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2024年5月

2024年5月31日 (金)

いずれ観たい 5月31日公開の映画「トノバン」  音楽家・加藤和彦の軌跡をたどるドキュメンタリー

たまたまfacebookで加藤和彦の軌跡をたどるドキュメンタリー映画「トノバン」が5月31日公開だということを知った。愛称が「トノバン」とあるとは私も知らなかったがー(どうしてトノバンなのか?)。ともれあの「イムジン河」「悲しくてやりきれない」「あの素晴らしい愛をもう一度」などの「フォーククルセダース」から「サイクリングブギ」や「タイムマシン」などのりのいいロックの「ミカバンド」へ。ともあれ天才音楽家だと思っていたが、若くして自死してしまったのは残念。それが2024年、どうして映画に?ーということも知りたいが、青春時代はフォークルの音楽も生活のひとつだったので(「風」や「花嫁」などの「はしだのりひこととシューベルツ」もだが)、ぜひ観たいなとー映画紹介をネットから以下に転載します。予告編は1分間ほどと非常に短いが、その雰囲気だけはわかる。5月31日、舞台あいさつがあったよう。twitterなどで知ることができますー。
(以下はネットから)

日本のポピュラー音楽史に残る数々の名曲を生んだ音楽家・加藤和彦の軌跡をたどったドキュメンタリー。

「ザ・フォーク・クルセダーズ」や「サディスティック・ミカ・バンド」など時代を先取りした音楽性で多くの人々に影響を与え、「トノバン」の愛称で親しまれた加藤和彦。日本初のミリオンヒットを生んだザ・フォーク・クルセダーズの結成秘話、世界進出を果たしたサディスティック・ミカ・バンドの海外公演やレコーディング風景をとらえた貴重な映像、日本のポップスの金字塔といわれる“ヨーロッパ3部作”に隠された逸話などを紹介。さらに、不朽の名曲「あの素晴らしい愛をもう一度」を新たにレコーディングし、さまざまなジャンルのミュージシャンによって進化する楽曲の姿を映し出す。

ミュージシャン・高橋幸宏が加藤に寄せた思いから映画の企画が立ち上がり、「SUKITA 刻まれたアーティストたちの一瞬」の相原裕美が企画・監督・プロデュースを担当した。

2024年製作/118分/G/日本
配給:ナカチカピクチャーズ
劇場公開日:2024年5月31日

オフィシャルサイト

スタッフ・キャスト



監督
相原裕美
企画
相原裕美
構成
相原裕美


  • きたやまおさむ

  • 松山猛

  • 高梨美津子

  • 朝妻一郎

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2024年5月30日 (木)

映画と講演とJAZZを組み合わせた魅力的なイベント   6月16日(日)宇都宮市で「鉱毒悲歌そして今」

「このイベントは行きたいな」とー。6月16日(日)13時~16時に宇都宮市大谷町である映画「鉱毒悲歌そして今」と講演、JAZZを組み合わせた魅力的なイベントだ。料金も庶民感覚の1000円と、手軽だ。映画「鉱毒悲歌」は観ているが、続編だろう「鉱毒悲歌そして今」は、まだ観ていないこともあり。生JAZZが聴けるのもいいし、宇大の清水奈名子教授の講演を聴くのもいい。ということで、6月16日は宇都宮市の大谷町へと、思っています。きょう知ったばかりのフライヤーを案内します。

Jazz

 

2024年5月29日 (水)

今も緊張感が広がる1957年12月の演奏   マイルス・デイヴィス「死刑台のエレベーター」

Uccu99012_vau_extralarge このところ、深夜になって聴いているのが、マイルス・デイヴィスが手掛けた映画音楽「死刑台のエレベータ―」(完全版 全26曲)。解説によると、1957年12月4日、5日の演奏。マイルスが手掛けた映画音楽は7作品あるそうだが、その最初の映画音楽だという。監督はルイ・マル。ヒロインはジャンヌ・モロー。監督もヒロインも駆け付けたスタジオ内のスクリーンに映し出される主要な場面に合わせて演奏が進められたという。なるほど、確かに、この演奏を聴いいるだけで、緊張感ある映画の場面が浮かんでくるー。それがほかのJAZZを聴いているのと何だがちょっと違う感覚を覚える理由なのかもしれない。

https://youtu.be/YlSGNvtvGVU?si=7B_PrFXtuUDueX0p

2024年5月28日 (火)

「東海第二原発問題」がさらに現実味を帯びてきた     「東海第二原発 避難先 市町村別受入人数一覧」で

講演会「『東海第二原発』の現在地」(5月26日、日光市中央公民館中ホール)をtwitterでアップしていたところ、東海第二原発で事故が起きた場合の避難者の「市町村別受入人数一覧」を紹介しながのコメントがあった。94万人が茨城県内や関東一円の市町村に避難する計画だが、ネットで調べると、2021年12月22日が最新版のよう。今ではさらに更新されていると思うが、ヤフー検索ではこれが最新版だった。

栃木県にも13万人が避難してくることになっている。とくに茂木町には人口の25%にあたる3000人以上を受け入れることになっている。だが、茂木町は東海第二から32㌔というから、26日の大石さんの講演会に参加した茂木町のともだちによると、事故の模様によぅては、避難者を受け入れるのではなく、茂木町民が他に避難せざるを得なくなるのではないかという。日光市と塩谷町は避難先リストから外れているが、twitterでは、いずれ日光市も塩谷町も避難先に組み入れられるのではないか、というコメントがあった。

栃木県内の各市町村の避難先については、ある程度、予備知識があったが、福島県のほか、群馬県、埼玉県、千葉県にも。それも私の故郷、群馬県太田市が避難先一覧にあったのは、やや驚いた。人口22万人の太田市には人口の3%にあたる7500人がやってくることになっているー。う~む、「東海第二原発 避難先 市町村別受入人数一覧」を見ていると、東海第二原発問題がさらに現実味を帯びてきたのを感じた。

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2024年5月27日 (月)

「原発事故を忘れないために」裁判を起こしたのです   第12回総会記念講演会「『東海第二原発』の現在地」

26日(日)開いた講演会「『東海第二原発』の現在地」(講師 東海第二原発運転差止訴訟原告団共同代表の大石光伸さん)、会場の日光市中央公民館中ホールは、ほぼいっぱいの63人が参加した。日光を中心に、宇都宮、那須塩原、下野、真岡、高根沢、茂木、那珂川の8市町から参加してくれた。市民側は、一審水戸地裁で原発事故が起きた際の避難の難しさから、「運転してはならない」という判決を勝ち取っている。今は東京高裁の控訴審中だ。

 

講師の大石さんは、現実に12年間もの間、東海第二原発の運転差止を求める裁判に取り組んでいる。講演は丁寧なレジュメ(スライド108枚の12ページ)とともに、裁判の当事者ならでわの貴重な知見や体験、視点をわかりやすく説明。特になぜ生活協同組合が裁判を起こし、原告団事務局も担っているかについて。若い人の茨城からの避難計画をいち早く決め、生協ニュースで次々と伝えた。その2011年3月11日の福島第一原発事故の衝撃たるや。

 

1999年後の東海村JCO臨界事故で生協は騒然とした。だが、それも数年もすると忘れていた。そのことを大いに反省し、「福島原発事故を忘れないようにするため」に裁判を起こしたというくだり。その説明に大いに納得した。

 

