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2024年6月

2024年6月30日 (日)

「私はキリシマサトシだ!」    足立監督制作の映画「桐島聡」クランクインへ

足立正生監督が東アジア反日武装戦線として知られ、半世紀に及ぶ逃亡を果たして亡くなった桐島聡を描く映画の製作へ。7月上旬にもクランクインするという。facebookで知り、ネットをチェックしたら、6月27日に日刊「ゲンダイ」がもう記事にしていた。街角で指名手配写真が長く掲示されていたから、多くの人たちが知っているだろう。あの時代、連合赤軍事件もそうだが、世の中の構造に対して大きな怒りがあったので、少し違っていたら、やはり桐島聡のような世界へ踏み込んでいた可能性も。そう思っているので、完成したらぜひ観たいなとー。

(以下はネットで見つけた日刊「ゲンダイ」の記事です)Img_097cc89b26282991be86e428e52df18f4338 足立正生監督の最新作は「桐島聡」、古舘寛治主演で7月クランクイン






日刊ゲンダイDIGITAL




足立正生監督(C)日刊ゲンダイ

 

2024年6月29日 (土)

久しぶりに「茄子焼きポン酢づけ」の昼飯   たまには「元気がでる?」ご飯食もいいね    

久しぶりに昼飯は「ナス焼きポン酢づけ」ー。土鍋で炊いたご飯、豆腐、海苔、生卵、キュウリ、生姜、豚汁で。めんつゆも。ざるうどんが基本の我が家では珍しい。たまには「元気」な?ご飯にしないとねー。茄子を相手にしていると、私の好きな漫画家・黒田硫黄の独特の世界が展開される「茄子」のコミックを思い起こてしまう。BGMは「Sweet Jazz TRIO」で。各曲(全15曲)ともゆったりしたテンポが思った以上にいい。 49342936_7653706591424788_91397079297923 449469395_7653706588091455_3963305037827 449363026_7653706594758121_3412701846548

2024年6月28日 (金)

「第二次大戦後の疲弊した魂に響いた」ー  宇田川悟さん「サルトルとボーヴォワール」  

facebookともだちの宇田川悟さんは、大のフランス通で、フランスに関する何冊もの著作があるが、その流れで、サルトルとボーヴォワールについても書いている。その連載の一部が興味深かったので、BLOG「霧降文庫」転載しようと。あいにくと、私たちの時代はサルトルから離れていたので、「実存主義」にはどうも縁遠かった。ただ、サルトルとカミユの論争、「革命か、反抗か」は読んでいる。時代を考えると、私たちのひと世代上の1960年代の若者たちはサルトルは必読だったのだろう。その感じは推測できる。1970年代前後、つまり「70年安保」世代の若者は、というか、私は「情況論」「共同幻想論」「高村高太郎」の吉本隆明であり、「邪宗門」の高橋和己であり、「都市の論理」の羽仁五郎であり、いずれも詩人の清水昶や秋山清や金子光晴や道浦母都子や岸上大作や山頭火だった。もちろん、「資本論」「経・哲草稿」「経済学批判」のマルクス、「反デューリング論」のエンゲルス(全12巻だったか?、「マルクス・エンゲルス選集」は必読本だった)、「国家と革命」と「帝国主義論」のレーニン、「ロシア革命史」のトロッキー、「国民経済学」のローザ=ルクセンブルク、「ヒューマニズムとテロル」や「眼と精神」「知覚の現象学」のメルロ=ポンティ、「歴史哲学」「精神現象学」のヘーゲル(「精神現象学」は難解で半可通だったがー)、「工場日記」のシモーニュ・ヴェイユなども。というわけで、サルトルとは縁がなかったが、宇田川悟さんの記事に触発されたこともあり、再び「革命か、反抗か」を読んでみたい。書棚にあるかと思って探したが、(我が家にある書籍8000冊のどこかに埋もれていると思うがー)見つけられなかったので、今夜、「本やタウン」経由で、サルトル、カミュ、ボーヴォワール、ポンティ、バタイユなどを論じた新刊の新書「戦後フランス思想」とともに注文した。

(以下はfacebookの宇田川悟さんの記事から)










シモーヌ・ド・ボーヴォワール16
長い文です。
サルトルは『自由への道』の最初の2巻を刊行し、さらに『実存主義はヒューマニズムか』というタイトルの講演を行い、大勢の人たちが押しかけて、それがスキャンダルに発展したことは前稿に述べた。
改めて実存主義を一言で言えば、一切の価値の根源を、人間を超えた客観的な全体性からではなく、人間の主体そのものに求める思想である。従って、個々の人間に先行して運命や人間性という人間の本質があるという考えが否定された。
先の講演会『実存主義はヒューマニズムか』の中で、彼の主要なテーゼである「実存は本質に先立つ」をこう簡潔に説明している。
「人間は後になってはじめて人間になるのであり、人間はみずからが造ったところのものになるのである。このように人間の本性は存在しない。その本性を考える神が存在しないからである」「人間はみずから造るところのもの以外の何者でもない」
再三述べたように、サルトルとボーヴォワールが、特に若者の人気を得て時代の寵児になったのは、フランスが4年余の戦争から解放された時点である。従来の価値観と異なる新しい思想を求めていたフランス人の希望を掬いとり、その流れに乗った2人が提唱した実存主義は、すぐさま社会的な流行現象となって燃えさかった。
すべてが偶然の産物でないのは言うまでもない。戦後の激動の時代が希求していたものと、彼らの思想との間に一致点があったからである。過酷な戦争によって既成の秩序や価値観などが崩壊した後に唱えられた実存主義が、疲弊したフランス人の魂に響いたのである。
その風潮は同じ状況に置かれていたヨーロッパ諸国に伝播し、彼ら2人は一躍国際的な有名人となった。この現象がもたらされたのは、彼らの才能と実力もさることながら、フランスの国内事情も大きく作用した。
ボーヴォワールはその理由をこう書く。
「列強国の中で二流の位置に落ちたフランスは、輸出向けに、純粋の国産品であるオートクチュールと文学を宣伝することによって自己防衛しようとしたからだ」と、オートクチュールと新しい文学の二枚看板を輸出の道具に利用したのである。
そして、フランス発の「ほんのちょっとした作品でも歓声を持って迎えられ、その著者をめぐって鳴り物入りの大評判が巻き起こるのだった」 と指摘した。
だが、過酷な現実を直視するという彼らの姿勢は、そんな現実から目を背けたい保守的な大衆を遠ざけただけでなく、しかも戦後の思想界は、東西の冷戦構造の深刻化によって左右の陣営が対立を深めていった。
保守的な右派グループがサルトルとボーヴォワールの思想の中に、「18世紀の合理主義や19世紀の実証主義以上の重大な危険思想を指摘し始めた」と見なす一方で、対抗勢力である新勢力の進歩的な左翼陣営と彼らは確執を抱えていた。
元来、サルトルは未来の理想社会を社会主義に委ねていたので、むしろ積極的にコミュニストとの対話や共闘を待ち望んでいた。ところが左翼側は、同じ社会の未来像を共有していたにもかかわらず、むしろ右翼の誹謗中傷を逆手に取り、サルトルを堕落の賛美者、大衆の敵、虚無と絶望の哲学者と罵っていた、とボーヴォワールは書く。
こうしてサルトルとボーヴォワールは、コミュニズムを支持しながら批判を続けるという、アンビバレントな苦悩の只中でもがいていた。
彼らは時代の寵児でありながら、左右両陣営から執拗に攻撃され、孤立していったのである。
(続く)





