばれた。まずはマニフェストに一般市民からの意見を取り入れることで期待を集め、また国民が汚職に大きな関心があることから、イグレシアス氏は長髪、白いシャツにジーパンという古い政治家(と彼が批判する)とは一線を画した爽やかな印象をつくっている。学者らしい難しい表現や左翼らしい政治的専門用語を使ったりもしない。デイヴィッド・ハーヴェイやサルバドーレ・アジェンデなどマルクス主義思想家の影響を受けていると過去のインタビューの中で答えてはいるが、大衆に対しイデオロギー色を打ち出すことはない。また、現実的に実施する上では財源の問題は出てくるが、新興勢力としては他党を批判しても注目を集めることはできず、「どういう変化をもたらすのか」を明確に打ち出すことが重要だ。ポデモスは「希望を胸に投票したのはいつでしたか?」という選挙スローガンを掲げている。
そして、以前と変わっていないものもあるが、今は下記のようなマニフェストを掲げている。
欧州議会選挙時に物議を醸した全家庭へのベーシックインカム、公的債務支払いに関する市民の監督権は撤回している。経験不足による実行力への不安から一時ほどの支持率はないが、それでも1980年代はじめ以降勢力を保ってきた国民党と社会労働党の二大政党を脅かしている。今後より幅広い支持層を確保するために、中道寄りにシフトしており、ポデモスの指導部は「極左」という呼び方はやめてほしいとよく言っている。ポデモスが支持した市長もバルセロナとカディスに2人誕生している。昨年末の総選挙時には約39万人の党員が存在し、スペインで2番目に多い。
ポデモスはギリシャの急進左派連合と緊縮政策反対という点では共通している(た)が、新しさという意味では大きく異なる。既に述べた通り、政治資金はクラウドファンディングで集め、シルクロス(スペイン語でサークルの意味)という地域単位での集会を開いている。既にシルクロスはスペイン全体で1000個近く存在する。またどこからでも参加できるようオンライン上でもシルクロス同様に討論を行っている。このシルクロスはベネズエラのウゴ・チャベス大統領が行った「ボリバルサークル」を模倣したものかもしれない。もちろん、facebookやyoutubeも積極的に活用し、支持者にアプローチしている。元々人気のあったTVにも出演し、イグレシアス氏はカリスマとして存在感を発揮している。今後は、議席を確保した政党として運営面が大きく問われることになるが、新しい政治手法を発展させられるのか引き続き注目していきたい。
宇都宮できょうあった福島みずほさんの講演会を断念し、もう1カ月以上も延期していた同人誌『序説』第23号の同人連絡、それをを伝える作業中ー(私が事務局なので)。
池澤夏樹は、かなり疲れを覚えているようだ。というか、現状に落胆の色を隠せない。今も10万人の核災避難者が故郷を追われて暮らしているのに、経済原理とプラスで原発は次々と再稼動、その現実にため息をついている。ふだんの彼はもっと前向きな希望を指し示す。それだけに2日付朝日新聞夕刊コラム「終わりと始まり」のトーンの暗さよ。これだけ力を落としたかのような彼の文章はあまり目にしていない(私の場合だが)
「3・11」から5年。もちろん、いわゆる「災害ユートピア」が直後に生まれ、次第に通常に、日常に戻っていく。それはそれで当然だと思う、いつまでも「ユートピア」は続かない。でも、それを体験したことは、さまざまにそれぞれの個に大きな核を残していく、それは必然だ。だから、「一時の幻想に過ぎなかったように思われる」、そういう池澤夏樹の見方にすぐに与しない。
ただ、川内原発、高浜原発の再稼動という現実に立ち会うと、そういう冷静な見方も仕方がないのかもと。だが、この再稼動は自公政権が演出しているものであり、世の中の空気を示しているものではない。経済原理の独裁がそのまま姿を示しているが、どっこい、2015年夏の国会前の声も含め、そう簡単に撤退をしてはいられない。
ただ、彼にそういう感覚を誘い出したろうソキュメンタリー映画「それでも僕は帰る~シリア 若者たちが求め続けたふるさと~」。原題は「ホムスへの帰還」という。それを私も観たい。 (以下は、そのコラム「抵抗する若者たち シリアの希望はどこに」の結語だ)
去年からずっと見たいと思っていた映画をようやく見られた。
「それでも僕は帰る~シリア 若者たちが求め続けたふるさと~」、原題はあっさりと「ホムスへの帰還」。
シリアの中部にあるホムスという都市でアサド政権に抵抗する若者たちを撮ったドキュメンタリーである。
見終わって何時間たっても映像が頭の中で渦を巻いている。場面が断片的によみがえり、いくつもの疑問が噴出する。それが今の状況と呼応してもっと大きな疑問になる――なんで世界はこんなことになってしまったのか?