前売券チケットは目標の120枚(収支とんとんの枚数)を超えた124枚。参加者は62人だったので、実に半数がカンパで支援してくれたことに。講演会は大いに成功したことを伝えながら、ありがとうございましたとー。 444483338_7485988761529906_8164548386050 445004100_2789355044549300_4558855668794

2024年5月26日 (日)

ゆったりした午後には「ジャズで聴くクラシック」     亡くなった友人を偲ぶ「別れの曲」など12曲

ゆったりした午後に利くにはもってこい。「ジャズで聴くクラシック」。「G線上のアリア」「パッヘンベルのカノン」「別れの曲」「亜麻色の髪の乙女」「悲愴」「ジムノペディ第1番」など12曲。いつか聴いた曲ばかりでもあり、のんびりするにはいいね。なかでも「別れの曲―12の練習曲第3番ホ長調より―」(ショパン)が印象に残る。最近、親しい先輩の友人を亡くしたからか?ー。 Jazz44484153_7485950164867099_9187718780

2024年5月25日 (土)

日光脱原発講演会の前売券チケット「完売」!    あす26日(日)15時~「『東海第二原発』の現在地」

あす26日(日)15時~に日光市中央公民館中ホールで開催する「さよなら原発!日光の会」第12回総会記念講演会「『東海第二原発』の現在地―能登半島地震が突き付けた現実とは?ー」(講師 東海第二原発運転差止訴訟原告団共同代表、後援 日光市、日光市教育委員会)の前売券チケット(500円)は、当初からの目標「120枚」を超え、本日現在、「129枚」に達しました。いわゆる「完売」、「売り切れ」の状態となりました。講演用のレジュメ12枚(スライド108点)からも豊かな内容の講演となることは確実であり、学ぶことが多い良い講演会となるはずです。関係者のみなさまに御礼を申し上げます。 Photo_20240525190801

2024年5月24日 (金)

「全世界を敵に回してでも生き残る」  イスラエル、ハマスの内在的論理を伝える「イスラエル戦争の嘘」

 

ともかく長引くガザの戦闘の背景を知りたいと、最新の情報を盛り込んだ「イスラエル戦争の嘘」(中公新書ラクレ 2024年4月10日初版)を一気に読んだ。この道では名高い、佐藤優さんと手嶋龍一さんの対談集だ。イスラエル、ハマス、PLFP、ヒズボラ、フーシ派、イラン、ヨルダン、エジプト、サウジアラビア、そしてイギリスとフランス、アメリカなどなど。各派、各国の思想や宗教、思惑、駆け引き、歴史、その立場がかなりすっきりわかる新書だ。

特に印象に残るのは、オビにも協調されている、イスラエル、ハマスの「内在的論理」についてー。イスラエルの内在的論理について、佐藤優さんが「これが国是だと言っていいでしょう」と語るくだりだ。「全世界から同情されながら滅亡するよりも、全世界を敵に回してでも、生き残る」ー。

さらに佐藤優さんは続ける。「私が見る限り、パレスチナの論理は比較的多くメディアに流されるのに対し、イスラエルの論理が見えにくくなっている。メディア空間における非対称性が問題だと思います」ともー。

ガザの虐殺が終わり、停戦が必要だが、この「内在的論理」からすると、どうしようもなく、まだまだイスラエルの一方的な攻勢が続きそう。イスラエルの建国は1948年5月。それから第一~第四次中東戦争、「オスロ合意」などを経ての人道的危機が続くこの大混乱、というか大虐殺ー。中東から核戦争に結びつき、そこから飛び火し、新たな世界戦争に発展しかねないということも射程にした対談だ。

読後感は「パレスチナ問題」の、ため息が出てしまうほどのともかくも底知れぬ根の深さー。

 

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2024年5月23日 (木)

豊かな内容の脱原発講演になるのは確実です   「『東海第二原発』の現在地」のレジュメ12枚

市民団体「さよなら原発!日光の会」が5月26日(日)に日光市中央公民館中ホールで開催する第12回総会記念講演会「『東海第二原発』の現在地―能登半島地震が突き付けた現実とは?―」の講師、大石光伸さん(東海第二原発運転差止訴訟原告団共同代表)が、当日、講演する内容のレジュメを「日光の会」に送付してくれました。レジュメはA4版12頁。スライドは1枚に9点あり、計108点あります。「なぜ生協が裁判を起こし、原告団事務局を」「脱原発の住民運動と水戸地裁判決の意義」「東京高裁控訴審の現状と先導的位置について」「能登半島地震と東海第二原発の関連と論点」「今秋にも予定される東海第二原発再稼動と周辺の動きと課題」という5つの大事なテーマに沿ったスライドです。「東海第二原発の現在地」を今、知るにはぴったり。視点がしっかりしており、豊かな内容の脱原発のPhoto_20240524231701 講演となることは確実です。私も講演を聴くのを楽しみにしています。

2024年5月22日 (水)

やはりもうひとつものたりない「そうめん」    今季初だったが、再び「ざるうどん」へ

71of3puj9ml_ac_uf8941000_ql80_ 445209292_7471879129607536_6490201167439 今季初の「そうめん」を。確かにさっぱりした食感だが、やはりもうひとつものたりない。それがそうめんの特性なのだろうがー。「シーフード」「ゆで玉子」「冷奴」、「キュウリ」の4種もつけてもね。私の場合は、どうも「うどん党」のようで、次はやはり「ざるうどん」へと思ってしまいました。

2024年5月21日 (火)

きょうは一日、26日(日)の議案書づくりに    日光市内で「さよなら原発!日光の会」第12回総会

きょう5月21日(火)は、ほぼ丸1日、5日後の26日(日)13時から開く市民団体「さよなら原発!日光の会」第12回総会(日光市中央公民館中ホール)で協議する議案書づくりに追われた。といっても、2024年度活動方針案、役員案、第12回総会決議案などは、すでに役員会で了承済み。2023年度決算、2024年度予算案なども含め、A4版8頁にすんなりといかに収められるか。その体裁を整えるのにやや時間をとられただけで済んだ。

むしろ、気を使ったのは、総会後に開く第12回総会記念講演会「『東海第二原発』の現在地」の「当日券」づくり。すでに「前売券」「招待券」は作成済みだが、その当日になって訪れる人向けのチケットづくりだ。過去の経験から、せいぜい「5枚」があればいいところ。でも、念のため、「10枚」をつくった。ところがチケットシートの「寸法」が合わず、2枚が失敗に終わり、オシャカにしてしまった。なんとか手順を踏んでようやく成功した。これでとりあえず、当日を迎えられそうだ。と、ほっとすることしきりにー。

 

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2024年5月20日 (月)

マルクスもフロイトもチョムスキーも   「構造主義者とは誰か」という問いに

読まなければと思いつつ、積読だった上野千鶴子の「構造主義の冒険」(勁草書房)をようやく読んだ。1985年初版のいまや「古典」の本かもしれない。「セクシィ・ギャルの大研究」や「おひとりさま」シリーズで知られるあの上野千鶴子さんが、若き頃はレヴィ=ストロースに代表される構造主義を徹底して読み込んでいたことはこの本で初めて知ったのだった。

「構造主義入門」、「異人・まれびと・外来王」、「構造主義の認識論ーレヴィ=ストロースの場合」、「発生的構造主義に向けて」など8論文から成る。「思想」や「現代思想」掲載のものや日本社会学会の「社会学評論」掲載のものなどだが、基本的にかなり硬い評論であるのは否めない。