宇田川悟







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2024年6月27日 (木)

いつも煙に巻かれてしまうが魅せられる論考  スラヴォイ・ジジェクの「戦時から目覚めよ」など

この半月間でスロベニアの思想家・スラヴォイ・ジジェクの著作三冊を次々と。映画評と哲学の引用とラカンの分析・紹介と例えばの具体的なケースや発言、歴史的なニュースなどを示すが、どうもいつも各論の結論は煙に巻いたような印象が続く。それでも「さらに次はどんな論理で?」と、興味をつなぎ、ぐいぐいと読ませていく。このあたりはさすがに現代社会学を代表する大澤真幸も高く評価する「現代の奇才」なのだろう。三冊目の「ポストモダンの共産主義」を今一度振り返らないと―。あらすじが思い出せない。単に年をとったので、理解力が衰えただけか(笑い)ー。ともあれ、フランス革命とそれに連動したハイチ奴隷解放革命、これのヘーゲルとカントの高い評価、1968年フランス学生運動とオバマ誕生などの論述が興味深い。読書の合間は「音楽畑 モーニングコーヒー」で 449305366_7637749923020455_4324016605671 81rinrfo9dl_ac_uf10001000_ql80__20240627203601 Image 449317255_7637749939687120_8594593075714

2024年6月26日 (水)

確かに深夜が思わず豊かになるJAZZレコード   ケニー・バレルの「イントロデューシング」

どういうわけか、聴きそびれていたジャズギターの名手、ケニー・バレルのCDをほんとにたまたま聴いていたところ、なんだか心地よい。<これはいつの演奏なんだろう?>と思い、解説を読んでいたら、ケニー・バレルの初リーダーアルバムで、1956年5月の録音。もう70年近い昔の演奏だ。ただ、レコードの紹介に「深夜に聴くにはもってこい」といった趣旨の文句があったが、改めて聴いてみると、確かにそうだねと。演奏に参加しているメンバーも、トミー・フラナガン(ピアノ)、ポール・チェンバース(ベース)、ケニー・クラーク(ドラム)など、その後のJAZZ史上に名を残すジャズメンたち。解説を読んでいて知りました。自宅にはJAZZを中心に1200枚のCDがあるが、〈今回のように素晴らしいのにまだ聴いていないCDがあるかも〉。そう思ったことだった。今夜はワイン片手にケニー・バレルをさらに聴こうとー。

(以下はウイキペディアから) ケニー・バレルKenny BurrellO1500150014913428004 1931年7月31日 - )は、アメリカ合衆国の混血系黒人ジャズギタリスト

ミシガン州デトロイト市生まれ。大学で音楽を学んだ後1951年ディジー・ガレスピー楽団に入り、その後、初レコーディングしてデビューした。1955年ニューヨークで活動を始め、この頃ブルーノートのプロデューサーであるアルフレッド・ライオンの目にとまり、1956年3月にリーダー作をレコーディングした。以後、ブルーノートやヴァーヴ・レコードをはじめとする他のレーベルでも、ブルースに根ざしたプレイで活躍した。ピアニストのトミー・フラナガンは同じデトロイト出身の幼馴染であり、数多くの共演を残している。歌も上手く、『ウィーヴァー・オブ・ドリームス』などのアルバムでその歌声を披露している。

リーダー・アルバム 1950年代

『イントロデューシング・ケニー・バレル』 - Introducing Kenny Burrell(1956年5月録音)(Blue Note) 1956年

 

2024年6月25日 (火)

昼飯はめったに食べない「冷凍ピザ」で   こんな選択肢もあるよーと知りました   

本日はめったに食べない「ピザ」を。遊びにきたご近所さんが「簡単なのでたまに冷凍ピザを食べているよ」と話していたので。さっそく真似をしようと。確かにトースターで温めるだけとあって手軽だ。ご近所さんはピーマンを炒めて加えているという。うーん、見栄えはいいし、好きな人は好きなのだろうが、私には味わいがいまいちかな。加えて「食べたぞー」という満足感に乏しいかも。とりあえずこんなメニュー、選択肢もあるよ~ということは知りました。 449077550_7628844417244339_1192866628325 449122079_7628844413911006_3249476114499 449121108_7628844430577671_2458321654863

