「寒い国のラーゲリで父は死んだ」 表現の周辺 十五 冨岡弘(「序説第30号」)
表現の周辺 一五 冨岡 弘
(お金儲けの話)
国際政治学者そして山猫総合研究所代表、おまけに、菅前首相が設置した成長戦略会議のメンバーでもあった三浦瑠麗氏の名前は、誰でも一度は、耳にした事があるだろうが、その夫である三浦清志氏の名前を、知っている人は少ないと思われる。瑠麗氏は、テレビで見かける事もここ数年は珍しくなく、マスコミの露出度も、結構高かった様に記憶している。一方清志氏は、実業家なのでマスコミに取り上げられることは、殆んどなかったであろう。その目立つ事のなかった清志氏の自宅・職場が、東京地検特捜部により、今年一月に捜査を受けた。太陽光発電事業をめぐるトラブルが引き金になったのだ。清志氏が代表を務めるトライベイキャピタルを、メタキャピタルという投資会社が詐欺容疑で告訴したことが、きっかけになっていると考えられる。他にもトライベイは太陽光発電事業をめぐり、トラブルを幾つも抱えていたもようである。メタはトライベイに十億円を出資したにも関わらず、トライベイによるプロジェクトの進展が見られない疑いが濃厚になり、告訴に踏み切ったのであろう。
三月になると東京地検特捜部は、三浦清志氏を、四億二千万円横領の疑いで起訴した。産経新聞の記事では、
(起訴状などによると、令和元年一〇月4日から同24日までの間、トライベイの債務を弁済するため、口座の管理などを任されていた合同会社から三回にわたりトライベイ社の口座に振り込み送金させ、計四億二千万円を横領したとしている。
関係者によると、三浦被告は兵庫県内で計画していた太陽光発電事業を巡って業者とトラブルになっていた。特捜部は今年一月に関係先を家宅捜査。今月七日に業務上横領容疑で三浦被告を逮捕していた。
三浦被告は逮捕後も一貫して容疑を否認。調べに対し、振り込まれた四億二千万円について報酬との認識を示し、私的に流用はしておらず[別の太陽光発電事業の返済に充てた]などと供述しているという。)
妻である瑠麗氏は、何かとその派手な暮らしぶりがネット上で話題になることが多く、
(どんなに忙しくても、昼下がりにはちゃんと歩いてシャンパンを飲みにいくわたし、えらいわ。)
これは彼女のツイ―トなのだが、これを見てしまった私は、凄く贅沢に感じてしまう。こんな日常を送っている人もいるのかなあとある意味感心してしまった。正に成功者のあかしなのだ。お気に入りのシャネルの黒いバック、ブルガリのサングラス、イタリアブランドのドルチェ&ガッバーナの花柄ドレスをさっそうと着こなし、昼下がりにシャンパン。ちなみに旦那はモンクレールがお気に入りみたいです。住まいは、当然六本木ヒルズレジデンスの高層階で、成功者としてはあたりまえなのだろう。それからクルーザーでのクルージング、別荘は、もちろん軽井沢。まさに絵に描いたような生活。だが、ちょっと立ち止まって考えたとき、これって私のような庶民が描くであろう、ありがちな金持ち像ではないのか。ブランドで身を包み、タワマンに住み、クルーザーで遊び、軽井沢に別荘。ひょっとしてこの夫婦は、もともと百パーセントまじりっけなしの庶民だったのではないか。まさにズブズブの成り上がり者だったのかもと思える。別に成り上がりが悪い訳でもなく、矢沢永吉もそんな本を書いているが、彼は自分の努力で成り上がったのだから、自慢しておおいに結構だ。三浦夫妻の場合、その豪華な生活の裏づけとなるお金の流れがどうもあやしく、まともに得た利益ではなく、トライベイに出資したお金の一部を横領して、私的に使ってしまったのではないかと思わせてしまう暮らしぶり。特捜部の起訴により今後明らかにされるであろう。
だが話はまだ終わらない。実は特捜部の最終の狙いは三浦夫妻ではなく、それはたんなる入り口である筈だと見ているジャーナリストは少なくない。特捜部が動く時は、必ず影に隠れた大物政治家がターゲットになっている場合がおおく、そこにたどり着けるかが最大の関心事なのだ。四億二千万の横領は我々にとっては大金だが、特捜部にとっては本命ではないのだ。