ただ、「発生的構造主義に向けて」は、すんなりと興味を持って読んだ。構造主義の第二世代に触れたところ。「構造主義者とは誰か」という段落で、第二世代の「ド・ジョルジュ」「グラックスマン」、「ガードナー」が挙げている「構造主義者」たちだ。

それによると、構造主義者とは、マルクス、フロイト、ソシュール、ヤコブソン、ストロース、バルト、アルチュセール、フーコー、ラカン、ピアジュ、チョムスキーを挙げているという。マルクスもそうなのかと思うと同時に、いわゆる構造主義者と言われるとは思っていなかった思想家も。これらは濃淡はあるが、いずれも若い頃から、私が読んだり、触れたり、積読している人たちばかりだ。それで「そうか!、期せずして、構造主義の主流派に親しんできたのかー」と、思ったことだった。

 

 

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2024年5月19日 (日)

夢幻と日常の境界に移ろいゆく精妙で希薄な   ダニエル・コピアルカ演奏「ジムのペディ」

環境音楽の元祖、エリック・サティの「ジムのペディ」ー。それを導入部にしたバイオリニストのダニエル・コピアルカがフルートやハープ、シンセサイザーなどと演奏。気がつくと聴いていることがある。「三つのジムのペディ」「青い影~G線上のアリア」「ミスティーク」。解説では「夢幻と日常の境界に移ろいゆく精妙で希薄な旋律と和声ーコピアルカはこの『歴史的名曲』を素材に大胆にニューエイジ的解釈をほどこした」。うーん、なるほどね。 444137530_7451586641636785_5057075167773 444500485_7451586638303452_5119725529603

2024年5月18日 (土)

「憎しみの連鎖」を改めて知るために     「パレスチナ紛争史」「イスラエル戦争の嘘」「解放闘争史」へ

ガザの戦闘と犠牲が毎日、報道されているが、その歴史的な背景はほとんど伝えられていない。ともあれ手元にある「パレスチナ紛争史」(集英社新書 横田勇人)を読んだ。「憎しみの連鎖」を知るために。ただ、考えたら、発刊されたのは2004年5月。もう20年も前だった。そんなに長く本棚にあったのかと、我ながら驚きながら。さらに構図を知りたいと思ったので、きょう新刊の新書「イスラエル戦争の嘘」を「本やタウン」経由で注文したばかりだ。佐藤優と手嶋龍一のこのコンビによる「ウクライナ戦争の嘘」は、思っていた以上に教えられるところがあった。なので、新聞報道ではわからない背景をさらに知ることができるだろうと。それにやはり重信房子の「パレスチナ解放闘争史」も読みたいが、値段が値段なので、さてどうするか?ーというところだ。ともあれ「パレスチナ紛争史」と「パレスチナ解放闘争史」の本の紹介を以下にアップへー。

内容情報
[BOOKデータベースより]

イスラムの正義を掲げる過激組織が増えつつある現在、パレスチナ問題の解決は一段と重要性を増している。このイスラエルとパレスチナをめぐる問題は、一向に収まる様相を見せず、血生臭い報復が繰り返されている。日本にとっては遠い紛争、日本人にとっては分かりにくい報復は、なぜ終わりがないのか。本書は紛争の歴史を分かりやすく俯瞰し、現役の国際部記者ならではの精緻なレポートで「憎しみの連鎖のなぜ」に答えている。

第1章 紛争の地パレスチナ
第2章 第一次インティファーダとハマスの誕生
第3章 湾岸戦争の副産物
第4章 衝突へのプロローグ
第5章 憎しみの連鎖
第6章 アラファトの誤算
第7章 イスラエルの論理
第8章 アメリカの罪

[日販商品データベースより]

イスラムの過激派組織が増えつつある現在、パレスチナ問題の解決は一段と重要性を増している。本書ではこの紛争の歴史をわかりやすく俯瞰し、現役記者ならではの精緻なレポートで「憎しみの連鎖のなぜ」に答える。

 

 

内容情報
[BOOKデータベースより]

なぜジェノサイドを止められないのか?因縁の歴史を丁寧にさかのぼり占領と抵抗の歴史を読み解く。獄中で綴られた、圧政と抵抗のパレスチナ現代史。ガザの決起と、全世界注視の中で続くジェノサイド。

第1部 アラブの目覚め―パレスチナ解放へ(一九一六~一九九四年)(アラブ民族主義運動とパレスチナ―サイクス・ピコ密約、バルフォア宣言の中で;パレスチナ分割;ナセルのアラブ民族主義とパレスチナ;パレスチナ解放勢力の登場;パレスチナ代表権をめぐる闘い ほか)
第2部 オスロ合意―ジェノサイドに抗して(一九九四~二〇二四年)(「オスロ合意」の現実(一九九四~一九九六年);パレスチナ民族憲章―改訂へ(一九九六年);ネタニヤフ登場と和平の破壊(一九九六~一九九八年);オスロ合意の破綻(~二〇〇〇年);戦乱の世紀へ―第二次インティファーダの勃発(二〇〇〇~二〇〇三年) ほか)

[日販商品データベースより]

なぜジェノサイドを止められないのか?

因縁の歴史を丁寧にさかのぼり占領と抵抗の歴史を読み解く。

獄中で綴られた、圧政と抵抗のパレスチナ現代史。

ガザの決起と、全世界注視の中で続くジェノサイド。244 815jpg 4087202445 81o0qqbkrl_ac_uf10001000_ql80_ 815jpg

2024年5月17日 (金)

6月16日(日)黒磯で「小出裕章講演会」  日光、宇都宮、黒磯と次々と原発講演会

616 Mrkoide_hyo12bobi 天候がそれなりに良い日が多いのか、5月、6月は原発関係だけでも、この栃木県に限っても、次々と講演会などのイベントがー。5月26日は日光で、6月8日は宇都宮で、6月16日は黒磯で。そのうち、6月16日(日)13時半~黒磯公民館多目的ホールである「小出裕章6・16講演会ー放射能から子どもを守る 福島原発事故から13年 今後どうなる!!」のフライヤーの紹介へ。入場無料(資料代200円)、主催は 放射能から子供を守る那須希望の砦。小出さんはたくさんの著書があるが、最新刊は2021年の「原発事故は終わっていない」。その本の紹介文をネット書店「本やタウン」からアップしておこうとー。


(以下は、「原発事故は終わっていない」の本の紹介文ですー

殺していい命も、殺されていい命もひとつとして存在しないように、故郷を追われ、生活も奪われ、苦闘の中で生きることを強いられてもいい人など、ひとりもいません。誰もが同じように穏やかな生活を送るべきなのです。そのことを福島第一原子力発電所事故から10年が過ぎようとする今、多くの人に伝えたいと思います。

第1章 福島第一原子力発電所で何が起きたのか―事故発生から現在までの10年を振り返る(2011年3月11日19時3分 原子力緊急事態宣言発令;原子炉建屋で水素爆発が発生 悪夢のような光景が広がった ほか)
第2章 私たちが生きている間に原発事故は収束しない(30~40年で廃炉を完了させるという楽観的な見通しの上に作られた呆れた計画;人間は一切入ることができず、ロボット頼みの炉心内の調査 ほか)
第3章 見棄てられた日本国民―政府は決して真実を教えない(東京オリンピックは福島第一原子力発電所事故を隠蔽するために誘致された;原子力緊急事態宣言下の国でオリンピックを開催するという愚行 ほか)
第4章 それでもまだ原発を続けるのですか?(福島第一原子力発電所の事故後、世界各国で原発からの撤退が始まった;世界の潮流に逆行し、輸出政策は総崩れ それでも原発にこだわり続ける日本 ほか)
第5章 いわれのない犠牲を他者に強いない生き方(原発誘致をめぐる地方自治体と電力会社の恐るべき癒着;交付金という「原発マネー」をめぐり自治体が争奪戦を繰り広げる ほか)

