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2016年7月28日 (木)

折々の<状況>その2  今夏発刊「序説第23号」

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折々の<状況>その2

                                                         

 富岡洋一郎

 

「事件」・・・・新しい何かが突然に

 

私たちは、今、いや、今も、「事件」でいっぱいの世の中にいる。それも表層でも深層でも。飛び込んでくる事象だけでなく、眼を大きく見開くことで視えてくるそれも。あれから5年目を迎える東日本大震災・福島第一原発事故、それはもちろん、芸能人の最新スキャンダルも、暴力的な政治変動も、さらに個人的な決断も「事件」だー。スロヴェニア生まれの思想界の奇才と呼ばれる、スラヴォイ・ジジェクは『事件! 哲学とは何か』で、これらをあげたうえで、事件の定義のひとつを示す。「事件とは、すべての安定した図式を覆すような新しい何かが突然に出現することだ」、あるいは「事件とは、何よりも原因を超えているように見える結果のことである」と。

 

「原因を超えているように見える結果・・・・」の例として、『事件!』は、恋に落ちた例をあげる。これなどはだれもが胸に手を当てれば、「なるほど!」に。「私たちは特定の理由、(彼女の唇、あの微笑み、など)で恋に落ちるわけではない。 すでに彼女に恋しているから、唇やその他が私を惹き付けるのだ。だから、恋愛もまた事件的である。恋愛は、事件の結果が遡及的にその原因あるいは理由を決定するという循環構造の好例である」

 

「新しい何かが突然に出現する・・・」、その典型的な場面に2015年秋、私はたまたま立ち会っている。というか、私の体感をそのまま言葉で明らかにした素晴らしいスピーチを会場で聴いた。東京・代々木公園で開かれた「9・23 さようなら原発さようなら戦争全国集会」。檀上で、上野千鶴子(東大名誉教授)は、感慨深そうに、それでも、「一語一語」をていねいに、いわば、この時代を「総括」した。「70年安保」(もう45年前にもなる!)に関わった彼女はメモを片手にこう語っていた。

「私たち70年安保闘争世代は闘って負け、深い敗北感と政治的シニシズムの淵に沈み込んだ。しかし、2015年夏の経験は40数年間続いた政治的シニシズムを一掃したと私は確信する。議会の配置に変更がない以上、どんなに運動しても議会の中の結果は見えていた。だが誰もあきらめなかった。それどころか、日に日に路上に出る人が増えていった。まっとうなことをまっとうに口にしてよい、そういう時代がきました!」

 

キイワードの「政治的シニシズム」とは、この場合、「お前たちは何てバカなことをやってんだ!」という斜に構えた、我関せずの「冷笑主義」といったところ。72年初春に発覚した「連合赤軍事件」などを契機に潮が引くように去っていった「政治事件」が、昨夏、「SEALDs」(自由と民主主義のための学生緊急行動)を先頭にした若者たちの躍動で、再び世の中へ。戦後70年続いた「この国のかたち」を根底から変える「戦争法」を立法化させた政権に「新しいコール」で初々しく抗議。その力が学者、高校生、ママへと広がった。 

作家で明治学院大教授の高橋源一郎は、「SEALDs」メンバー、明治学院大4年の奥田愛基くんを取り上げた「朝日新聞be」(2015年12月19日付)で、「政権へ異を唱えたいと思う人が増えてきたとき、彼らが〃着火剤〃の役割を担った」と評価している。その「SEALDs」のメンバーと語っている『民主主義ってなんだ?』で、彼、高橋源一郎は、上野千鶴子が語った「まっとうなことをまっとうに口にしてよい時代」を、柔らかく言い換えている。別の言葉だが、意味するところは同じだ。「ふつうのことが、ふつうに行われ、風通しのいい社会に」と。

 

「ふつうの子たちが、ふつうに生きていて、社会がおかしくなったと思って、なにかしなきゃならない、って思って、いろいろするようになった。そのふつうのことが、ふつうに行われることが、長い間、ふつうじゃなかった、ってことの意味も、ぼくは考えていた。彼らは、風通しのいい社会になったらいいのに、と思って、運動を始めた。そのことに、ぼくは、深く共感している」(『民主主義ってなんだ?』「はじめに」)

 

「事件」は、「戦争法」抗議以前から起こっていた。反原発首都圏連合が官邸前で始めていた毎週金曜日の「再稼動反対」アクションだ。2012年春から夏へ。数百人、数千人、数万人へ。倍々ゲームのように膨れ上がり、全国各地に次々と飛び火した。私も何度か参加しているこの「事件」についても、高橋源一郎は『ぼくらの民主主義なんだぜ』で、「デモ」について、うまい紹介をしている。市民団体「さよなら原発!日光の会」の代表である私も何度か問われてきたその問題についてのわかりやすい返答だ。

「首相官邸の前に、何万、何十万もの人たちが集まる。そんな風景は何十年ぶりだろうか。長い間、この国では大規模なデモは行われなかったのだ。でも、うたぐり深い人はいて、『デモで社会が変わるのか?』と問うのである。それに対して柄谷行人は、こう答える。『デモで社会は変わる。なぜなら、デモをすることで、《人がデモをする社会》に変わるからだ』」。

