世界から三度、問われた。 徹底解剖の「戦争まで」(加藤陽子)
きょう10月2日(日)の朝日新聞の書評欄で、しっかりと、この著書が。この分野の第一任人者である保坂正康さんが書いている。「かつて日本は、世界から『どちらを選ぶか』と三度、問われた。より良き道を選べなかったのはなぜか」。まさに「日本近現代史」の最前線の講義録。
読めたのは、まだ3分の2だが、新鮮なのは、「日独伊三国同盟」を結ぶまでの担当者たち議事録や蒋介石の日記など。いわゆる「目からウロコ」ものの読み物。歴史をしっかり知って、今の政治の動きをチエックしないとー。そう思わせられる魅力的な著書だ。
466頁という大著だがー。『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』(加藤陽子 東京大学文学部教授 朝日出版社 2016年8月10日)。
日独伊軍事同盟とはどのようなものだったか?。
「アメリカを牽制する同盟でしたが、日本がほんとうにほしかったものは、仏印蘭印(注・ベトナム、インドネシア)など、宗主国を失った植民地だったわけです。そのための同盟であり、そのための大東亜共栄圏というスローガンでした。植民地解放などというスローガンは、後からつけられたものです。陸海空三省の代表者などが、内緒で議論している議事録を読めば、日本の赤裸々な姿が浮かびます。理念がないのです。人を惹きつける理念が」(299頁)
■この国はなぜ3回誤ったのか
太平洋戦争への道筋で世界が日本に、「貴国はどちらを選択するのか」と問うたときが3回あったと、著者は説く。リットン報告書、三国軍事同盟、日米交渉。その選択時の状況を分析することは現代政治への教訓となる、との思いで、二十数人の中高生たちに説明したのが本書である。
著者の歴史観を土台に据えて、この国が3回の選択をなぜ誤ったのかが具体的に検証される。それぞれの折のキーワードをもとに日本と国際社会の関係が解剖されていくのである。リットン報告書の章では、リットンが語った「世界の道」は、はからずも吉野作造が用いた「世界の大勢」と重なりあう。満州が大切なのはわかるが、貴国は「世界の道」、つまり「正気に戻るのですか」と問うたというのである。
日本はその道に戻らず、孤立していった。
三国軍事同盟については、ドイツが求めた条文の「第三条」が問われる。アメリカという語は用いられていないが、仮想敵国をアメリカとした内容だ。20日間で結ばれたこの条約について、軍部や官僚の一部が「目の前に、よりほしいものがあった」ためと言い、それが蘭印(らんいん)仏印だった。軍事同盟を結ぶ基本的な姿勢の欠如に驚かされる。
日米交渉のキーワードは「日米首脳会談」である。近衛首相がルーズベルト大統領に首脳会談を呼びかけた「近衛メッセージ」(1941年8月)が、野村駐米大使の不注意で漏れて日本国内にも伝わってくる。国家主義団体が近衛攻撃のビラを撒(ま)くが、その妄動ぶりが国策決定にも響くのである。3回の選択時に、日本はなぜバランスのとれた判断ができなかったのか、著者は日米交渉の出発点になった諒解(りょうかい)案に新しい見方も示す。
著者の知識に接する中高生たちの問題意識の鋭さは頼もしい。「普遍的な理念の具体化」が欠けていた時代だったという結論を読者もまた共有する。
評・保阪正康(ノンフィクション作家)
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『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』 加藤陽子〈著〉 朝日出版社 1836円
(「折々の<状況>その44」
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