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2024年5月 2日 (木)

読み応えあったローザ・ルクセンブルクの「ロシア革命論」    ロシア革命を擁護しつつ、基本的な痛烈な批判も

ローザ・ルクセンブルクの「ロシア革命論」を読了した。積読本で長く本棚にあったのだが、「ベルンシュタイン論争」を詳しく知り、ローザの思想、というか、構え方をとらえようとした流れで手に。さまざまな感想があるが、ロシア革命論は、レーニンやトロッキーの成し遂げたロシア革命に全面的に擁護しつつ、社会主義的民主主義を否定する政治政策を痛烈に批判している。ただ、その責任はドイツが革命を起こせないことにあると、返す刀でドイツの革命政党やプロレタリアートを批判し、鼓舞している。第一次大戦の中での革命ロシアの紆余曲折路線もやむを得ないとして理解も示す。だが、レーニンのとった反民主主義的な基本政策を批判している。いわば、反レーニンの姿勢だ。彼女の資質から発せられていることが読み取れ、それもかなり納得できる。とても獄中で執筆した論文とは思えない高い内容だ。ただ、このローザのロシア革命論を正確にとらえるためには、「ロシア革命史」(トロッキー)や未完の「ドイツ革命」などのきちんとした基礎知識が必要になるだろうと思えた。トロッキーのロシア革命史は若いときに文庫本(上、中、下)で読んでいるが、再読しないといけないだろうと。「ベルンシュタイン論争」から、ローザの他の「経済論」や「資本蓄積論」などの著作や今一度、レーニンの「帝国主義論」「国家と革命」も再読しないといけないなとも。それらを経てからでないと、しっかりしたローザの「ロシア革命論」を論評できないともー。以下は、ネットで、「もし、ドイツ革命が成功していたらー」から始まる長いコラムから転載させてもらった(筆者がすぐにわからないので、後ほど紹介へ。すごくわかりやすいコラムが続いておりました)


第1話 ローザ・ルクセンブルク




「極東に血が流れる。ツァー政府(ロシア)の犯罪的政策によって、ロシアと日本の間に戦争がひきおこされたのだ。二つの国のはたらく人民は、ツァーと日本資本主義の繁栄のために、互いに殺し合わねばならぬ。世界中のプロレタリアもブルジョワも、不安のまなざしで、戦争のなりゆきを追っている。これはロシアと日本だけの問題ではないのだ。世界資本主義の運命とツァー方式の絶対主義の運命がかかっているのである」と、出だしでローザはこう書いている。

 

二つの国の戦争とは日露戦争(1904年・明治37年)のことである。

「現在の世界の情勢の中では、二つの国の間のどんな戦争でも、利害をことにする全ての列強の武力衝突に転化し、全面的な流血を引き起こす危険がある・・資本主義の野望の特別の対象となったのは、特に巨大な自然の資源と5億の住民を持つアジアであり、アジアの中でもとりわけ中国であった」

ツァー政府が日本と戦っているのは、中国を手に入れるためであると断言し、この戦争はおそかれはやかれ、資本主義世界全体を渦中に巻き込む危険があると、すでに来るべき世界戦争を予見している。

「たとい、どのような結果になろうとも、この戦争は必ずツァーリズムの埋葬に行きつく」とし、「相手にする日本は、4千5百万人の人口を持ち、国力と生命力に充ちた国、すでに多くを学び取り、近代的な十分に武装された軍隊を持ち、この武力を十分に使いこなせる国である」と、ロシアの敗北を予測している。それによってもたらされる混乱を革命に転嫁せよ!と激を飛ばし、そして、ロシアにおける革命は必ず、ロシアより資本主義が発達しているが、やはり皇帝の絶対主義の尻尾を持つドイツに革命的な状況を作り出すであろうと…

プロレタリアートの革命的な連帯によってしか帝国主義戦争は防げないと、彼女は言う。

 

ローザ・ルクセンブルクとはどのような女性であろうか?

 

1871年にポーランドで生まれる。父親は材木商で外国とも手広く商売をしていて、父も母もユダヤ人であった。当時、ポーランドはロシアの支配下にあった。ワルシャワ高等女学校を首席で卒業。卒業後すぐに革命組織の党のワルシャワ支部に入り活動を始め、マルクス・エンゲルスを勉強し始める。ワルシャワ労働者同盟の創設に関わり、当局に睨まれるところとなり、スイスに亡命。チューリッヒ大学で自然科学、政治学、経済学を学ぶ。ここで私生活でも、政治活動の面でも固く結ばれた社会主義者ヨギヘス(ロシア)を知ることになる。1893年チューリッヒで開かれた第2インターの大会で報告を行い、注目を浴びる。若干22歳であった。『ポーランドの産業的発展』の論文で博士号を取得する。活動をドイツに移すため、偽装結婚してドイツ社会民主党に入党する。帝国主義戦争に一貫して反対し、レーニンのロシア革命を熱烈に支持し、ドイツのプロレタリアートが革命でこれに応えるべきと訴え続ける。4年3ヶ月の大戦中3年4ヶ月を獄中で送った。レーニンの論敵として、彼女が亡くなったとき、レーニンは最大級の賛辞を贈った。243707654_large_20240502233701

 

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