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2016年8月

2016年8月30日 (火)

小さな木霊たちの旋律 黒川純が久しぶりに詩作品~。

Img_8259
小さな木霊たちの旋律

 

大揺れの逆流でもどっしりと踏ん張る

聖なる調べを手につかみとるべきなのだ。

南の海に先駆けて眠る涼やかなラッパ手たち

戦後を支えるベース音とどこかで交わるはずだ。

日本地図を行き交う街角とにらめっこし、

基本のコードを進行させるのはそれからだ。

使い古したフレーズを仕入れるは、もうやめて

音階という音階の管理人になってやろうじゃないか

やるべきことは分かっているさ

あしたのコンニチワに差しさわりがあるので

マイナーコードの後ろ髪に人工呼吸をほどこし

切っても切れそうにない鍵盤の砦に向かい

嫌な音が視えない不協和音を検索し

その綱の一つ一つの退路を断ってやるのさ。

仕上げはきっとこうなるだろう そうー

糸電話の秘密情報で頭脳警察をあぶりだし

バロック調の香りがうれしい珈琲を入れてから

腕まくりしたワイシャツにロックを叩きつけ

小さな木霊たちの手で美しい旋律を建てる

そうなりゃ、目標までもう少しー

じっくりと発酵したメロディがだんだんと

紅色のフォークダンスを盛り上げる

それがお気に入りのJAZZになったら

少しずつ腕を上げるチェロ弾きと一緒に

晴れやかな村の音楽祭に登場するがいい

そうすれば、やがて

救命士であったり、防災士であったり、

いずれも兼ねる鼓笛隊の若者たちが

響き渡る和音で出迎えてくれるだろう

 


                             

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2016年8月28日 (日)

台風10号 史上初ルートで  「霧降文庫」も早くも防災準備

とてもまともではない、台風10号が30日にも関東、東北へ。フクイチが心配。きょう28日、「霧降文庫」も早々と店じまい。台風に備え、アンカー準備へ。みなさんもお気を付けください。

(きょうのウエザーリポートを転載します)
 

台風10号
史上初ルートで本州接近・上陸へ

top

2016/08/28 20:53 ウェザーニュース

Uターンしてきたと思ったら、さらに本州方向へカーブ。
異例のコースをたどろうとしている、台風10号ですが、異例というよりも、「史上初」といえることが濃厚となってきました。

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通常、8月から9月にかけては日本の南の海上に太平洋高気圧が張り出すため、その北側を吹く西よりの風や、ジェット気流と呼ばれる上空の強い西風に流され、日本付近では北東方向に進む台風がほとんどです。

しかし、10号は進路が日本付近で北西に変わるという異例の状況となりました。

なぜそんなコースをたどるのか

box2

原因は、「いつもより東に偏った太平洋高気圧」と「寒冷渦(かんれいうず)」

本来台風は、太平洋高気圧の縁に沿って進むのですが、今年の太平洋高気圧は日本の東に居座り続けていて、日本付近への張り出しが弱い状態。さらに、大陸からは「寒冷渦」が進んできました。今回、この寒冷渦が西日本の上空に居座ってしまいます。

そこに、台風10号が東日本に接近。寒冷渦の周りを回る反時計回りの風に乗ってしまい、北西の方面へ進む史上初のコースをとり、その結果、史上初の「東北太平洋側からの上陸」の可能性が高まっています。

前例のないコースがもたらす影響

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現在のコースをたどった場合、台風は東北エリアに南東方向から直撃することになります。

その場合、東北エリアだからこそ警戒しなければいけないことがいくつか挙げられます。(公式Twitter情報より) 
 
                             
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今後、偏西風や高気圧、寒冷渦の位置により、台風10号のコースは変わることがあります。最新の情報を確認してください。

2016年8月26日 (金)

毎週、金、土、日と祝日オ―プンへ  「霧降文庫」が今週から

Img_8998 「霧降文庫」(古書店兼私設図書館)は、今週から、金、土、日、祝日(正午~日没)でスタートしています。


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9・22霧降ミニマルシェの出店配置を考えながら、古書棚を微妙にずらしてみましたー。それにしても、台風10号がじょじょにー。屋外本屋泣かせの台風ですー。


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あっ、「霧降文庫」訪問者の希望者には「序説第23号」(8月1日発行 「霧降文庫」主人が事務局です)をプレゼントします(数に限りがあるので、先着順ですがー)’
 

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2016年8月25日 (木)

「とても高価」な玉砂利道~ 「霧降文庫」入口を整備

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久しぶり、「霧降文庫」の玉砂利道整備ー。「カンセキ」で「大磯砂利」を3袋(あの神奈川の大磯海岸産なのかな?)ー。値段を確かめずに売り場へ。一袋(15㌔)950円。

 
「えっ、そんなにするの~」と、言ってはみたのだが・・とりあえず、そのまま。敷いてみると、きめがこまやか、さすがそれなりにとー。(すでにこの砂利道に50袋以上を投入しているはず・・・・~)。
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2016年8月24日 (水)

初参加など名乗り相次ぐ  「9・22 霧降ミニマルシェ」


Photo

 

昨日の8月23日から紹介を始めた「9・22 第3回霧降ミニマルシェ」(於・「霧降文庫」)の出店者、2日目のきょう24日までに続々と?手が上がり、40畳あるウッドデッキがいっぱいの情況へ。キャパ・容量の関係から、出店者参加募集は打ち切りへ、ということになりそうですー。

(とはいえ、常連である笠間の古CD販売屋さん「オサム」が手を上げれば、参加店舗に入れることになると思います)

 

(決定済み)参加店舗一覧

★古書店図書室「霧降文庫」(日光)
★古書店「風花野文庫」(宇都宮)
★産直八百屋「いしど屋」(日光)ー初登場ー
★パン工房「いっぽ」(日光)-初登場ー
★菓子工房「ボア・ラクテ」(宇都宮)-初登場ー
★薪焙煎森の珈琲「三七庵」(日光)
★品目は?  「黒田商店」(鹿沼)
★品目は?  「ニコニコふぁーむ」(日光)
★カレー屋「キリキリ」(日光)

 


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2016年8月23日 (火)

9・22の参加店舗と参加音楽家  「第3回霧降ミニマルシェ」

 あと、1カ月後となった「第3回霧降ミニマルシェ」(於・「霧降文庫」)。その参加店舗と参加音楽家を紹介します。いずれも、まだ募集中です。(出店料は無料、なし)。音楽家のアートは「投げ銭ライブ」で。投げ銭が多いか少ないか?ー。かなり度胸が必要なライブです(笑)。問い合わせは「霧降文庫」へ。

Photo

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参加店舗の紹介を忘れておりましたー。本日の8月23日からご紹介します。もう1、2店の参加が可能です(出店料なし)

★古書店図書室「霧降文庫」(日光)
★古書店「風花野文庫」(宇都宮)
★産直八百屋「いしど屋」(日光)ー初登場ー
★?  「黒田商店」(鹿沼)
★?  「ニコニコふぁーむ」(日光)
★カレー屋「キリキリ」(日光)

(以下は未定)
★珈琲屋 ・・・・・。。。?
★手づくり小物屋・・・?
★古CD販売屋 ・・・・?
★?         ?

 参加する音楽家を紹介するのも、忘れておりました。

8月23日の本日から、順次、紹介します。
★声楽家と演奏家のコラボ(宇都宮と日光) 正確なバンど名をお教えください
★笛演奏 「なおみ」 同じく正確なバンど名をお知らせください
★バリ島ガムラン。。。。今年は無理かも?
★ロック? 「たけざわ」?
★フォークシンガー 「黒川純」?
★?・・・・・・・・・?

 

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2016年8月22日 (月)

9月22日(秋分の日)は「霧降ミニマルシェ」  「霧降文庫」を会場に11時から

          (写真下は昨年夏の第2回の模様です)

Photo 第3回霧降ミニマルシェは、9月22日(秋分の日の祝日)。午前11時~午後5時まで。日光霧降高原の「霧降文庫」(日光市所野1541-2546)で。
Img_2209(昨年の第2回の「投げ銭ライブ」では。バリ島のガムランの演奏も)
 

日光霧降高原の古書店・図書室「霧降文庫」を会場に、森の中の小さな「市場」で、手づくりの身近な品々を店主との会話を通じて、入手したうえ、「投げ銭ライブ」のミニコンサートをメインに、「ともだち」との交流を楽しもうという「懐かしい未来」への試み。「霧降文庫」と「風花野文庫」が共催する。その第3回目です。

                             
Img_2178(「投げ銭ライブ」には、声楽家と演奏家のコラボも。ピアノやハープも登場しました)
 
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2016年8月20日 (土)

たくさんの美味しい珈琲たち  「快気祝い」記念詩・黒川純

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2016・8・20 「快気祝い」記念詩

                      黒川純

たくさんの美味しい珈琲たち

 

それが手強い岩石なら、原子からじょじょに掘り崩していくべきだ

清潔な正義たちが、舞台の口上をたくさんのポストに投函するため

指し示す一本の杖で、海原が割れ、大草原となった山あいの小道へ、

あっちに行って紙風船、こっちに行って紙飛行機、右往左往しながら

きらきらしたまっすぐな朝顔の露でお互いの顔を洗い合い

ニッカポッカを着こなした山盛りのハンマーで叩き壊していけば

いつも週刊誌を手にするあなたも私も美男と美女になっていくだろう

シェアに次ぐシェアで荒れ狂う世界の怒りの海に乗ったその信号弾で、

いつもつーんとしたお澄まし顔のとんがり帽子を泣かせてしまおう。

 

