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月刊詩誌「詩と思想」8月号「詩人の眼」向けで書いたのだが、きょう編集委員会から「連載は7月号で終わっています。詩と思想は年11回発行ですので」とー。「半年間連載と言われたので、6回かと思っておりました」。という「トホホー~」なので、改めて今度は私たちの同人誌「序説」第23号(8月1日発行)に向けて。
「しゃべくり捲れ」、悩みながらふんぞり返るのだ
黒川純
その詩の素晴らしさは弾圧を受けながらも、鋭い観察眼と世の中を恐れぬ肝っ玉の表現にある。それだけではない。連帯感や孤立感の中にある抒情も含めて心に深く浸透してくる言葉を織り上げている。今の時代は文学、それも詩が読まれず、詩のような言葉が遠ざけられていると、よく言われるが、彼の詩を知れば、もっと詩を読みたい、詩を知りたい、詩的な世界を味わいたいと思うのではないかー。
以上のような指摘で、その彼とはだれか?詩人という詩人は「あっ、彼だな!」と思い浮かべると思う。その賞を知らない詩人はいないだろうから。北海道が生んだ戦前の詩人、39歳で生涯を閉じた小熊秀雄、その人だ。その彼の詩の特徴を示した冒頭の文章は、私・黒川純がかつて書いたもの。私が事務局を務めている同人誌『序説』(1974年創刊)の第13号で、小熊秀雄について書いた小さなエッセイ「戦争に非ず事変と称す」から。発刊は2006年4月で、もう10年も前になる。
と、急に小熊秀雄のことを思い起こしたのは、政権と市民がにらみあいながら、「火花」を散らせしている今の社会・政治の情況もさることながら、たまたま5月19日、顔見知りの郵便屋さんが配達してくれた封筒の中身が「小熊秀雄協会 入会のご案内」だったため。差出人は旧知のその小熊秀雄賞詩人でFacebookでも「ともだち」になっている佐相憲一さん。その紹介は簡潔で要領を得た内容だ。
「奔放なアバンギャルド詩精神で時代と人間への鋭い洞察力をみせた詩人・小熊秀雄(1901~1940)、それを受け、硬軟自在に言葉を紡いだ詩人・作家・英米文学翻訳家の木島始(1928~2004)、文学運動と良書出版の功績に加え自らのルーツを表現した玉井五一(1926~2015)。類まれな個性で文学芸術をリードしたこの3名の作品世界と仕事を現代に伝え偲ぶ当会に、あなたも入会されませんか?」。
小熊秀雄協会については、名前は知っていても、どんな経緯で設立されていたのか、あいにく私は、この「入会案内」を手にするまで知らないでいた。それによると、小熊秀雄協会は、彼の各種作品の魅力を現代に伝え、その生涯を偲ぶために、1982年より毎年開かれてきた長長忌(じゃんじゃんき)を主行事として、木島始と玉井五一によって設立された。長長忌は池袋モンパルナスの会に実働を頼る運営で昨年まで盛会を続けているが、かんじんの小熊秀雄協会は木島、玉井両氏が他界し、宙ぶらりんとなっているという。そこで今回、5人の世話人で小熊秀雄協会の再建・継承を宣言することになったのだという。代表は、詩人・評論家である佐相憲一さんとなっていた。年会費は「庶民的な」1000円だというから、私もぜひ参加したいと思う。
と、考えるまでもなく、あっさりと小熊秀雄協会に参加しようと思わせる小熊秀雄の詩とはどんなものなのか?、詩人以外の読者は不思議がることだろう。そこでひとつの典型的といってよい、と私が勝手に思ってきた小熊の詩「しゃべくり捲れ」の、そのほんの一部を挙げてみたい。と、書きながら、『小熊秀雄 人と作品』(岡田雅勝 清水書院 1991年1月)をチェックしていたら、この「しゃべくり捲れ」は、「小熊の詩作品を代表する」とあった。
私は、いま幸福なのだ
舌が廻るということが!
沈黙が卑屈の一種であるということを
私は、よっく知っているし、
沈黙が、何の意見を
表明したことにも
ならない事を知っているからー。
若い詩人よ、君もしゃべくり捲れ、
我々は、だまっているものを
どんどん黙殺して行進していい、
・・・・・
月は、口をもたないから
光りをもって君の眼に語っている、
ところで詩人は何をもって語るべきか?