「ふつうの子や人が、まっとうなことを、まっとうに口にするため、ふつうに集会やデモを行う」。今や、そういう新たな時代に入った、私はその思いを強くしている。

 

「新しい何かが出現する・・・・」あるいは「原因を超えているようにみえる結果・・・」、その「事件」は、当然、ある種のさまざまな「時間」を伴う。では、「恋」にしても、「デモ」にしても、あるいは、別の何らかの「個人的な決断」でもいいのだが、それについて、それこそ意味深長な指摘をジジュクが『事件!』で語っている。追うのが難しい「時間」についての論考の中で。そのひとつとして、ドイツの革命家ローザ・ルクセンブルクと社会主義者エドゥアルト・ベルンシュタインとの「権力掌握時期尚早」論争、もとりあげている。ローザが反論する。「『時期尚早の』攻撃こそが要因、それも非常に重大な要因となり、最終的勝利の政治的諸条件を築きあげるのだから」。これらを挙げながら、「行為にとってちょうどいい時期などないのだ」。こう、たたみかける。さまざまなことが想像できる、このフレーズをかみしめることで、「自分と事件」に遭遇することができるのではないか。

 

「もちろん問題は、行為と言うものはつねに早すぎると同時に遅すぎるということだ。一方では条件が整うことなどありえない。緊急性に屈服せざるを得ない。じゅうぶん待つ時間などない。戦略を練り上げる時間はない。行為はそれ自身の諸条件を遡及的に確立するという確信と危険性を覚悟しなければならない。他方では、緊急だという事態そのものが、行為が遅すぎたということを物語っている。もっと早く行動すべきだったのだ。行為はつねに、我々の行為が遅すぎたために生じた状況に対する反応である。要するに、行為にとってちょうどいい時期などないのだ」(『事件!』「真理は誤謬から生まれる」) (初出 月刊詩誌『詩と思想』コラム「詩人の眼」2016年3月号)

 

 

『ミツバチの羽音と地球の回転』が今!                      

 

 「日本にも環境にいい電気はあるだろう?」

「環境認証がついた電気を選べばいいんだ」

「・・・えっ、本当に電気が自由化されていないのかい!」

「そりゃ、変えなきゃだめだ!」

 

 という北欧人とのやりとりからそのドキュメンタリー映画の予告編が始まる。鎌仲ひとみ監督が2010年に制作した『ミツバチの羽音と地球の回転』。原発の建設計画が進められている現地の真向いに位置する瀬戸内海に浮かぶ山口県祝島を中心に、脱原発を国民投票で決めたスウェーデンも「旅する映画」だ。

 この映画の公式ホームページの「もうひとつの選択 立ち上がる未来のイメージ」で、鎌仲監督はこう呼びかける。「社会を変革する、エネルギーをシフトする、その現場で私たちと同じ、一人一人の生身の人間が矛盾と格闘しています。そこに必要なのは、これまでの持続不可能な文明からの転換です。価値がひっくり返る考え方です・・・」。

 この「ミチバチの・・」の映画、全国各地で上映されていた2012年春、私が代表を務めている脱原発社会をめざす市民団体「さよなら原発!日光の会」も日光中央公民館中ホールで自主上映している。関心は高く、午前・午後の2回、合わせて260人以上もの市民でにぎわった。観客の一人で、たまたま日光に帰省していた『週刊 金曜日』の記者は「えっ!日光で、このようなドキュメンタリー映画に足を運ぶ市民がこんなに大勢もいるなんて!」と、驚くほど。

 

 

映画では「本当に電気が自由化されていないのかい!」と言われていたが、この日本でもようやく「電力自由化」がやってくる。4月1日から電力の販売が全面的に自由化される。これまで大企業のような大口需要家だけではなく、東京電力など大手電力と契約するしかなかった家庭でも、電気を買う先を選ぶことができる。「電力自由化で大切なことは」という朝日新聞の「社説余摘」欄(2016年1月15日付、高橋万見子・経済社説担当)によると、ガス、石油、通信など100社以上が新規参入の手続きを済ませている。ガスや携帯とセットで契約すると割引になる、という文言も躍っている。

 

 大手紙でも「電力自由化 新プラン乱立 どれがお得?ネットで検討」(東京新聞1月16日付)、「電気料金プラン 比較サイト次々 割引・ポイントを一覧」(朝日新聞1月16日付)といった記事を掲載し始めた。しかし、2013年秋から2年半にわたり東京電力の「原発電気代不払い運動」を続けてきた私にとっては、「どれがお得?」も「割引・ポイント」について、特別に関心を持てない。東電との契約をやめるのは当然としても、いかに原発からの供給電力ではなく、太陽光や風力などの再生可能エネルギーを中心とした電力会社を選ぶことができるか。つまり、どんな電源から電気を供給する新規電力会社なのか?そのことに眼を向けている。

 