それには、もうひとつの戦略と戦術が街角から立たねばならない。

ネタを仕入れるのではなく、視えない手品の管理人になってやろう

切っても切れそうにない泥沼を突き落とすため、どぶ板からどぶ板へ

街角の小さな木霊をたくさんの美味しい珈琲たちに変身させー

いや、糸電話からの秘密の情報をたくさんの美酒に変えてもいい

発酵したフレーズがだんだんと嬉しい悲鳴を上げるJAZZになったなら

鎌と鍬、ツルハシとスコップを片手に、透明なプールに飛び込むがいい

手を差し伸べる救命ボートだらけの下りの列車が共鳴しながら

花吹雪の大音響と共に懐かしい未来が待ち受けていることだろう

 

相手のそれはおせじだらけの調理なのに生煮えのコンクリートだけに

競走馬をビル街のコースを走らせる謀議がお得意なのも承知のうえで言うが

もう、そのコースの薄汚れたメッキは幼稚園のオモチャ箱行きなのだ

世界はそのように目隠しされてきたのだから、盛夏のぎらぎらした光を蓄えて

歴史はいつだって、槍と盾を携え、大きな風車に立ち向かっているから

私たちの遺伝子がわき目もふらずに42・195㌔を走り抜けるのだ。

21世紀の銀河鉄道に乗り込み、ゴーヤチャンプルーを味わって

ある晴れた午後、ウッドデッキづくりで汗をぬぐって曲尺をあてれば、

ゴールが見え隠れすると、霧の向こうで微笑む時の女神が告げることだろう


 

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2016年8月19日 (金)

3か月ぶりにオープンします  20日から「霧降文庫」

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Photo 20日(土)正午~  3か月ぶりにオープンします。古書店図書室「霧降文庫」(日光市所野)。毎週、金、土、日、祝日。正午~日没です。

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ただし、初日の20日は、夕方に「祝い事」があるため、17時に〆ます。古書は戸外のウッドデッキに、図書は、室内に。「現場復帰」の祝いがてら、遊びに?来てねー。

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  おっとーー連絡先は 栃木県日光市所野1641-2546

 ☎0288-25-3348です。



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2016年8月18日 (木)

開放的なデッキのCAFEで  日光市の「CAFE LITTLE WING」

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 久しぶりに「CAFE LITTLE WING」(日光市石屋町)へ。宇都宮で「戦争法廃止栃木県民ネット」の会議があり、その帰り道です。急いで自宅を出たので、きょう18日の「朝刊」を読みそびれー、それを夕方のここで読むことにしたのです。

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 平日だというのに、店の前の日光街道は、外国人観光客を中心に、行き交う人々が次々と。新聞を終えたら、新刊本「唐牛伝」も開こうとしたのだが、この日は時間も遅いのでパタンと・・・断念しました~。

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 ともあれ国道ぎわの開放的なデッキで、可否を片手にできるところがいい。だいだい1週間に一度は、ここでのんびり時間をつくっています。たいてい知人が通りかかり、「こんにちわ」と、挨拶を交わしています。この日もそんな場面がありましたー。可否一杯も手軽な300円(二杯目は200円になります)。

 

 東武日光駅も近い新しい日光消防署のすぐそば。4台~5台のゆったりした駐車スペースがあるのもいいです。店内だと、マスター自慢の豊かな♬がお店いっぱいに。ママは、私のじゃがいも掘り「仲間」です(笑い)。お勧めです。地図がアップできるかな?

 


http://www.navitime.co.jp/maps/poi?code=01180-53173

 

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2016年8月17日 (水)

47年前、高野悦子は・・・・ 京と(3) 高橋一男+ゴン太

同人誌「序説」第23号(8月1日発行 「霧降文庫」が事務局です)のエッセイから。高橋一男の魅力的な連載です。今回で3回目ー。味わって読んでくださいね。作者は建築家です。読む進めると、「なるほどー」と、なるでしょう。「編集後記」もアップします。

Img_8537_2 京と(3)           高橋一男+ゴン太

 

1969年(昭和44年)2月18日(火)曇 夜半雨

五時頃、ふっと自転車で嵐山に行く。ボートに乗るつもりだったが、時間が遅いせいか、季節外れのせいか、それとも増水のためか、ボート屋は店じまいであった。山陰線のトンネル付近の岩に腰をおろしてラジオのスイッチを入れた。ジャズ、エレキが流れて丁度合った感じであった。川の水は黄土色に濁ってドクドクと流れていた。(二十歳の原点 62頁・63頁)

 

野宮神社を過ぎると坂道の竹のトンネルが続く、近くには山陰本線のトンネルがあって時々列車の通り過ぎる音が聞こえる。トンネルはお墓に行くための山陰本線に架かった橋の西側に見える。雨降りで平日のせいか観光客は少なかった。だから竹だらけの中、竹

と話ながら坂道を歩いた竹箒の先で作ったような道路との境界の塀、先人が考えた機能であり風景であった。山陰本線嵯峨嵐山駅から一キロ程歩いたろうか、世界遺産に登録されている天龍寺の北側を過ぎて竹林の道も過ぎるとT字路に出た右折すると大川内山荘方面へ、少人数ではあるが歩いて行く人がいたが僕は逆方向にある嵐山公園(亀山公園)の方に向かった公園の歩道は景観のダメージにならないように、表面が玉砂利仕上げになっていて下りの坂道と雨で滑りやすくなっていたために、注意はしていたが思いきり転んでしまったビニール傘は宙を舞った。前方から来た人達の中のひとりが「大丈夫ですか」と声をかけてくれたちょっと嬉しかった。(たぶん中国の人だったと思う。)僕は転がる瞬間に柔道の受身をしていたので、怪我をしないですんだ。それにしても玉砂利は雨の日は滑る、ひとつ勉強になったでも頭を打たななくて本当に良かったと内心思った。(中学生の時、柔道の乱取で投げられて頭を打って記憶がとんだ時のことを思い出した。)雨は小降りになっていたがまだ降っていたしばらく行くと保津川(大堰川)が見えてきた。川の流れを見ているといつの間にかその先の着船場にある屋形船の提灯を突いて遊んでいるカラスの動作がおかしくてしばらく見ていた本当に知恵のある生き物だと感心した。気が付けば雨も止んでいて大きな石(岩)に腰かけていた今年もまだ二月の平日(正確には2016年2月29日月曜日)人もまばらであった。屋形船の川下に渡月橋が見えるさすがに多くの人が渡っている。そしてその渡月橋から川下の川が桂川となる、川岸にはボートも置いてあった。47年前の今頃高野悦子はこの近くの岩に腰かけてラジオのスイッチを入れたのだろう。でも来てみて思ったのだがこの場所は山陰本線のトンネルからは少し離れているし、山陰本線のトンネルの近くには岩を見つけることはできなかったがトンネルはイメージしていた風景の中にあって線路はその中に消えていた。ここに来る途中の野宮神社の黒木鳥居は特徴があって、クヌギの木の樹皮を剥がさないで使用する、日本最古の鳥居様式らしい。この鳥居を見て思ったのは、学生の頃、木(もの)を自然の状態というか未加工の状態で美術の作品を作る美術家達がいて「もの派」と呼ばれていた。僕はそのなかでも菅木志雄という美術家に「もの」の見かた、考え方に関して強い影響を受けた。それは出来事の未完成状態の成立というか、うまく説明ができないが彼が提示してきた数々の未完成作品からであった。その中のひとつに1973年の連識体(Renshikitai)という作品がある。細長い板状の自然石を針金で縛りブリッジにして、四隅にある住宅を建てる時、使われる独立基礎のようなコンクリート製の台にのせられていた。この作品は実際には見ていないが、美術雑誌の写真で見た時の印象(驚き)は今でも覚えている。それはあってはならないような作品の提示で、でもそれが嘘のように新鮮で、「もの」に対するアニミズムの持つ優しい視線みたいなものを感じることができた。その後イタリアのジュセッペ・ペノーネやフランスのクロード・ヴィアラという同じような視線を持つ美術家がいることを知り、そして彼らの作品も知った。今になって思うと彼らの存在が僕にとって「ものづくりの基本・発想の原点」になっているような気がしてならない。

 

保津川の流れを見ながら高野悦子がいた京都、そしてあの時から47年も経ってしまったことを考えていた。時間は勝手に過ぎてしまったが、僕はそれ程時間が経ったとは思っていない。彼女の著書(二十歳の原点)からあの時代の京都の風景が見えたし、(イメージできた)街のなかの家のかたちや使われている材料の素材感やその色など、(長い間建築の仕事に関わっていると知らぬ間に、この国の家というシェルターに内在している遺伝子みたいなものが勝手に刷りこまれている)。街を歩いている若者達たちの服装、音楽、など、1969年は多くの若者がフォークソングを歌いギターを弾いていたし、彼女も「高石友也(高石ともや)」のことを書いていた。URCは八月からレコード店などへの直販を始めた。第一回発売が岡林信康と五つの赤い風船、新宿西口フォーク集会のドキュメント「新宿1969年6月」だった。1969年10月21日は“若者の街・新宿”が“政治で燃えた最後の夜だった。(田家秀樹 著・70年代ノート~時代と音楽、あの頃の僕ら~)1969年8月、知人の美術家、加藤アキラさんは京都国立近代美術館の「現代美術の動向」展に招待出品していた。彼女が亡くなって2ケ月後であった。でも彼女は著書のなかで現代美術にはふれてなかった。

 

