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2016年12月27日 (火)

黒川純・〈叙時詩〉に向かって吹く風  「詩と思想」特集 2016年現代詩・回顧と展望

「特集 2016年度・回顧と展望」 現代詩を展望するという、だいそれたテーマに黒川純も登場しました。『詩と思想』(2017年1、2月合併号 1月1日発行 1600円、土曜美術社出版販売)。黒川は脱原発、反戦争法、東日本大震災を「守備範囲」に、エッセイ「『叙時詩』に向かって吹く風 詩の<現況>についての私的メモ」と題して、約2700字を。編集委員会の依頼なのでした。多くの詩人たちをさしおいて、無名の「黒川純」が書いているので、さぞや「黒川純とは何者なのか?」という、戸惑いの反響があるのは必至です(笑)。
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 「叙時詩」に向かって吹く風

 

詩の<現況>についての私的メモ

 

 

 

Ⅰ それぞれの方法で「詩の風」をー

 

 

 

 「現代詩この1年」を回顧しなくても、最初の一行のその大事さ、大切さについて、詩人という詩人たちは承知していることだろう。今回の表題を与えられてから、月刊誌「詩と思想」や詩誌から文芸誌に移行しつつある季刊誌「コールサック」はもちろん、私にしては、たくさんの今年の詩を意識的に味わってみた。だが、その一行で読み手を振り向かせる、「おっ!」「ふむー」、「その先は?」と思わせる、そんな詩は少なかったように思える(私の場合はだがー)。私もその一行にこれまでも熱心ではなかったので、大きなこと、えらそうなことは言えない。それはじゅうじゅう承知の上で、そんなことを言ってみたい。それでも、昨年秋から今秋までの「詩と思想」各号の頁をめくると、「読者投稿作品」にそれらの宝石が散らばっていたように感じた。とくに毎回のように選ばれている佐々木漣の作品などはその見本のようだ。

 

 

 

弾丸になった一羽の鳥が空腹のまま/霧の中を飛んでいく/さらば真実、と切った空気(略)暮らしの中でトリアージは日常的に行われており/しかし、それが誰の手によるかが問題で(略)涙を今日一日の塩分にしなければならないと/握り飯一口もない、海岸で、立ったまま絶命 する者

 

 

 

 この作品「まだ霧は晴れていない」は2016年5月号に登場した。4連約45行の各連である行ごとに魅力的な比喩が飛び交っている。ことに「暮らしの中でトリアージは日常的に行われており」などは、その一言で昨今の社会をぎゅっと詰めた一行だな、とうなずいた。

 

 選者の河津聖恵さんは「選評」で、この佐々木漣の作品について、「詩の中から現在の社会へ向かおうとする風がある」としているが、さらに5月号の投稿作品全体についても、「いくつかの作品に『詩の風』を感じてうれしかった」と伝えている。その「詩の風」についての語り口が思わず、ミクロの詩論になっていたので、今度は私がうれしかった。以下のような問い掛けだ。

 

 

 

 「もちろん、『詩の風』とは、現実に吹く風ではない。いわば『異風』だ。読む者の言葉の秩序にひやりと触れる沈黙の風。あるいは読む者の自己と感情のあいだを、微細にひらき鋭利に吹き抜ける無の風。かたくつきつめた『私』がそれぞれの呪法で風をおこし、風は書く私をつきぬける。やがて読む『私』、そして全ての『私』を解体し、凍りついていた不可視の全体をめぐらせるー、そんな異風たちの春をまつ」

 

 

 

 こうした佐々木漣の作品を象徴にした「一行」に魅かれるのは、私個人の詩の体験が懐かしい記憶としてたちのぼってくる、よみがえってくるー、それがあるのだろう。というのも、私の詩の「原体験」は、1970年前後。前半は、大学の「フォークソングクラブ」のメンバーとして。リアルタイムでフォークルの「イムジン河」、高田渡の「自衛隊に入ろう」、はしだのりひことシューベルツの「風」」を聴いたり、弾いたりしていた。

 

 後半は、マスプロ教育粉砕やベトナム反戦などの「全共闘」へ。沖縄返還協定を中心テーマに、「デモからデモへ」の季節。吉本隆明の「固有時との対話」、「転位のための10篇」、さらに清水昶(あきら)の一連の詩、例えば「男爵」、「眼と銃口」、「夏、涙なんてふりはらえ」などを熱心に読んでいた。

 

 とくに詩集『朝の道』の代表作だろうと言える「夏のほとりで」などは、その典型だ。手元にある1973年2月第一刷の『清水昶詩集』(現代詩文庫)、そこから、とりだしてみると、やはり佐々木漣の空気と重なっているように感じられる。

 

 

 