二〇二〇年に、菅前首相が設置した成長戦略会議のメンバーだった三浦瑠麗は、会議で何度か太陽光発電を推進する発言をしていたことが、明らかになっている。夫が起訴されたとき、夫の事業には全く関わりを持っていないと発言していたが、会議ではむしろ夫の事業を後押しするような発言をしている。この事は矛盾していないだろうか。しかも四月になると、フライデーのスクープで、三浦瑠麗の会社山猫総合研究所と、夫の会社トライベイが、コンサルティング契約していた書類の存在が明らかになり、山猫側に三八五万円支払われていた。契約書は二〇二〇年九月4日の日付になっている。関係ないどころの話ではないことが明白になった。あとは菅前首相と三浦瑠麗が、太陽光発電をめぐりどの様な関係になっていたのかが問題で、ここは特捜部の腕の見せ所である。
太陽光発電事業をめぐる多額の資金の流れには、安倍前首相時代からの金融緩和政策が、影響しているという見方をする人がいる。私もその見方には同意する。ある意味、金余り現象で、銀行には貸し出すあてのない金がもたついているのだ。預貸率と言って、銀行の貸し出したお金の金額と、預金残高の比率を言うのだが、健全な運営が成されている銀行は預貸率が高いわけで、つまり様々な処に貸出しをしているわけで、それによって銀行は利益を得る。反対に預貸率が五割程度の低さであれば銀行はあまり儲けが出にくい。ただ日本の場合借り手がなかなか見つけ難いのが現状らしい。企業活動が活発ならば借り手も多くいる筈で、停滞ぎみの日本経済は借り手が少ないのが現状だろう。そうなると銀行もハードルを下げざるを得ない。事業者には超低金利でしかも無担保で貸し出すこともあるらしい。そうした金融環境を利用して調達した資金の一部が、太陽光発電事業にも流れてきたのであろう。投資会社は億単位の資金を調達して、トライベイの様な太陽光発電開発事業者に融資をして、発電事業による利益の一部をいただく。こんな構図が見えてくる。銀行が資金を貸し、投資会社が借りた資金を太陽光発電開発事業者に融資をする、この流れが健全に行われていればさほど問題にはならないはずである。ただトライベイ代表の三浦清志氏の起訴により、やはり不正が行われていたとする疑いが濃厚になって来ている。
安倍前首相と日銀の共同歩調による、大規模超低金利政策のあだ花の一つがトライベイ事案なのだろう。地球の環境問題の改善がさけばれている昨今、脱炭素社会を目指そうと各国が努力をしてしる時期に、環境に配慮した太陽光発電はいかにも口当たりの良いプロジェクトにみえる。ただ、あざとい連中は、環境・サステナブルなどの時代のトレンドも巧みに取り込み、金儲けの道具として利用してしまう。疑ってしまえば、太陽光に限らず、風力発電も裏に何かが有り得て、時すでに遅し、でない事を願っている。
安倍政権時代の金融緩和策がとんでもない処に飛び火して、金儲けのネタにされてしまった訳だ。そして、立ち止まって考えたとき、三浦清志氏の起訴も、皮肉なことに安倍晋三氏の死去がなかったら、有り得なかったかもしれない。安倍晋三という重い蓋が外されて、特捜部は行動の自由を得たのではないか。太陽光発電をめぐる疑惑は、安倍氏の金融緩和策、そして安倍氏の死去、その両方が微妙に関係して表面化したと言えるのではないか。
(たまにつぶやく)
私はツイッターに時々気が向くと投稿する。最近では島田雅彦氏のネット放送「エアレボリューション」での安倍銃撃事件に関して「暗殺が成功してよかった」と島田氏が発言して騒ぎになり、それを受けてツイッタ―で島田氏は
「しかし彼らにネガティブ・キャンペーンを展開する余地を与えたのは私の不徳の致すところであり、いわれなき中傷を受けた学生諸氏、教員、職員の皆さんにご迷惑をお掛けしたことを陳謝するとともに、皆さんの名誉を守る努力を以て償いたいと思います。」
こんな投稿がされていた。これは彼がある大学の教授であり、その立場を考慮しての謝罪なのだろう。この投稿に対して私は、こんな投稿をした。
「島田さん、ここは潔く教授を退き、仕切り直したほうがいい。
作家に専念すべきだし、引き潮に流されて見える風景を小説に書けば良い。先生にしがみつくな。」