1951年(昭和26年)に開館した僕と同い年(今年で65歳)の鎌倉近代美術館(カマキン)が3月31日(2016年)で閉館になる前にお別れにいった(鎌倉からはじまった。1951-2016 展)。鎌倉近代美術館は日本で初めての公立近代美術館で日本を代表する近代建築として評価を受けていた。設計者の坂倉準三はル・コルビジェの弟子で、いま話題になっている国立西洋美術館の実施設計にも関わっていた。

僕は朝の10時に家をでて小田急線で藤沢まで行って、東海道本線で戸塚。戸塚からか横須賀線で鎌倉まで一時間くらいかかった。美術館まではそれ程の距離ではなかったので歩くことにしたが到着すると足はガクガクになっていた。美術館には大勢の人がいて大盛況状態、きっと僕と同じように、カマキンにお別れに来たのだろうと勝手に思った。僕は美術館の前にある池のほとりで、朝自分で作ったサンドイッチを食べた。池にうつる美術館の細い柱の感じが二年越しでやっと会えたあのサヴォア邸の柱と重なって見えた。企画展を観て会場の出口近くのショップで過去の展覧会の図録がチョット安く売っていたので、軽い気持ち見ているとエル・アナツイの図録「A Fateful JourneyAfrica in the Works of EI Anatsui」を買った。エル・アンツイは1944年生まれガーナ出身の彫刻家で、世田谷美術館の図書館の図録で知った、以前世田美で展示された「あてどなき宿命の旅路」(1995年)という作品で、どことなく「もの派」的でいいなぁと思った。インスタレーションの作品で使い古された木の台の上に枯れたような細い木が取り付けてあって、しっかりと立っているものもあるが、数は少ないが倒れているものもあった。あとで知ったのだが、台の上の細い木はアフリカでの燃料用の薪で、その薪は女性と子供が集めるとてもハードな仕事でその現実が表現されていた。それからガーナの織物のような作品もあった。役目を終えたアルミ製の瓶の蓋を銅線で繋いでいくと、小さな蓋が集まって大きな面になってタペストリーのように天井から吊るされていて、無数の蓋の色が集まって、不思議なエル・アナツイの世界を作っていた。実はもう一冊買ってしまったディヴィッド・ナッシュの図録「ディヴィッド・ナッシュ展 音威子府の森」だ。ナッシュの作品は時々世田美で見ることができるが、初めて見たのは栃木県立美術館でナッシュが1984年に日光の光徳の奥山でナラ、ニレ、ダケカンバの風倒木に挑んで製作した作品の一部だったと思う。彼は生木を使わず風倒木、立ち枯れ木だけで作品製作をする。死んでしまった自然木に再度生命力を吹き込む作業は、いつ見ても人間と自然との距離感を強く意識させる作品だ。それから図録音威子府(おといねっぷ)という地名だが、それを知ったのは真冬の北海道へSLの写真を撮りに行っていた同人の君島君からだった。雪野原を走るSLそしてその先に海が広がり薄っすらと利尻島が、そして空気まで凍っていた音威子府の写真はすばらしかった。

 

野宮神社の鳥居から君島君の話まできたが、君島君の住んでいる足利は夕日がきれいな街で渡良瀬橋から見る渡良瀬川の流れは以前から桂川の流れに近いものを感じていたし、足利の街も京都の街も同じような重心の低さが僕は好きだった。そんなことを思いながら、保津川(桂川)のボート乗り場近くの岩に座り47年前の高野悦子が見た同じ川の流れと、同じ季節の風を感じていた。

 

東山区の京都国立博物館(京博)内の平成知新館のオープンを知って訪れたが閉館していていたので、今回は開館日を確認してから行った。七条通に面したチケット売り場の南門(ミュージアムショップ)はカワイイ建築だが、1989年に出会ったバルセロナ・パビリオンを思い出させた。バルセロナ・パビリオンは1929年ミース・ファン・デル・ローエが万国博覧会のドイツ館として設計した期間限定の仮設の建築であったが、1986年に復元されていた。水平線が強調された屋根のライン、床から天井までのガラス面、ステンレスの柱、シマメノウ(大理石)、内側から光る(天窓)乳白色のガラスの壁、外部の建物を写す四角形の池、石張りの外部の床など、装飾的なものは一切排除された古典主義的に構成された建築であり、建築の即物的提示は僕にとって強い興味の対象であった。京博の南門とバルセロナ・パビリオンとの共通性は外部の幾何的余白とか外部に使用されている素材の視覚性という表層的なものではなく、建築家谷口吉生の遺伝子の中に隠れているのではないかと思った。父親は、建築家の谷口吉郎(1904~1979年)である。谷口吉郎は金沢市出身で東京国立近代美術館(1967年)や藤村記念館(1947年)など数多くの作品を残した。

 

思い出すのは学生の時、美術部の合宿で木曽へ行った時、藤村記念館を訪れた。梅雨の明けた七月初旬その年は特に熱い夏で、妻籠宿から馬籠宿まで山道を歩いたがあまりの暑さに、道沿いの翌檜(あすなろ)の木の下に嘘のように綺麗な流れの川で水浴びをした。着替えなんかないからパンツも着けず素裸だった。最初は君島君、続いて富岡君、大木君、大橋さん、井上さん、我謝君、僕、後輩もいた。そして翌日、島崎藤村の生家跡にある藤村記念館へみんなで行った。

 

何時だったろう、祖師谷の古本屋で「雪あかり日記」谷口吉郎 著と出会ったのは。本を手に取って開いて驚いたのは紙質で、黄色というよりも茶色に近く、本を開く時に丁寧にしないと紙が破れてしまうのではなく割れてしまった。文字は読にくい昔の漢字で、印刷もあまり良くなかった。とにかく古い本のように見えた。そこには戦後間もない物不足(何でも全部不足)の時代に出版(昭和22年12月25日)されていて、出版社、著者の建築に対する強い意志と運命的な出会いを感じたので買うことにした。読んだことはなかったが本のことは昔から知っていた。

 

著書によると谷口吉郎は昭和13年(1938年)ベルリンにある日本大使館の建物が、新しい都市計画のために改築されることになったので、この機会に向うに行ってはどうかと云うお話であった。もとより私は先生(伊藤忠太)の御厚意に従った。(雪あかり日記 267頁)

 

この本で特に印象に残ったのは石の事と建築家のカルル・フリードリッヒ・シンケルのことであった。

 

ヨーロッパ人の石にたいする美は何であろうか。

ヨーロッパでは人口的な形の美しさが問題になる。天然の肌を有する石から自然の表面をけずり取り、人口的な形の美を作りだそうとするものである。このようにヨーロッパ的な造形というものは、何から何まで加工の意匠と云いえる。水の流れと苔の美しい日本では、庭石のように、石は天然の肌が、賛美される。大理石のような石質の美しいヨーロッパでは石は加工された面が賞美される。だからロダンも云っている。「石の中に光がある」と。(雪あかり日記 81頁、82頁)

 

私は浅春の日、侘助椿の咲く頃、あの竜安寺の庭を訪れたことがあった。また日ざしの強い夏の日、蝉時雨が石の肌にしみる頃たずねて行ったこともあった。済んだ秋の日、雪の降る冬の日にも私はこの庭を見に行った。京都に行く友に是非この庭を見るように云ってやった時、その友は、心の中に涙が流れたと絵葉書の返事をよこしたこともあった。(雪あかり日記 83頁)

 

何時だったか、美術家のリー・ウーファンがヨーロッパで作品に使用するための大きな自然石を探すのが大変だったと美術書で読んだことがあった。

この北ドイツ一帯の低地は、地質学的に氷河でできた地帯だった。(雪あかり日記 64頁)

どうりで、大使館の建設工事場で地下室や基礎を掘る時、敷地のどこを掘ってもさらさらとした鋸屑のような色をした砂ばかりで、石ころ一つ出てこないのに、私は驚いた。(雪あかり 日記 65頁)

 

結局、日本からアメリカへ持って行った庭石を庭師と共に大西洋を渡ってドイツの建設現場へ搬入されることになったらしい。

 

ウンター・デル・リンデンの大通りを、巡邏兵の一隊が、勇ましい軍楽隊を先頭にして、こちらへ近づいてきた。そう、今日は水曜日だった。毎水曜日には、このリンデン街を、巡邏兵の一隊が隊伍をととのえて、「無名戦士の廟」まで進行してくるのが、ベルリンの名物になっていた。(雪あかり日記 89頁)

 

無名戦士の廟(ノイエ・ヴァッヘ)は1816年にカルル・フリードリッヒ・シンケル(1781~1841年)によって設計された。シンケルは新古典主義の建築家で、優れた比例で構成された作品はモダニズムの建築(美学)に影響を与えた。「雪あかり日記」はシンケルの建築を中心に書かれていた。

 

ギリシャ的なものに強い力を認め、今も尚、時代を越え、風土を越えていきいきとした新しい美しさを感ずる芸術的感動の側から、古典を眺めたならば、その古典美を簡単に無視することは容易でない。

現代美術の感情は、その心を深めれば深めるほど、伝統の源泉に心を惹かれ、その伝統の中に、強い力を感じ、それから多くの啓示さへ受けざるをえない。(雪あかり日記 94頁)

 

彼の模倣(シンケルの正しいギリシャの模倣)は決して安易な態度でなく、むしろ謙虚な態度を以て、最高美を探求しようとし学生のように、純真な精進の道を選んだものと云うことができるであろう。(雪あかり日記 187頁)

 