 明けるのか明けぬのか/この宵闇に/だれがいったいわたしを起こした/やさしくうねる髪を夢に垂らし/ひきしまる肢体まぶしく/胎児より無心に眠っている恋人よ 

 

 

 

Ⅱ 「震災以後、詩とは何か」と「民主主義って何だ?」

 

 「現代詩この1年――」といっても、この3年ほど前まで私は東日本大震災ボランティアだった(それを機会に「防災士」に)。今は、市民団体「さよなら原発!日光の会」代表であったり、「戦争させない総がかり日光市民連合」共同代表であったり。なので、ごく自然に関心は大震災、脱原発、戦争法がらみの詩へ。その問題意識については、今年の「詩と思想」前半期の「詩人の眼」で連載させていただいた。その方面からの「回顧と展望」といえば、第一に先にもあげた河津聖恵さんの詩論集『パルレシア 震災以後、詩とは何か』(2015年12月15日 思潮社)、これを示さねばならないだろう。

 

戦争法もそうだが、あれから5年半余も過ぎる東日本大震災・福島第一原発事故にからまって生まれている幾多の詩の中に、私たちの胸にすとんと落ちる詩がどれほどあったのか?。私もそう思ってきたが、これまでの詩の多くが、「自己救済」で終わってしまったのではないか?。河津さんもそう指摘したうえ、「だが、3・11以後、一気にこの社会の言葉を完全制覇してしまった無関心や無力感を突き破って、別な現実に触れようとしない。しかし、普遍的な真実とは、現実や事実そのものに留まるものではなく、それらを突き抜ける非現実的な力を必ずもたらすものなのだ」と。そして、ほとんど全力で(そのように感じられる)以下のように提起する。私はその呼び掛けに、深く同感している。

 

 

 

 「今、新しい比喩こそが待たれている。一気に別な現実の輝きに触れることで、水の濁りを突き抜け、他者との共感の通路を創造しうる比喩が。その結果、この汚れていくばかりの絶望的な現実が、別の意味合いを帯びてくるような神話的な、宇宙的な比喩が。詩本来の想像力で、消えゆこうとする現実の空をふたたび押し広げ飛翔するための比喩が。汚い現実と化していくこの悲しい世界を、人間の痛みが極まる一点から、鮮やかな虚構へとめくり返す比喩が。・・・・・」

 

 

 

 と、このようなまっとうだが、「創造的」な呼びかけに答えられる詩はそうかんたんに生まれないだろう(私もその一人だがー)。それでも、社会・政治運動の面から別の「かたち」で生まれたとも思っている。2015年秋、戦争法強行採決の際、シールズ「自由と民主主義のための学生緊急行動」(SEALDs)たちが、国会正門前で盛んにコールしていたフレーズがそれだ。「戦争法反対」という決まりきったコールだけではなく、「民主主義って何だ?」という呼びかけに、参加者が一斉に「これだ!」と応じる。この応答形式のコールは、現状を正面から突くと同時に、非常に新鮮な響きだった。問題に深く向き合うことから生まれたコールだろう。こうした視点をずらした、意表を突いたフレーズは、詩の世界に対するひとつの大きな「ヒント」になるのではないか。

 

 

 

 

 

Ⅲ 言語の裂け目と積まれた「悲しみと怒り」

 

 

 

 「3・11以後、詩とは何か」にからんで、今回の注文で読み進めた詩論で考えさせられたのが、『純粋言語論』(瀬尾育生、五柳書院)。2012年7月発行なので、すでに4年が過ぎるが、現在進行形の指摘だと思えるのが、以下の視点だ。

 

 

 

 「人間の心が負った傷を、人間の言語のなかに回収して終えることはできない。そうではなくて、事物の語り出しは本質的に人間の言語の中に回収不可能だということをあらわにする必要があるのです。人間の言語に裂け目をつくって言葉を外に向かって開き、それを事物とつなぐ。その傷口から、何か別の伝達が入り込んでくる通路をつくる。そのための不連続や断片化ということが、重要な詩的な技法・語法になるはずです」

 

 

 

 視点として挙げた「回収不可能な言語」についての展開は、「日本における前衛詩の開拓者にして祖である」(中村不二夫 エッセイ集『詩の音』)とされるその暮鳥と白秋について論じた瀬尾さんの詩論「山村暮鳥と北原白秋」の結びにある。

 

 

 

 キイワードの「人間の言語に裂け目をつくって言葉を外に向かって開き・・・」を視野にして、今年のわたしが読んだ原発詩でいえば、『コールサック』第86号(2016年6月)にある

 