 原発即時全廃を唱えている私の場合、「原発からの電力について、お金を払う必要性ない」と主張。というか、「あまりもばかばかしい」ということで、毎月、「電源開発促進税」110円と「福島原発維持費100円」(と、私が勝手に算定した)の計210円を電気代から差し引き、送電ストップ予告通知が届いたときに210円を改めて支払う、そういった対応をしてきた。実態は「不払い」というより「遅払い」といった対処か。210円を支払わないとしていたことで、最初の送電ストップ予告が来た際、東電の出先機関に出向き、「抗議文」を読み上げている。同じような対応をしていた栃木県内の人たちと「原発電気代不払いネットワーク」も立ち上げていた。その後も原発電気代は払わないということを毎月の振込用紙に書いてきた。そうした面倒なことも、3月いっぱいで終わりになる。

 

 

 「電力の自由化で大切なことは」に戻ると、高橋万見子・経済社説担当も、福島第一原発事故を契機にこう考えるようになったとつづる。「電気を使う側の意思と責任が目に見えて伝わる社会の必要性を考えるようになった。どんな電気を選ぶかで供給側の改革を促す。自由化はそのための道具だ」と。鎌仲監督の「社会を変革する、エネルギーをシフトする、価値がひっくり返る考え方」に比べ、いかにも控えめだ。抽象的で、一歩引いた記事の展開だ。それにしても、高橋万見子記事は、「行間」にだがー、電気会社を選ぶ際、福島第一原発事故の重大さを思い起こして欲しい、といったことを促してはいる。それにしても、「どんな電気を選ぶかで供給側の改革を促す、自由化はそのための道具だ」はー、どうもしっくりこない。

 

 なぜか。大事なポイントである各電力会社の収支構造やそれがもたらす影響度合いなどについて、一言も触れていない、それがあるからだろう。朝日新聞デジタル(2012年5月23日)によると、経産省が全国10電力会社の2010年度まで過去5年間の電力販売による収益を調べたところ、家庭向け電力は販売量の4割しかないのに、利益の7割を占めていることがわかった。東京電力では、家庭向けが利益の91%を占めていた。だから、私たち家庭の多くが東電をやめて、新電力と契約を結べば、当然、東電はそれこそ大打撃をこうむる。

 

 『東京に原発を!』(1981年)などの著者で知られるノンフィクション作家、広瀬隆の最新刊『東京が壊滅する日 フクシマと日本の運命』(2015年7月 ダイヤモンド社)では、こうした電力会社の収支構造に言及したうえで、家庭の6割以上が安全でクリーンな「新電力」との契約変更を望んでいるとする。そうしてこう指摘する。「新電力の多くは、ガス・通信・自動車業界など日本の一流企業でもある。したがって、電力会社は原発に見切りをつけない限り、膨大な数の顧客を新電力に奪われ、ますます経営が悪化し、自分の首を絞めて最後に窒息するだけである」。

そのうえで広瀬らしい広い視点を提供する。「もともとマンハッタン計画で膨大な収益を求めてスタートした原爆開発と、その落とし子の原子力産業であるから、収益シンジケートの地球規模の鎖の輪の一カ所が切れると、そっくり全部が同時に崩壊するのが経済原理だ」と指摘。その最大の鍵を握っているのが、シンジケートにばくだいな金を注いできた日本だという。そこで今回の「電力自由化」である。それについての広瀬の見方と大手紙の論調とのなんという落差であることか。私たちはその指摘から今回の「電力自由化」が問う重大さを知ることになる。

「『日本の電力自由化』がこの国際的なシンジケートの輪を断ち切れば、いかなる国の原子力協定も、原発輸出計画も、原水爆産業(軍需産業)も、いっせいに経済崩壊する可能性がある」。

広瀬隆がこう強調する電力自由化で、各家庭の「台所」から始まる「雪崩現象」が日本で起きれば、未来の世界が射程に入る魅力的な構図も描けるー。それは冒頭に挙げたドキュメンタリー映画『ミツバチの羽音と地球の回転』、その題名とそっくり重なる視点だ。(初出 月刊詩誌『詩と思想』コラム「詩人の眼」2016年4月号)

 

 

ソーシャルメディアの革命性とはー

 

 337、1290、9251、3385・・・・。この数字、何かと思うでしょうか。実は、私、黒川純のSMS(ソーシャルメディアサービス)の2016年2月中旬のそれぞれのサービスの「ともだち」であったり、「訪問者」であったり、あるいは「投稿」の数だ。337は、FACEBOOKで互いに認証しあっている「ともだち」が337人、TWITTERで私の投稿を受ける人・「フォロアー」が1290人、そのTWITTERに私が投稿した記事が9251本、BLOG「霧降文庫」の1月の月間訪問者の実数が3385人。という意味合いだ。

最初に始めたのは、BLOGで、2010年6月から。「3・11」の10ケ月前だ。「3・11」から3週間後、岩手県の災害支援に出掛けた際、「あと3人の手が欲しい」「軽トラをもう一台」といった呼び掛けがTWITTERで行われていた。その現場からトンボ返りした2011年4月にTWITTERを始め、さらに2年後、FACEBOOKも始めた。このSMSに加え、「脱原発団体」や「反戦争法」や「半貧困ネット」といった市民団体のML(メーリングリスト)が5つあり、このネット間を往復する日々が続いている。