 

2024年5月16日 (木)

「核ナショナリズム」という思想を知るために     山本義隆さんの新刊「核燃料サイクルという迷宮」

元東大全共闘議長で知られる、いや、今や大仏次郎賞作家である科学史家、山本義隆さんが今読みたい「核燃料サイクルという迷宮」(みずず書房)という新刊本を発刊したと。昔は月刊誌「情況」でよく読ませてもらった水戸巌さんの「原発は滅びゆく恐竜である」からの引用も少なからずあるという。facebookでこの新刊を知ったが、紹介は水戸巌夫人である水戸喜世子さん。私も結局は核燃料サイクルがすべての原発政策の元凶だと思っているので、ぜひ、読みたいなと。以下にfacebookで読んだ水戸さんの本の紹介と「本やタウン」掲載の内容情報をアップして、この新刊本を伝えることに。

(以下は、水戸喜世子さんの案内です)

山本義隆さんが また素晴らしい本を書いてくださった。題名は『核燃料サイクルという迷宮〜核ナショナリズムがもたらしたもの〜










日頃,原発にあまり深く関わりのない人にとっては,マイナーな話題として、素通りしてしまうかもしれない。

でも,この国の大部分の人は,福島を知り,今年の能登半島大地震を知って,なぜ原発をやめられないのだろうと不思議でならないはずだ。

原発。民意と政治家の意識がこんなにもズレてしまっているのに,ズルズルと止めることができない不思議。止めないと大変なことになることも薄々みんな気づき始めている。かつての敗戦の記憶のように。

この本は,この国の原子力政策の核心部,核燃サイクルにフォーカスして,原発を を止められない不思議を,「核燃料サイクルという迷路」からの脱出口を文献や,新聞記事を頼りに、道先案内人になって示してくれる。読み終わって,ヤバイ!と思った

核燃料サイクルができると発表されたのは、もう半世紀も前のこと。失敗に失敗を重ね、完成予定期日を26回も延期変更し,今や,完成期日を公表できなくなるところまできてしまったのに,なぜやめられないのか?

総額14兆円とも言われる途方もない負担を税金と電気代として国民に強いるだけの根拠がどこにあるのか?

すでに1984年の段階で「限りなく虚像に近いプロジェクト」と言われながら,一向に撤退しない姿は、かつての侵略戦争で,敗戦が明らかになっているにも関わらず、広島長崎という悲惨な結末を見るまで,撤退しなかった無謀さとウリ二つに見える。

著者はこの不可解な『迷路』に入り込んでいった経緯を、この国の戦前からのありよう『資源小国という強迫観念』から来るアジア侵略とそのための軍事力強化、近代日本の科学技術のありようから説きおこす。

侵略戦争への反省どころか,核を持つことが世界列強に伍す道であると確信する中曽根,岸の政治的主導で原子力政策が始まる。原発が核保有を夢見る政治家の足跡を文献で丹念に追う。

序章 ・核発電の根本問題・核のゴミとその後処理・高速増殖炉について・核燃料サイクルの現状・核ナショナリズム

一章 近代日本の科学技術と軍事 二章 戦後日本の原子力開発 三章 停滞期 そして事故の後
四章 核燃料サイクルをめぐって 終章 核のゴミ、そして日本の核武装

各章の後の丁寧な注釈が,大いに理解を助けてくれてありがたい。水戸巌の「原発は滅びゆく恐竜である』からも,少なからず引用してくださっている。

さらに便利なのが,巻末の索引だ。事実に即して,理解を確かめるために,貴重な資料として活用できる。
この著者の本の特徴である,資料として有益であることへの配慮が,今回も行き届いていて,その労力に心から感謝したい。

ひと足先に贈っていただいたが5/15から店頭に並ぶとジュンク堂が教えてくれた。
みすず書房  ¥2600➕

著者 毎日出版文化賞 大仏次郎賞,パピルス賞など受賞。元東大全共闘議長。科学史家。




71lj2w79u7l_ac_ul600_sr600600_-1 [日販商品データベースより]

日本のエネルギー政策の恥部とも言うべき核燃料サイクル事業は、行き場のない放射性廃棄物(核のゴミ)を無用に増やしながら、まったく「サイクル」できないまま、十数兆円以上を注いで存続されてきた。本書は核燃料サイクルの来歴を覗き穴として、エネルギーと軍事にまたがる日本の「核」問題の来し方行く末を見つめ直す。
日本では、戦前から続く「資源小国が技術によって一等国に列す」という思想や、戦間~戦中期に構造化された電力の国家管理、冷戦期の「潜在的核武装」論など複数の水脈が、原子力エネルギー開発へと流れ込んだ。なかでも核燃料サイクルは、「核ナショナリズム」(疑似軍事力としての核技術の維持があってこそ、日本は一流国として立つことができるという思想)の申し子と言える。「安全保障に資する」という名分は、最近では原子力発電をとりまく客観的情勢が悪化するなかでの拠り所として公言されている。
著者はあらゆる側面から,この国の「核エネルギー」政策の誤謬を炙り出している。地震国日本にとって最大のリスク・重荷である原発と決別するための歴史認識の土台、そして、軍事・民生を問わず広く「反核」の意識を統合する論拠が見えてくる労作。

 

2024年5月15日 (水)

体験農園で、めかき・追肥・土寄せ・草取り    県営日光だいや川公園の「じゃがいも講座」

めかき、追肥、雑草取り、土寄せーの巻。県営日光だいや川公園の体験農園、今季2回目のじゃがいもづくり講座。午前中の実質1時間だが、かなり濃厚な作業が続いた。いつの間にか、タオルの世話になる汗も。「男爵」「きたあかり」「舟石いも」「アンデス」など、それなりに順調に育っているよう。6月の3回目の作業を終えたら、もう7月には収穫へー。今日の受講生(定員15人)は4人欠席の11人、指導員3人の計14人で。本日は気持ちの良い五月晴れの下の作業でした。 436096675_7423805221081594_1153058365733 Photo_20240516174801 440488972_7423805217748261_3245325612857 441499223_7423843937744389_3760069977167

2024年5月14日 (火)

講演会へ参加呼びかけ、最終コーナーへ    5月26日(日)「『東海第二原発』の現在地」

5月26日(日)15時~、日光市中央公民館中ホールで「さよなら原発!日光の会」第12回総会記念講演会「『東海第二原発』の現在地」(講師 東海第二原発運転差止訴訟原告団共同代表 大石光伸さん)を開く。チケット500円(障がい者300円、高校生以下無料)。呼びかけの最終コーナーへ。 Photo_20240513232301

2024年5月13日 (月)

