夢酔独言⑤ 郡司文夫 同人誌「序説第29号」から
郡司文夫
印象に残った本二冊の紹介
最近読んだ本のなかで、特に印象に残った本2冊を紹介したいと思います。小説ではないので、面白い本という訳ではありませんが、二人の著者はともに理系出身ながら、何故か、政治、経済、文化、宗教を論じることが大好きな人間で、独自の特異な視点を確立していることも共通しています。それは私にとって、とても大きな魅力の一つです。同調圧力が強いといわれる日本社会の中で、少しでも外国のことを理解しようとするとき、この二人の論客の視点は、必ずや参考になるでしょう。
さて、一冊目は、長沼伸一郎氏著作の『現代経済学の直観的方法』です。
著者本人曰く、「物理屋が書いた、現代経済学の本質が分る、誰にでもわかる入門書」。帯には、「わかりやすくて、おもしろくて、そして深い、資本主義の本質をつかむ唯一無二の経済書!」とあります。
当書の内容は多岐にわたります。もちろんメインは経済にまつわる話ですが、かなり専門的でもあります。この本は、全9章で構成されており、1章~8章まではガチで経済の話で、いろんなテーマ別に経済のことがみっちり書かれており、それはそれで楽しく学べる内容となっています。
当書が扱うのは、経済の本質的な部分で、金儲けの為のハウツー物とは異なります。馴染みの無い概念も分りやすい図解と比喩で説明されており、本質的なところをより深く理解してほしいという著者の熱意も伝わってきます。特に8章の「仮想通貨とブロックチェーン」は、かなり丁寧に書かれており、簡単なブロックチェーンの実例も記載されており、私が今までに手にした仮想通貨の解説書の中では、一番分りやすい内容でした。
さて、そんな中で第9章(最終章)だけはちょっと毛色が変わっています。良い意味で、当書のタイトル『現代経済学・・・』を逸脱しているのです。この最終章は、著者の、理系の下半身に文系好みの上半身がくっついたような不思議な視点が遺憾なく発揮されていて、私の中では一番の推しの部分でもあるのですが、一方で少々難解すぎる気もしています。この最終章を、面白いと感じるかどうかは人によって分かれるかもしれません。
話はとびますが、ネット動画で、今人気の成田悠輔氏は古典落語の「こんにゃく問答」を引き合いに、「コミュニケーションの本質は一方的な勘違いでなりたっている」と喝破していました。全く同感です。所詮人間の価値観のコミュニケーションなど、良くも悪くも、勘違いで成り立っていることが多いような気がします。
そんな訳で、大いなる「一方的な勘違い」を指弾されることを覚悟の上で、この最終章について、若干の解説と感想を、以下に述べてみたいと思います。
最終章のテーマは「資本主義の将来はどこへ向かうのか」という、スケールの大きな話です。しかし、その中身は一風変わっていて、著者が30数年にわたって熟成させてきたという『縮退』という世間では全く知られていない新しい概念をテコに、資本主義の将来を紐解いて見せようというのです。この『縮退』という概念はなかなか難しく、とくに「作用マトリックス」で数学的に説明できるとの著者の説明は、私にとってはチンプンカンプンの世界です。ただ、この『縮退』という概念に対する著者の熱量は凄まじく、読み進めるうちに、なんとなくわかったような気分にさせられてしまったのも事実です。
著者は、「少数の大企業に飲み込まれて町全体がシャッター街と化している」ような状況をみて『縮退、という繁栄』、と呼んでいます。又、グーグルやアマゾンの繁栄も『縮退』の結果だというのです。
著者はさらに論を一歩進めて、『部分の総和は全体に一致する、という大きな勘違い』が、縮退した状況を、さらに加速させてしまっているのではないか、と資本主義の将来について警鐘を鳴らします。
私なりの言葉に言いかえるならば、「合成の誤謬」とか「部分適合全体不適合」といったプロセスを経て現れる不都合な真実(例えば強欲資本主義)の根底には、『部分の総和が全体に一致しないことを、明示的に意識できていないこと』が、根本的な原因として横たわっているのではないのか、という指摘です。
例えば次のような言い方もできるかも知れません。矛盾を認めない形式論理学を父として、還元主義的方法論を母として誕生した、西欧の現代科学の知見そのものが、ここでいう『部分』に相当し、それをいくら集めたところで、いくら発展させたところで、全体(人間社会の現実の幸福)とは一致しないし、むしろ現代科学の限界を顕在化させるだけに終わるのではないかという、あまり嬉しくない未来予測です。