もともとはアナログ派を自認していた。というか、メール時代からそれほど積極的に関わってもいなかった。だが、「3・11」以後、必要に迫られて始めたSMSで、デジタル派だと思われるようになってしまったようなのだ。本人の意思、思惑を超えて、今では、こうした市民団体の複数のSMS担当をおおせつかっているところだ。さて、その私にとって、今では毎日着替える衣服のような存在になっている。

 

 2011年のチェニジアのジャスミン革命から、またたく間に、エジプト、リビア、バーレンへ。「アラブの春」がこのソーシャルメディアの、SMSが大きな役割を担ったことは繰り返し報道され、記憶にも新しい。なぜ、チェニジアでFACEBOOKに端を発する革命が起きたのか?自身、TWITTERで61万6千人のフオロワーを持つ津田大介は『動員の革命―ソーシャルメディアは何を変えたのか』(2012年4月10日初版、中公新書ラクレ)で、実はアフリカで一番IT化が進んでいるのが、チュニジアだったと言っている。その実情を含めた指摘は私にとって初耳だった。 おっと~、問題はその革命の構造を伝えることではなく、この『動員の革命』の指摘、視点を私のSMS体験を重ねながら、提示したいことにある。「はじめに」で、彼、津田大介は以下のように結論を先取りしている。

 

 わたしたちを取り巻く情報環境は、ここ数年のソーシャルメディアの台頭によって大きく変わりました。その本質は「だれでも情報を発信できるようになった」という、陳腐なメディア論で言われがちなことではなく、『ソーシャルメディアがリアル(現実の空間・場所)を《拡張》したことで、かつてない勢いで人を『動員』できるようになった』というところにあるのです。ネットを通じて短期間に人が動員されるとどのような社会変革が起きるのかー。

 

 問題意識ははっきりしている。この延長で最も魅力的な見方は以下にある。

 

 ソーシャルメディアというのは、実は人が行動する際に、モチベーションを与えてくれるもの――言い換えると、背中を押してくれるメディアとして機能しているのです。「この人が言うことなら信頼できる」という行動するための判断材料がつまびらかにされるので、自分でもできることを協力しようと思える。それは東日本大震災でも大きな力を発揮しました(略)とにかく人を集めるのに長けたツールです。人を集めて行動させる。まさにデモに代表されるように、人が集まることで圧力となり、社会が変わります。そのソーシャルメディアの革命性が最大限発揮されたのが「アラブの春」でした。

 

 キイワードは「動員」。そのSMSによる典型的な事例が2011年秋、日光市のJR日光駅舎を会場に私などが実行委形式で企画した京都の詩人・河津聖恵さんの詩の講演会と朗読会がある。演題は「ひとりびとりの死者へ」へ、「ひとりびとりの生者」から。「3・11」以後、たまたまTWITTERで偶然知り合った河津さんと意気投合。日光で詩のイベントを行うことを決めた。このとき、私のBLOGでは「河津聖恵の世界」と題して24回にわたって、彼女の詩の世界を紹介。前売券1200円、当日券1500円のイベントを成功させようとした。結果はー。参加者70人ほど。「日光詩人クラブ」があるわけでもない、小さな地方都市で、こうしたイベントの「動員」がよく成立したと思う。

 

 最近で言えば、国会前や日比谷公園などである戦争法反対抗議や脱原発の集会・デモについて、仲間に情報連絡する際は、もっぱらFACEBOOKの「公開イベント招待」を使っている。これなどは「動員」はもちろんだが、それ以前に「情報の共有」、「知恵の交換」といった意味合いもある。〈世の中はこんなふうに訴えているよ、こんな形で行動を起こしているよ〉、そんなことを伝えようという思いも込めて。

 最近の例では、今春2月27日(土)、日光市市民活動支援センターを会場に開いた「小規模自家発電ワークショップ」がある。ソーラー発電システムを自分で組み立てようという自主講座だ。主催は「さよなら原発!日光の会」。FACEBOOKMLなどで呼び掛けたところ、定員25人のところ、希望者が次々と。30人を超えてしまったので、募集をストップしたほど。これなどは「動員」をかける一方、「情報の共有」と「知恵の交換」を狙った典型例だ。ただし、ソーシャルメディアに慣れている人ばかりではないので、応募の手段は、SMSが半数、電話や会議などで「参加するよ」といった以前の手段がた半数という実態だ。

 

 「動員」といえば、デモや集会もそうだが、やはり選挙だろう。たけなわの米大統領選では、民主党のバーニー・サンダース上院議員(74)の思わぬ躍進が大きく報道されてきた。東京新聞の「米大統領予備選(下) 証言者 サンダース支持の大学生」(2月24日付)では、これまで話題にしてきたSMSについて、こんな結びの記事になっている。

 「サンダースが若者に愛される理由の一つは、インターネットのソーシャルメディア候補だから。つまり、サンダースが掲げた『人種、差別、収入の平等』という、若者が一番関心のある政策とネットがうまくかみ合って広がっていると思うんだ。僕自身、サンダースの政策はネットで知った」

