人間にはひとりひとりの居場所と出番が必要だと 同人誌「序説第48号」 野村タカオ
新型コロナウイルスの感染対策も2類から5類に引き下げられ、生活環境も以前とは変わり、精神的にも少し楽になったような気がする。しかし自身の生活を振り返るとマスクや手洗いなどの基本的な対策は、気がかりなので、今まで通り実施している。また外出についても必要最小限の市内の移動程度で、用事を済ませている状況である。
テレビニュースでは、連休中の話題として観光地での訪日客の賑わいの状況を連日報道していたが、誘惑されることなく自宅で過ごしていた。
普段の生活は、今や毎日が日曜日と言いたいところだが、一週間のうち水曜日と金曜日は、老人会のグラウンドゴルフの練習を行い木曜日は、高齢者中心とした「居場所づくり」として町内の集会所で、十五名程の参加者の方々とフレイル予防対策として、おしゃべりや、健康体操、輪投げ、スマイルボウリング等を行い楽しんでいる。自分は、まだ前期高齢者であるが数年で、後期高齢者と成るのは、目に見えている。高齢者の中でもまだ若手として、何か につけて用を頼まれ動かざるを得ない立場となっている。その中で感じたことは、多くの人とつながりを持つことで、高齢者の孤独感や不安感を少しでも軽減が出来ること、そして一人一人の居場所と出番が人間には必要なことであると改めて感じた。
最近になって、年を取るという事は、新たな出会いよりもずっと別れる事の方が多くなっており寂しい限りである。
また舞朝起きて洗面所で顔を覗くと日に日に地球の重力に長年さらされた頬の皮膚が徐々に下がり、シワやほうれい線は益々濃くなり、眉毛は長く伸び垂れ下がってきている自分の顔を見て、本当に年には勝てないと納得してしまう。最近は特に視力が、悪くなり新聞や雑誌パソコンなどの作業が辛くなってきている。体力、気力も薄れ何か新たなものに挑戦するなど考えられない状況である。現在の体力を如何に維持させるかで、精一杯である。
退職後は、嫌なことは避け好きなことだけをしてストレスの無い生活をしていきたいと思っていたが、無理な話であった。今や仕事もなく金を稼ぐことも出来ない人間であるが、しっかり三度のご飯だけ食べる老人として、煙たがられる存在となってしまった。
時々人間の一生とは何なのか?限りない宇宙の世界からすれば、一人の一生は瞬間でしかないという虚しさを感じてしまう。誰かが言っていた人間の一生とは、自分探しの旅である。何者かに生かされ、死ぬ時まで何があるかその時まで、解からない。限りある命を生きるしかないと、死後の世界は、存在するかどうかも解らない「死んだら無になるしかない」と言っていた。気になる言葉であった(野村タカオ)。
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