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チュニジアのジャスミン革命を機に、二〇一一年からアラブ各国で独裁的な体制への反抗運動が高まった。人はこれを「アラブの春」と呼んだ。
ホムスで若い人々が抗議運動を始めた。率いるのがアブドゥル・バセット・アルサルート。「ぼくはアジアで二番のゴールキーパーだ」というとおり、サッカー選手として国民的な人気があった。それがデモの先頭に立ってアサド政権の退陣を求める。
こいつが超かっこいい。
十九歳。美青年で、扇動的な演説がうまく、自作の詩に節をつけて歌うのがまた見事。内容から言えば革命歌なのだが、政権打倒を歌い、団結を歌い、不屈を誓い、アッラーを讃(たた)える。それがアラブの哀愁を帯びたメロディーに乗る。
実写の映像が見る者を引き込む。群衆の盛り上がりと熱気が伝わる。
しかし、政府軍はデモの参加者を無差別に大量に殺し始めた。演説と歌と踊りとプラカードの平和的なデモの訴えは真っ向から暴力的に否定された。
政府軍は反抗的な地域の住民を強引に追い出し、町を封鎖して無人化しようとした。
若者たちは武装蜂起に踏み切る。
監督タラール・デルキは早い段階でバセットのカリスマ性に着目し、彼を中心にしたドキュメンタリー映画を作ろうと決めたらしい。バセットの友人のオサマが半ば専属のカメラマンになって彼の活動を撮ってネットに流す。
蜂起の後は映像は戦闘場面になった。敵は正規軍だから戦車から狙撃兵まで何でも揃(そろ)っている。建物は次々に破壊され、脱出しようにも一本の道を渡ることができない。
この映画はその場その場の実写を繋(つな)ぐだけで、全体状況がなかなか読めない。しかしよく撮ったと息を呑(の)むような場面の連続。物陰から出てカメラを向けることは撃たれる危険に身をさらすことである。英語では「撮る」も「撃つ」もshootという同じ言葉だ。
バセットたちは圧倒的な敵に包囲されて動きが取れない。移動には家々の壁をぶちぬいて作った通路を使う。表通りに出れば撃たれる。
実際に人が撃たれて倒れる場面もあるし、負傷者の運搬や即席の手術の場面も、大量の死者を埋葬する場面もある。棺(ひつぎ)が足りないから白い布で包んだだけの死体が無数に並ぶ。
フィクションならば我々はこの種の場面に慣れてしまっている。しかしこれはフィクションではなくファクトだ。不器用で不細工な、ブレとピンぼけの映像。時系列に沿った編集だが、場面の間の時の経過がつかみにくい。
ある段階でカメラ担当のオサマは政府軍に捕まって消息を絶った。しかしその後も誰かがその時々カメラを手にして撮った。監督のチームが現地に入ることもある。編集は抑制が利いているが、素材の力が圧倒的。
外部の支援を求めてバセットは下水管を伝って脱出する(後で下水管は政府軍の手で爆破された)。支援はなかった。僅(わず)かな希望と共に、まだ包囲された人々のもとへ彼は帰って行く。
その後のことはわからない。
一つ気になるのは、誰がバセットたちに資金を提供したかということ。外国の個人の寄付という言葉があったが、信じるわけにはいかない。それは受け取っていい金だったのか。彼は国際政治の駒ではなかったのか。
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シリアは「アラブの春」が最もこじれたケースだ。今も激烈な内戦が続き、国民は続々と国を逃れて遠い土地へ向かっている。自国民を平然と大量に殺し、都市を廃虚にする政府のもとで暮らすことはできない。エジプトでは軍がムバラクを見放したが、シリア国軍は今もアサドに従っている。
社会が大きく揺れる時、人はそこに希望を見出(みいだ)す。チュニジアの政権が倒れた後で、エジプトやリビアやシリアの抑圧された人々は希望を持った。だが民主的な安定した政権に移れたのはチュニジアとイエメンだけだった。
二〇一一年、ぼくたちは震災を機に希望を持った。復旧に向けて連帯感は強かったし、経済原理の独裁から逃れられるかと思った。五年たってみれば、「アラブの春」と一緒で一時の幻想、「災害ユートピア」にすぎなかったように思われる。
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