 ここでは「動員」を象徴に、「情報の共有」、「知恵の交換」といった原理が働いているー、そのことを示したリアルタイムの情況がある。(初出 月刊詩誌『詩と思想』コラム「詩人の眼」2016年5月号)

 

 

 すべては政治的な「力の源」からー                   

 

 ・・・こうして議会民主主義はついに葬り去られた。テロをともなってはいたが、共産党と一部の社会民主主義者の逮捕をべつにすれば、すべてはきわめて合法的におこなわれた。議会は憲法上の権威を渡し、かくして自殺した。もっとも、その死体は防腐処理をほどこして放置され、ときとして声明を伝える蛮声の反響版の役をつとめた。ほんとうの選挙はもうないと思われたから、議員はお手盛りで調達した。独裁の法的基礎をなすのは、この全権委任法だけであった・・・・。

 

 もうお分かりでしょう。ときは1933(昭和8)年3月27日、ドイツ第三帝国、ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)のヒトラー政権が手にした全権委任法(正式名は「国民と国家の困難除去のための法律」)。「議会は自殺した」とあるが、同法の内容を知れば、確かにそうなるだろう。

 名著『第三帝国の興亡 1 アドルフ・ヒトラーの台頭』(ウィリアム・シャイラー)から示した。同書によると、わずか5条項のその法律は、国家予算の統制権、外国との条約の承認権、憲法修正の発議権を含む立法権を、向こう4年間、議会から取り上げて、内閣に渡すことになっていた。それだけではない、内閣が制定する法律は首相によって起草され、「憲法から逸脱することもある」と、規定していた。

 全権委任法の成立には憲法の修正が必要であり、それには議員の3分の2の承認が必要だった。共産党は81議席あったが、1カ月前の2月27日の国会議事堂炎上事件による大統領緊急令で「欠席」になるため、この3分の2の壁を超えることが可能だった。大統領緊急令「国家を危殆に瀕しめる共産主義者の暴力行為にたいする防衛措置」により、4000人ほどの共産主義者の役人と、多数の社会民主義者、自由主義者の指導者が逮捕された。結局、採決は賛成441対反対94(すべて社会民主党票)。5月2日、全国の労働組合本部は占拠され、組合基金は没収された。組合は解散させられ、幹部は逮捕された、さらに・・・・・。

 

 とまぁ、ナチスの全権委任法について、もう一度おさらいするのは、自民党が「緊急事態条項」を改憲の有力な項目にあげているためだ。安倍首相は「極めて重く大切な課題だ」と強調してきた。たまたま3月22日の朝日新聞がこの緊急事態条項を「特集」していた。「いちからわかる!緊急事態条項」と題して大きく展開している。それによると、自民党は12年に発表した「憲法改正草案」で、外部からの武力攻撃や内乱、大規模災害などで首相が緊急事態を宣言すれば、内閣の判断で法律と同じ効力を持つ緊急政令を制定したり、人権を制限したりできるようにするなど、内閣への権限集中を大幅に認めている。だが、記事では憲法に緊急事態条項がない日本では、すでに法律で政府に一定の権限を集中させる仕組みが用意されているとする。

 WEBRONZA(3月14日)の「緊急事態条項の実態は『内閣独裁権条項』である」(木村草太)を重ね合わせて示すと、侵略を受けた場合は、「武力攻撃事態法」、内乱には「警察官職務執行法」や自衛隊の治安出動条項、災害には「災害救助法」や「災害対策基本法」、さらに「国民保護法」・・・。

 

 「いちからわかる・・・・」記事では緊急事態条項に対する各党の考えを紹介したうえで、「そもそも憲法とは、立憲主義とは何かを考える材料を提示していきます」という結び。海外の事例、特にナチスの独裁という手痛い目に遭っているドイツの場合、その反省から緊急事態条項には「司法のチェックも入っている」ことを紹介するなど親切なつくりになっている。しかし、問題点は行間から読んで欲しい、といった流れに終わっており、どうにも物足りない。これに対し、視点がしっかりしているのが先に挙げたWEBRONZAの木村草太の論考だ。自民党草案を検討したうえで、こう指摘する。

 

「内閣は、曖昧かつ緩やかな条件・手続きの中で、緊急事態を宣言できる。そして、緊急事態宣言中、三権分立・地方自治・基本的人権の保障は制限され、というより、ほぼ停止され、内閣独裁という体制が出来上がる。これは、緊急事態条項というより、内閣独裁権条項だと呼んだ方が正しい」。

 そのうえで今の緊急事態に対処する法律そのものが「かなり強力な内容」だと指摘し、以下のように提言する。その判断はそれなりに説得力がある。

「過剰だという評価はあっても、これで不足という評価は聞かれない。さらに、これらの法律ですら足りないなら、不備を具体的に指摘して、まずは法改正を提案すべきだ。その上で必要な法案が現憲法に違反するということになって初めて、憲法改正を争点とすべきだろう。具体的な法令の精査なしに、漫然と『今のままではダメなのだ』という危機感をあおる改憲提案に説得力はない」。

 