それから、シンケルの後継者(建築家)のことに触れている。ウィーンのオット・ワグナー(1841~1918年)、ペーター・ベーレンス(1868~1940年)、1919年ベルリン大劇場改築をしたハンス・ペルツィヒ(1888~1936年)、ブルーノ・タウト(1880~1938年)、ヴァルター・グロピウス(1883~1969年7月5日)、エーリヒ・メンデルゾーン(1887~1953年)で、ミース・ファン・デル・ローエ(1886~1969年8月17日)の名前がなかったので何故だろうと思った。それからオット・ワグナーを除いて、全てドイツ人のようだった。

 

ちょうど、ベルリンの冬の思い出だったので「雪あかり日記」と云う題をつけてみた。私はヨーロッパの旅行中、いつも「建築」に自分の目を向けていた。いつも私は心を、建築に注いでいた、それで、旅愁をなぐさめてくれるのも建築だった。私は、自分の意匠心が「旅の心」によって、清められるのを感じていた。そんな気持ちを思いだしながら、私はこの日記を書いた。(雪あかり日記 270頁、271頁)

 

南門からアプローチを北に向かって歩いていくと両側に池のある、床から天井までガラス張りのエントランスと本体が石張りの平常展示機能を持つ平成知新館に着いた。平成知新館は南門と同じく谷口吉生の設計で2013年の8月に竣工していた。谷口の作品は東京、金沢、静岡、山形、香川、その他日本各地にあり、ニューヨークにもある超有名な建築家である。東京で見る谷口の作品は他者を寄せ付けない上品なモダニズム建築で、その中でも僕は地下鉄外苑前駅近くにあるオフィスビルが好きだ。でも京都の平成知新館は京都と云う場所的な背景もあってか貴族的なモダニズム建築に昇華しているように思えた。天井の高い暗い展示スペースには国宝が数点展示されていた。その中でも雪舟が晩年現地で実景を写したと云う天橋立図(あまのはしだてず)の存在感にはただ感動した。それから展示スペースの西側にあるレストランの庭園を見ながらのランチ(カレーライス)ではちょっと贅沢な気分を味わった。

 

御所の南西角にある和風造りの交番を通りの反対側にあるマクドナルドの2階から見ている、以前この場所には本屋さんがあったらしい。

 

私は自転車で出かけました。とても天気がよかったから。バッグに「日本歴史」「山本太郎詩集」をいれて、チリンチリンと鈴を鳴らしながら出かけました。堀川今出川の交差点まで。

青木書店にいって、お料理の本、ジャズの本、詩の本、写真の本を立ちよみし、「現代の理論」と「海」を買いました。喫茶店「マロン」に入ってコーヒーとトーストを食べました。

ファイト十分になったところで「マロン」を引きあげ広小路にいきました。(二十歳の原点 132頁、133頁)(1969年4月22日)

 

外人の家族が隣に座った。しばらくすると金色の髪をした子供たちは楽しそうにハンバーガー、ポテトフライを食べコーラを飲みだした。彼らにとってマクドナルドは落ち着ける場所なのかなと思った。「マロン」という喫茶店はマクドナルドの隣にあった。そして僕がいるこの場所に青木書店があった。僕はマクドナルドを引きあげ御所の中を通って広小路まで行くことにした。高野悦子も見ただろう九条池も仙洞御所の塀も清和院御門も47年前と変わっていないと思った。でも広小路に立命館大学はなかった。

1968年パリから始まった若者達の異議申し立ての振動は京都まで届いた。1969年彼女はそんな振動する京都の街で、思いきり青春を燃焼した。高野悦子がいた京都。

 

 

柴犬のゴン太です。お久しぶりです。ゴンも今年の7月で10歳です。人の歳だと兄ちゃんと同じくらいだと思います。ゴンも爺さんになってしまいました。

ゴンは兄ちゃんと一緒に去年から今年にかけて北陸へ行ってきました。去年の9月には富山県高岡市の金屋町の古い街を歩きました。ゴンは背が低いから道路からの反射熱が熱かった。帰りに金属で作られた大仏さまに寄りました。みんなが大仏さまの中に入っているので、ゴンも入ろうとしたら注意されてだめでした。でもお昼に食べたカレーうどんの鶏肉は旨かった。11月には石川県輪島の先の朝ドラ「まれ」の舞台になった大沢町へ「間垣」と云う季節風を防ぐための垣根(塀)を見に行ってきました。それから今年になって富山県射水市新湊地区へ運河越しの街並みを見にも行ってきました。

 

兄ちゃんはゴンの目を見て「もうゴンにも兄ちゃんにもネクストはないから、出会ったものをよく見ておくように。」と話していました。

ゴンは犬だけど風化した木の壁、錆びたトタンの屋根や壁の古い家が山や空や海と同じようにあって、人や動物が自然にそして普通に生きている街が好きになりました。

 

 

参考資料

二十歳の原点  高野悦子著  ()新潮社

雪あかり日記  谷口吉郎著  東京出版(株)

70年代ノート~時代と音楽、あの頃の僕ら~  田家秀樹著  毎日新聞社

 

 

編集後記

詩人で表現者の春山清さんが亡くなりました。

「知的好奇心と創造力の欠如は罪悪です。」は春山さんの言葉でした。

 

美術家の八田淳さんが亡くなりました。八田さんは京都の方でした。

「針金八田富士」は印象に残るすばらしい作品でした。

 

 

僕は僕なりに自由に振るまってきたし

僕なりに生きてきたんだと思う

だけどだけど理由もなく

めいった気分になるのはなぜだろう

思ってる事とやってる事の

違う事へのいらだちだったのか

(吉田拓郎の唄で「まにあうかもしれない」の一部。作詞/岡本おさみ 作詞/吉田拓郎 編曲/鳥山雄司)人気ブログランキングへ励みの「いいね」をお願いします。ブログランキングに参加しております

 

2016年8月16日 (火)

天候を横目にデッキ補修作業   「霧降文庫」のあちこちー。

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  雨が降りそうな天候だが、16日(火)は、デッキの補修作業にあたったのであった。15日(月)もやっていたのだが、途中で、降雨となり、試合中止、ではなく、作業中止ー。その続きだが、場所は、デッキの角。ノコギり作業がそれなりにあったのですー。
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 作業は、ごらんのとおり、この日は3枚を張るだけ。とはいえ、長さをそろえるための、ノミ。位置を決めるためのバールなども「活躍」の場面です。遠くにノコギりがあるが、当然、長さを決めるために曲尺(この人は線引き)と鉛筆(この日はボールペン)も必要です。
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  デッキ補修作業の主役となるのが、「インパクト」。動力は小さな蓄電池(コンセントから蓄電するが、30分から1時間で電池切れに)。これで板材を回転式に打ち付ける。「ドドドッー」というそれなりの音がするので、遠くからでも、「あっ、インパクトで作業しているな」ということがわかる。ネダンはホーむセンターで、1万円前後か?。
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  仕上がりはこの通り。確か5年前に備えたデッキ(40畳あり、それを7回の工事を重ねて完成へ)。第3期の拡張の際のデッキが対象。その角なので、ノミも使う小さな大工仕事も加わっての補修作業です。「使用前」は、苔もかなり積もっていたが、ほら、この通りー。でも、このデッキ補修作業、まだまだ続くのです。それが終われば、防腐剤を全面に塗る仕事もあります(笑い)-。
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2016年8月15日 (月)

高野悦子へのソネット・・・・   磯山オサムの詩

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詩 三篇

磯山オサム

 

一 高野悦子へのソネット

 

警笛・1969年6月24日

ヒトハオモイノデ 

ステルヨウイガアル

 

星の扉・しあんくれーる

カラダヲキリサカナケレバ

はかない自由を得られない

 

キオク・沈黙の湖底  

遠くヒザマズク記憶

たどりつく記憶

夜の記憶が 

そのまま鉄路を走り続けている

 

耳を閉じ・小舟・天神通丸太町下ル 

生きて・北関東の空

ヒトハオモイノデ 

 

   二 夜想

 

空飛ぶネコの名前はお母ちゃん

もとヒト 青いレインコート

ずっとまえ詩人が

「人はかつて樹だった」と言っていたので

離散の寒い朝 この地にとどまるため

ネコになった

  思い出 不明の鉄路

  月の夜ノ森 

  うすい霧

過ぎた時間と汚れた風のすきま

眼を大きく開き 耳を立て

無垢と 生きている音をさがして飛ぶ

記憶の歪みを直しながら飛ぶ

  もとヒト 金曜日 樹

  空飛ぶねこ ひとり

いつか すべてのいまを伝えるため

  飛ぶ

  空の 空の 夜を

 

   三 たまごのニュース

 

きのうときょう

サヨナラが自由を飛ぶ

たまごのニュース

 

窓越し j国のA首相

美しい国を増幅するために

津波の防護壁は黄金イロに塗りましょう

汚染水は四年後いちごしろっぷに

再利用出来るでしょうと発言しました

 

未来のために ネオンサインの奥深く

大正でもくらしー 

黒色のアンブレラを隠しておきましょう

 

きたるバツバツ年のTおりんぴっく

廃墟の地図に拡大する茶色のシミと活断層 

人形の軍隊が大陸方面に

戦意のウインクを繰り返しているので

消息スジによると

開催を危ぶむ可能性を示しています

j国での二度目の中止となるのでしょうか

 

 思い出のオモテナシに追憶を奪われ

 虚栄と色彩と寛容 

 SNSを永遠の友人としていると

 遠メガネ 帰り道を不明にします

 

関西△組と△組中央が          小指をからませて 地の果ての渡世  

現在も内緒のげばるとを繰り返しています

内部の組員によると 暦売り        

もう〈永遠の嘘〉にもついて行けない

とのことです

 