2024年6月24日 (月)

この問いがいいー彼らは「賞味期限切れ」なのか?ー   新刊「戦後フランス思想」を読みたいなと

1970年代前半の学生時代は、「70年安保」の荒波の中で、マルクス、エンゲルス、レーニン、トロッキー、ローザ・ルクセンブルク、ヘーゲルは、もちろん必要に迫られるように読んでいた。だが、この時代、フランス思想では「実存主義」で知られるサルトルやボーボワールはほとんど読まないでいた。ただし、どういうわけか、カミュは「ペスト」「反抗的人間」「異邦人」「シジフォスの神話」は当たり前に読んでいた。カミュはいずれも文庫本が各書店に並んでいたが、今はほとんでど見かけないがー。メルロ=ポンティも半可通ながらだが、「眼と精神」や「知覚の現象学」などを読んでいた(哲学者・鷲田清一さんがメルロ=ポンティ研究家というのは、後年になって知った)。今、思い出したが、学生当時、メルロ=ポンティの「ヒューマニズムとテロル」を「教科書」にして仲間たちと街中で「学習会」を立ち上げたときもあった。あるいは、吉本隆明を通じて、「工場日記」のシモーヌ・ヴェイユも。それらはほとんど「歴史」の彼方にあった。それを思い起こさせる新書が発刊されたようだ。「戦後フランス思想」ー。これは読んでみたいなと。

 

でも、フランス思想というと、私などは「実存主義」との論争で軍配が上がったという「構造主義」のほうが、ぐっと身近だ。その代表選手が「野生の思考」「悲しき熱帯」「親族の構造」のレヴイ=ストロース(ただし、「野生の思考」と「親族の構造」は難しいのでいつも途中まで。これは読み通ししないといけない)、そういえば、初夏に今や「おひとりさま」学で知られる東大名誉教授・上野千鶴子さんの初期の論考を集めた「構造主義の冒険」を読んだばかりだった。それに「監獄の誕生」「知の考古学」「臨床医学の誕生」のフーコーなどに親しんでいた。その後は「人間の条件」「革命について」や「ローザ・ルクセンブルク論」も書いているハンナ・アーレント、哲学者というか思想家・武道家の内田樹を通じて、「全体性と無限」のレヴィナスに親しむようになっている。確か内田樹は「寝ながら学べる構造主義」の新書を書いている。レヴィナスは、今春、解説本「無起源からの思想」を読んだぐらい。哲学の世界では遅咲きとされる「遅れて来た思想家」と言われるレヴィナスの思想を知りたいと思っているところだ。

 

(以下はfacebookに登場していた毎日新聞の「戦後フランス思想」の紹介記事の一部だ)

サルトル、カミュ、ボーボワール――哲学や小説、戯曲など幅広い分野で世界に影響を与えた戦後フランス思想界の知識人たち。こうした寵児(ちょうじ)が大衆に歓迎された時代が遠ざかった今、彼らは「賞味期限切れ」なのか。そんな問いを立て、知的潮流を追った『戦後フランス思想』(中公新書)を伊藤直・松山大教授(フランス文学)が刊行した。 102799

2024年6月23日 (日)

沖縄戦で犠牲になった北海道出身者は1万807人  ウクライナ戦争で「道産子たちの沖縄戦記 あゝ沖縄」発刊

6月23日は沖縄戦で組織的な戦闘が終わった「沖縄慰霊の日」。戦後79年目だ。それに合わせた沖縄戦の記事が朝日新聞に掲載された。県民の4人に一人、20万人が犠牲になった沖縄戦。それがよく報道されるが、沖縄戦で犠牲になった兵士のうち、1万807人は北海道出身者だったという。もちろん、都道府県では断トツに多い。私も北海道には札幌、帯広、釧路と3カ所を新聞社の辞令で出入りし、計8年間も暮らしていた。相次ぐ炭鉱閉山、ソ連崩壊と北方4島、昭和天皇死去、十勝岳噴火、泊原発訴訟、アイヌ民族報道、過労死問題や「山が動いた」報道、ラムサール条約と環境問題などを報道していたが、沖縄戦における道産子たちの犠牲については、浅学菲才にして、承知していなかった。かってそれを1964年4月1日から267回も「北海タイムス」(1998年廃刊)で連載していた記者の妻が「道産子の沖縄戦戦記 あゝ沖縄」として、発刊した。発刊の決断はウクライナ戦争がきっかけだったという。沖縄慰霊の日にあたり、この朝日新聞記事を読む意義があるだろうとー。

(以下は朝日デジタルにある「道産子たちの沖縄戦 あゝ沖縄」の記事です)

連載267回に込めた記者の執念 道産子の沖縄戦「死に際を遺族へ」

佐々木洋輔
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沖縄県営平和祈念公園に立つ清水藤子さん=2024年3月、沖縄県糸満市、浜田哲二さん提供
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 夫は北海道兵の沖縄戦を取材し、全267回の連載にまとめた。それから60年、今も分厚い新聞スクラップが、兵士たちの墓碑銘の塊に見える。妻の清水藤子さん(79)=北海道月形町=はそう語る。

 夫・幸一さんが北海タイムスで連載「あゝ沖縄」を始めたのは1964年4月1日だった。延べ1835人の兵士や民間人らが登場し、そのほとんどが死ぬ。

 沖縄県によると、太平洋戦争末期の沖縄戦で死亡した北海道出身者は1万807人。約12万人が犠牲となった沖縄県に次いで、都道府県別で2番目に多い。3番目の福岡県は約4千人だ。

 沖縄県平和祈念資料館などによると、沖縄で戦った日本軍第32軍の主力である第24師団に北海道出身者が多かったことが背景にある。1939年に満州で編成された第24師団だったが、兵員補充は第7師団(旭川)によって担われた。44年に沖縄に移動。45年4月1日、米軍の沖縄本島上陸を迎えた。