 「ヒトラーは戦争の準備を『平和と安全の確保』と言いました。何かどこかで聞いたことがありませんか?そして、『平和を愛し、国のために戦って欲しい』と。自民党の政権公約には緊急事態条項の新設が含まれています。ナチスの『全権委任法とそっくり』だという指摘もあります」。

 

 緊急事態条項の危うさを,このようにズバリ指摘をしたのは、この1月、宇都宮で栃木県初の「サウンドデモ」を呼びかけた日光市の十代の若者、七田千沙さん(「ともだち」なので、私は「ちーちゃん」と呼んでいます)。3月19日、日光総合会館であった「日光市民連合」(戦争させない総がかり日光市民連合)の結成総会の一コマ。共同代表のひとりでもある私は、開会の冒頭であいさつ。ベトナム戦争もイラク戦争も「集団的自衛権」の名の下に進められ、終わってから参加した各国がその戦争に大義がなかったことに気づかされたことに触れ、「憲法違反の戦争法廃止を!」と強く呼び掛けた。

 

 「戦争法」施行から、「緊急事態条項」=「内閣独裁権条項」=「全権委任法」の成立へ。それをさせないために「大衆的規模の政治的抵抗」が今、さらに必要とされる。

 

 「アラブの春」に大きな影響を与えたジーン・シャープの(『独裁体制から民主主義へ 権力に対抗するための教科書』(ちくま学芸文庫)は、こう語りかける。

 「政治的な力の源はすべて、民衆側が政権を受け入れ、降伏し、従順することによっており、また社会の無数の人々や多機関の協力によって成り立っている。ところが、これらは保証されたものではないのだ」。(初出 月刊詩誌『詩と思想』コラム「詩人の眼」2016年6月号)

 

 

これこそが、「本丸」の危険性―。                               

 

「国家緊急権を憲法化するかどうかは、あやふやな議論でやってはいけないことなのです。国家緊急権というのは、権力の暴走を防ぐために憲法で縛っているところを、緊急のときだけ解いてしまおうとするものです。これは立憲主義の根幹に関わる、痛みを伴う議論のはずです」(樋口陽一)

 「東日本大震災を奇貨として国家緊急権の憲法化をねらうというのは、まやかしです。東日本大震災に関連しておかしいと思うのは、『想定外』の原発事故という人災があったのだから、それに対応する修正をしなくてはいけないのに、原発事故への対応策は特段、強化されていない。危機への対応を怠りつつ、そのくせ、国家緊急権を憲法化したいと、自民党は言う」(小林節)

 次々と魅力的な見方、判断が繰り出す。まさにスリリングな対談の見本そのものだ。護憲派の第一人者とされる樋口陽一・東大名誉教授と衆院憲法審査会で安保法制案は「憲法違反」と断じた憲法学者の一人で改憲派の重鎮とされる小林節・慶応大名誉教授。『「憲法改正」の真実』(集英社新書、2016年3月22日第一刷)。

 ここで問題になっているのは、自民党の憲法改正草案。小林教授によると、東日本大震災の翌年、2012年の第二次草案で「緊急事態」を扱う第9章(98条、99条)が新しく提案された。「緊急事態」の章は、日本国憲法はもちろん、2005年の自民党第一次草案にもなかったという。「緊急事態条項」とは、災害に限らず、内乱でもテロでも同じことで、とにかく事態を悪化させないためには、国家は迅速に動くしかない。通常の立法・行政のプロセスを無視し、憲法で保障されている「国民の権利」を踏みにじってでも動くしかない局面では、瞬時に決断して、国家の実力を総動員して、危険を押さえることが必要である。これが国家緊急権と呼ばれるものの内容だという。

 私たち市民も「それなら国家緊急権も憲法に加えることもやむをえないのではないか?」、そう思わされてしまう、それに対する疑念が冒頭の発言だ。というか大いなる批判、いや警告なのだ。小林教授は「あの自民党に改正草案そのままの緊急事態条項を与えたらどうなるか(略)つまり、これは日本国憲法を停止させ、独裁制度に移行する道を敷くのと同じなんですね」とも。

そのうえで、法を超えることをあらかじめ許す法、つまり権力担当者の使い勝手の良い法をつくってでも、危機的な状況でなんとか社会秩序を維持しよう、というのが緊急事態についての法制を求める人々の理由―。だとすると、その彼らが「一度、その法を超えることを許された法に頼ると、これは手放せなくなる。国家緊急権は劇薬かつ麻薬です」(樋口教授)。

  同書によると、「国家緊急権」を新設した自民党改正草案(第99条三項)では、緊急事態の宣言が発せられた場合には、国民は「国その他公の機関の指示に従わなければならない」とされる。現行の国民保護法では、国民への要請は協力を求めるという形でしか規定されていない。あえて、国民に協力の義務を課していない。ところが、改正草案では「従わなければならない」、憲法にそう国民の義務が書かれてしまう。