 世界的水平線 粉雪

 登録されることのない夢

 それでも 

 ときどき森の淵

 〈うぃしゃるおーばーかーむ〉と

 静かに 

 口ずさみましょう


 

 

  

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2016年8月14日 (日)

新しいプロレタリア文学  不思議な魅力の「コンビニ人間」

評判通りに一気に読ませる芥川賞。「新種のプロレタリア文学」と、位置づけるところが、東京新聞「本音のコラム」で知られる斎藤美奈子のすごいところ(この書評は確か、最近の朝日新聞だが)ー。いわゆる「労働疎外」論なぞ、なんのその~。終始、マルクスの向こうの世界へ。「あちら側」と「こちら側」、常識と非常識の展開は、どこかで身に覚えがあるのだが、高笑いしつつ、胸騒ぎを覚えながら、読み進めていくと、自分の立っている処がときおりだが、ぐらぐらと揺れてくるー。これがこの本の不思議な魅力だろうかー。

■常識のあやしさ、「水槽」越しに 24時間営業。年中無休。コンビニエンスストアは現代日本に欠かせないインフラだ。でもね、本書の語り手・古倉恵子の
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2016年8月13日 (土)

院内生活の「反動」で?一日一冊ー  「えっ?」と3週間で新刊本20冊~

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  腰椎後方すべり症で25日間の手術・入院生活を余儀なくされ、7月22日に退院してから3週間余、気づいたら、その間に手にしていた新刊本は(古書ではありません)・・・20冊余。数えると、一日一冊の勘定ではないか~。「余分なおあしも手にしていないのに、よくもまぁー~」。と、自ら天を仰ぎつつ~(笑)、せっせと新刊本をぱらぱらと読んで毎日です(ウッドデッキの補修をしながらですが)ー。
 

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それにしても、読み応えのある本や魅力的な本が次々と。すでに30万部だという芥川賞の「コンビニ人間」(これはまだ20数ページを読んだだけだが、いやはや、面白いことー)、3年ぶりの著書だという「東京OL殺人事件」で知られる佐野眞一が60安保の全学連委員長の生涯を描いた「唐牛伝」・・・彼は47歳で亡くなっていたのでしたね。これはこの本で知りました。

 
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 そうそう、島田裕己の「戦後日本の宗教史」もなかなか面白そうだ。昨今のニュースの最先端である「生前退位」問題の天皇制問題、新宗教も含め、「これは読みたいな」と、私も会員になっているネット注文本屋の「ほんやタウン」経由で、買い求めた。先祖崇拝もテーマのひとつ。8月のお盆でもあるし、実家に帰省する代わりに読もうかーと。

 Img_8861 2012年の本を文庫化したヤマザキキリの「望遠ニッポン見聞録」も、魅力的だ。人気コミックの映画化で知られる「テルマエロマエ」の作者であるのは、今や世間に広く知られていることだろう。イタリア、カナダ、ポルトガル、シリア、エジプトなど世界各国で暮らしてきた彼女は(今、どこの国に住んでいるのだろうか?)、漫画だけでなく、少し読んだだけで、名文家でもあることがわかる。まだ少しかじっただけだが、ぐんぐんと読ませてくれる。つくづく才能がある人だねーと思う。

 

Img_8858 細谷雄一の「安保論争」は、立場が安倍政権寄りであるのは明らかで、あまり手にしたくはないのがほんとうだが、ここは我慢のしどころ。右派側からの戦争法擁護がどういうインテリ的な論争・論文・言い分から展開、説得しようというのか。事実関係も含め、いわば彼の言う「冷静」な判断を改めてしていくために読んでおこうと思う。もちろん、戦争法廃止の立場からだがー。

 
 
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2016年8月12日 (金)

「霧降文庫」再オープンまで1週間。  8月20日(土)の正午から

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 「霧降文庫」再オープンまで1週間。8月20日(土)から3か月ぶりに開きます。全国ディープインパクト(笑)ベスト30の古書店と付属の図書室で。正午から日没、毎週金、土、日と祝日。


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9月22日(秋分の日)は、「風花野文庫」(宇都宮)と共同で「第3回霧降ミニマルシェ」を開きますー。あっ、「霧降ミニマルシェ」の参加店舗と参加音楽家を募集します(店舗参加は無料、音楽家は投げ銭ライブです)

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。昨年の第2回目は、手づくり小物屋さん、陶芸屋さん、可否店、カレー屋さん(カンパ)、古書店ふたつ、新古CD屋さんが出店。音楽家は、バリ島ガムラン演奏家、JAZZ歌手、クラリネットとハープ演奏家・声楽家、リコーダー演奏家、ギター歌手と「てんこもり」でした。

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時折、大雨に見舞われた梅雨明け前日、7月20日(海の日)のイベントでしたが、人、人、人ー。しっかりした40畳のウッドデッキが崩壊しそうな(高台に建つデッキなので)人出でした。 
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2016年8月11日 (木)

簡単な大工仕事だが、道具などは21種類も  「霧降文庫」の補修作業

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 本日も大工仕事ー。ウッドデッキの補修に手をかけ、再び、屋根の落ち葉落としをやり、雨樋の補修を終えー。午後1時半から5時間も(途中、可否タイムやカルピスタイムなど、2時間の休憩があり、実質は3時間~笑い~)。

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 使った道具や材料は、➀インパクト充電器など一式②曲尺③ボールペン④ノコギり⑤バール⑥ハンマー⑦ビス⑧ビス入れ⑨虫よけアース(作業中の虫よけにー)⑩杉板材3枚⑪ビス(65ミリだったが、57ミリにすべきだった。
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 さらに⑫丸ノコ(ふだん使っているが、本日は使わず)⑬作業服一式⑭散水器⑮ハシゴ⑯デッキブラシ⑰机ふたつ⑱プライヤー⑲軍手⑳煙草と可否セット(・・・?)㉑タオル・・・。簡単な大工仕事でもこれだけの用意が必要なのですねー。
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あす12日は帰省ピークだが、やはり、デッキ修理や看板づくりなどの大工仕事へ。さらにデッキの防腐剤塗りも控えているー。。。ひぇ~。
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 12日(金)も、午後1時過ぎから4時前後まで「大工仕事」をしてますから、「遊戯労働」への参加希望者は「霧降文庫」へ。11日(木)も呼びかけたが、ひとりとして、参加せず。まぁ、みんな忙しいだろうから、当然だとは思っているのですがー。
 
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2016年8月10日 (水)

屋根の落ち葉落とし3時間  「霧降文庫」が明るくなりました

Img_8803 屋根の「落ち葉」をどっと、下界へ。ちぎっては投げ、投げてはちぎってー。いやはや、それこそ大量の「落ち葉」がとれました。そこにさらに水圧が高くして「散水器」で、流すこと、2時間ぐらいだったかー。きれいになるので、それはそれで愉快でした。


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この2年ごしの懸案課題でした。天気がそれなりに大丈夫、「ともだち」がそばにいる、散水器を補修した、体調がいい、屋根がそろそろ限界・・・という五つの条件(笑)があった10日(水)、屋根にのぼり、3時間にわたって、落ち葉降ろし作業に従事しました。

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 散水器を修理したのが昨日、「きょうはやるぞ!」という勢いのまま。すっきりと。「霧降文庫」が明るくなりましたー。
 

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11日(木)の祝日は、ウッドデッキの「補修作業」です。これが楽しいのです。「遊戯労働」です。インパクト、ノコギリなどの道具を片手に汗をかきたい人は(夏本番だから、動くだけで汗ですが)、歓迎します。作業は午後からですがー。そうだー。「霧降文庫」の看板づくりもあるのでしたー。

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ジャガイモ掘りは1日、干すのは3日~  「霧降文庫」の場合ですー。

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(7月29日の金曜日の「霧降文庫」畑のジャガイモ掘りで、はいポーズの場面)
Img_8745(7月に掘ったジャガイモを「霧降文庫」のベランダに干したのは8月6日が初日か)
Img_8743(ジャガイモは泥をつけたまま干したほうが、腐りにくいことが判明しましたー)
   今年の「霧降文庫」畑のジャガイモ掘りは、7月29日の金曜日に行い、そのジャガイモを干す作業は8月6日の土曜日から。掘り出す作業は半日だったが、干す作業は3日間かかりましたー。
 
 今夏のジャガイモ作りは異例のやりかた。腰が悪かったので、春の植え付けはオーナー任せ。途中の間引きもやっていただきました。約1カ月の入院生活(腰椎後方すべり症の手術を受けました)を終えたところで、梅雨明けに。梅雨が明けたら、ジャガイモ堀りへ。そう決めていたので、退院から1週間で、その「遊戯労働」へ。
 
 このBLOGなど、ネットも含めて参加者を募集したところ、日光の「ともだち」の奥方様2人が手を上げました。そこにちびっこ3人が加わり、私と農園オーナーの計7人で、日光市郊外の畑で、せっせと掘り進んだのです。
 
 もうこの場所は数年借りており、今年も二畝・約60㍍に「キタアカリ」を植えていただいた(本来は私がやることになっていたのです。間引きや保守点検の手間なども含め、畑の借り代は昨年の7000円かから1万円へ。これは当然でしょうねー)
 
 休憩時間も含め2時間半ほど、ちびっこたちはすぐにカブトムシやクワガタの林へ。「大収穫」に大喜び。子供の夏休みとしては、労働作業もあり、昆虫採集もあり、で、すごくいい時間になったよう。
 