 連載時は敗戦からまだ19年。帰還したことに自責の念を感じ、口を閉ざす人も多かった。幸一さんは、全道を訪ね歩き、手記の収集や証言を収集。「パスポート」を取得し、72年の本土復帰前の沖縄にも渡航し、関係者を訪ね歩いた。

《やがて平和な時がきたら、雪の降る北海道へ一緒にいくべよ》

 連載は一人で執筆した。

 《半田は、穴の中でうつぶせになって死んでいた。手りゅう弾自決。(中略)函館の留守宅に、妻と三人の子供を残して》(80回 半田上等兵自決)より

 《ようやく朝方、死体のかたづけが終わる。いままで死体がころがっていたところに、みんなは疲れたからだを横たえた》(214回 死のゴウ)より

 《「やがて平和な時がきたら、こんな焼け野原は捨てて、雪の降る北海道へ一緒にいくべよ」(中略)娘たちも、兵隊も、そんな日は、もう再びないことを、知っていた》(23回 勇ましい女子義勇軍 道産子を励ます)より

 記事は米軍が「ありったけの地獄をあつめた」と称した沖縄戦を、現場の兵士一人ひとりの目線で描く。一方で、沖縄住民たちとの極限下での交流にも紙幅をさいた。

 文末には、「戦記係」と称した遺族窓口を記載し、読者からの問い合わせや情報提供にも対応したという。連載には必ず、「戦没一万八十五柱の霊にささぐ」(原文まま。「柱」は当時の戦死者数)と添えた。

 幸一さんの執念を「弔いの気持ちがあったのではないか」と、藤子さんは推し量る。

 戦時中、幸一さんは旭川の第7師団にいた。予備役再教育係として、召集した兵士を前線へ送り出す任務だったという。「自分が送り出した兵士が沖縄で死んだのではないかという思いを抱え、道産子兵士の死に際を遺族に知らせたいと思ったのでは」と藤子さんは言う。

 退職後は釣りや山菜採り、読書をして過ごしたという幸一さんだが、時折、スクラップを眺めては、ぶつぶつと何かをつぶやいていたという。

 北海タイムスが98年に廃刊し、幸一さんは2006年に死去。「あゝ沖縄」は藤子さんの手元に残ったスクラップだけとなった。「自分の手元にだけ置いておくのは、苦しすぎた」

 藤子さんは昨年、悩み抜いた末、書籍化を決める。

 知人で郷土史を研究する楠順一さん(69)らの協力を得て17年に、40万字を超えるスクラップの全てを文字に起こし、ブログでインターネットにアップしていた。

 その作業は約2年に及んだ。途中、文字起こしを担当した男性の一人は戦場の凄惨(せいさん)な描写に、精神的にめいるほどだったという。

 ブログは注目を集め、遺族らから感想などの投稿が寄せられるようになる。沖縄の遺骨収集をするボランティアグループが、ブログから遺族の住所をたどり、戦没者ゆかりの手紙を返還できた事例もあった。

 ただ、藤子さんには、日記のように描かれた記事が「沖縄での敢闘が美談のように読まれかねないのでは」という不安があり、書籍化に踏み切れないでいた。

 22年2月のロシアのウクライナ侵攻が思いを固めた。連日報じられた地上戦で兵士が銃を撃ち合う姿が沖縄戦に重なった。

 出版への資金150万円はクラウドファンデングで調達。昨年12月27日。1千部の自費出版にこぎ着けた。12月27日は幸一さんの命日だった。

 本のタイトルは連載と同じ「あゝ沖縄」。591ページに及ぶ。ブックカバーには6月に北海道で咲く「エゾノリンゴ」をあしらった。藤子さんがスケッチしたものだ。「エゾノリンゴは6月の道内でわっと咲いて、パラパラと散る。鎮魂にふさわしいと思った」

 藤子さんは3月、「あゝ沖縄」を持ち、初めて沖縄の地に赴いた。幸一記者が取材した場所を訪問し、沖縄県平和祈念資料館などに献本。藤子さんは「夫の記者として最大の仕事を沖縄に納めた」と話した。

 沖縄戦で組織的な戦闘が終結した6月23日は、沖縄慰霊の日。きょう79回目を迎える。(佐々木洋輔)

 「道産子たちの沖縄戦記 あゝ沖縄」は、清水幸一著、月形歴史研究会編。出版元のかりん舎やインターネットで購入できる。税込み2970円

2024年6月22日 (土)

「とうかいだいにげんぱつ 七つのあぶない」が面白い   「放射能汚染水放出に反対する北区の会」の紙芝居

紙芝居「とうかいだいにげんぱつ 七つのあぶない」が面白い。「放射能汚染水放出に反対する北区の会」のみなさんが創作したようだ。YouTubeで観た動画は9分ほど。紙芝居のあらすじが終わると、質問コーナーもある。東海第二原発についての基本的な知識は盛り込まれており、観たあとの質問といい、いろいろと考えて作られていると思った。主に子ども向けだが、東海第二原発に関心を持って欲しい大人たちにも観て欲しい紙芝居だ。というか、日光でもこの手の紙芝居ができないかどうか?。考えたいところだ。子どもの頃、というか、小学低学年の頃だと思うが、田舎町の街角于で紙芝居に眼を輝かせ、心を躍らせたことを今でもよく覚えている(学年ごとに町の映画館で観た「白蛇伝」などのアニメや地方劇団の演劇、あるいは貸本屋さんもそのひとつだがー)。そのためもあり、「紙芝居」というと、なんだが、わくわくしてしまう。そのせいもあるのだが(笑い)ー。

(以下は、この紙芝居について、伝えてくれた「とめよう!東海第二原発 首都圏連絡会」のメールの内容だ)