 すでに有事の際に民間船を借りあげる場合に船員を予備自衛官として活動させる計画が報道されている。全日本海員組合は当然にも反発し、「断固反対」の声明を出していた。ところが、海員組合の2016年1月29日の「声明」によると、防衛省は今年度の予算案に海上自衛隊の予備自衛官補として、21人を採用できるよう盛り込んだ。太平洋戦争で1万5518隻の民間船舶が撃沈され、6万609人もの船員が犠牲になったという。その体験がある海員組合は「民間人である船員を予備自衛官穂とすることに断固反対し、今後あらゆる活動を展開していくことを表明する」と声明している。だが、いくら全日本海員組合がこのように断固反対しても、改正草案が憲法となれば、義務化されてしまうのだ。

  憲法尊重義務が国民全部に課せられてしまうのは、この緊急事態条項についてだけではなく、憲法全体について課せられてしまう条項がある。日本国憲法第99条に対応している自民党改正草案第102条のことだ。

 二人は、その条文を示しながら、さらに批判を強める。

(日本国憲法)

 第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この法を尊重し擁護する義務を負ふ

(自民党日本国憲法改正草案)

 第102条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。

      2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。

 日本国憲法は、まず国務大臣や国会議員らが憲法を「尊重し、擁護する義務」を負っているのだが、自民党改正草案では、最初に「全ての国民は、この憲法を尊重しなければならない」とされる。普通の市民が読んでも、「?」というものだ。

 この点について、両氏の指摘のポイントが「コト」の重大性を示している。

 「樋口陽一 何度でも繰り返しますが、国民が国家に注文をつけるものが憲法です。とすると、国民に向かって、『憲法に従え』と言うこの草案は、もはや近代憲法ではないのですね。緊急事態条項とその直後に設けられたこの条文を読めば、改正草案が何をねらっているのか、その基本姿勢がはっきり浮かびあがってくる」。

 「小林節 しかも、この緊急事態条項について、野党と国民の理解が得られやすい『お試し改憲』だと世間は思っているでしょう。しかし、それはちょっと違う。これこそが『本丸』なのではないでしょうか。先ほど説明したとおり、『永遠の緊急事態』を演出し、憲法を停止状態にすることができる」

 

 2016年4月19日(火)午後2時、栃木県日光市の中心部にあるスーパー「かましん」、その裏口と表口で、「戦争法廃止全国2000万人署名」を求める声が響いた。私が共同代表の一人である「日光市民連合」(戦争させない総がかり日光市民連合)による「19日行動」のひとつ。熊本地震の「救援募金」の呼び掛けも兼ね、80分間で2万1593円の浄財を得た。署名は脱原発署名に比べると、市民の反応はやや鈍く、59筆にとどまった。

 そこでハンドマイクを手にした私は、「『憲法改正』の真実」の樋口教授と小林節教授のやりとりから、買い物客にこう呼びかけた。「2015年夏、国会審議の模様を通して、権力が憲法を遵守しないという異様な状態があきらかになりました。憲法擁護義務がある権力が、安倍政権が、憲法違反を侵すというこの状況は、いわば、権力による『静かなクーデター』が起きているのです」  (初出 月刊詩誌『詩と思想』コラム「詩人の眼)2016年7月号)

 

 

悩みながらふんぞり返るのだ。                   

 

 その詩の素晴らしさは弾圧を受けながらも、鋭い観察眼と世の中を恐れぬ肝っ玉の表現にある。それだけではない。連帯感や孤立感の中にある抒情も含めて心に深く浸透してくる言葉を織り上げている。今の時代は文学、それも詩が読まれず、詩のような言葉が遠ざけられていると、よく言われるが、彼の詩を知れば、もっと詩を読みたい、詩を知りたい、詩的な世界を味わいたいと思うのではないかー。

 

 以上のような指摘で、その彼とはだれか?詩人という詩人は「あっ、彼だな!」と思い浮かべると思う。その賞を知らない詩人はいないだろうから。北海道が生んだ戦前の詩人、39歳で生涯を閉じた小熊秀雄、その人だ。その彼の詩の特徴を示した冒頭の文章は、私・黒川純がかつて書いたもの。私が事務局を務めている同人誌『序説』(1974年創刊)の第13号で、小熊秀雄について書いた小さなエッセイ「戦争に非ず事変と称す」から。発刊は2006年4月で、もう10年も前になる。

 

 と、急に小熊秀雄のことを思い起こしたのは、政権と市民がにらみあいながら、「火花」を散らせしている今の社会・政治の情況もさることながら、たまたま5月19日、顔見知りの郵便屋さんが配達してくれた封筒の中身が「小熊秀雄協会 入会のご案内」だったため。差出人は旧知のその小熊秀雄賞詩人でFacebookでも「ともだち」になっている佐相憲一さん。その紹介は簡潔で要領を得た内容だ。

 「奔放なアバンギャルド詩精神で時代と人間への鋭い洞察力をみせた詩人・小熊秀雄(1901~1940)、それを受け、硬軟自在に言葉を紡いだ詩人・作家・英米文学翻訳家の木島始(1928~2004)、文学運動と良書出版の功績に加え自らのルーツを表現した玉井五一(1926~2015)。類まれな個性で文学芸術をリードしたこの3名の作品世界と仕事を現代に伝え偲ぶ当会に、あなたも入会されませんか?」。