 そうそう、このBLOG記事を書こうとしたのは、そのあとのジャガイモ干しについて、伝えたかったため。昨年までは、掘りだしたジャガイモは我が家の水道で水洗いし、そのうえで、ベランダに干していた。そこにたまたま茂木の農業通のともだちが我が家へ。「じゃがいもは、掘った泥がついたまま干すのがいいよ。水で洗うと、すぐに腐ってしまうさ」と。
 

 そうです。昨年は水で洗い、数日して干そうとしたら、100以上のじゃがいもが腐りかけておりました。今年は土をつけたまま、いくつかの土のう袋に保管。そのうち腐ってきていたのは数個のみでした。これは「大発見」です~。
 

 ということで、体験からも、掘ったジャガイモは、土や泥をつけたまま、干すほうがいいと。こんなことは昔からそうだろうしで、少しでも農業を学んでいれば、わかることでしょう。私のような素人というのは、やはり怖いですねー。という反省しきりです。

 
 ということで、雨の日が続いたこともあり、ジャガイモを干したのは掘ってから数日後。それも1日の太陽では終わらず、結局、全部のジャガイモを干し終えたのは、8月9日の火曜日。終えるまで3日間、かかりました。「その後の後始末のほうに時間がかかるのだねー」と、思いつつ、じゃがいもの本格保管へ。
 
 これからは、このジャガイモで、「カレー」、「コロッケ」、「ポテトフライ」、「肉じゃが」を中心に使っていくことになる。そういえば、昨年までは一円玉のように小さなそれは、捨てていた。「それはもったいない、そのままフライパンで炒めればおいしいよ」、とそう言われたのでしたー。今年はその料理にも挑むことにします(笑、以上、じゃがいも収穫・乾燥作業報告です)
 
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2016年8月 9日 (火)

「敗因と方向」で・・46項目の論点  「日光市民連合」幹事会総括

 

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写真は、「たのべたかおさん」を囲む対話集会への参加を呼びかけた「日光市民連合」の5月21日集会の、とてもすっきりしたチラシ。約160人が参加しました)
 
なんと46項目!。「日光市民連合」(戦争させない総がかり日光市民連合)幹事会で、8日(月)夕、日光総合会館で「2016年参院選総括」論議をしたら、「敗因のあれこれと問題点」で22項目、「今後の方向と展開について」で24項目、計46項目の論点があがりました。
 
それでも時間が足らず、2週間後の8月22日(月)に再び、日光総合会館(予定)でさらにぎちっと詰めた総括と今後の方針について、論じ合うことに決めたのです。今後、たのべたかおさんをどう支え、政治の世界に押し上げていくか、などについても語り合うことになるでしょうー。
 
 参加者は県議1人、市議2人を含む11人でした。それだけの人数がそれぞれに発言。あっという間の2時間でしたー。あっ、プレ「たのべ塾」的にか、9月下旬に「たのべたかお集会」を日光で開く予定でおります(御本人の都合もありますので、日程はまだ未定です)
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2016年8月 8日 (月)

死の宙釣りと生の宙釣り  「表現の周辺 8」(冨岡弘)

Img_8537 表現の周辺8     冨岡 弘

 二十歳代に読んだ小説を読み返してみた。何故か今時の村上春樹などは、未だに読んでいない。相当前になるが、「羊をめぐる冒険」が出版されて直ぐに手元に置いたが、そのままで書棚の何処かに眠っている筈だ。そのうち読むだろうが、今は読む気配がない。それで最近読んだのが、島尾敏雄の「出発は遂に訪れず」と「島の果て」の二作品で、両方とも短編で八月十五日の敗戦前後の数日が描かれている。二作品は対をなしていて、前者は主人公である特攻隊長の中尉の心理的葛藤が事細かく描かれている。後者の「島の果て」は、全く同じ時間帯つまり八月一五日をはさんでの数日の、中尉と島の娘「トエ」の恋愛が切なくしかも幻想的に描かれている。

「出発は遂に訪れず」は、最近の小説では決して味わう事のできない緊迫した描写がいたる処に見てとれる。主人公の中尉は、鹿児島と沖縄の中間点に位置する奄美群島の一つ加計呂麻島に赴任する。(本文では、島の名前は加計呂麻島と記されていないが、島尾の作品解説で具体的に語られている。この小説は、彼の戦争体験が下敷きになっている自伝的作品である。)彼は、五十二二十歳代に読んだ小説を読み返してみた。何故か今時の村上春樹などは、未だに読んでいない。相当前になるが、「羊をめぐる冒険」が出版されて直ぐに手元に置いたが、そのままで書棚の何処かに眠っている筈だ。そのうち読むだろうが、今は読む気配がない。それで最近読んだのが、島尾敏雄の「出発は遂に訪れず」と「島の果て」の二作品で、両方とも短編で八月十五日の敗戦前後の数日が描かれている。二作品は対をなしていて、前者は主人公である特攻隊長の中尉の心理的葛藤が事細かく描かれている。後者の「島の果て」は、全く同名の特攻兵を束ねる隊長としての重責を担っている。勿論上からの発進の命令が下れば、自らも二百三十キロの炸薬を装着した一人用ボート(全長五メートル、横幅1メートル、飛行機エンジンをとりつけたもの)で敵戦艦に突撃するわけである。自爆するのである。

 「八月一三日の夕方防備隊の司令官から 特攻戦発動の信令を受けとり、遂に最期 の日が来たことを知らされて、こころに もからだにも死装束をまとったが、発進 の合図がいっこうにかからぬまま足ぶみ をしていたから、近づいて来た死は、は たとその歩みをとめた。」

結果その日は、突撃することはなかつた。しかし、それからが中尉の内的苦悩が始まるのである。

「今私を取りまくすべてのものの運行は、はたとその動きを止めてしまったように 見える。目に見えぬものからの仕返しの 顔付きでそれは私を奇妙な停滞に投げい れた。巻きこまれたゼンマイがほどかれ ることなく、目的を失って放り出される と、鬱血した倦怠が広がり、やりばのな い不満が、からだの中をかけめぐる。矛 盾したいらだちにちがいないが、からだ は死に行きつく路線からしばらく外れた ことを喜んでいるのに、気持は満たされ ぬ思いにとりまかれる。目的の完結が先 にのばされ、発進と即時待機のあいだに は無限の距離がよこたわり、二つの顔付 きは少しもにていない。」

一日生きのびたことにより、いっそう複雑でやるせない心理が宿ってしまい、絶望感が彼を食い裂く。不可視な糸に死が宙吊りにされ、自分ではどうにもならない状態にさらされる。これこそが戦争の悲惨さなのだろう。死が自分自身から引き離され、勝手な思惑に翻弄されてしまう。

 私も六十代まん中ぐらいになるが、時々自分の死について考えてしまうことがある。それはあくまでも個人的な個的死である。平和な時代にはおおむね死は個的なものとしておとずれる。元来死は個々の個人に起こる現象で、それが自然であり、理想的な死に方である筈である。しかし戦争は死を個人のものから何処か別の次元に追いやってしまう。気まぐれとでも言える戦況の変化により、突撃の命令が下されればその時が死ぬときであり、選択の余地など全くない袋小路に追いやられるのである。死は宙吊りにされたままもてあそばれるのである。

「出撃のその日を、恐れおののきながら 早く来てしまった方がいいと待ち望み、 それが望み通り確かにやって来たのだっ たのに、不発のまま待たされているのだ から。すべての生のいとなみが今の私に は億劫となり、両の腕から力が抜け去っ て、体温は低く下ったみたいだ。」

こんな状態で生きているのは、辛過ぎるわけで、生きるために死を覚悟するのではなく、死ぬために毎日生きているだけなのだ。

 八月十四日待機状態は続いていたが、真夜中近くに防備隊からついに連絡があった。   

 「それは特攻戦とは少しも関係のない内 容のものだ。カクハケンブタイノシキカ ンハ、一五ヒショウゴ、ボウビタイニシ ュウゴウセヨ。ヒツヨウナラ、ナイカテ イヲムカエニダシテモヨイガ、ドウカ。」

と連絡があり、翌朝一五日中尉は内火艇には乗らず徒歩で防備隊に出向いた。

 「今日の召集は何でしょうか」

と中尉は訊く。

 「正午に陛下の御放送があるはずだ」

 「無条件降伏だよ」

と返って来た。中尉は、ムジョウケンコウフクと頭の中で反芻したとある。甚だ複雑でやるせない空虚が全身を包みこむ。敗戦を自覚して、命拾いした筈であるにもかかわらず、素直に生を喜んでいない。むしろ混沌としたつかみ所のない空間に放り出された有様である。戦争が終わったからと言って、精神が簡単に平衡感覚をとりもどせるわけでもない。もしかすると死は宙吊りにされたままなのだろうか。

 「世界は、色あせてありふれたものにし ぼんでしまい、そこで手ばなしで享受で きると考えた生の充実は手のひらの指の すきまからこぼれてしまったのか。装わ れた詭弁があとくち悪く口腔を刺激し、 生きのびようと腐心する私を支える強い 論理を見つけ出すことができない。戦争 と軍隊に適応することを努めその中で一 つの役割を占めたことによって出来かけ ていた筋道を、生きのこることによって 否定したことになれば、それでそれ以前 のもとの場所に帰ったことになるとでも いうのか。しかしその考えは私を少しも なぐさめない。生きのびるためにそのと き適宣にえらぶ考えは、環境の大きな曲 がり目のたびごとにまたえらび直さなけ ればならなくなり、とどまるところなく くり返されるにちがいない。刻々の嫌悪 感の中でだけ反応してきた過去が、空襲 と突き当るときの想像と抗命をおそれ、 それらの可能性が自分の意思の結果とし てではなく、自然現象のように去ってし まうと、そのあとに空虚が居残り、新た な局面に出かけて行って対処するエネル ギーが生まれてこない。」

