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2022年8月 3日 (水)

同人誌「序説」第29号発行 なぜ?原発はいらないかー

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折々の状況 その(8)

ウクライナ侵攻と原発攻撃

大いに納得したデュピュイの「破局論」   富岡洋一郎

 1

 世界が驚いたロシアのウクライナ侵略戦争。侵攻は今年2月24日だった。ウクライナから国外に脱出する難民はポーランドを中心に700万人以上とされる。遠い日本にも1200人以上が「避難民」として来日している。すでに3カ月以上が経つが、戦火が収まる気配はない。G7を中心としたロシアに対する経済制裁やウクライナへの武器供与、受けて立つ資源大国ロシア。この戦争継続で各国とも大なり小なりのエネルギー、穀物、物価問題に直面している。ガソリン価格が高止まりしているが、さらに小麦粉の値上げが私の足元にも。ふだん愛用している日光市内のスーパーの「うどん」の値段もあっと言う間に上がっている。

 ウクライナはロシアにとって歴史的に「母なる国」。「それがなぜ?」。朝日新聞の連日の報道やラジオ、FACEBOOK、twitterなどでニュースをチェックするのが日課になっている。しかし、戦況や実状、背景など、どれがほんものの記事なのかー。情報はあふれているが、物事をきちんと判断する材料が乏しいと感じている。このためにわかにベストセラー本になっている「物語 ウクライナの歴史」(黒川祐次、中公新書)、「現代ロシアの軍事戦略」(小泉悠 ちくま新書)などでマスコミ報道以外の実態を知ろうとしてきた。

 「ともだち」の中には「ロシアを悪者扱いするが、そのロシアにも言い分がある」といった論を唱える向きもある。だが、いずれにしろ、国境を越え、一時首都キーウに迫る全面侵略戦争を始めたのはロシアだ。西欧に傾き、NATO(北太平洋条約機構)に加入しようという動きを示すウクライナに釘を刺し、親ロシア国家に仕立てようという狙いで始めたというのが大方の見方だ。「クリミア併合」以後、それが「プーチンの戦争」として着々と計画が練られてきたということだろう。それがまさか本物の戦争になるとは思いもしなかったことだ。

 このロシアのウクライナ侵略について、「100日」が過ぎたところで、「確かになるほど」と思える記事に出会った。「プーチンの実像 孤高の『皇帝』の真実」(朝日文庫)の筆者のひとりでもある朝日新聞元モスクワ支局長の駒木明義論説委員の筆だ。少し長くなるが、引用したい。

 

プーチン大統領はなぜ、ウクライナ侵攻に踏み切ったのか、4月末に語った言葉に本音が表れている。「(ソ連崩壊時に)ロシアがウクライナ独立を好意的に受け入れたとき、それが友好的な国家だということが、当然の前提だった」、「ロシアの歴史的な領土が『反ロシア』になることは許されない」。プーチン氏が「お手本」だと考えるのが、西の隣国ベラルーシだ。4月にはルカチェンコ大統領の目前でこう言い放った。「私たちは、どこまでがベラルーシで、どこがロシアかということを、特に区別して考えていない」、「ウクライナ、ベラルーシ、ロシアは三位一体だ」。周辺国の主権や領土を認めずに属国扱いする世界観は、帝国主義やソ連の再来を思わせる時代錯誤だ(6月7日、連載「世界はどこへ ウクライナ侵攻100日」 独善的な指導者が抱く恐怖)

 

もうひとつ印象的な記事を伝えたい。「ウクライナにおけるナショナリズムの歴史と行方について」、中井和夫・東大名誉教授(ウクライナ史)に聞いた記事だ(6月9日、朝日新聞)。特にウクライナとロシアの戦争についてわかりやすく歴史を紹介してくれている。

中井和夫さんは「ウクライナとロシアの戦争は、18世紀以降に限ると、今回も含めて4回起きている」と語り始め、以下のように伝える。第一にバルト海の制海権をめぐりスウェーデンとロシアが争った北方戦争(1700年~21年)で、スウェーデンと結んだウクライナ・コサックの指導者マゼッパとロシアのピョートル1世(大帝)が闘った。1917年のロシア革命では、ウクライナで独立や自治の気運が高まり、ロシアでボリシェビキが政権を握ると、ウクライナ人民共和国(中央ラーダ)の独立が宣言された。だが、ロシアの赤軍が侵攻し、学生主体のウクライナ側は敗北、キーウ(キエフ)は占領された。第三の戦いは第二次大戦中にソ連やナチス・ドイツに対してパルチザン活動を行ったウクライナ蜂起軍によるものだ。