4人の女は、優に一人の男を
だまりこませる程に
仲間の力をもって、しゃべくり捲るものだ、
プロレタリア詩人よ、
我々は大いに、しゃべったらよい、
仲間の結束をもって、
敵を沈黙させるほどに
壮烈にー。
この詩の中に「プロレタリア詩人よ」とあるが、『小熊秀雄 人と作品』などによると、小熊秀雄がプロレタリア詩人会に入会したのは、30歳の1931(昭和6)年だった。「プロレタリア文学運動に入り、魚が水を得たように元気に活動的になった」(小熊の妻・つね子「小熊秀雄との歳月」)。翌年の1932(昭和7)年、日本プロレタリア作家同盟(ナルプ)と発展的に解消し、小熊も参加した。その年、ナルプも構成団体のひとつとする日本プロレタリア文化連盟(コップ)が弾圧された。小熊も検挙され、29日間の拘留を受けた。さらに1933(昭和8)年、小林多喜二が虐殺されたという知らせで仲間のところに駆け付けたところで検挙され、再び29日間の拘留を受けた。
日本プロレタリア作家同盟は1934(昭和9)年に解体宣言を出したが、小熊はその翌年の1935(昭和10)年に第一詩集『小熊秀雄詩集』と長編叙事詩集『飛ぶ橇(そり)』を刊行している。小熊秀雄はプロレタリア文化運動が終わった時期から登場したことになる。それだけに「しゃべくり捲れ」が弾圧で衰退していた当時のプロレタリア詩壇に与えた影響は大きかったのだろう。「ヴィトゲンシュタイン」(清水書院)などの著書もある岡田雅勝は、彼の「最後のふんぞり返り」だと解説しているが、これは「なるほどー」と思わされた。
「もし詩人がさまざまな圧力や束縛によって歌うことを止めたとしたら、それは詩人として生きていないのだ。〈しゃべくり捲れ〉という小熊の叫びは、自分が詩人としての路を選んだ以上は、もうその路を歩むことしか残されておらず、歌うことで自分の路が絶たれるとすれば、もう自分は生きる方途がないという最後のふんぞり返りであった。それは歌うことを止めた詩人に対する非難であり、弾圧に屈している詩人たちに勇気をもって立ち上がることに詩人の存在理由があるという促しでもあった」
と、まぁ、今から80年前の小熊秀雄の「詩想」をなぞっていたら、この解説がいちいち胸にぐっさり刺さってきた。「東日本大震災・福島第一原発事故」が起きたその春からtwitterでそれこそ機関銃のように140字詩を「しゃべくり捲って」いた。1カ月で何十という詩をネットや同人誌で発表していたほど。その私がこのところ、「多忙」にかまけて、詩を考える時間とはほとんど縁がない状況を自ら黙認していた。
「小熊秀雄協会」への入会の案内が飛び込んできたのは、そんなとき。これも何かの縁だ。小熊は『小熊秀雄詩集』(日本図書センター 2006年2月)の「序」でこう問いかけている。「そしてこの一見間抜けな日本の憂愁時代に、いかに真理の透徹性と純潔性を貫かせたらよいか、私は今後共そのことに就いて民衆とともに悩むであろう」。私も悩みながら、自分で自分にふんぞり返って、「しゃべくり捲って」みることにしよう。(完)
毎月20日締め切りのエッセイ、今回も数日遅れに。メールで編集委員会に「恐縮です」と、もう何回、お詫びしたことだろう(泣く)3月号からの半年間連載、その最終回。最後ぐらい、締め切りを守りたかったのだが|~。
「詩と思想」8月号原稿 「詩人の眼」 5月23日(月)
「しゃべくり捲れ」と、小熊秀雄は叫んだ
黒川純
。。。。。。。
゙ と、考えるまでもなく、あっさりと小熊秀雄協会に参加しようと思わせる小熊秀雄の詩とはどんなものなのか?、詩人以外の読者は不思議がることだろう。そこでひとつの典型的といってよい小熊の詩「しゃべくり捲れ」の、そのほんの一部を挙げてみたい。と、思っていたことをそのまま書きながら、『小熊秀雄 人と作品』(岡田雅勝 清水書院 1991年)をチェックしていたら、「小熊の詩作品を代表する」とあった。
私は、いま幸福なのだ
舌が廻るということが!
沈黙が卑屈の一種であるということを
私は、よっく知っているし、
沈黙が、何の意見を
表明したことにも
ならないことを知っているからー。
若い詩人よ、君はしゃべくり捲れ
我々は、だまっているものを
どんどん黙殺して行進していい、
・・・・・
薔薇は口をもたないから
匂いをもって君の鼻へ語る、
月は、口をもたないから
光りをもって君の眼に語っている、
ところで詩人は何をもって語るべきなのか?
