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2016年5月28日 (土)

「しゃべくり捲れ」、悩みながらふんぞり返るのだ   黒川純

 

Photo_2 月刊詩誌「詩と思想」8月号「詩人の眼」向けで書いたのだが、きょう編集委員会から「連載は7月号で終わっています。詩と思想は年11回発行ですので」とー。「半年間連載と言われたので、6回かと思っておりました」。という「トホホー~」なので、改めて今度は私たちの同人誌「序説」第23号(8月1日発行)に向けて。

「しゃべくり捲れ」、悩みながらふんぞり返るのだ

                    黒川純

 その詩の素晴らしさは弾圧を受けながらも、鋭い観察眼と世の中を恐れぬ肝っ玉の表現にある。それだけではない。連帯感や孤立感の中にある抒情も含めて心に深く浸透してくる言葉を織り上げている。今の時代は文学、それも詩が読まれず、詩のような言葉が遠ざけられていると、よく言われるが、彼の詩を知れば、もっと詩を読みたい、詩を知りたい、詩的な世界を味わいたいと思うのではないかー。

 以上のような指摘で、その彼とはだれか?詩人という詩人は「あっ、彼だな!」と思い浮かべると思う。その賞を知らない詩人はいないだろうから。北海道が生んだ戦前の詩人、39歳で生涯を閉じた小熊秀雄、その人だ。その彼の詩の特徴を示した冒頭の文章は、私・黒川純がかつて書いたもの。私が事務局を務めている同人誌『序説』(1974年創刊)の第13号で、小熊秀雄について書いた小さなエッセイ「戦争に非ず事変と称す」から。発刊は2006年4月で、もう10年も前になる。

 と、急に小熊秀雄のことを思い起こしたのは、政権と市民がにらみあいながら、「火花」を散らせしている今の社会・政治の情況もさることながら、たまたま5月19日、顔見知りの郵便屋さんが配達してくれた封筒の中身が「小熊秀雄協会 入会のご案内」だったため。差出人は旧知のその小熊秀雄賞詩人でFacebookでも「ともだち」になっている佐相憲一さん。その紹介は簡潔で要領を得た内容だ。
 「奔放なアバンギャルド詩精神で時代と人間への鋭い洞察力をみせた詩人・小熊秀雄(1901~1940)、それを受け、硬軟自在に言葉を紡いだ詩人・作家・英米文学翻訳家の木島始(1928~2004)、文学運動と良書出版の功績に加え自らのルーツを表現した玉井五一(1926~2015)。類まれな個性で文学芸術をリードしたこの3名の作品世界と仕事を現代に伝え偲ぶ当会に、あなたも入会されませんか?」。
 小熊秀雄協会については、名前は知っていても、どんな経緯で設立されていたのか、あいにく私は、この「入会案内」を手にするまで知らないでいた。それによると、小熊秀雄協会は、彼の各種作品の魅力を現代に伝え、その生涯を偲ぶために、1982年より毎年開かれてきた長長忌(じゃんじゃんき)を主行事として、木島始と玉井五一によって設立された。長長忌は池袋モンパルナスの会に実働を頼る運営で昨年まで盛会を続けているが、かんじんの小熊秀雄協会は木島、玉井両氏が他界し、宙ぶらりんとなっているという。そこで今回、5人の世話人で小熊秀雄協会の再建・継承を宣言することになったのだという。代表は、詩人・評論家である佐相憲一さんとなっていた。年会費は「庶民的な」1000円だというから、私もぜひ参加したいと思う。
 
 と、考えるまでもなく、あっさりと小熊秀雄協会に参加しようと思わせる小熊秀雄の詩とはどんなものなのか?、詩人以外の読者は不思議がることだろう。そこでひとつの典型的といってよい、と私が勝手に思ってきた小熊の詩「しゃべくり捲れ」の、そのほんの一部を挙げてみたい。と、書きながら、『小熊秀雄 人と作品』(岡田雅勝 清水書院 1991年1月)をチェックしていたら、この「しゃべくり捲れ」は、「小熊の詩作品を代表する」とあった。