 

こうした歴史を背景に今回のウクライナ侵攻を見ると、どうなるか。中井和夫さんの以下の指摘が非常に的を射ていると思わされた。

いわく、「ソ連が崩壊し、1991年に独立を果たしたウクライナだが、多くのジレンマを抱えた。国の制度は民主化したものの、政治家が強権を振るい、ロシアに依存した経済は不調が続いた。南部クリミア半島やドンパス地方などに多くのロシア人を抱え、言語や宗教などの面で国民統合が進まなかった。ロシア側でソ連解体を進めた『小ロシア主義』が下火になり、領土要求を伴う『大ロシア主義』が勢いを得れば、今回のような軍事侵攻を招く可能性は当初からあった」

 

 

その面でいうと、思い起こすのが戦後間もない1956年の「ハンガリー動乱」だ。

ハンガリーに対するロシアの制圧だが、私などはまだ幼稚園に通っていた子どもなので、

その後、歴史上の出来事として知ったことだ。Wikipediaによると、ソ連のスターリン批判を受け、首都ブタベストを中心にゼネストが発性。新たに就任したナジ=イムレが

ソ連を中心とするワルシャワ条約機構からの脱退、軍事的中立を表明し、複数政党制の導入などの改革を図った。ソ連はハンガリーの改革を「反革命」と断定し、軍事介入に踏み切り、2000台の戦車などでブタベストを制圧。この動乱で数千人が死亡、20万人が亡命した。ナジ=イムレはソ連に連行され、処刑されたという。

 今回のロシアのウクライナ侵攻で真っ先に浮かんだのが、この「ハンガリー動乱」でのソ連の首都ブタベスト制圧のことだった。

 それにしても「ハンガリー動乱」制圧といい、「ウクライナ侵攻」といい、ロシアはどうしてこうした行動をとるのか。北海道大学のスラブ研究センターの教授だった木村汎さんが「プーチンとロシア人」(産経NF文庫、2020年10月第一刷)でコンパクトに教えている。ソ連崩壊前夜の1989年、私は朝日新聞北海道報道部で北大担当だったことがあり、木村教授の元に通い、何度か取材させてもらった。当時のソ連情勢を知るには木村さんが適任だったからだ(同書の略歴をみると、木村さんは2019年11月没とある。合掌)。さて、どうしてそんな行動を?について示しているのは、同書の「第5章 軍事 不安ゆえの『過剰防衛』癖」にある以下のような指摘だ。これも確かに「その通りからも知れない」と思わせる論述だ。

 

 天然国境に恵まれず、歴史上たびたび外部諸列強からの侵略を経験してきたロシアは、国境地帯に緩衝地帯というクッションを置く必要性を主張する。もっとも至極と、うっかりその要求を黙認すると、大変なことになる。つぎには、その緩衝地帯を既得権益として、それを守る新しい緩衝地帯の要求へとエスカレートしてくるケースが多いからである。第二次大戦後の東ヨーロッパがそうだった。東・中欧諸国は、ソ連邦の緩衝地帯として、西側によって渋々、暗黙裡に認められることになった。ところが、それがいったん認められると、今度は、元来、ソ連を守るためのものでしかなかった東・中欧を守ることそれ自体が至上命題とされた。そのために何でも許されることになった。たとえば1953年の東独、1956年のハンガリー、1968年のチェコスロバキアへのソ連軍を主力とするワルシャワ条約機構軍の介入は、その一例に過ぎなかった(「プーチンとロシア人」159頁)。

 

 

今回のウクライナ侵攻で次に驚いたのが、1986年に事故を起こしたチェルノブイリ原発を一時占拠、欧州最大級のサボリージャ原発を攻撃したことだ。福島第一原発事故を経験している私たちにとって、原発を破壊すればどうなるか、よくわかっている。テロで原発が攻撃されることは起こりうる危険のひとつとして考えられてきたが、まさか戦争の標的になるとまでは思いもつかなかった。

 なんたる愚行か。私が代表を務めている脱原発市民団体「さよなら原発!日光の会」

は4月26日に日光で開いた第10会総会でロシアのウクライナ侵略と原発攻撃に抗議する「声明」を採択した。ロシアはウクライナ侵略を止めろ 原発を攻撃するな」と題した「声明」は以下の通りだ(全文)。