既視感を覚えた「こがね虫たちの夜」    五木寛之「作品集 1 」「蒼ざめた馬を見よ」から

「青春の門」や「親鸞」などで名高い五木寛之の読んでいなかった初期作品「こがね虫たちの夜」に、確かな既視感を覚えたのだった。「五木寛之作品集 蒼ざめた馬を見よ1」。初版は1972年10月5日とあるから、古書店で求めたのだろう。印象的な「こがね虫たちの夜」は1968年12月発表とか。作品としてはこの中にある「蒼ざめた馬を見よ」、「さらばモスクワ愚連隊」や「艶歌」などのほうが高いだろう。が、個人的な体験を重ね合わせると、「こがね虫」のほうが興味深い。美大生の紀子が友人に誘われてスナックのアルバイトを始めるところから始まるー。そこでの常連の貧乏学生3人の交遊を中心にした物語。学生運動が再び盛り上がる1960年代後期の政治的な空気を背景にした日々の中、ひとりは途中で病死する。そしてそれぞれの世界へ旅立つ。毎日が何が起きるかわからない生き生きしていた当時を中年にさしかかったスナックママの今、こう回想する。「いま、生きているのは、おまけ。本当のところはもう済んじゃっている」とつぶやく。なんとなくわからないではない感覚だが、年を重ねてみると、やや、ふむ?そうかな?ー少し感傷的すぎるのではないかとも。でも、そのシーンには既視感があるのでしたー。 441518452_7415421078586675_3081746019922

2024年5月12日 (日)

宇都宮で「なぜ日本は原発を止められないのか?」講演会    6月8日(土)青木美希さん講演会を県弁護士会館で

Photo_20240512235101 6月8日(土)14時半~宇都宮市の栃木県弁護士会会館4階大会議室で。「原発いらない栃木の会」第14回総会記念講演会 「なぜ日本は原発を止められないのか?」のテーマで、ジャーナリスト、青木美希さんの講演がある。参加費=無料。テーマの「なぜ日本は原発を止められないのか?」は、青木さんが「文春新書」で最近発刊した本の主題。原発問題をメインテーマに取材を重ねてきたというだけあって、「原子力村」の実態が実に鋭く描かれている。福島第一原発事故で取り返しがつかない手痛い目にあっても、どうして、日本では原発温存、というか、原発推進という愚かな政策が続いてしまうのか。その背景を浮き彫りにする筆に全国から反響が続いている。全国各地からの講演依頼が続いていることは、青木さんのtwitterやfacebookなどのSNS報告で知ることができる。「文春新書」をいち早く読んだ私も「原発いらない栃木の会」の役員会で今年の「総会講演会では青木さんの講演を」。ということの意見に瞬時に同調したひとり。いや、役員会では議論の余地がないほど、当たり前に今回は青木さんの講演をで一致していた。それ以前の「さよなら原発!日光の会」の役員会ではに総会記念講演会の講師にどうか。その名前があがっていたが、「原発いらない栃木の会」が青木さんで決めたので、日光では、それでは宇都宮で聴けばいいかということに。これはぜひたくさんの市民に聴いて欲しい講演だと思う。

2024年5月11日 (土)

脱原発を達成したドイツを描いた映画があったとはー   坂田雅子監督のドキュメンタリー映画「モルゲン 明日」

 

本日の「栃木アクション」幹事会で、脱原発を選んだドイツを描いたドキュメンタリー映画「モルゲン 明日」を今秋のプレイベント映画としてどうかと、提起しました。上映作品にふさわしいかどうか、論議があり、さらに6月の幹事会で検討していくことになっています。この映画を私も昨夜、「ドイツ、脱原発、ドキュメンタリー」のキイワードで検索し、知ったばかり。「これはぜひ観たいな」と思いましたが、予告編や監督談話、コメントの一部を観ただけでした。高い評価をしている河合弘之弁護士や加藤登紀子さんのコメントは本日夕に知ったところです。

『モルゲン、明日』公式サイト (masakosakata.com)

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予告編  https://youtu.be/mEqGiEhiCkU?si=jQQ3kdkuHy3VwTwD

 

深い絶望を、命の未来に繋げていこう
混迷に踏み込んだまま、歯がゆい失望感を抱え込んでいる今こそ、この作品を見て下さい。日本でも出来ることがあるはず! 日本でも何かが動き出しているはず! どんな時も明日に向かう命の力を、見失わないために。

───加藤登紀子(歌手)


地球環境を語り、自然エネルギーを語る映画も増えた。
しかし、「Morgen、明日」はそのどれとも異なる。
プロパガンダ映画でもなく、観る者に現実を突きつけ答えを迫る映画でもない。
映画から滲み出てくる坂田雅子監督の生き方に魅了されてしまった。

───木村結(原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟事務局次長)


涙が出ました。感動の涙と悔し涙です。 私の映画「日本と原発」「日本と再生」で描き得なかった 前史(ドイツの脱原発、自然エネルギーの)と、 未来図(使用済核燃料の処理、自然エネルギー100%への展望) が描かれています。 日本とドイツの違いがよくわかりました。 しかし私たちも、近い将来、ドイツに追いつけると思います。

───河合 弘之(映画監督・弁護士)

 

2011年原発をやめると決めたドイツ、その背景を多方面から探るドキュメンタリー

 

 ドイツで脱原発に舵を切った背景を、これほど多方面から描いているドキュメンタリーはほかにないのではと思われます。根底に戦争への反省、ナチスの歴史にどう向き合うかのドイツ社会としての変化があったこと。原発を止めた闘い、学生運動のメインテーマが原発を含めた環境問題だったこと。その中から緑の党が生まれ、政府に影響を与えるまでになったこと。チェルノブイリを重く受けとめた人たちのこと。自然エネルギーの社会を目指して、送電線を買い取ったシエーナウの人達。多様な自然エネルギーに地域で取り組む人達。自然エネルギーを応援する制度ができたこと。卒原発をみすえて、廃棄物問題へどうむきあっているか。。。などなど多様な活動をしてきた人達へのインタビューで、問題を掘り下げて伝えてくれています。

 

 

 

 

2024年5月10日 (金)

とにかく山下久美子のこの元気さは格別です    ザ・ベストテン3位を記録した「赤道小町ドキッ」

ザ・ベストテン3位だったことがあるヒット曲だったのだね。とにかくこの山下久美子の元気さは格別。私は「瞳いっぱいの涙」も好きなのだがー。というわけで、facebookにアップされていた「赤道小町ドキッ」について、ウィキペディアの解説をアップして懐かしむことにしましたー。

赤道小町ドキッ
山下久美子  シングル
初出アルバム『Chronologic Singles Side:A Collection
B面 トラブル99ナイティーン・ナイン
リリース
規格 EPレコード
ジャンル ロック
テクノ歌謡
レーベル BLOW UP/日本コロムビア
作詞・作曲 松本隆(作詞)
細野晴臣(作曲)
チャート最高順位
山下久美子 シングル 年表
雨の日は家にいて
1981年
赤道小町ドキッ
1982年
マラソン恋女
(1982年)
公式音源
「赤道小町ドキッ」 - YouTube
 
テンプレートを表示

赤道小町ドキッ」(せきどうこまちドキッ)は、1982年4月1日にアルバム『抱きしめてオンリィ・ユー』と同時に、日本コロムビアからリリースされた山下久美子の6枚目のシングル。同年夏のカネボウ化粧品キャンペーンイメージソング。

作品概要[編集]

エピソード[編集]