都内北区の「放射能汚染水放出に反対する北区の会」の方からその一斉行動・第12波において主に子供向けに東海第二原発にMaxresdefault_20240622225801 ついての‘紙芝居’を行ったとのことでそのYou-tube動画のリンクを送って頂きました。

https://www.youtube.com/watch?v=8rDOn9rWWKI

原発について関心がない知り合いの方に ‘とりあえず観てもらう’ 感じで観てもらい、そのうえで原発や東海第二について聞いてきた場合、そこから少し難しい、と言いますかより東海第二が再稼働することにおける危険性の話にもっていく、という流れにおいてー。

 

2024年6月21日 (金)

やはり「ビル・エバンス」を選んでいます  季節ごとの我が家の「CD50枚」入れ替えで

きょうは我が家に1200枚あるCDから季節ごとに入れ替えているCD50枚を選びました。すぐに手が届くように。ビル・エバンス・トリオ、ジョー・チンダモ・トリオや・コンテンポラリーモーツァルト、喜多郎、ボサノバベストなど。今回はふだん聴くことが少ない6枚組のショパンもあった。ただ、結果的にだが、いつもビル・エバンストリオの演奏を複数枚選んでいる。彼の演奏には外れがないからかー。それと城達也がナレーションのジェットストリームやジョージ・ウィンストンも。 Photo_20240621224401 2448803558_7609109905884457_451547532474 448890746_7609109902551124_8958802048768 448806919_7609205449208236_6547649775350

2024年6月20日 (木)

マイカーの気温はいやはや34度にも    霧降高原の昼飯は「小豆島そうめん」で

三ヶ月に一度の定期健診のため本日は日光から35㌔先の宇都宮へ。昼時に帰る際、院内に駐車していたマイカーの温度をみたら、なんと34度!。今季初めて30度以上の陽気を体験しました。「これでは暑いはず」。そう思いながら、日光自動車道で日光に向けて。さすがに走っていく度に31度、28度と少しづつ下がっていきました。それでも霧降高原の我が家に着いたときでもまだ25度。まだ慣れない夏日の陽気のため、昼飯は「父の日」で448290335_7578143738981074_6908269709497 448357532_7578180152310766_4724410576008 448304059_7578180155644099_2066155306679 いただいた「小豆島そうめん」で。ゆで玉子、冷奴、それにウィンナーもつけて。この陽気にはぴったり。BGMはたまに聴くマイルスの「クッキン」(マイ・ファニー・バレンタインなど全4曲)で。

2024年6月19日 (水)

ウクライナ戦争以後の世界の「常識」にーー   現代思想の奇才・ジジェクの「戦時から目覚めよ」 

「現代思想の奇才」とされるスラヴォイ・ジジェクの「戦時から目覚めよ」が、NHK出版新書として発刊されているのを知ったばかり。ジジェクが気になっていたので、さっそく購入の手続きをとった。オビでは「ウクライナ戦争以後の『常識』の本質をえぐる」とある。これだけでも、魅力的だが、もともとはつい最近、彼の「事件!ー哲学とは何かー」を再読したことから。さまざまな映画評やマルクス、フロイトまではいいとしても、さらにラカン思想を散りばめており、かなり難解な内容だった。ただ、ベルンシュタイン論争問題のポイントなど、あちこちに「なるほど」のところが。この「事件!」は2015年10月20日初版発行。もう10年近い前の書籍だ。なので、<最近はどんな論を書いているのだろうか?>。と思っていたところ、今年発刊されたばかりの新書があることを知った。内容紹介によると、「今日のウクライナにおけるレーニン」とか、「ロシアと西欧の文化戦争」、あるいは「狂気のリズムにブレーキをかけろ」といった、いかにも読みたいと思わせる見出しがある。18日夜にネット経由で注文したら、あす20日には今市の書店に届くというメールが入っていた。どういうわけか、いつもより数日早い連絡だ。ともあれ、すぐにでも書店に寄って、この新書を手にすることにしたいー。

(以下はネット「本やタウン」の案内から)[BOOKデータベースより]

ウクライナ、パレスチナ、西欧とロシアの文化戦争―ジジェクの思想と政治批評にこの一冊で入門する!戦争を防ぐために何が足りないのか?

序 フュチュールとアヴニールのはざま
さらばレーニン ようこそ無能な侵略者たち
戦争(と平和)の異常な平常化
黙示録の五番目の騎士81rinrfo9dl_ac_uf10001000_ql80_
「サファリ」的な主観性
ほかの国が果たすべき役割
結束する権力者に立ち向かえ
今日のウクライナにおけるレーニン
ヒマワリの種がたっぷり入ったポケットから、何が育つのか?
倫理観の衰退を示す紛れもない兆候
偽の目覚めに騙されるな
ロシアと西欧の文化戦争
狂気のリズムにブレーキをかけろ
富裕層への課税?それでは足りない!
アサンジ:そうとも、われわれにはできる!
結論 手遅れの場合、どう始めればいいのか?

[日販商品データベースより]

人類の”大惨事”は避けられるか?

気候変動、生態系の破壊、食糧危機、世界大戦――人類の破滅を防ぐための時間がもう残されていないのだとしたら、我々は今何をなすべきなのか?パンデミックを経てますます注目される現代思想の奇才が、西欧と世界で今起きている事象の本質をえぐり、混迷と分断渦巻く世界の「可能性」を問う。

 

2024年6月18日 (火)

独裁政権が危機・崩壊を迎えようとするとき。。。。   スラヴォイ・ジジェク「事件ー哲学とは何かー」から

きょうは一日中、小雨模様だった。それなら「晴耕雨読」で、もう一度読みたかったスラヴォイ・ジジェクの「事件ー哲学とは何かー」を。確か社会学者・大澤真幸さんが推薦していたので、買い求めた覚えがある。ドイツ社会民主党を二分したことで知られる大激論である「ベルンシュタイン論争」ー。そこでの革命家・ローザ・ルクセンブルクの同感できる主張を同人誌「序説」に以前、書いたことがある。この本では、このベルンシュタイン論争とは別に独裁政権が危機・崩壊を迎えようとするときの場面の記述が印象的だった。映画にもなりそうな場面状況だからかもしれない。改めてこの部分を読み返すと、「なるほどねー」と。支持率が危機的な状況にある岸田政権や人気が急降下している小池都知事の行き先を思わせるからだ