 

ロシアのウクライナ侵攻は言い訳が効かない国際法違反の侵略戦争だ。核大国であることを誇り、核の使用をちらつかせ、ウクライナに脅しをかける身勝手な行動は、核の威嚇を禁じた核兵器禁止条約に違反する愚行である。侵略と同時に1986年の事故で知られるチェルノブイリ原発を占拠したうえ、あろうことか、欧州最大級のザポーリジャ原発に砲撃し、占拠した。核物質を扱う研究施設にも戦火を及ぼした。ロシアは原子力発電所など核関連施設への攻撃と占拠をただちに停止すべきだ。

国際的な武力紛争の取り決めであるジュネーブ条約は、原発への攻撃を明確に禁じている。原子力発電所の設備が軍事攻撃によって破壊された場合、核反応や炉心冷却を制御できなくなるおそれがある。その結果、放射能の拡散が、周辺住民への深刻かつ長期にわたる健康被害や、地球規模での環境汚染をもたらすことになる。私たちは、広島、長崎への原爆投下、ビキニ環礁における水爆実験、そして福島原発事故と、甚大な被害をもたらした核災害を繰り返し経験してきた。ロシア政府が、ウクライナの人々を核の恐怖にさらすことで、降伏を迫っていることに断固として抗議する。

報道によると、ロシア軍の攻撃はウクライナの軍施設だけでなく、病院、駅舎、高層住宅などに及び、およそ無差別攻撃になっている。ロシア軍が撤退した首都キーウ近郊の町プチャでは、多くの遺体が見つかった。後ろ手に縛られていたり、地雷をしかけられたりした遺体もあった。非武装の住民を非道に扱った現場の惨状はまさに「戦争犯罪」そのものを示している。多くの国からの要請を受けて国際刑事裁判所(ICC)が捜査を進めているのは当然のことだ。

 ロシア軍は首都周辺から部隊を引いた一方、東部や南部での攻勢を強めている。ロシア国境に近い地域での占領地を広げる狙いがあるのだろうとされる。このままだと人道に反する蛮行がまだまだ長期に継続されていく可能性が大きい。脱原発社会をめざす市民団体である私たちは、ロシアのウクライナ侵略と原発攻撃に抗議する。それと同時にロシアは、ただちに即時停戦し、ウクライナから撤退することを強く内外に訴える。

             以上、声明する。

 

 この声明をFACEBOOKにアップしたところ、「失礼だが、こんな声明を決めても、ウクライナの戦火を引き金に起きるかもしれない第三次世界大戦を防ぐためには1㍉も役に立たない」という主旨の批判があった。私なぞは第三次世界大戦を防ぐためにこの声明を示したわけではなく、ロシアの侵略戦争に対して脱原発団体としての態度を明らかにしたかった、そのための声明だった。FACEBOOKでは政治の話題は避けられ、食事の話題と「花鳥風月」が主流だ。そんな空気の中で「プーチンの戦争」に対してどんな態度で臨んでいるかを示すことは大事だとも思っている。だが、こうした批判があることからも、今回のロシアのウクライナ侵略をそれぞれがどう受け止めているか。さまざまな考えがあることの一端を知ることになった。

 

 

 ロシアの原発攻撃で、原発そのものが危険であるばかりでなく、戦争で標的になることも明らかにされた。その原発はなぜ危険な代物なのか。チェルノブイリ事故、福島第一原発事故で明らかにされたのは、膨大に放出された放射能によって、農地が、林が森が、海が汚染されること、それによって「日本一美しい村」も含め、大量の避難民を生み出してしまうこと、さらに放射線によってとくに子どもたちが甲状腺がんになる可能性が高いこと。現実に「100万人に1人」と言われた子どもの甲状腺がんの患者は福島だけでもすでに300人近くを数えている。それにウランの採取から原発の保守点検、放射性廃棄物の、入口から出口まで、その労働の過程で放射能被害の可能性を強いられる。

 つまり原発事故が引き起ことは、地域の大地の生態系を壊してしまい、人が住めない地域を生み出してしまうこと。同時に家族が離れ離れになったり、住み慣れたコミュニティが壊れてしまったり。ご先祖さまと生きてきた故郷を喪失してしまう。ふだんでも原発から出る高レベル放射性廃棄物はたまりにたまり、その処分は空に浮いたままになっている。その放射能が完全に消え去るまでには「10万年」という気の遠くなる年月が必要になる。