この小説はよくある戦記物ではない。小説家でしか描けない卓越した心理描写は、説得力があり、物理的戦争記録ではなく精神的戦争記録小説として一級のものであるにちがいない。白黒はっきりしないグレーゾーンが見事に描かれている。私は以前から、小説はグレーゾーンを描くのに一番てきした表現方法だと確信していて、詩でも俳句でもなく小説なのだろう。

「出発は遂に訪れず」は、島尾の実体験をもとに描かれた作品で、事実彼は加計呂麻島に特攻隊の隊長として赴任した経験がある。一般大学を繰り上げ卒業した後最初は「第一期魚雷艇学生」であったが、戦況の変化に伴い「第十八震洋隊」を率いることとなる。総勢百八十名の長として、軍人経験が甚だ未熟であったはずの島尾にとっていかに重責であったかは、たやすく想像できる。もし私がこんな立場にいたら、小心者でいくじなしの自分は、簡単に精神異常をきたすであろう。未熟極まりない若者を隊長として任命しまうほど、日本の戦況は末期的であったのだ。魚雷艇も震洋艇も搭乗員の死を運命づけられた兵器であり、極限状態を体験した島尾は、戦後この小説を書かずにいられなかったのだろう。後に彼は、あの有名な作品「死の刺」を書くが、私は「出発は遂に訪れず」の方を高く評価したい。

日本も敗戦後、リアルな戦争は幸い行わずにきている。死が個人からむりやり略奪され宙吊りにされてしまう戦争はどんなことがあっても避けたいが、一方戦争とは全く違った戦後最悪とでも言える大きな出来事は、福島原発事故であろう。放射能汚染による帰宅困難区域は未だ手つかずのままにある。二〇一六年現在九万人以上の厖大と言っていい数の住民が避難状態にあり、荒れ果てた故郷を嘆いている筈。私は原発事故による放射能汚染は、戦争の死の宙吊り状態とは真逆の生(生活)の宙吊り状態であると考える。生の宙吊りもなかなか精神的に過酷であることは、容易に想像できる。事故から5年が過ぎ以前ほどニュースにならなくなっているが、特攻隊の言いようのない空虚感と、避難民のやり場のない怒りと無力感は、どちらも重なる部分があるわけで、自分ではどうにもならない焦燥感、嫌悪感、倦怠感が全身を包んでしまうことが有るのではないか。個人の「死」そして「生」が国の思惑により翻弄されてしまう事態は、何時の時代も起こり得ることなのだ。私の死、私の生、ではない状態は異常な事態であることに、いつも敏感に反応出来ることは、重要であると思う。島尾の作品は、戦争における精神解体記録小説としておそらく永遠に残るものと期待したい。

 

 

 今年の冬は、家から車で二〇分ほどの温泉に、週二回ほど通いました。冬の寒さから身を守るには温泉が一番だと考えています。歳は取りたくないが、そんな温泉に頼る歳になりました。その温泉は三〇〇円で入れる経済にもやさしい村営のもので、午前一〇時から営業していて、なるべく一番風呂を目指して行くのです。土日は避け平日に行くので観光客らしきものは見かけたことはありません。何時も決まって一〇名ほどの人が入っているだけで、わりとスムーズに入浴でき快適です。一〇名ほどの人々ですが、毎回同じような顔ぶれの老人達で、自分も十分老人ですが、風貌から私より少し年上の人が多いように見受けられます。たぶんこの施設の近在の村民が内風呂代わりに使っているのだろうと勝手に解釈しています。近くにこんなに安く入れるものがあるのがすごく羨ましくおもいます。私のような貧乏性には丁度いいのです。

ところで、家の風呂と全く違うのは脱衣所が暖かく、非常に快適に着替えできそれだけでも極楽で、湯船に入る前からの極楽と入ってからの極楽、そうニ度も味わえるのです。それに脱衣所は割と広くゆったりで、いたるとこに張り紙がしてあり空間に心地良い緊張を与えています。代表的な張り紙は、天ぷらそばや生ビールなどの飲食の宣伝用のもので、入浴後利用して下さいということなのだろう。他に天井近くの壁の高い処に、何故かベニスの風景画(リトグラフ)が掛けてある。誰かが寄贈したのだろう寄贈者名が絵の下に張ってある。壁や引き戸の余白からは様々な情報が発信されていて、目のやり場に困り、軽い眩暈を起しかねない。この過剰なまでのアナキーな空間は、一体どんな人によって演出されたのだろうか少し気になる。そんなエネルギーに満ちた場を後に、いよいよ風呂場に入る。何時ものメンバーが何時ものようにゆったり無言のままそれぞれの楽しみ方をしている。男達は寡黙であり黙々と背中を流しそして湯船に浸る。日頃女達のとめどなく続くお喋りに疲れてしまっているのか、全く喋る気配がない。老人になっても男を捨ててないところがいい。ふと洗い場にめをやると一人だけ際立って目立つ、歳の頃なら七〇前後、背中に美人画が見事に描かれているなかなか近寄りがたい風格を感じる人がいます。きっと若い頃は元気が良かったのだろう。相当きれい好きらしく、永遠と体をくまなく丁寧に洗っている。やや潔癖症と思えるほどのこだわりだ。人は見かけでは分らない、その人の秘密を見てしまった思いがして変に愉快な気持ちになった。

私は何時ものルーティンをこなして、最期に決まって露天風呂にはいります。内風呂でよく温まってからでないと、赤城山の裾野から吹き上げてくる寒風は、たちまち全身を冷やしてしまう。だから小走りで露天に滑り込む。壁を隔てて女の露天は何時もの通りお喋りでにぎやかだ。こちらは口を真一文字、あちらは寒風を追いやってしまうほどの笑い声で溢れている。このコントラストが男と女の谷の深さを暗示している。

風呂から上がり脱衣場で帰り仕度を整え、建物を出ると左手のガラス窓越しに大広間が見える。多分100畳は有りそうな本当に広いもので、そこで午前中にもかかわらず、数名の男女がカラオケを楽しんでいる。私の立っているところから、ゆうに30メートルは離れていると思われる場所がステージで、巨大なモニターの真横で着物姿の元お姉さんが、気持ち良さそうに歌っている様は平和そのもので、一足早く春の空気を感じてしまうほどです。実際の周りの山々はまだまだ真冬そのもので、春のかけらもありません。お姉さんの歌声に感謝しながらゆっくりと歩き、ほてった体を少し冷やします。駐車場は直ぐそこです後は何時もの道で帰り、お昼ご飯をつくり食べるだけです。

私の老後のささやかな楽しみの一つを書いてみました。

 

2016年8月 7日 (日)

再開は8月20日(土)から  2カ月休業の「霧降文庫」

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 「霧降文庫」は、6月下旬から「臨時休業」しておりましたが、8月20日(土)から再開することに決めました。「腰椎変形すべり症」の手術・入院が25日間、さらにリハビリが約1カ月。約2カ月間、休んでおりました。ご迷惑をおかけしました。
 
 雑誌や特集本で、何度か紹介されているため、それなりに「霧降文庫」が知られるようになったのはいいのですがー。BLOGやfacebookでチェックしていない古書ファンは、当然、オープンしているものと、思って、霧降文庫へ。「あれ?やってないや!」。そんな方がたぶん、いただろうと思います。期待して訪れた方には、特に申し訳ないと思っています。
 
  新たなオープンについては、8月11日(木)、あるいは、8月19日(金)も候補でありました。ところが、もう少しリハビリを重ねたいのと、8月20日は、「ともだち」が「大送別会」、いや、「大快気祝い」を企画しているとのこと、それに退院したのが7月22日で、ほぼ約1カ月。再オープンするなら、8月に。そんな理由から、20日とした次第です。
 
 いわば「堕ちていく私」を入院生活で、体験したこともあり、心機一転。「これからは、もう少し、霧降文庫に力を」。そう考え、オープン日は、金を加え、金、土、日、祝日に。時間も少し早め、正午から。つまり、正午から日没へ。再オープンから1カ月後の9月22日の秋分の日は、「第三回霧降ミニマルシェ」(風花野文庫と共催)も控えてもいます。
 
 その意味では、1カ月間の「助走期間」が必要かもしれません。古書や図書の出し入れ、整理、整頓の必要も。東京の「古書市」に久しぶりに顔を出し、新しい古書を(私の好きな~)集めてくることも大事かもしれません。それに秋となれば、「読書の秋」、その道の本番にも。という・・・さまざまな理由から、8月20日(土)に「霧降文庫」を再開します。その節は、よろしくおたの申します、ですー。


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2016年8月 5日 (金)

正しく堕ちる道を堕ちきることで目覚める 「堕落論」と「21世紀の堕落論」

Img_8770 折々の状況 その43(20168月5日)

正しく堕ちる道を堕ちきることで目覚める

 

「一億総活躍社会」、そんなスローガンはどこにあるの?と、誰もが思うだろう。まるで、東京のラッシュアワーのような人、人、人―。そこが病の人たちを中心に動いている「病院」だとは思えない。受付窓口へ、検査窓口へ、検診窓口へ、エレベ―ターから病室へ、お見舞いへ、付き添いに。車椅子、歩行器、杖、医師が、看護師が、看護助手が行き交う。担架がそこのけそこのけと通っていく。