以下にその「事件」からその箇所(158ページ)を抜き出してみる。あなたも「なるほどー」となるかもしれない。

独裁政権がその最後の危機・崩壊を迎えようとするとき、たいていは次のような二つの段階を経る。実際の放下に先立って、不思議な分裂が起きる。突然、人々はゲームが終わったことに気づく。彼らはもう恐れない。政権がその合法性を失っただけでなく、その権力行使そのものが狼狽した無能な反応に見えてくる。1979年のイラン革命の古典的な解説であるあ『シャーの中のシャー』でリュザルト・カプチンスキーは、この革命が起きた正確な瞬間を突き止めている。テヘランのある交差点で、ひとりでデモンストレーションしていた男が、警官に立ち退けと怒鳴られたにもかかわらず、動こうとしなかったので、警官は黙って引き下がった。この話はほんの1、2時間のうちにテヘラン全市に伝わり、その後数週間にわたって市街戦が続いたものの、すでに決着がついたことを誰もが知っていたー。

 

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2024年6月17日 (月)

重要なのは、下からの民主主義によって   「ローザ・ルクセンブルクー戦い抜いたドイツの革命家ー」

 


448546788_7589183491210432_6479237693635 「ローザ・ルクセンブルクー戦い抜いたドイツの革命家ー」(姫岡とし子、山川出版社)。2020年11月初版、わずか110ページのブックレットだが、中身はなかなかのものだ。ドイツ社会民主党を二分する論争となったベルンシュタイン論争、そこでのローザの位置付けを知りたかった。それがこの冊子へと至った。同書によると、1899年初頭にローザの恐慌論をなどを批判しながら、ベルンシュタインが「社会主義の諸前提と社会民主党の任務」を出版した。これに対するローザの書評論文は大きな反響を呼び、絶賛の声が相次いだ。ただちに掲載済みの論文と合わせて『社会改良か革命?』のタイトルでパンフレットとして出版されたとある(34ページ)。
 いわゆる修正主義論争だが、この冊子でわかりやすく伝えているのは、社会主義についてのローザの組織論、というか、大衆との関係。この点がレーニン主義、ボルシェヴィキと発想というか、構え方が決定的に異なるところだ。
 同書はこう記す。ボルシェヴィキは「民主主義か独裁か」というかたちで問題を設定したが、ローザにとっては、こうした二者択一的な問題設定ことが誤りであった。彼女はプロレタリア独裁をめざしたが、それは民主主義の廃棄ではなく、民主主義を新しく発展させて社会主義的民主主義を創始することであった。
 重要なのは、少数の指導者による上からの押しつけではなく、プロレタリアートが下からの民主主義によって階級独裁をつくりだすことだったのである。そのためには大衆の積極的な参加と直接的な影響の行使、さらに公衆全体による統制が必要だった。そして、プロレタリアートは社会主義建設を自立・自律的に担える人材へと成長しなければならかった。その場を与えるのが、創造的で民主的な活動への参加である。
 その過程で人民大衆は、残された使命を達成できる政治的な訓練を重ね、文化的水準を高めるための精神変革を達成する。こうした大衆の直接行動と批判をも辞さない自由な精神活動の展開こそが、ローザの考える社会主義の神髄であり、手段であり、目的であった(96ページ)ー。

 ということで、今でもローザの発想は「なるほどー」と。この「ローザ・ルクセンブルク」を書いている東大名誉教授、姫岡とし子さんはフランクフルト大学でも学んだドイツ近・現代史研究家という。同世代でこんな研究家がいるのは、浅学菲才にして、今になって知りました。

 

2024年6月16日 (日)

「経年劣化」にはともあれ「ブリコラージュ」で   日光霧降高原「霧降文庫」ウッドデッキ補修で

春からの懸案だったベランダ補修の追加にようやく。天候不順などで何度も延期していたがー。用意した板材は15枚。そのうち10枚を早くも使った。最近は板材を支える桁材の劣化があちこちで。その桁の修理は大小のノミとハンマー、ノコギリとバール、定規と鉛筆の出番。これで時間がかかっている。「経年劣化」というが、その言葉どおり、年数が経ったことで傷みが。これをなんとか工夫しながら直して行くのも「森の生活」のひとつだろうとー。そこにある在り合わせのもので手直ししてしまうー、文化人類学の代名詞とも言える『野生の思考』の「ブリコラージュ」を思い起こしたのでしたー。 448540342_7584212448374203_6342390891881 448503998_7584484488346999_2082632669002 448540707_7584484481680333_8874955343013

2024年6月15日 (土)

ベランダ菜園の「イチゴ」を初めて収穫!   日光霧降高原の「霧降文庫」のウッドデッキ

「霧降文庫」のベランダ菜園の「イチゴ」ができました。6月15日(土曜日)。冬を越えて。少しずつ大きくなっていたのは知っていたが、食べ頃になっていたとは。きょう気づきました。もぎってさっそく砂糖をふりかけていただきました。その味わいのあること。育てたイチゴを味わうなんとも言えぬ気持ちに。次はベランダ菜園のキュウリ、ピーマン、スイカへ。うまくいくかどうかは未知数なのだが(笑い)ー。 448339956_7577945619000886_7639118432456 448305516_7577945605667554_8406746221389 448301879_7577945602334221_6755753884027 448342665_7577977065664408_3831252762469

2024年6月14日 (金)