 原発から出る使用済み燃料を処分する方法として世界で最も知られているのが、フィンランドのオンカロだ。オンカロはフィンランドで「洞窟」を意味するそうだが、実際、この施設はフィンランド南西部のオルキルオト島の地下500㍍に埋設し、約10万年間閉じ込める計画だという。福島第一原発事故直後にオンカロを撮影したドキュメンタリー映画「10万年後の安全」を観る機会があったが、この映画には圧倒された。とくにこのオンカロに人が近づかないようにあれこれ工夫しあうシーンがそれだ。だれもが授業で習う機会があったであろうムンクの「叫び」の絵柄を入口に置いておこうという考えが示された場面。10万年後には言語が変わってしまうかもしれないが、確か、視覚で危険を察知してもらおうというアイデアだった。

 今はもうそう言う人は見かけなくなったが、福島第一原発事故後では、「原発事故と飛行機や列車、自動車の事故とどこが違うのか」、そのように真顔で話す「ともだち」もいたぐらいだ。もっとも、このように原発事故を飛行機や列車、自動車の事故と同様に考える見方は今に始まったことではない。今は脱原発を社論としている朝日新聞だが、かつて原発問題の第一人者であった朝日新聞記者がこのような見方に立っていた。わかりやすい例が1976年に連載「核燃料 探査から廃棄物処理まで」を担当した大熊由紀子記者だ。

「原子力の精神史―『核』と日本の現在地」(山本昭宏 集英社新書)によると、彼女は自動車を例に反原発派に反論する。自動車は事故によって大勢の死者やけが人を出し、排気ガスは大気を汚染する。しかし、事故を起こさず排気ガスも出さない自動車が開発されるまで自動車の使用と製造を中止しろという運動は起こっていない。絶対安全な発電を求めるならば、水力発電所に対しても反対運動を起こさねばならないだろう。大隈は続ける。

 

 ほんとうに「絶対安全」なものしか許さないとしたら、わたしたちは、ダム、自動車、列車、薬をはじめ、すべての技術を拒否して、原始生活に戻らねばならなくなる。しかし、その原始生活には「飢え」や「凍死」や「疫病」という別の危険がつきまとう。核燃料を使うことの「利益」と「潜在的な危険性」とを、絶対論的にではなく、相対論的に考えてみることが、今は大切なことだと、私は思う(「原子力の精神史」、95~96頁)

 

この論に対して「原子力の精神史」では「社会で係争中の論点について、大手メディアが電力会社の広報のような役割を果たすことには疑問が残る」と批判しているが、当時はこれが堂々と記事になっていたのだ。というか、「3・11」直後、脱原発が主流になる前後でも、似たような論点で私に言い寄る原発推進派がいた。実際、福島第一原発事故から11年が過ぎた2022年初夏、ロシアのウクライナ侵攻によるエネルギー不足、世界的な脱炭素化の流れなどを理由に、世論をみると、このところ、常に回答者の5割を超えていた原発再稼動反対の声が低下傾向にある。政府にしても、朝日新聞(6月4日)によると、財政運営の指針となる今年の「骨太方針」で原子力について、昨年は盛り込まれた「可能な限り依存度を低減する」という表記を見送った、一方で福島第一原発事故後、初めて原発を「最大限活用する」と明記した。私からすれば、福島第一原発事故について反省のないまったくの暴論だ。

 

 「3・11」の惨事を経験した今、現実のこととして、原発事故が起きた際の危険について、以下にように言うことができる。「原発事故は一度起きると、空間的な拡がりからも、時間的な長さからしても、飛行機や列車、自動車などの事故と比べることができない、次元の違う事故なんだ」と。これはこれで原発事故が起きた際、その被害がふつうの事故や災害とはスケールが違うということを伝えてはいるが、いつも「もうひとつうまく伝える表現はないものか」と思っていた。2022年春、たまたま読んだ本の中で、「そういうことなんだよね」と、胸にすとんと落ちた見方に出会った。集英社新書の「原子力の哲学」(戸谷洋志、集英社新書 2020年12月第一刷)、その中のフランス出身の哲学者、ジャン=ピエール・デュピュイ(1941~)の発想というか、指摘がそれだ。