こんな内容である。島田教授の立場での発言はそうなるだろうが、一方彼は作家なのだ。「暗殺」発言が作家或は個人としての本音に近いものならば、世間の批判に対して堂々と反論して欲しい。彼の発言は、軽率にも先生としての立場を飛び越えてしまって、後から事の重大さに気付いたのであろう。大学などという組織に属していると、何時も何処かに無意識に窮屈さというストレスを内部に抱えてしまっていた。そのジレンマから、つい本音が出てしまったのだろうと私は勝手に推測した。組織を退きタダの個人に戻った時、本当の自分が見えてくるはずだし、その方が作家として自立出来るのではないか。
ジャニー喜多川のセクハラ問題が、ネットを騒がしている。私は、ユーチューブの幾つかのチャンネルをチェツクしてみた感想は、たんなる芸能ゴシップネタではなく、根の深い問題が隠されていることに気付かされた。これは日本の主にテレビ・新聞などの報道に関わる問題がそこに隠れているのだ。我々は一般的にテレビ・新聞を毎日のように見聞きしているが、やはり報道各社は自社に不利益になる事が予想される内容の情報があったとき、各社暗黙の了解の如く報道を避けてしまう事になる。まさにジャニー喜多川のセクハラ問題はそれに当たり、各社が長年避けてきたと推測される。口火を切ったのはBBCで、性被害者のインタビューを報じたのだった。日本の報道各社は、スポンサーとの関係があり、長年に亘り及び腰になってきたようなのだ。例えばテレビでは、番組のスポンサーのコマーシャルに、ジャニーズのタレントを起用していると、スポンサーに忖度して、ジャニー喜多川問題を避けて通るのが暗黙の了解になっていたようなのだ。これは最近の事ではなく、数十年前からのはなしらしい。ジャニー喜多川問題は、業界人なら多くの人が認識していて、それでも尚、野放し状態が相当長い期間続いていたことは、かなり酷いはなしである。大人達は、少年の性被害を黙認してきたのだ。
近田春夫のツイートでこんなのがある。
「俺はジャニーさんもメリーさんも人間としては大好きだったけれど、BBCの報道が、決して誇張ではないことも、個人的には確かだと思う。」
そのツイートに対して私は次のように引用ツイートした。
「美意識はあった方がいいに決まっている。しかしそれが余りにも無軌道にはたらくと、美は瞬く間に自滅する。」
この様につぶやいた。近田春夫は作曲家そしてミュージシャンでもあるので、ジャニー喜多川と仕事上の付き合いがあり、喜多川の裏の顔も知っていたのだろう。
大人達の身勝手な営利追求の為に、少年達が性的被害を長年にわたり受けてしまっていた事実を、報道してこなかったマスコミにも大いに責任がある。
五月になりテレビでは、相当弱腰にこの件の報道が成される様になったが、一応報道しましたよ、程度の内容である。アリバイ工作的なやり口でお茶を濁そうとしている。どうでもいいようなニュースは、連日厭きるほどたれ流すが、都合の悪いものは極々控え目に、これでは我々国民は、何を信用したらいいのか、路頭に迷ってしまう。新聞・テレビなどの、国民が日常頼りにする機会が多いいメディアは、真面目に考えてほしい。
高橋幸宏が亡くなった。今年一月に逝ってしまった。
彼は軽井沢の自宅からインスタでペットの愛犬、そして自身の写真もたびたびアップしていた。去年の秋口あたりから、どうも幸宏氏が痩せてきてしまった印象が強かったし、眼力も心なしか弱く、一瞬不安がよぎってしまった。訃報を聞いた時やはりと思った。
彼とは、生まれた年が同じで、妙な親近感があった。彼を知ったのは、私が二十歳代の頃だったとおもう。サディスティツクミカバンドのメンバーとしてである。今でも大切にしているレコードの一枚がミカバンドのアルバムである。そのアルバムジャケットに、彼もミカの隣の左端に写っている。東洋丸出しの絵柄が描かれているタイル張り銭湯を背景に、四人のメンバーが写っている。銭湯で撮影した狙いは、多分、世界進出を狙っての演出であることが読み取れる。確かミカバンドは、1970年代にイギリスでライブ活動したように記憶している。曖昧な記憶だが。その後の彼の活躍は、本当に世界的なものになったことは皆知るところである。
高橋幸宏永遠に
