歴史のそんな事実も!ー「もうひとつの原爆映画」 「ソ連のスパイになった米科学者が問いかけたもの」
もう一つの原爆映画 ソ連のスパイになった米科学者が問いかけたもの
2024年3月18日 18時00分
記者コラム 「多事奏論」 アメリカ総局長・望月洋嗣
アカデミー賞7冠に輝いた映画「オッペンハイマー」(今月下旬に日本公開予定)が米国で話題になった昨年、原爆開発に関する機密情報をスパイとして外国に流出させた物理学者のドキュメンタリー映画も公開された。
「主人公」のセオドア・ホールは、第2次大戦中の1944年、飛び級でハーバード大を18歳で卒業し、「原爆の父」と呼ばれるオッペンハイマー博士を中心とする「マンハッタン計画」に加わった。ドイツの先行を恐れたルーズベルト大統領が40年代初頭から進めた計画には、最大13万人が動員された。
ホールは、開発拠点のニューメキシコ州ロスアラモスで働き始めてすぐ、米国による核兵器の独占は恐ろしい事態を招くと予感。プルトニウムを使用する原爆「ファットマン」の情報を、共産主義国の旧ソビエト連邦に提供することを決意した。当時のソ連は米国とともに日本やドイツと戦う連合国の一角だったが、原爆開発に関する最高機密の漏出は極刑もあり得る大罪だった。
原爆開発に絡むスパイとしてはクラウス・フックスやローゼンバーグ夫妻が知られるが、ホールは単独で行動し、共産党員の友人を介してソ連に情報提供した。聴取は受けたが証拠が不十分で訴追は免れた。
作品は、ホールが亡くなる直前の1998年に米CNNの取材に答えたインタビュー映像や、妻ジョーンさんへの長時間の取材、再現映像などで構成される。歴史に埋もれた題材に、なぜ、いま光を当てようとしたのか。ドキュメンタリー部門でアカデミー賞にノミネートされたこともあるスティーブ・ジェームズ監督(69)にシカゴの自宅で尋ねた。
監督がホールについて知ったのは、数年前のことだった。10代で大胆なスパイ活動に身を投じたことに衝撃を受け、2019年にジョーンさんに長時間の取材をして、さらに引き込まれた。「オッペンハイマーが原爆の恐ろしさに気づき、水爆開発に反対したのは日本への投下後でした。ホールは開発段階で気づき、使用を防ごうとしたのです」
いまの米国で気候変動を語る人は多いが、核兵器の危険性は忘れられ、だれも話題にしないという危機感もあった。製作中、ウクライナに侵攻したロシアのプーチン大統領が核兵器の使用を示唆したことや、中国の核戦力増強を知ったことで、映画化への思いは強まったという。
作品には、重いやけどに苦しむ被爆者や焦土と化した広島の記録映像も盛り込まれている。映画「オッペンハイマー」では直接は描かれない場面だ。ジェームズ氏は「核兵器のおそろしさを伝えるうえで、絶対に必要だと考えた」という。タイトルは「A Compassionate Spy」(哀れみ深いスパイ)。ホールがスパイに及んだのは、共産主義への傾倒とともに、家族、そして人類を核から守ろうという「愛」ゆえだった、との思いを込めたという。
第2次大戦後、旧ソ連は米国に並ぶ核大国になり、冷戦下の世界は核戦争の危機と隣り合わせだった。ソ連の核開発をひそかに助けたホールの行動は、核戦力の均衡をもたらした一方で、プーチン氏に禁断の兵器を握らせたとも言える。
「冷戦とは、軍国主義が人類全体に仕掛けた戦争だと捉えるべきだ」。作品の終盤に紹介されるホールの言葉は、監督自身が伝えたいメッセージでもある。
英雄視はできない、でも、核の使用を止めるために、何ができただろうか。多くの問いを突きつける作品だった。
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