 

 同書の「第7章、不可能な破局」にあり、そこで、破局の実例として、環境破壊、金融危機、自然災害、テロなど多様な脅威をとりあげているが、中心的な問題として検討されるのが原子力だ。一方では冷戦大戦下におけるいわゆる「核の傘」の問題が、他方ではチェルノブイリを筆頭とする原発事故が重層的に論じられ、その射程に福島第一原発事故も含まれている。そのため、2011年以降、デュピュイの著作が相次いて翻訳され、日本に紹介されていったという。

 

 デュピュイの言う「破局」とは、すなわち破局とは、ある種の「攻撃」によってシステムの「閾値」(しきいち)を超過してしまい、その結果としてシステムが「急激に別のものへと転換してしまう」ことである。ここで重要なのが、破局とはシステムの質的な変化であり、量的な変化ではない、ということだ。これを具体的に語ると以下のようだ。

 

 たとえば原子力発電所の事故について考えてみよう。爆発によって放射性物質が飛散すれば、その周辺の生態系に甚大な影響が生じる。また、人間は避難を余儀なくされ、それによって社会構造や経済活動も変化する。つまり原発事故は、単に爆発を起こすということだけではなく、それによって生態系や社会経済のシステムを取り返しのつかない形で変容させてしまう。こうした意味において、原発事故が破局であるということは、それが何人の犠牲者を出したのか、という量的な観点からではなく、それによってかつてのシステムがどのように変わってしまったのか、という質的な観点から捉えられなければならない(「原子力の哲学」202頁)

 

 続けて本文はこう記す。「問題がやっかいなのは、破局に見舞われるシステムは複数あり、それぞれのシステムが複雑に絡み合っている、ということだ。前述のように原発事故は生態系を変化させる。しかしその変化は放出された放射性物質によってのみもたらされるわけではない。人々が避難し、かつて街であった場所が廃墟になれば、そこに雑草が生い茂り、新たな生態系が生まれる。つまり、原発事故によって変化したシステムが、同じように変化した別のシステムに作用し、そのシステムをさらに変化させるのである。こうしたシステム同士の複雑な影響関係を事前に予測することなど人間にはとてもできない。その意味において、破局がどのような帰結をもたらすかを事前に予測することはそもそも不可能である」。

 

 

ここにある「かつて街であった場所が廃墟になれば、そこに雑草が生い茂り、新たな生態系が生まれる」と指摘そのものに私も立ち会っている。確か3年前、市民団体「原発いらない栃木の会」が主催した「福島視察」のことだった。「帰宅困難地域」の指定を受けていた福島県浪江町の浪江駅近くの民家を訪ねた際のことだ。庭先で「ガサガサ」という音がするので「何だろう?」と視線を寄せると同時くらいにイノシシが「ダダ―」と玄関に方に走り去っていった。そこは住宅街だったが、事故から時間が過ぎたことで、野生動物たちの棲みかになってしまっていたのだ。

 

 原発事故は空間的にも時間的にも甚大な被害をもたらすものだ。そういう現象をわかりやすく言えば、「システムが『急激に別のものへと転換してしまう』こと」、さらにキイワード的に言えば、「システム転換」をもたらしてしまう。この視点を知って、私は「なるほど、これなら原発事故の危険さをうまく伝えることができる」と思ったことだった。

 この見方を教えられたすぐ後に今年の「さよなら原発!日光の会」第10回総会が予定されていた。私はその総会の決議を起案する担当であったため、さっそくこの趣旨を生かした決議案をつくった。そして2022年4月26日(土)の第10回総会で採択されたのが、以下の決議の冒頭部分だ。

 

 東日本大震災・福島第一原発事故が起きてから丸11年、コロナ禍3年になる春、ロシアがウクライナに対する侵略戦争を始め、チェルノブイリ原発を一時占拠したうえ、欧州最大級のザポーリジャ原発を砲撃するという暴挙に出ました。原発を危険にさらすことがどういう事態を招くのか、福島第一原発事故でよく知っている私たちにとっては信じられない愚行だとしか言いようがありません。同時に戦争で原発が標的になることが現実となりました。私たちが暮らす地域や森や林、畑地、海が取り返しがつかない状態に変わってしまう「システムの転換」をもたらす原発の存在の危険さをさらにリアルに知らされました。(了)

 

 

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