  • 松本隆と細野晴臣が後にインタビューで語ったところによると、この曲は詞先行で作られ、早い段階で詞は完成していたものの、曲部分はレコーディング当日になっても完成していなかった。CMソングになることが決まっていたため、レコーディングの延期は出来ない状態の中、細野がスタジオで曲の骨格を作り、レコーディングでドラムスを担当した高橋幸宏、ギターとアレンジを担当した大村憲司の3人で何とか完成にこぎつけた[3]
  • 当時山下のディレクターだった福岡智彦が「『赤道小町ドキッ』がこれまでの山下の方向性とギャップがあり過ぎる」と判断したため同時発売されたアルバム『抱きしめてオンリィ・ユー』にはあえて収録せず[4]、代わりにB面曲である『トラブル99ナイティーン・ナイン』が収録された。
  • のちに、福岡は「(『赤道小町ドキッ』を)普通は入れますよね。ヒットの可能性が高いシングルなんだから、アルバムの売上を引っ張ることを目論むのが当然。今思うと、よくコロムビアが許しましたね」と懐古し、「アルバムもある程度は売れましたが、『赤道小町ドキッ』が入っていたら、たぶんもっと売れたんでしょうね」と語っている[4]
  • 曲のヒットを受け、山下は当時多くの歌謡番組に出演した[注 1]TBSテレビザ・ベストテン』には、1982年5月27日に「今週のスポットライト」で初出場、のち10位以内にランクインを果たす[2]。また、1982年7月8日放送時に最高位の第3位にランクされた際には本物の象の背に跨り歌を披露したが、これは『ザ・ベストテン』のスタッフが原始人のような奇抜な衣装を着てきた山下にヒントを得たもので、象は2週間かけて手配した[5]。山下はのちに「あのころはわけもなく突っ走っていた。自分が楽しくないと、人も楽しませられないってね」と語っている[5]

2024年5月 9日 (木)

こんないい唄を歌っていた「浅川マキ」ー。   やはり寺山修司作詞の「かもめ」が特に

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  浅川マキは「アングラの女王」と呼ばれた1970年代から2010年まで駆け抜けたシンガーだ。たまたまFACEBOOKで1970年代の歌について、コメントしていたら、急に浅川マキの唄が聴きたくなった。

 

 

 

 これもたまたまだが、彼女の写真はたくさんあるが、動画があるとは、これまで気がつかなかった。それも1970年の「全日本フォークジャンボリー」のときの映像。彼女のインタビューもあるという代物なのですー。

 

 

 

 ということで、浅川マキ(2010年1月17日死去)の代表曲のひとつ、「かもめ」をここに。彼女には「少年」とか、「夜が明けたら」とか、「ガソリンアレイ」とか、いろいろな名曲がある。このカモメをシャンソンなどで聴いても、ぞくぞくとくるのです。

 

 

 

 今の2015年の若い人たちは「浅川マキってだれ?」だろうから、そんな彼女の紹介も兼ねてアップしておきますー(動画は、そのうち削除されてしまうだろう。どのくらいアップされているだろうかー)。

 

 

 

(以下はウイキペディアから転載)

 

石川県石川郡美川町(現:白山市)出身。石川県立金沢二水高等学校卒業。

 

町役場で国民年金窓口係の職に就くも程なくして上京する。マヘリア・ジャクソンビリー・ホリデイのようなスタイルを指向し、米軍キャンプキャバレーなどで歌手として活動を始める。

 

1967年ビクターからEP『東京挽歌/アーメン・ジロー』を発表するも本人と事務所の音楽的指針に大きな乖離があり、当時の出来事がその後の活動に影響を与えた。

 

1968年寺山修司に見出され新宿のアンダー・グラウンド・シアター「蠍座」で初のワンマン公演を三日間に渡り催行、口コミで徐々に知名度が上がる。やがて東芝音楽工業株式会社(現:EMIミュージック・ジャパン)に移籍、1969年7月1日、EXPRESS-レーベルより『夜が明けたら/かもめ』で正式にレコード・デビュー。以後移籍することなく1998年まで作品を発表しつつステージを主体に音楽活動を行う。特に池袋文芸坐ル・ピリエ」で1997年まで催行した大晦日連続定期公演は有名である。

 

CDの音質に対して懐疑的であったため、1998年より新譜を発表していなかったが、2000年以降はジャズ・クラブ「新宿 PIT INN」を本拠地として定期公演を再開。2000年3月26日から11月26日の「新宿PIT INN」では、『毎月・最終の日曜日 浅川マキを聴く』と題し、アカペラによる公演を行った(全9日、昼夜2回。計18公演)。

 

「渇いたブルースをうたわせたら右に出る者はいない」と言われ[3]ジャズブルースフォークソングを独自の解釈で歌唱した。

 

2010年1月17日、ライブ公演で愛知県名古屋市に滞在中、宿泊先ホテルで倒れていたところを発見され、搬送された病院で死亡が確認された[2]。67歳没。愛知県警中警察署によると、死因は急性心不全とみられる[2]

 

2010年3月4日、「新宿PIT INN」にてお別れの会『浅川マキ「こんな風に過ぎて行くのなら・浅川マキがサヨナラを云う日」』が催行された。ここでは真赤なバラの花の献花台とメッセージ・ボックスが用意され、彼女の生前の作品が流された。翌2011年5月、北陸放送が彼女を題材にしたラジオドキュメント「浅川マキ ロング・グッド・バイ」を制作し放映された

 

 

 

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2024年5月 8日 (水)

「吉本隆明全集」発刊には「橋渡し役」がー  「facebook友達」が出版社社長に声を

吉本隆明全集(全38巻 別巻1)の「秘話」というべきかーなるほどのいい話です。選集や全詩集は手にしているが、全集まではなかなか。でも、そんな経緯があったとはー。私の「facebook友達」が全集発刊の「橋渡し役」をしていたようです。これは初めて知りましたー。

‎1人、‎、「‎写致: 写真 Fumiya Sawa Fumiya あ カ 0 O で ス て で 訳 高 出 べ マ い 倫 ツ 翻 で ゴ 部 る ع 近 ド 第 南 大 芸 学 AAA 文 米 平。 五 回 南 回 臣 ታ ン ク 学 賞 ラ イ 学 賞 を 八 七 年 生 ま れ‎」というテキスト‎‎の画像のようです
アクティブ
第2回
よしもとばななとの対談。
前回から続く。
対談当日、ばななさんの気持ちを忖度していた私の思惑を越えて飄々と気丈に振舞っているように見えた。大人然とした挙措だ。
一般に対談というのは両者の合意の上でだが、だいたい‪1時‬間前後が目安だろう。私の場合もほとんどそうだ。しかし、もちろんみなさんお忙しい方々だから相手の了解を得た上でのことだが、中にはお喋りに花が咲き興に乗るとその時間を優にオーバーすることがある。彼女の場合は‪2時‬間を超えた。やはり隆明さんの本を出している私への気配りがそうさせているのだろうと感謝した。
そしてお喋りの最後に、対談以外でもっとも聞きたいことを訊ねた。つまり、父上が亡くなってから8年も経つと言うのに全集が出版される予定がないのかと。あれほどの人物だから、共著を出版した私としては世に出ても少しも不思議はないと思っていたからだ。そう不躾に聞いた私の質問に彼女はこう答えたのだった。
要約すればこうなる。いくつか出版社からそういう話が出ている。だが本が売れない時代だし、まして大きな資金と長い時間が必要となる全集となれば、誰でもどこでも躊躇する。ましてオーナー会社ではない一介の社長の一存では決められない。生前の父は信頼できる編集者とすでに全集の目録を作っていた。全集を出したいと考えていたからだ。生前出版されることが難しいと分かってからの父はとても悲しそうな顔をしていた。私もできれば生きている間に父の願いを叶えてやりたいと思っていたが、こればかりはどうしようもないと。
そこで私は使命感とか義侠心などといった大それた気持ちはさらさらなかったが、無謀な試みになるかもしれないが、ここは人肌脱いでみようかと思い、ばななさんにこの問題をひとまず預からせてくれないかと提案した。
というのも、勝算は覚束ないが、頭の隅に知り合いの出版社の社長の顔が浮かんでいたからだ。数日後、彼に相談した。予想だにしなかったであろう要望なのでしばらく考えさせてくれとでも言うのかと思ったら、やりましょうと即断即決するではないか。なぜか啞然となり慌てたのは私の方だ。
何と言うか説得できる言葉の力を持たない私は昭和期の古い言い方だが、単刀直入に義理と人情で事に当たったのである。日頃の付き合いで彼の言動から、経営者として冷徹なリアリストでありながら、胸の内に昭和期の義憤と熱情の焔を宿しているのを感じていたからだ。理より情に訴えたわけである。
それまで彼は吉本隆明に会ったのは一度きり。上野公園で開かれた吉本さんを囲む花見の会に出席した時だったと言う。その席で隆明さんに挨拶し握手させてもらった感激が忘れられないと。
こうして晶文社から吉本隆明全集が刊行されることになった。今でも継続中だ。社長にバトンタッチしてからは私の手を離れ、刊行に至るまでの成り行きは省略するが、出版は順調に進んでいるという。泥沼化する出版不況の折、慶賀の至りである。時折メールを交換するばななさんも殊の外喜んでいる。
(続く)
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2024年5月 7日 (火)