4人の女は、優に一人の男を
だまりこませるほどに
仲間の力をもって、しゃべくり捲るものだ
プロレタリア詩人よ、
我々は大いに、しゃべったらよい、
仲間の結束をもって
敵を沈黙させるほどに
壮烈にー。
この詩の中に「プロレタリア詩人よ」とあるが、『小熊秀雄とその時代』(せらび書房)や『小熊秀雄 人と作品』によると、小熊秀雄がプロレタリア詩人会に入会したのは、30歳の1931(昭和6)年だった。「プロレタリア文学運動に入り、魚が水を得たように元気に活動的になった」(小熊の妻・つね子「小熊秀雄との歳月」)。翌年の1932(昭和7)年、日本プロレタリア作家連盟(ナルプ)と発展的に解消し、小熊も参加した。その年、ナルプも構成団体のひとつとする日本プロレタリア文化連盟(コップ)が弾圧された。小熊も検挙され、29日間の拘留を受けた。さらに1933(昭和8)年、小林多喜二が虐殺されたという知らせでナルプ委員長のところに駆け付けたところで検挙され、再び29日間の拘留を受けた。日本プロレタリア作家連盟は1934(昭和9)年に解体宣言を出したが、小熊はその翌年の1935(昭和10)年に第一詩集『小熊秀雄詩集』と長編叙事詩集『飛ぶ橇(そり)』を刊行している。
小熊秀雄はプロレタリア文化運動が終わった時期から登場したという。それだけに「しゃべくり捲れ」が弾圧で衰退するしかなかった当時の詩壇に与えた影響は大きかったのだろう。「ヴィトゲインシュタイン」(清水書院)などの著書もある岡田雅勝は、彼の「最後のふんぞり返り」だと解説しているが、これは「なるほどー」と。
「もし詩人がさまざまな圧力や束縛によって歌うことを止めたとしたら、それは詩人として生きていないのだ。〈しゃべくり捲れ〉という小熊は叫ぶは、自分が詩人としての路を選んだ以上は、もうその路を歩むことしか残されておらず、歌うことで自分の路が絶たれるとすれば、もう自分は生きる方途がないという最後のふんぞり返りであった。それは歌うことを止めた詩人に対する非難であり、弾圧に屈している詩人たちに勇気をもって立ち上がることに詩人の存在理由があるという促しでもあった」
と、まぁ、今から80年前の小熊秀雄の「詩想」をなぞっていたら、
。。。。。。。。
(残りは「詩と思想」8月号でー7月下旬、全国書店で刊行ー)
戦争法反対栃木県民ネット公式twitter、フォロワーが、700に達しました。さぁ、これから、1000の大台へ。フォローは2006人に達しましたが~。
「国家は個人にとってはまず解放者だったのです。しかし、この解放者は、今度はひよっとすると全面的な支配者になりかねない。いったんそうなると国家が飛び抜けて強い存在になるわけですから、今度はその国家の出番を抑える国家からの自由が必要になってくる。だから、個人の方から様々なルールをつくりー立憲主義ですねー国家を縛る。これが近代社会の描くモデル的なイメージです」 と、
「個人と国家 -今なぜ立憲主義か」(樋口陽一 集英社新書 2015年6月6日 第13刷り) から。
ソーシャルメディアの革命性とはー
黒川純
337、1290、9251、3385・・・・。この数字、何かと思うでしょうか。実は、私、黒川純のSMS(ソーシャルメディアサービス)の2016年2月中旬のそれぞれのサービスの「ともだち」であったり、「訪問者」であったり、あるいは「投稿」の数だ。337は、FACEBOOKで互いに認証しあっている「ともだち」が337人、TWITTERで私の投稿を受ける人・「フォロアー」が1290人、そのTWITTERに私が投稿した記事が9251本、BLOG「霧降文庫」の1月の月間訪問者の実数が3385人。という意味合いだ。
最初に始めたのは、BLOGで、2010年6月から。「3・11」の10ケ月前だ。「3・11」から3週間後、岩手県の災害支援に出掛けた際、「あと3人の手が欲しい」「軽トラをもう一台」といった呼び掛けがTWITTERで行われていた。その現場からトンボ返りした2011年4月にTWITTERを始め、さらに2年後、FACEBOOKも始めた。このSMSに加え、「脱原発団体」や「反戦争法」や「半貧困ネット」といった市民団体のML(メーリングリスト)が5つあり、このネット間を往復する日々が続いている。
もともとはアナログ派を自認していた。というか、メール時代からそれほど積極的に関わってもいなかった。だが、「3・11」以後、必要に迫られて始めたSMSで、デジタル派だと思われるようになってしまったようなのだ。本人の意思、思惑を超えて、今では、こうした市民団体の複数のSMS担当をおおせつかっているところだ。さて、その私にとって、今では毎日着替える衣服のような存在になっている。