私は、いま幸福なのだ
舌が廻るということが!
沈黙が卑屈の一種であるということを
私は、よっく知っているし、
沈黙が、何の意見を
表明したことにも
ならない事を知っているからー。
若い詩人よ、君もしゃべくり捲れ、
我々は、だまっているものを
どんどん黙殺して行進していい、
・・・・・
月は、口をもたないから
光りをもって君の眼に語っている、
ところで詩人は何をもって語るべきか?
4人の女は、優に一人の男を
だまりこませる程に
仲間の力をもって、しゃべくり捲るものだ、
プロレタリア詩人よ、
我々は大いに、しゃべったらよい、
仲間の結束をもって、
敵を沈黙させるほどに
壮烈にー。

 この詩の中に「プロレタリア詩人よ」とあるが、『小熊秀雄 人と作品』などによると、小熊秀雄がプロレタリア詩人会に入会したのは、30歳の1931(昭和6)年だった。「プロレタリア文学運動に入り、魚が水を得たように元気に活動的になった」(小熊の妻・つね子「小熊秀雄との歳月」)。翌年の1932(昭和7)年、日本プロレタリア作家同盟(ナルプ)と発展的に解消し、小熊も参加した。その年、ナルプも構成団体のひとつとする日本プロレタリア文化連盟(コップ)が弾圧された。小熊も検挙され、29日間の拘留を受けた。さらに1933(昭和8)年、小林多喜二が虐殺されたという知らせで仲間のところに駆け付けたところで検挙され、再び29日間の拘留を受けた。
日本プロレタリア作家同盟は1934(昭和9)年に解体宣言を出したが、小熊はその翌年の1935(昭和10)年に第一詩集『小熊秀雄詩集』と長編叙事詩集『飛ぶ橇(そり)』を刊行している。小熊秀雄はプロレタリア文化運動が終わった時期から登場したことになる。それだけに「しゃべくり捲れ」が弾圧で衰退していた当時のプロレタリア詩壇に与えた影響は大きかったのだろう。「ヴィトゲンシュタイン」(清水書院)などの著書もある岡田雅勝は、彼の「最後のふんぞり返り」だと解説しているが、これは「なるほどー」と思わされた。

 「もし詩人がさまざまな圧力や束縛によって歌うことを止めたとしたら、それは詩人として生きていないのだ。〈しゃべくり捲れ〉という小熊の叫びは、自分が詩人としての路を選んだ以上は、もうその路を歩むことしか残されておらず、歌うことで自分の路が絶たれるとすれば、もう自分は生きる方途がないという最後のふんぞり返りであった。それは歌うことを止めた詩人に対する非難であり、弾圧に屈している詩人たちに勇気をもって立ち上がることに詩人の存在理由があるという促しでもあった」

 と、まぁ、今から80年前の小熊秀雄の「詩想」をなぞっていたら、この解説がいちいち胸にぐっさり刺さってきた。「東日本大震災・福島第一原発事故」が起きたその春からtwitterでそれこそ機関銃のように140字詩を「しゃべくり捲って」いた。1カ月で何十という詩をネットや同人誌で発表していたほど。その私がこのところ、「多忙」にかまけて、詩を考える時間とはほとんど縁がない状況を自ら黙認していた。
「小熊秀雄協会」への入会の案内が飛び込んできたのは、そんなとき。これも何かの縁だ。小熊は『小熊秀雄詩集』(日本図書センター 2006年2月)の「序」でこう問いかけている。「そしてこの一見間抜けな日本の憂愁時代に、いかに真理の透徹性と純潔性を貫かせたらよいか、私は今後共そのことに就いて民衆とともに悩むであろう」。私も悩みながら、自分で自分にふんぞり返って、「しゃべくり捲って」みることにしよう。(完)


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