暑い6月の「東海第二原発いらない第12波一斉行動」    世界遺産日光神橋そばで脱原発をアピール

3月に一度、首都圏56の団体・個人と連動した「東海第二原発いらない!第12波一斉行動」のin日光神橋ー。「さよなら原発!日光の会」主催。暑さいっぱいの14日(金曜)13時から。サイレントスタンディング脱原発アピール。相変わらず品川、足立、練馬や千葉、川崎などの首都圏のマイカーや大型観光バスが行き交う日光街道沿いで。何台かのマイカーは車内から手を振って脱原発に同感してくれていた。熱中症予防で、いつもの一時間ではなく、45分で終えました。立っているだけで汗がー。まだ6月中旬なのだが。暑さ対策で、7月は午前中に行うことにしている。 448305816_7574692809326167_1578320855191 448360466_7574692825992832_4598104356863 448157555_7574692822659499_7481199612368

2024年6月13日 (木)

脱原発社会づくりの意志を受け継ぎます   伴英幸・原子力資料情報室共同代表の訃報に


「原子力資料情報室通信」が「第600号」を迎えたところだが、その原子力資料情報室共同代表、伴英幸さんの訃報が飛び込んできた。私も毎月届く「原子力資料情報室通信」の会員でもあり、謹んで安らかにと。確か数年前に宇都宮大学であった脱原発セミナーで伴さんの講演を聴いたことがある。さすが、その道の専門家とあって、落ち着いた話しぶりが印象に残っている。本人は死を前に短い遺言のメッセージ動画を残している。ジャーナリスト、青木美希さんがtwitterなどで、紹介しているが、それを観ると、もう生きる時間はわずか。これまでずっと脱原発社会づくりをめざしてきたが、かなえられなかった。後に続くみなさんはぜひ脱原発社会をかなえて欲しいという趣旨の内容だ。遺言のその意志を受け継ぐことを亡き伴さんに伝えたい。

(「原子力資料情報室」がHPで伝えている訃報を以下にアップします)

Jnjtkr99_400x400 Maxresdefault Mv_03 【訃報】共同代表 伴英幸 逝去のお知らせ


2024年6月11日

弊室共同代表 伴英幸儀 かねてより病気療養中のところ
2024年6月10日午後0:35分、享年72にて永眠いたしました
生前のご厚誼に深く感謝するとともに謹んでお知らせ申し上げます

つきましては通夜並びに告別式を下記のとおり執り行います

 記

通夜  6月15日(土)18:00~19:00
告別式 6月16日(日)10:30~正午
場所  落合斎場別館(新宿区上落合3-34-12)
喪主  中島庸子

誠に勝手ながら香典のお気遣いはご辞退させていただきます

また、ご遺族のご意向により、報道関係のみなさまには告別式後に改めてご案内いたしますので、それまで取材はお控えいだだきますようお願い申し上げます


●葬儀に関する問い合わせ
帝都典礼 03-3353-6313
電話受付 8:30~18:00

●参考資料

伴 英幸(ばん・ひでゆき)
原子力資料情報室 共同代表
1951年 三重県生まれ
1975年 早稲田大学卒業。生活協同組合専従
1989年 脱原発法制定運動 事務局スタッフ
1990年 原子力資料情報室 スタッフ
1995年 同 事務局長
1998年 同 共同代表

外部での肩書・役職・業績(順不同)

国会エネルギー調査会(準備会)有識者チーム(2012年~)
原子力市民委員会委員(2014年~2022年)
地層処分問題研究グループ(UG)
グリーン連合 幹事(2015年~)
特定非営利活動法人 新宿代々木市民測定所 理事長(2019年~)
新『もんじゅ』に関する市民検討委員会 委員長(2016年)
脱原発法制定全国ネットワーク 代表世話人(2012年~)

経済産業省 総合資源エネルギー調査会 基本問題委員会 委員(2012年)
経済産業省 総合資源エネルギー調査会 電力・ガス事業分科会 原子力小委員 会 委員(2013年~2022年)
経済産業省 総合資源エネルギー調査会 電力・ガス事業分科会 原子力小委員 会 放射性廃棄物ワーキンググループ 委員(2013年~2022年)
国家戦略会議 原子力委員会見直しのための有識者会議(2012年)
原子力委員会 新計画策定会議(2004年~2005年)
原子力委員会 新大綱策定会議 委員(2010年~2012年)
原子力委員会 原子力発電・核燃料サイクル技術等小検討委員会 委員(2011年 ~2012年)

著書
『原子力政策大綱批判-策定会議の現場から』(七つ森書館)

共著書
『原子力市民年鑑』(七つ森書館)『JCO臨界事故と日本の原子力行政」(七つ 森書館)「検証東電トラブル隠し」(岩波ブックレット)ほか多数

連載
BIGISSUE『原発ウォッチ』

2024年6月12日 (水)

梅雨前のじゃがいも農作業は炎天下で   日光県営だいや川公園の体験農園

「真夏」のじゃがいも農作業ー。県営日光だいや川公園の体験農園、じゃがいもの部。その3回目。雑草を取り、追肥と土寄せ。この雑草取りが思いの外、大変だったー。取っても取っても、なかなか終わらない。汗だくで一時間も畑作業しているとややぐったり。木陰で一休みしながら、冷たい麦茶で水分補給しました。気づいたら長袖シャツも汗だくに。今年初めて。もう半袖が必要な季節に。ほとんど熱中症になりそうでした。まだ6月なのに真夏の暑さとは。指導員がマルチのじゃがいもを試し掘りすると、すでにそれなりに。受講生10人(受講生は15人だが、天候不順で作業日が急きょ変更になったので、5人欠席)が試し食いへ。本格的な収穫は7月9日。「男爵」も「きたあかり」も「舟石芋」も、順調に育っており、収穫日を楽しみにします。 448248419_7562231883905593_8337655047713 448290504_7562288577233257_7873861818387 448160885_7562231887238926_8101685141883

2024年6月11日 (火)