ドイツの脱原発はチェルノブイリから25年だった     加藤典洋「ふたつの講演ー戦後思想の射程についてー」

それこそ一気読みの評論家・加藤典洋(のりひろ)の『ふたつの講演 戦後思想の射程について』(岩波書店)。初版は2013年1月。長く積ん読だったが、気になって手に。テーマは2011年311の福島第一原発事故を中心に。『危険社会ー新しい近代への道』(ウルリヒ・ベック)と『現代社会の理論ー消費化社会の現在と未来』(見田宗介 岩波新書)をヒントに戦後以後、冷戦以後、9・11以後、3・11以後の現代思想が問われている課題を展開する。鶴見俊輔、柄谷行人、吉本隆明、フランシスフクヤマなどの著作から『敗戦後論』で知られる自身の足場を丁寧に明かす(私は加藤の『言語表現法講義』が好きだがー)。

 

440414424_7388667287928721_2760547560799 なかでも言われてみれば、確かにそういう射程を持った考え方をしてみる必要があるなと。そのフレーズを簡略化した文意が以下だ。「ドイツは1986年のチェルノブイリ事故から14年後、2000年に脱原発を決め、25年後、福島第一の再度の原発事故を経て、2011年にようやく脱原発の実行へと踏み出します。日本がドイツと同じ歩みを行うとして、その年数を仮に当てはめれば、私たちは、2025年に脱原発へと進み、2036年に全面的な脱原発、あるいは、次の断段階への第一歩を踏み出す、と、いうことになるでしょう。いまやるべきことが、こうした25年を見据えた、大いなる覚悟と、長い射程を持った問題意識であることが、わかると思います」ー

2024年5月 6日 (月)

ヘーゲル哲学者・長谷川宏さんも「思想を鍛える機会に」    東大闘争の「権威に異議申し立て」 

朝日新聞連載の「語る」は、哲学者・長谷川宏さんー。その6回目は、1969年の東大闘争。闘争の考えに共感して「権威に異議申し立て」と、自らの判断で渦中に。当時、大学院博士課程を満期退学し、研究中だったとか。私たちより、一世代うえの人であったのかと知るー。この人のヘーゲル講義はよく知られるが、私も手にしてきたが、どうも途中で投げ出していた思いが。ただ、詩人・茨木のり子さんとの対話は、よく記憶に残っている。ただし、これは再読しないといけないなと、思わせたのでしたー。

(以下は朝日新聞記事から)

(語る 人生の贈りもの)長谷川宏:6 教授と団交、権威に異議申し立て

写真・図版
東大安田講堂前に他大学を含む8千人の学生が集結した=1968年11月、東京都文京区

 ■哲学者・長谷川宏

 

 《大学院博士課程を満期退学し研究を続けていた1968年7月、東大全学共闘会議(全共闘)が結成された。医学部学生によるインターン制度反対に端を発した運動は、機動隊の学内導入への抗議で、10月に全学無期限ストへ突入した》

ここから続き

 主張には早くから共感しました。ただ年長なので静観していた。参加は12月。前月に文学部で8日間の団交があり、さらに日大・東大の全共闘を中心にした全国学生総決起集会が構内で開かれたのは大きかった。

 無党派のノンセクトラジカルとして、20人ほどの哲学科の院生仲間と哲学科教授たちを相手に団交を始めました。学生の無期停学処分が不当だとか、教授会の権威主義を批判するとか。「国大協自主規制路線反対」「産学協同反対」「大学解体」などのスローガンに象徴される異議申し立てです。

 自身の思想を鍛える機会だとも思ったんですね。ずっと抱えてきた問い、生きることと研究とがどうつながるのかが、目の前で突きつけられている――自分がどこへ向かうのか、どきどきするような、高揚感がありました。牧歌的ムードだった60年安保のときとは違う。自分で決断したことへの誇りもあった。

 《年明け、「安田講堂攻防」とも呼ばれ、メディアで大々的に報じられた衝突が起こる》

 機動隊が安田講堂の封鎖解除に乗り込んできました。知人の何人かも講堂に立てこもりました。切迫感は最高潮でした。

 僕も講堂に入るかどうか迷ったのですが、結局入らなかった。当時、東京医科歯科大生だった一番下の弟が学生運動で逮捕され、拘置所にいた。これ以上、故郷の両親を心配させるわけにはいかない、そんな気持ちも働いたんですね。

 安田講堂に立てこもった僕の知人たちはみな人格者でした。(聞き手・藤生京子)

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 はせがわ・ひろし 1940年生まれ。著書は約30冊。詩人の谷川俊太郎や茨木のり子との共著もある。

 


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連載

2024年5月 5日 (日)

居間の温度計23・5度の「立夏」の昼飯はー    豆腐など4品を添えて美味しい「讃岐ざるうどん」

まさしく夏の季節が始まる陽気の「立夏」ー。冬は10度以下が当たり前だった霧降高原の居間の温度計は快適な23・5度。というわけで、昼飯はツルツルと気持ちよく食べやすいこれ。豆腐、キュウリ、シーフードの3品が付くと豪華に見える「讃岐ざるうどん」。あっ!ゆで玉子も加えて4品だった。実際、美味しいのです。BGMはエバンス、ペッパー、ロリンズなど全12曲の「afternoon tea」ー 438274993_7380097378785712_8828655419743 438263809_7380144512114332_8156853470577 438300840_7380144505447666_8631813791480 438301019_7380144515447665_7089704397859

2024年5月 4日 (土)

日光霧降高原はまるで「桃源郷」のように   自生のヤマツツジが街路に庭先に

霧降高原はいよいよこのヤマツツジの季節。自生のヤマツツジが街路に庭先にあふれる。赤が基本で、なかでもそれこそ真っ赤になって咲き誇る様はなんともいえない雰囲気だ。あと10日間ほどはこの「桃源郷」のような光景が楽しめる。日光の隠れた名所と言える霧降高原のヤマツツジの自然をたくさんの人が楽しんで欲しいなと。 438302306_7375518752576908_3102482858653 Photo_20240504214901 Photo_20240504215001

2024年5月 3日 (金)