 小熊秀雄協会については、名前は知っていても、どんな経緯で設立されていたのか、あいにく私は、この「入会案内」を手にするまで知らないでいた。それによると、小熊秀雄協会は、彼の各種作品の魅力を現代に伝え、その生涯を偲ぶために、1982年より毎年開かれてきた長長忌(じゃんじゃんき)を主行事として、木島始と玉井五一によって設立された。長長忌は池袋モンパルナスの会に実働を頼る運営で昨年まで盛会を続けているが、かんじんの小熊秀雄協会は木島、玉井両氏が他界し、宙ぶらりんとなっているという。そこで今回、5人の世話人で小熊秀雄協会の再建・継承を宣言することになったのだという。代表は、詩人・評論家である佐相憲一さんとなっていた。年会費は「庶民的な」1000円だというから、私もぜひ参加したいと思う。

 

 と、考えるまでもなく、あっさりと小熊秀雄協会に参加しようと思わせる小熊秀雄の詩とはどんなものなのか?、詩人以外の読者は不思議がることだろう。そこでひとつの典型的といってよい、と私が勝手に思ってきた小熊の詩「しゃべくり捲れ」の、そのほんの一部を挙げてみたい。と、書きながら、『小熊秀雄 人と作品』(岡田雅勝 清水書院 1991年1月)をチェックしていたら、この「しゃべくり捲れ」は、「小熊の詩作品を代表する」とあった。

 

私は、いま幸福なのだ

舌が廻るということが!

沈黙が卑屈の一種であるということを

私は、よっく知っているし、

沈黙が、何の意見を

表明したことにも

ならない事を知っているからー。

若い詩人よ、君もしゃべくり捲れ、

我々は、だまっているものを

どんどん黙殺して行進していい、

・・・・・

月は、口をもたないから

光りをもって君の眼に語っている、

ところで詩人は何をもって語るべきか?

4人の女は、優に一人の男を

だまりこませる程に

仲間の力をもって、しゃべくり捲るものだ、

プロレタリア詩人よ、

我々は大いに、しゃべったらよい、

仲間の結束をもって、

敵を沈黙させるほどに

壮烈にー。

 

 この詩の中に「プロレタリア詩人よ」とあるが、『小熊秀雄 人と作品』などによると、小熊秀雄がプロレタリア詩人会に入会したのは、30歳の1931(昭和6)年だった。「プロレタリア文学運動に入り、魚が水を得たように元気に活動的になった」(小熊の妻・つね子「小熊秀雄との歳月」)。翌年の1932(昭和7)年、日本プロレタリア作家同盟(ナルプ)と発展的に解消し、小熊も参加した。その年、ナルプも構成団体のひとつとする日本プロレタリア文化連盟(コップ)が弾圧された。小熊も検挙され、29日間の拘留を受けた。さらに1933(昭和8)年、小林多喜二が虐殺されたという知らせで仲間のところに駆け付けたところで検挙され、再び29日間の拘留を受けた。

日本プロレタリア作家同盟は1934(昭和9)年に解体宣言を出したが、小熊はその翌年の1935(昭和10)年に第一詩集『小熊秀雄詩集』と長編叙事詩集『飛ぶ橇(そり)』を刊行している。小熊秀雄はプロレタリア文化運動が終わった時期から登場したことになる。それだけに「しゃべくり捲れ」が弾圧で衰退していた当時のプロレタリア詩壇に与えた影響は大きかったのだろう。「ヴィトゲンシュタイン」(清水書院)などの著書もある岡田雅勝は、彼の「最後のふんぞり返り」だと解説しているが、これは「なるほどー」と思わされた。

 

 「もし詩人がさまざまな圧力や束縛によって歌うことを止めたとしたら、それは詩人として生きていないのだ。〈しゃべくり捲れ〉という小熊の叫びは、自分が詩人としての路を選んだ以上は、もうその路を歩むことしか残されておらず、歌うことで自分の路が絶たれるとすれば、もう自分は生きる方途がないという最後のふんぞり返りであった。それは歌うことを止めた詩人に対する非難であり、弾圧に屈している詩人たちに勇気をもって立ち上がることに詩人の存在理由があるという促しでもあった」

と、まぁ、今から80年前の小熊秀雄の「詩想」をなぞっていたら、この解説がいちいち胸にぐっさり刺さってきた。「東日本大震災・福島第一原発事故」が起きたその春からtwitterでそれこそ機関銃のように140字詩を「しゃべくり捲って」いた。1カ月で何十という詩をネットや同人誌で発表していたほど。その私がこのところ、「多忙」にかまけて、詩を考える時間とはほとんど縁がない状況を自ら黙認していた。

 

「小熊秀雄協会」への入会の案内が飛び込んできたのは、そんなとき。これも何かの縁だ。小熊は『小熊秀雄詩集』(日本図書センター 2006年2月)の「序」でこう問いかけている。「そしてこの一見間抜けな日本の憂愁時代に、いかに真理の透徹性と純潔性を貫かせたらよいか、私は今後共そのことに就いて民衆とともに悩むであろう」。私も悩みながら、自分で自分にふんぞり返って、「しゃべくり捲って」みることにしよう。(初出 2016年5月23日 BLOG「霧降文庫」) ブログランキング

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