2011年のチェニジアのジャスミン革命から、またたく間に、エジプト、リビア、バーレンへ。「アラブの春」がこのソーシャルメディアの、SMSが大きな役割を担ったことは繰り返し報道され、記憶にも新しい。なぜ、チェニジアでFACEBOOKに端を発する革命が起きたのか?自身、TWITTERで61万6千人のフオロワーを持つ津田大介は『動員の革命―ソーシャルメディアは何を変えたのか』(2012年4月10日初版、中公新書ラクレ)で、実はアフリカで一番IT化が進んでいるのが、チュニジアだったと言っている。その実情を含めた指摘は私にとって初耳だった。 おっと~、問題はその革命の構造を伝えることではなく、この『動員の革命』の指摘、視点を私のSMS体験を重ねながら、提示したいことにある。「はじめに」で、彼、津田大介は以下のように結論を先取りしている。
わたしたちを取り巻く情報環境は、ここ数年のソーシャルメディアの台頭によって大きく変わりました。その本質は「だれでも情報を発信できるようになった」という、陳腐なメディア論で言われがちなことではなく、『ソーシャルメディアがリアル(現実の空間・場所)を《拡張》したことで、かつてない勢いで人を『動員』できるようになった』というところにあるのです。ネットを通じて短期間に人が動員されるとどのような社会変革が起きるのかー。
問題意識ははっきりしている。この延長で最も魅力的な見方は以下にある。
ソーシャルメディアというのは、実は人が行動する際に、モチベーションを与えてくれるもの――言い換えると、背中を押してくれるメディアとして機能しているのです。「この人が言うことなら信頼できる」という行動するための判断材料がつまびらかにされるので、自分でもできることを協力しようと思える。それは東日本大震災でも大きな力を発揮しました(略)とにかく人を集めるのに長けたツールです。人を集めて行動させる。まさにデモに代表されるように、人が集まることで圧力となり、社会が変わります。そのソーシャルメディアの革命性が最大限発揮されたのが「アラブの春」でした。
キイワードは「動員」。そのSMSによる典型的な事例が2011年秋、日光市のJR日光駅舎を会場に私などが実行委形式で企画した京都の詩人・河津聖恵さんの詩の講演会と朗読会がある。演題は「ひとりびとりの死者へ」へ、「ひとりびとりの生者」から。「3・11」以後、たまたまTWITTERで偶然知り合った河津さんと意気投合。日光で詩のイベントを行うことを決めた。このとき、私のBLOGでは「河津聖恵の世界」と題して24回にわたって、彼女の詩の世界を紹介。前売券1200円、当日券1500円のイベントを成功させようとした。結果はー。参加者70人ほど。「日光詩人クラブ」があるわけでもない、小さな地方都市で、こうしたイベントの「動員」がよく成立したと思う。
最近で言えば、国会前や日比谷公園などである戦争法反対抗議や脱原発の集会・デモについて、仲間に情報連絡する際は、もっぱらFACEBOOKの「公開イベント招待」を使っている。これなどは「動員」はもちろんだが、それ以前に「情報の共有」、「知恵の交換」といった意味合いもある。〈世の中はこんなふうに訴えているよ、こんな形で行動を起こしているよ〉、そんなことを伝えようという思いも込めて。
最近の例では、今春2月27日(土)、日光市市民活動支援センターを会場に開いた「小規模自家発電ワークショップ」がある。ソーラー発電システムを自分で組み立てようという自主講座だ。主催は「さよなら原発!日光の会」。FACEBOOKやMLなどで呼び掛けたところ、定員25人のところ、希望者が次々と。30人を超えてしまったので、募集をストップしたほど。これなどは「動員」をかける一方、「情報の共有」と「知恵の交換」を狙った典型例だ。ただし、ソーシャルメディアに慣れている人ばかりではないので、応募の手段は、SMSが半数、電話や会議などで「参加するよ」といった以前の手段がた半数という実態だ。
「動員」といえば、デモや集会もそうだが、やはり選挙だろう。たけなわの米大統領選では、民主党のバーニー・サンダース上院議員(74)の思わぬ躍進が大きく報道されてきた。東京新聞の「米大統領予備選(下) 証言者 サンダース支持の大学生」(2月24日付)では、これまで話題にしてきたSMSについて、こんな結びの記事になっている。
「サンダースが若者に愛される理由の一つは、インターネットのソーシャルメディア候補だから。つまり、サンダースが掲げた『人種、差別、収入の平等』という、若者が一番関心のある政策とネットがうまくかみ合って広がっていると思うんだ。僕自身、サンダースの政策はネットで知った」
ここでは「動員」を象徴に、「情報の共有」、「知恵の交換」といった原理が働いているー、そのことを示したリアルタイムの情況がある。
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