ヘーゲル哲学者・長谷川宏さんも「思想を鍛える機会に」 東大闘争の「権威に異議申し立て」
朝日新聞連載の「語る」は、哲学者・長谷川宏さんー。その6回目は、1969年の東大闘争。闘争の考えに共感して「権威に異議申し立て」と、自らの判断で渦中に。当時、大学院博士課程を満期退学し、研究中だったとか。私たちより、一世代うえの人であったのかと知るー。この人のヘーゲル講義はよく知られるが、私も手にしてきたが、どうも途中で投げ出していた思いが。ただ、詩人・茨木のり子さんとの対話は、よく記憶に残っている。ただし、これは再読しないといけないなと、思わせたのでしたー。
(以下は朝日新聞記事から)
(語る 人生の贈りもの)長谷川宏:6 教授と団交、権威に異議申し立て
■哲学者・長谷川宏
《大学院博士課程を満期退学し研究を続けていた1968年7月、東大全学共闘会議(全共闘)が結成された。医学部学生によるインターン制度反対に端を発した運動は、機動隊の学内導入への抗議で、10月に全学無期限ストへ突入した》
主張には早くから共感しました。ただ年長なので静観していた。参加は12月。前月に文学部で8日間の団交があり、さらに日大・東大の全共闘を中心にした全国学生総決起集会が構内で開かれたのは大きかった。
無党派のノンセクトラジカルとして、20人ほどの哲学科の院生仲間と哲学科教授たちを相手に団交を始めました。学生の無期停学処分が不当だとか、教授会の権威主義を批判するとか。「国大協自主規制路線反対」「産学協同反対」「大学解体」などのスローガンに象徴される異議申し立てです。
自身の思想を鍛える機会だとも思ったんですね。ずっと抱えてきた問い、生きることと研究とがどうつながるのかが、目の前で突きつけられている――自分がどこへ向かうのか、どきどきするような、高揚感がありました。牧歌的ムードだった60年安保のときとは違う。自分で決断したことへの誇りもあった。
《年明け、「安田講堂攻防」とも呼ばれ、メディアで大々的に報じられた衝突が起こる》
機動隊が安田講堂の封鎖解除に乗り込んできました。知人の何人かも講堂に立てこもりました。切迫感は最高潮でした。
僕も講堂に入るかどうか迷ったのですが、結局入らなかった。当時、東京医科歯科大生だった一番下の弟が学生運動で逮捕され、拘置所にいた。これ以上、故郷の両親を心配させるわけにはいかない、そんな気持ちも働いたんですね。
安田講堂に立てこもった僕の知人たちはみな人格者でした。(聞き手・藤生京子)
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はせがわ・ひろし 1940年生まれ。著書は約30冊。詩人の谷川俊太郎や茨木のり子との共著もある。
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