「吉本隆明全集」発刊には「橋渡し役」がー 「facebook友達」が出版社社長に声を
吉本隆明全集(全38巻 別巻1)の「秘話」というべきかーなるほどのいい話です。選集や全詩集は手にしているが、全集まではなかなか。でも、そんな経緯があったとはー。私の「facebook友達」が全集発刊の「橋渡し役」をしていたようです。これは初めて知りましたー。
第2回
よしもとばななとの対談。
前回から続く。
対談当日、ばななさんの気持ちを忖度していた私の思惑を越えて飄々と気丈に振舞っているように見えた。大人然とした挙措だ。
一般に対談というのは両者の合意の上でだが、だいたい1時間前後が目安だろう。私の場合もほとんどそうだ。しかし、もちろんみなさんお忙しい方々だから相手の了解を得た上でのことだが、中にはお喋りに花が咲き興に乗るとその時間を優にオーバーすることがある。彼女の場合は2時間を超えた。やはり隆明さんの本を出している私への気配りがそうさせているのだろうと感謝した。
そしてお喋りの最後に、対談以外でもっとも聞きたいことを訊ねた。つまり、父上が亡くなってから8年も経つと言うのに全集が出版される予定がないのかと。あれほどの人物だから、共著を出版した私としては世に出ても少しも不思議はないと思っていたからだ。そう不躾に聞いた私の質問に彼女はこう答えたのだった。
要約すればこうなる。いくつか出版社からそういう話が出ている。だが本が売れない時代だし、まして大きな資金と長い時間が必要となる全集となれば、誰でもどこでも躊躇する。ましてオーナー会社ではない一介の社長の一存では決められない。生前の父は信頼できる編集者とすでに全集の目録を作っていた。全集を出したいと考えていたからだ。生前出版されることが難しいと分かってからの父はとても悲しそうな顔をしていた。私もできれば生きている間に父の願いを叶えてやりたいと思っていたが、こればかりはどうしようもないと。
そこで私は使命感とか義侠心などといった大それた気持ちはさらさらなかったが、無謀な試みになるかもしれないが、ここは人肌脱いでみようかと思い、ばななさんにこの問題をひとまず預からせてくれないかと提案した。
というのも、勝算は覚束ないが、頭の隅に知り合いの出版社の社長の顔が浮かんでいたからだ。数日後、彼に相談した。予想だにしなかったであろう要望なのでしばらく考えさせてくれとでも言うのかと思ったら、やりましょうと即断即決するではないか。なぜか啞然となり慌てたのは私の方だ。
何と言うか説得できる言葉の力を持たない私は昭和期の古い言い方だが、単刀直入に義理と人情で事に当たったのである。日頃の付き合いで彼の言動から、経営者として冷徹なリアリストでありながら、胸の内に昭和期の義憤と熱情の焔を宿しているのを感じていたからだ。理より情に訴えたわけである。
それまで彼は吉本隆明に会ったのは一度きり。上野公園で開かれた吉本さんを囲む花見の会に出席した時だったと言う。その席で隆明さんに挨拶し握手させてもらった感激が忘れられないと。
こうして晶文社から吉本隆明全集が刊行されることになった。今でも継続中だ。社長にバトンタッチしてからは私の手を離れ、刊行に至るまでの成り行きは省略するが、出版は順調に進んでいるという。泥沼化する出版不況の折、慶賀の至りである。時折メールを交換するばななさんも殊の外喜んでいる。
(続く)
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