「家に居てさえ 今はいないのです」 茨木のり子の「行方不明の時間」が確かに味わい深い
哲学者の鷲田清一さんが古今東西の言葉を届ける朝日新聞1面コラム「折々のことば」が2月16日(金)で、連載3000回を迎えた。アナウンサー山根基世さんと語り合った紙面が2月16日の朝日新聞26ページに大きな記事に。その鷲田さんの「10選」のひとつに「人間には行方不明の時間が必要です」で始まる詩人、茨木のり子さんの詩「行方不明の時間」がとりあげられていた。連載1396回(2019年3月8日)のときだとある。
確か私も読んだことがあると思うが、そのときはそれほどひっかからず、すんなりと読んで通っていたかもしれない。が、改めて その言葉の向こうを思いやると、味わい深い詩なんだねと。鷲田さんが取り上げ、「10選」に入れたのもうなづける。とくに「目には見えないけれど、この世のいたるところに、透明な回転ドアが設置されている」なんては、想像力が大いに働く。
そして、結びの「その折は あらゆる約束ごとも すべては チャラよ」も。この結びはさまざまに解釈することができ、非常に微妙な余韻を与える。茨木のり子さんは「戦後詩の長女」と言われていたが、こんな詩を味わうと、やはり、「いい詩はいいね」とー。
(ネットで探すと、「行方不明の時間」についてのさまざまなコメント付きの記事がある。そのうちから拾ってみたのが、以下の詩だ。もとはよく知られている彼女の詩集「倚りかからず」の一篇だという。この詩集、私も書棚にあるはずなので、あとで探して改めて詩集で読んでみようと思う)
茨木のり子「倚りかからず」より
行方不明の時間
行方不明の時間が必要です。
なぜかはわからないけれど
そんなふうに囁くものがあるのです
三十分であれ 一時間であれ
ポワンと一人
なにものからも離れて
うたたねにしろ
瞑想にしろ
不埒なことをいたすにしろ
遠野物語の寒戸の婆のような
ながい不明は困るけれど
ふっと自分の存在を掻き消す時間は必要です
所在 所業 時間帯
日々アリバイを作るいわれもないのに
着信音が鳴れば
ただちに携帯を取る
道を歩いているときも
バスや電車の中でさえ
<すぐに戻れ>や<今 どこに?>に
答えるために
遭難のとき助かる率は高いだろうが
電池が切れていたり圏外であったりすれば
絶望はさらに深まるだろう
シャツ一枚 打ち振るよりも
私は家に居てさえ
ときどき行方不明になる
ベルが鳴っても出ない
電話が鳴っても出ない
今は居ないのです
目には見えないけれど
この世のいたる所に
透明な回転ドアが設置されている
不気味でもあり 素敵でもある 回転ドア
うっかり押したり
あるいは
不意に吸いこまれたり
一回転すれば あっという間に
あの世へとさまよい出る仕掛け
さすれば
もはや完全なる行方不明
残された一つの愉しみでもあって
その折は
あらゆる約束ごとも
すべては
チャラよ
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