さまざまな目的で歩いているのはわかっている。それぞれがうごめいているが、言葉はほとんどない。個々では、何か困った状態であることが「正しく」、健康で明るい人は「正しくない」(笑い)。そういう不思議な空間だ。7月22日まで25日間、私が入院していた済生会宇都宮病院。昼でも夜でも、四六時中、救急車が到着するサイレンが聴こえる。私はとにかく「腰椎変形すべり症」を治す、それに徹した生活だったが、よくよく考えると、感覚としては「ゆっくりと行くところまで行くしかないね」、といったところかー。

 

 いわば、そんな「堕ちていく私」みたいな感覚が残っていたのか、つい数日前、書店でその書名を見かけて、買い求めたのが「21世紀の新・堕落論」と銘打った香山リカの新書『堕ちられない「私」 精神科医のノートから』(文春新書)。キャッチフレーズに誘われて、一気読みしたのです。最新刊かと、思っていたらー。初版は2014年11月20日。もう1年9カ月前になる。新聞の書評論でも、見かけなかったのだが、「どんな新・堕落論?」と、興味津々で、手にしたのです。

 

 表紙には、「たまには私も堕ちてみたい」 ダラダラ、グズグズ、ちょっと淫靡で不道徳。それが正解!-。とあったが、30近い「ケース」を紹介し、それにコメントを寄せる、そんな展開が次々と。それほど起承転結があるわけではない。名文家?香山リカだけに、「次の展開は?」と、読み進めるのが楽しみでしたが、結果は、玉ねぎの皮をむくような思いに。期待して読み進めていただけに、「もう少し展開してよー」といった感覚が抜けない。以下に示す「あとがき」の中心部分をあげてみてもそういう感じがしてしまう。というか、「堕落論」という割には、明るすぎる、のっぺらしており、軽くステップを踏みながら次のテーマに移っていく、そのため深みを味わえないのか?ー、というと、わりと好きな作家に対するないものねだりかもしれない。

 

 「堕ちることからこそ、見えてくる風景、味わえる快感、出会える人々が必ずいる。そして、いったん堕ちたからこそ、『私が本当にしたいことはこれなんだ』と気づくこともたくさんあるだろう。そこからまだゆっくり歩きだし、疲れたら、また堕ちる。疲れていなくても、『やりすぎだな』と思ったら、あえて堕ちる。それでよいのだ。堕ちることを恐れない 堕ちる力を疑わない。それは自分を信じ、人間を信じ、世界を信じることにほかならないと、私は強く思っている」(「あとがき」)

 

 というのも、「堕落論」と、くれば、だいたいの人が、坂口安吾が戦後すぐに書いたエッセイ「堕落論」(昭和21年4月『新潮』第43巻第四号)と「続堕落論」(昭和21年12月『文学季刊第二号』冬号)、それを思い起こすだろう。1945(昭和21)年夏の「敗戦」からまだ1年も過ぎていない。そのときに以下のような、いわば、衝撃的な「堕ちろ!」の勧めを書いている。それに比べるのもなにかと思うがー、どうも比べてしまう(笑い)

 

 「堕落論」では、よく知られるフレーズが以下だ。

 

 戦争は終わった。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間に変わりはしない。ただ人間に戻ってきただけだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な道はない。戦争に負けたから堕ちるのではないのだ、人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが、人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら、人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それゆえ愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。

 

 「堕ちること以外に人間を救う便利な道はない」、と、呼び掛けながら、「堕ちぬくには弱すぎる」とも。なんとも?の展開だが、その補助線は引いている。

 

 人間は処女を刺殺せずにはいられないだろうし、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくだろう。たが、他人の処女でなしに、自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道を、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない・・・

 

 この補助線は、そのままだと、半可通になってしまうが、「続・堕落論」の結語を重ね合わせると、「なるほど!」、あるいは「いいね!」の感覚を覚えるかもしない。小さなキイワードである「処女」や「武士道」や「天皇」の使い方がわかるだろう。

 

 「続・堕落論」では、こう締めくくる。

 

 人は無限に堕ちきれるほど堅牢な精神にめぐまれていない。何者かカラクリにたよって落下をくいとめずにいられなくなるだろう。そのカラクリをつくり、そのカラクリをくずし、そして人間はすすむ。堕落は制度の母胎であり、そのせつない人間の実相を我々は先ず最もきびしく見つめることが必要なだけだ。

 

 「カラクリ」であったり、「制度」であったり、表現はいくつかあるが、要は「仕組み」ともいえるもの。ただ、それが建設というのではなく、造っては壊し、前に進むと。堕落がいけないのではなく、人間だから、堕落するのだ、と言い切る。堕ちきることによって、それも「正しく」堕ちきることよって、自分自身を発見する、それよって、自分を救い出すーそんな論の立て方だ。混乱状態にある戦後の世界で、こんな提起をされたら、救われる人は救われたであろう。というか、戦後70年を過ぎた今でも、その視点は、少しも古くなっていない。そのことに気づかされる。というか、香山リカの「21世紀の新・堕落論」の柔らかな正調派の堕落論のほうが、古めかしさを感じてしまう(のは、へそ曲がりの私だけだろうか?)。

 

 精神科の患者の実例をたくさん挙げて、「堕落の勧め」を促す方法、それが成功する場合と、そうでない場合があると思うが、この場合は、どうもしっくりこない。これは敗戦翌年と2014年という70年という年月の差なのか?、私には、わからない。ただ、安吾の正しく堕ちきることによって、堕ちぬくことによって、自分自身を発見し、救い出すーという「方法」を抜き出して、書いていたら、ふと、「これはあの吉田満の『戦艦大和の最後』」のあれではないか!」と、浮かんできた。そう、沖縄に向かう戦艦大和内の士官ルームの論争―こんな片道の燃料しか積んでいない無謀な玉砕戦法に若い命を賭ける意味があるのか?―にけりをつけたフレーズだ。知る人ぞ知る有名な以下の発言だ。「敗れて目覚める」・・。それは「堕ちて救われる」という提起と、なんと近似値であることかー。(「書棚の「戦艦大和の最後」(吉田満)が見当たらないので、とりあえず、ネットから「ガンルームの論争」から引っ張りだしました。もともと本文は全文ともカタカナです)。

 

 兵学校出身士官達「国ノタメ、君ノタメニ死ヌ ソレデイイジャナレ以上何ガ必要ナノダ」
学徒出身士官達の反問「君国ノタメニ散ル ソレハ分ル ダガ一体ソレハ、ドウイウコトトツナガッテイルノダ 俺ノ死、俺ノ生命、マタ日本全体ノ敗北、ソレヲ更ニ一般的ナ、普遍的ナ何カ価値トイウヨウナモノニ結ビ附ケタイノダ コレラ一切ノコトハ、一体何ノタメニアルノダ」
「ソレハ理屈ダ 無用ナ、ムシロ有害ナ屁理屈ダ 貴様ハ特攻隊ノ菊水ノ「マーク」ヲ胸ニ附ケテ、天皇陛下万歳ト死ネテ、ソレデ嬉シクハナイノカ」
「ソレダケジャ嫌ダ モット、何カガ必要ナノダ」
論争後の鉄拳の応酬。
この論争を制する上級士官の結論
「進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ 負ケテ目ザメルコトガ最上ノ道ダ 日本ハ進歩トイウコトヲ軽ンジ過ギタ 私的ナ潔癖ヤ徳義ニコダワッテ、本当ノ進歩ヲ忘レテイタ 敗レテ目覚メル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ワレルカ 俺タチハソノ先導ニナルノダ 日本ノ新生ニサキガケテ散ル マサニ本望ジャナイカ 

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2016年8月 3日 (水)

再開は、8月11日か、19日に リハビリ中の「霧降文庫」

「霧降文庫」の店主は、6月28日から7月22日まで25日間、腰椎変形すべり症のため、手術・入院で、お休みしておりました。只今リハビリ中ー。再会は、いや、再開は、8月11日(山の日)からか?、あるいは、8月19日(金)からか?、いずれかを想定しております(リハビリの回復状況をみながら)、今しばらくお待ちください~。

 
いずれにしろ、毎週、金、土、日と祝日。正午から日没までに拡大へ。なお、読書の秋となる9月22日(秋分の日)は、「風花野文庫」と共催で、恒例の(といっても、第3回目か?)「霧降ミニマルシェ」を開催することにしております。もちろん、たくさんの♬も。乞うご期待ー。Photo
 
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2016年8月 2日 (火)

「ダダ・シュルレアリスムの21世紀」  30数年ぶりの別冊特集が大冊で

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「ユリイカ」の臨時増刊特集としては、巌谷國士編集の「シュルレアリスム」が1976年、その後に種村季弘編集の「ダダイズム」があり、さらに1981年に再び巌谷が編集した「ダダ・シュルレアリスム」が。この30数年間、この手の別冊特集がなかった、という。それがきょう、たまたま書店で。今夏発行の「ダダ・シュルレアリスムの21世紀」が。381頁という大冊。本体2400円だが、詩や政治・社会に対するこの手の構えが必要だと、直感的に。じっくり味わうことにしますー。もういちど、ダダ・シュールが静かなブームになるのではないか?と、思うのは、私だけではないと思っているのですがー。

2016年8月 1日 (月)

さすがの諸星大二郎の世界 

Img_8720諸星大二郎ファンとしては、願ってもない路線のコミック。「文部科学大臣賞」受賞作は別にしても、民話とSFと物語を別の次元に昇華していってしまうー、この手の中短篇をさまざまに展開できるところが、異才の人だと、感心しております。彼の作品からは、いつも「旅のラゴス」(筒井康隆)の世界が二重写しになるようなところががあります

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