現代を生き抜いたのだった「フジ子・ヘミング」    てっきり過去の歴史上のピアニストだとばかりー

夜、訃報を受けた朝日新聞の評伝を読みながら、しばらく聴いていなかった「フジ子・ヘミング こころの軌跡」CD全16曲を改めて聴いていますー。歴史上の過去のピアニストだとずっと思い込んでいましたが、訃報を知って、現代に共に生き抜いたピアニストだったことを知りました。「こころの軌跡」の解説を読み、その波乱万丈な人生とともに、440439889_7371729656289151_1361600107580 438260568_7371761509619299_3809975504105浅学菲才にして、

第14回、第15回と、日本ゴールドディスク大賞クラシック・アルバム・オブ・ザ・イアーを2年連続して受賞した人でもあることも知りました。。2年連続受賞はクラシック界では初めてともありましたー。苦労した人生であることは知っていたが、そんな偉業を成し遂げたピアニストであるとまでは知りませんでした。

2024年5月 2日 (木)

読み応えあったローザ・ルクセンブルクの「ロシア革命論」    ロシア革命を擁護しつつ、基本的な痛烈な批判も

ローザ・ルクセンブルクの「ロシア革命論」を読了した。積読本で長く本棚にあったのだが、「ベルンシュタイン論争」を詳しく知り、ローザの思想、というか、構え方をとらえようとした流れで手に。さまざまな感想があるが、ロシア革命論は、レーニンやトロッキーの成し遂げたロシア革命に全面的に擁護しつつ、社会主義的民主主義を否定する政治政策を痛烈に批判している。ただ、その責任はドイツが革命を起こせないことにあると、返す刀でドイツの革命政党やプロレタリアートを批判し、鼓舞している。第一次大戦の中での革命ロシアの紆余曲折路線もやむを得ないとして理解も示す。だが、レーニンのとった反民主主義的な基本政策を批判している。いわば、反レーニンの姿勢だ。彼女の資質から発せられていることが読み取れ、それもかなり納得できる。とても獄中で執筆した論文とは思えない高い内容だ。ただ、このローザのロシア革命論を正確にとらえるためには、「ロシア革命史」(トロッキー)や未完の「ドイツ革命」などのきちんとした基礎知識が必要になるだろうと思えた。トロッキーのロシア革命史は若いときに文庫本(上、中、下)で読んでいるが、再読しないといけないだろうと。「ベルンシュタイン論争」から、ローザの他の「経済論」や「資本蓄積論」などの著作や今一度、レーニンの「帝国主義論」「国家と革命」も再読しないといけないなとも。それらを経てからでないと、しっかりしたローザの「ロシア革命論」を論評できないともー。以下は、ネットで、「もし、ドイツ革命が成功していたらー」から始まる長いコラムから転載させてもらった(筆者がすぐにわからないので、後ほど紹介へ。すごくわかりやすいコラムが続いておりました)


第1話 ローザ・ルクセンブルク




「極東に血が流れる。ツァー政府(ロシア)の犯罪的政策によって、ロシアと日本の間に戦争がひきおこされたのだ。二つの国のはたらく人民は、ツァーと日本資本主義の繁栄のために、互いに殺し合わねばならぬ。世界中のプロレタリアもブルジョワも、不安のまなざしで、戦争のなりゆきを追っている。これはロシアと日本だけの問題ではないのだ。世界資本主義の運命とツァー方式の絶対主義の運命がかかっているのである」と、出だしでローザはこう書いている。

 

二つの国の戦争とは日露戦争(1904年・明治37年)のことである。

「現在の世界の情勢の中では、二つの国の間のどんな戦争でも、利害をことにする全ての列強の武力衝突に転化し、全面的な流血を引き起こす危険がある・・資本主義の野望の特別の対象となったのは、特に巨大な自然の資源と5億の住民を持つアジアであり、アジアの中でもとりわけ中国であった」

ツァー政府が日本と戦っているのは、中国を手に入れるためであると断言し、この戦争はおそかれはやかれ、資本主義世界全体を渦中に巻き込む危険があると、すでに来るべき世界戦争を予見している。

「たとい、どのような結果になろうとも、この戦争は必ずツァーリズムの埋葬に行きつく」とし、「相手にする日本は、4千5百万人の人口を持ち、国力と生命力に充ちた国、すでに多くを学び取り、近代的な十分に武装された軍隊を持ち、この武力を十分に使いこなせる国である」と、ロシアの敗北を予測している。それによってもたらされる混乱を革命に転嫁せよ!と激を飛ばし、そして、ロシアにおける革命は必ず、ロシアより資本主義が発達しているが、やはり皇帝の絶対主義の尻尾を持つドイツに革命的な状況を作り出すであろうと…

プロレタリアートの革命的な連帯によってしか帝国主義戦争は防げないと、彼女は言う。

 

ローザ・ルクセンブルクとはどのような女性であろうか?

 

1871年にポーランドで生まれる。父親は材木商で外国とも手広く商売をしていて、父も母もユダヤ人であった。当時、ポーランドはロシアの支配下にあった。ワルシャワ高等女学校を首席で卒業。卒業後すぐに革命組織の党のワルシャワ支部に入り活動を始め、マルクス・エンゲルスを勉強し始める。ワルシャワ労働者同盟の創設に関わり、当局に睨まれるところとなり、スイスに亡命。チューリッヒ大学で自然科学、政治学、経済学を学ぶ。ここで私生活でも、政治活動の面でも固く結ばれた社会主義者ヨギヘス(ロシア)を知ることになる。1893年チューリッヒで開かれた第2インターの大会で報告を行い、注目を浴びる。若干22歳であった。『ポーランドの産業的発展』の論文で博士号を取得する。活動をドイツに移すため、偽装結婚してドイツ社会民主党に入党する。帝国主義戦争に一貫して反対し、レーニンのロシア革命を熱烈に支持し、ドイツのプロレタリアートが革命でこれに応えるべきと訴え続ける。4年3ヶ月の大戦中3年4ヶ月を獄中で送った。レーニンの論敵として、彼女が亡くなったとき、レーニンは最大級の賛辞を贈った。243707654_large_20240502233701

 

2024年5月 1日 (水)

「さよなら原発!日光の会」第12回総会と講演会の必要事項を次々と     「使用許可書」の交付を受けたが、まだまだやることがー   

Photo_20240501222101 5月26日(日)開催の「さよなら原発!日光の会」第12回総会記念講演会「『東海第二原発の現在地ー能登半島地震が突き付けた現実とは?ー』について、「後援承認」の日光市と日光市教育委員会に御礼も兼ねて、きょう5月1日(水)、講演会のフライヤー各20枚、講演会招待券各10枚(フライヤー計40枚、招待券計20枚)を届けました。日光記者クラブ加盟11社には、講演会フライヤー各1枚、講演会招待券各1枚(フライヤー計11枚、招待券計11枚)を日光市を通じて各社に届くようにしました。

第12回総会と第12回総会記念講演会の会場となる日光市中央公民館中ホールと小ホールの使用許可書もきょう5月1日(水)、日光市中央公民館で交付を受けましたー。ということで、総会と講演会に向けて、必要な手続きを次々と。あとは、前売券(500円、障がい者300円、高校生以下無料)の頒布拡大へ。さらに講師となる大石光伸さん(東海第二原発運転差止訴訟原告団共同代表)の講演レジュメを受け取り、必要数の印刷へ。同時に第12回総会の議案書づくりと印刷へ。う~ん、まだまだやることが残っているのでした~。

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