「給付」をめぐる歴史の答え コロナと日本人(文藝春秋)
「給付」をめぐっても、歴史の教訓があります。1654年に岡山藩で大洪水が起き、領民が餓死する状況で、殿様の池田光政は、「救い米」(男に2合、女と15歳以下の子供に1合)を配ろうとし、10人の郡奉行と個別面談しました。この時の記録が『池田光政日記』の「八月十八日の条」に残っています。
郡奉行たちが「不正受給が生じる」と言うのに対し、殿様は「多少だましとられるのは仕方がない。人を死なせてしまうのが大悪だ」と。今回の緊急経済対策でも、公平性など細部の議論が長々とありました。不安を解消するのは、すばやさです。一律に一気に頭数で給付を行う。これが光政が出した答えで、まさに正解でした。 我々がやるべきことは、すでに歴史が答えを出していることが多いのです。
磯田道史 続・感染症の日本史 第二波は襲来する 「コロナと日本人」(文藝春秋 特別編集)131頁
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コメント
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一律給付でさえ素早さに欠け、まして、資源の適切な「選択と集中」など出来るはずもない…そんな為政者の無能は何のせいか?
民主主義国家のもとではそれは国民の無能のせい…
投稿: | 2020年7月24日 (金) 18時11分