みうらひろこの「゛までい゛な村から」だ。累々と「フレコンバック」の山が続く「までい」・「丁寧」な村と呼ばれた福島県飯舘村の現状を伝えながら、心の鏡を映した詩ではある。だが、そこを一つ飛び越えた詩だ。というのも、私もほぼ1年前、市民団体「原発いらない栃木の会」の企画で福島第一原発周辺の町村や南相馬市などを「視察」する機会があった。フレコンバックが連なる山について、思わず「まるで『万里の長城』だね」と、息を呑んだ。この詩は断片化や不連続ではないが、現地の視えない空気・心を見事に「かたち」にしてくれたと思えるからだ。

 

 

 

フレコンバックと呼ばれる/除染で出た汚染土を詰めた黒い袋が/累々と、道しるべのように積みあげられています/までいの村に、までいに積まれているのです(中略)この黒い袋の中味は/故郷を失った人達の/悲しみが詰まってます/人々の怒りではち切れそうです

 

 

 

Ⅳ 「叙時詩」の可能性について

 

 

 

 今年のノーベル文学賞は、あのボブ・ディランへ。世界を驚かしたこのニュースだが、「コールサック」に連載中から注目していたエッセイ詩論『詩のオデュッセイア』(コールサック社)がそのニュースを先取りするように、この秋(2016年10月9日初版)発刊された。副題がなんと、「ギルガメシュからディランまで」。著者は、朝日新聞の看板コラム「天声人語」も担当したことがある高橋郁男さん。名文記者がそこまで詩にぞっこんだとは思わなかったこともあり、熱心に読ませてもらった。

 

 小題の「『叙時詩』の可能性」だが、抒情詩でも叙事詩でもなく、あくまで叙時詩

 

という分野?について。高橋さんは第7章「戦後・冷戦から『滅亡の危機』の時代へ」で、ディランの「風に吹かれて」をとりあげ、「その時代の姿・かたち・肖像を詠い、映す『叙時詩』、それぞれの詩の世界で、歌い手と詩句と旋律が奇跡的な出逢いをした時に、時空を超えた一曲が生まれる」とした。さらに第8章「詩の世界での不易と移ろい」で、ローマの諷刺詩を引き合いに、叙時詩について、このように位置づける。

 

 

 

「叙事詩でも抒情詩でもなく、その時・その時代の様・肖像を詠った詩を、仮に『叙時詩』と名付けてみた。『時』は、時間、時刻の他に、時代、年代、時世などの意味も併せ持つからだ。その時代の社会事情や出来事を取り上げて評するという点では、近・現代のジャーナリズムの時評や諷刺的なコラムの先駆けのようでもある」

 

 

 

 その「叙時詩」について、著者・高橋さんは、『コールサック』第85号(2016年3月)の「小詩集 風信」の中で、「なるほど、いかにも」という詩句を示している。

 

 

 

三・一一から五年/愚行 というには生ぬるく/傲慢 というには物足りなく/軽率 というには軽すぎ/拙速 というには甘すぎて/卑怯 というには食い足らず/鉄面皮 というには鉄に申し訳ないような/幾多の咎めの言葉も恥じ入る/「再稼働」というものが始まった

 

 

 

 冒頭に私が魅かれた佐々木漣の詩を紹介したが、ここまで書いてきて、彼の詩にシンクロするのは、提示される最初の「一行」の新鮮さ、詩句の断片化と不連続、言語の裂け目、それによる独特で懐かしい文体、さらに時代を切り開いていく詩、いわばここで言う「叙時詩」的な空気も私が感じ取るからなのだろう(本人はそのような気で書いているとは思っていないがー)。さらに以下に示す「原初の息吹と呼吸」を、そこに視るからではないか。

 

 最後のポイントは「特集 現代詩――批評の全景」(「詩と思想」 2016年9月号)にある「若手世代と熟年世代の二極化」(小川英晴)から。「すぐれた詩にはみな意識下の巨大な世界を内包しているものだ。そして、それが読み手の心を打つ。それにすぐれた詩にはどこかに原初の息吹があり呼吸がある」という。<なるほどー>と、そう思わずにいられない視方だ。その詩論にある以下の視点を紹介し、編集委の注文である「回顧と展望」にはかなり遠いだろう個人的な「詩の<現況>についての私的メモ」の結びにしたい。

 

 

 詩人は自らの意識下の力を借りて詩を書き、自らの文体を創る。おそらくその文体にも自ずと品格は宿るのだろう。作品には意識するしないにかかわらず書き手のすべてが現れる。空海は「声に実相あり」と言ったが、詩人にあっては「文体にこそ実相あり」ということが言えるように思う。声明を唱えて身につまった負の力を拭い払うように、詩人はひたすら詩を書くことによって、自らの混沌を吐き出してゆくしかない。(了)
 
   
 
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