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2022年8月14日 (日)

「序説第29号」編集後記   黒川純

 

「序説第29号」 編集後記    黒川純

 

ロシアによるウクライナ侵攻が連日のニュースで報道され、私たちの生活、社会、経済を揺るがしている。ことに政治の分野では、「だから思い切って軍備増強を」、「この際、核兵器の共有を」、「懸案の憲法改正を本格的に」、「電力不足に原発を最大限活用へ」などなど、にわかに騒がしい。社会の変化に敏感な私たち「序説」同人だけに、今回の「第29号」では、「表現の周辺14」(冨岡弘)、「折々の状況 その(8)」(富岡洋一郎)の主題のほか、各同人も「あとがき」で異口同音にウクライナにおける戦争に触れているSNSの世界でも同様にウクライナ侵攻がさまざまな切り口からアップされている。たまたま眼にしたのが、世界で最も有名なとされる反戦歌「花はどこへ行った」について。アメリカンフォークの父とも言われるピート・シーガーが1955年に作詞したことで知られるこの歌、「どの戦争で有名になったか?」と街頭で問う映像とともに。答えはベトナム戦争(1955年~1975年)から▼♪花はどこへ行った少女がつんだ 少女はどこへ行った男の下へ嫁に行った 男はどこへ行った兵隊として戦場へ・・・で知られるこの歌、私も「ベトナム戦争反対」を唱え始めた1970年前後の学生時代から口ずさんでいる。ウイキペディアによると、キングストン・トリオやブラザーズフォーも歌っているが、「反戦歌」として定着したのはPPM(ピーター・ポール&マリー)によってとある。録音はアメリカが南ベトナムに援軍を派遣した翌年の1962年だったというウイキペディアで初めて知ったのだが、この歌をつくったピート・シーガーは、ロシアの作家、ミハイル・ショーロホフの小説「静かなドン」の最初のほうにでてくるコサックの民謡の歌詞にヒントを得たのだという。これには正直、驚いた。この小説は第一次世界大戦からロシア革命を経て国内戦に至る激動の時代を生きるコサックの歴史を描き出している。トルストイの「戦争と平和」と並んでロシア文学最大の古典だとされる今回の戦場となっているウクライナはもともとコサック(自治的な武装集団)の国として知られている。「物語 ウクライナの歴史」(黒川祐次 中公新書)でも「コサックの栄光と挫折」という一章を設けているぐらいだ。そのコサックの民謡がヒントだったという「花はどこへ行った」は、こう続く。兵隊はどこへ行った死んで墓に行った 墓はどこへ行った花でおおわれた。最後にこう結ぶ。花はどこへ行った少女がつんだ。半世紀前のベトナム戦争ではなく、今のこの世界でも通用してしまう情況を何と言ったらいいのかー。

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