素敵な音楽ありがとう
これが私の彼へのツイートです。献花のつもりで、出来たての私のデジタルアート作品も添付した。
(戦争の記憶)
長年の友達であるSさんからメールが今年の三月に届いた。彼女の夫である山本顕一氏が昨年一二月に出版した「寒い国のラーゲリで父は死んだ」というタイトルの本について、ユーチューブの昇吉春風亭チャンネルで、顕一氏と落語家昇吉さんとの対談の様子が配信されているので、観てねという内容であった。
早速観ることにした。当然本に関する話が中心であるが、重い内容の話だろうと勝手に想像していたにも関わらず、意外と淡々と語られていることに少し驚いた。
この本は、顕一氏の父幡男さんと母モジミさんを中心に戦前戦後の山本家の想像し難い苦労の物語が綴られている。勿論ノンフィクションであり、小説などではない。
幡男は一九三六年満鉄調査部勤務で一家を伴い満州国に移住した。その後、日本の敗戦をきっかけにソ連の捕虜となり、一九四六年スヴェルドルフスクに到着した。そこで幡男は捕虜仲間と励まし合いながら、生きて日本へ帰還する決意を捨てる事無く持ち続けた。幡男は、ロシア語が堪能だったため、通訳の任務に就きながら、ソ連から得た少しでも希望の持てる情報を手書きの壁新聞に記載して、捕虜仲間に提供した。アムール句会と銘打って句会も主宰して、俳号は「北溟子」であった。精神が荒まぬよう先頭に立って仲間を導いた。人望が厚い人物であったことは、容易に想像出来る。しかし、運命は残酷であった。一九五四年二月に末期癌と告げられる。諦めないで過酷な日々を過してきたにもかかわらず、最期は誰にも看取られず、ハバロフスクのラーゲリの病室で息を引きとった。一九五四年八月二十五日午後一時三十分。
「昨年辺見じゅん原作の[ラーゲリより愛を込めて]と言う映画が公開されたが、主演の二宮和也が幡男役を演じている。」
一方、妻モジミは夫を大陸に残したまま、1946年に子供4人を連れて生まれ故郷の島根県隠岐島に引き揚げてきた。ほっとする暇もなく、生活のために魚の行商を思いつき、すぐさま仕事を始めたのだった。子供達を寝かしつけた後、午前二時に家を出て、片道一六キロの暗い道のりを漁港に向かい魚を仕入れた。女性なので相当恐い道のりであったであろう。幸い仕入れた魚は評判もよくまたたく間に完売したそうである。
一九四七年四月から、モジミは五箇小学校に復職できて生活も安定した。元もと彼女は満州に渡る前は教員であったため復職も早く出来たのだろう。
( 余談になるが、私は学生の頃に序説同人である高橋君と、山陰旅行で隠岐島を訪れたことがある。季節は夏で、島の裏側の人影のない入り江で、二人だけで海水浴を楽しんだ。まさに小さな入り江は、我々だけのものであった。今でもあの時の深い海の青さは、脳裏に刻まれている。能天気な若者二人はその時、こんな綺麗な島に、山本家の苦難の歴史が隠されていようことなど、微塵も感じ得なかった。)
やがて長男の顕一氏が高校受験で松江の高校を希望したため、母モジミは、松江の小学校に転職をする。一家も松江に移り住むことになる。そして時間はまたたく間に過ぎ、大学受験となる訳だが、顕一氏は東京の大学を目指す事になり、一家はまたしても引っ越しをして埼玉県大宮に転居した。モジミは大宮市の聾学校に転職が決まる。凄いとおもったのは、子供の教育のための、母モジミの苦労をおしまない行動力である。努力は実り見事顕一氏は東京大学に合格した。
「寒い国のラーゲリで父は死んだ」は、父幡男の悲運の物語であると同時に、母モジミの苦労と努力の物語であるともいえる。表紙には、香月泰男のシベリアシリーズの絵画が使用されていて、少し重苦し印象を与える装丁になっているので覚悟して読んだ。しかしその予想は見事外れ、意外とすらすらと読み終えることができた。こんな表現が適切かどうか迷ってしまうが、モジミさんの生き方に私は元気をいただいた。
本文には、幡男さんの残した多くの俳句、そして、家族への遺文も掲載されています。興味を持たれた方は、是非読んでみて下さい。
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