世界規模での大きな物語は、単純化という大きな代償を支払って、はじめて成り立っています。マルクスの唱えた共産主義もそうだし地球温暖化防止やSDGsの運動もそうです。もちろん資本主義や民主主義もそうです。どんどん単純化するなかで、目の前の利益をひねり出し、誤った方向に世界を導いているのです。そして多くの場合、人はそれを正義と名付け、物語にそぐわない事象を排除しようとします。部分に『正義』があるからといって、その「総和」である「全体」で正義が実現できるとは限らないことを、認識すらしていないのです。
さてさて、そんなことに想いを馳せながら、著者が主張する『部分の総和は全体に一致しない!』と、改めて口に出してみると、なんとエレガントで含意に富んだ美しい言葉なのだろうかと、まるでお経のように、神々しく感じる次第です。
私の解説も、いよいよ、意味不明な迷路に入り込んでしまったようなので、この辺で止めます。当書は、出版までに足掛け20年を要したといいます。あながち誇張ばかりではないと納得させられるものがそこにはあります。
私の下手な紹介文はさておき、まずは『現代経済学の直観的方法』を一読されることをお薦めします。
さて、二冊目の本は小室直樹氏の『数学嫌いな人のための数学』(数学原論)です。この本は、出版は2001年、約21年前です。当時小室氏は異色の在野の研究者として知られ、たまにTVで見かける事もあったように記憶しています。しかし、その当時の私は小室氏の著作を読むことはなく、結果的には数年前に古本屋で当書を購入するまでは、小室氏の作品は読んだことはありませんでした。
初めて『数学嫌いな人のための数学』を読んで以降、私はすっかり小室氏のファンとなりました。彼の著作は4~5冊は読んだとおもいます。最近でも新装版「小室直樹の中国原論」を本屋で見つけ喜んで買ってき読みました。小室氏は2010年には亡くなっており、上述の「…中国原論」も1996年が初版であったというから約26年前の作品です。天才はやはり違う。今読んでも全く色褪せていないのです。ただただ感心するばかりです。
さて話を「数学嫌いな人のための数学」に戻します。この本は私にとってまさに別格の存在です。数学の本質は論理であるから始まって、「論理とは人を説得する為の技術」であり、それは古代イスラエルの神との論争によって鍛えられ発展したという。また、西洋と東洋の論理の違いについても歴史をふまえ詳述してあります。ファンダメンタリストの科学批判とか、完全な帰納法は数学だけが持つとか、法律の論理は偽物とか、興味ある内容が満載なのです。
中学生時代、私は数学の証明問題が苦手でした。解答を提示されてもなぜそれが証明になっているのか、しっくりこないのです。なんとなく分ったような気はするのだが腑に落ちないし、納得もゆきませんでした。しかし驚いたことに、当時のモヤモヤ感に対する回答がまさにこの本の中にありました。
当書71頁に、形式論理学が確立した三つの根本原則が出てきます。①同一律、②矛盾律、③排中律です。たったこの三つの原則だけで、論理はなりたっているという。そして前述の「論理とは、人を説得する為の技術である」との命題を加味すれば、証明とは上記の三原則をふまえた上で、同じか同じでないかを反復提示し、人を説得できればそれで良いのだということになります。誤解を恐れずに超簡単モデルで例示すれば、証明とは、A=B、B=C、ならばA=Cだよねと説得できれば良いということになります。証明方法はいくつあっても問題ないし、ステップ数がいくら増えても構わない。上述の三つの原則さえ遵守できてれば、どんなプロセスでもOKということになるのです。
私が中学生時代に証明問題に違和感を感じたのはきっとこの『論理』とは何かという肝心要の部分を理解出来ていなかったからだろうと思います。具体的になにをすれば良いのかが分っていなかった。いまにして思えば、三原則をふまえた上で、対象事象が同じか同じでないかを反復提示して相手を説得できればそれで良いのだから、証明するとは、随分と明快な話だったのです。
さらに学校現場では、理想的な最短距離の証明方法の一つのみが正解とされ、それ以外の回答はたとえ間違っていなくても不正解として扱われたであろうからよけい混乱したのかも知れません。
この本はとにかく日本の若い人にはおすすめです。数学的な素養を高めるという目的の外に、「論理」を体得することこそが、人とのコミュニケーションに必要不可欠な基礎体力であることを、特に外国人と渡り合うときにそれが必要であることを、この本は教えてくれます。この本を読んでからの人生は、間違いなくそれ以前に比べて、物事に対する理解度の透明度が格段にアップしているはずです。パソコンに例えるならば、OSのバージョンアップをするようなものかも知れません。
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