原発講演会に大会議室いっぱいの130人  6月8日(土)青木美希さん宇都宮講演会

Dscn5590 448083749_7551641831631265_6429453077411 Photo_20240611223301 6月8日(土)午後2時半~4時50分、宇都宮市の栃木県弁護士会館大会議室であった「原発いらない栃木の会」第14回総会記念のジャーナリスト、青木美希さん講演会ー。脱原発講演会としては久しぶりの大盛況でした。テーマは「なぜ日本は原発を止められないのか?」。無料。会場いっぱいの130人が参加した。そのうち「さよなら原発!日光の会」からは少なくても知っている顔の6人が参加していた。

講演後の質疑応答も次々と。それに青木さんがてきぱきと的確に答えていたというのが、印象的でした。5月26日(日)、日光市の日光市中央公民館中ホールの講演会「『東海第二原発』の現在地」の参加者は63人でした(予約券は「完売」の125枚でしたがー)。その二倍以上も詰めかけたのは予想外でした。さすがにカンパもたくさん。主催した「原発いらない栃木の会」の会員以外にたくさんの市民が参加していたのが特徴か。
これは「なぜ原発を止められないのか?」というテーマに関心が集まっていたのだろう。さらに大きく各地に配布したフライヤー3万枚が効いたかも。講演後、青木さんのベストセラー本である新刊の文春新書「なぜ日本は原発を止められないのか?」などの頒布会には参加者の列ができていました。原発を主題にした講演会でこんなに盛況な様子に立ち会ったのは久しぶりですー。

 

2024年6月10日 (月)

鹿沼市長に松井正一さん(元立憲民主党栃木県連幹事長)初当選   「横根高原メガソーラー建設」反対運動でも先頭で

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鹿沼市長選 前県議の松井正一氏が一騎打ち制して初当選 投票率は前回下回る 






とちぎテレビ


 

 

 

 

とちぎテレビ

 

2024年6月 9日 (日)

原発ゼロを達成したドイツを描いた「モルゲン 明日」   「さようなら原発!栃木アクション」が今秋連続上映会

 

今秋の「さようなら原発!栃木アクション」(集合場所 宇都宮城址公園、そして市内パレードへ)を盛り上げるための恒例となったプレ企画の映画上映作品として、きょう6月8日(土)の「栃木アクション」幹事会で、ドキュメンタリー映画「モルゲン 明日」(坂田雅子監督、71分)を上映することを決めた。
 栃木県内の各地でさみだれ式に無料上映することになるが、今のところ、会場は、宇都宮、日光、下野、那須塩原、佐野、小山、鹿沼、益子の8カ所が想定されている。Main1
 ドイツが原発ゼロをとうとう達成したのは、昨年の2023年4月15日。それから1年余。そのドイツは福島第一原発事故を受け、2011年にメルケル政権が脱原発を再確認している。その方針を実行に移したわけだ。歴史的な原発事故を起こした日本が「原発回帰」に舵を戻したのに、ドイツではどうしてそれができたのかー。
 ドイツが脱原発を決めた判断、とくにチェルノブイリ原発事故以前や以後の市民運動や学生運動、そして政治状況などの長い運動があることを伝える。同時に再生可能エネルギーを急速に盛んにしていくためのさまざまな取り組みなどが描かれていよう。日本の現状と対照的なドイツの姿を知ることで、さまざまな知見をもたらし、原発問題に対する判断、そして今後はいかにすべきか、それらの大きなきっかけになるだろうと、観ることを今から期待している。
 難を言えば、作品公開は2018年。すでに6年前で、やや古いこと。それでも、2011年の脱原発再確認から7年後なので、基本はいいいかなーと。
映画COM   作品情報
解説
前作「わたしの、終わらない旅」でフランス、マーシャル諸島、カザフスタンと核に人生を翻弄された人びとを訪ねた坂田雅子監督が、脱原発を宣言したドイツを訪ねるドキュメンタリー。2022年までにすべての原発を廃炉にし、再生可能エネルギーへの転換を決定したドイツでは、多くの人びとが脱原発と自然エネルギーへの移行を実践していた。自らが考え、行動を起こし続けるドイツ市民たちが戦後に歩んだ軌跡をたどり、そこから彼らが見出した「Morgen」(「明日」を意味するドイツ語)への希望に迫っていく。
2018年製作/71分/日本
配給:リガード
劇場公開日:2018年10月6日
作品評論
4.02011年原発をやめると決めたドイツ、その背景を多方面から探るドキュメンタリー
2023年8月18日
鑑賞方法:DVD/BD
ドイツで脱原発に舵を切った背景を、これほど多方面から描いているドキュメンタリーはほかにないのではと思われます。根底に戦争への反省、ナチスの歴史にどう向き合うかのドイツ社会としての変化があったこと。原発を止めた闘い、学生運動のメインテーマが原発を含めた環境問題だったこと。その中から緑の党が生まれ、政府に影響を与えるまでになったこと。チェルノブイリを重く受けとめた人たちのこと。自然エネルギーの社会を目指して、送電線を買い取ったシエーナウの人達。多様な自然エネルギーに地域で取り組む人達。自然エネルギーを応援する制度ができたこと。卒原発をみすえて、廃棄物問題へどうむきあっているか。。。などなど多様な活動をしてきた人達へのインタビューで、問題を掘り下げて伝えてくれています。
8人、、「過 学 SEE び 去 に 未 来 を 創 る @ត ル 1 ッ 市 民 の エ ネ ギ I 革 命 Morten モルゲン、明E 明日 原発ゼロを決めたドイツ。 それは歴史と正面から向き合うことから始まった。 戦後培われてきた市民の力が明日の世界を拓くー 門動」というテキストのグラフィックのようです
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2024年6月 8日 (土)

原子力発電所をめぐる利権争いを描く     1978年に映画化されていた「原子力戦争」

ふとしたことから月間冊子の連載「傾向映画を観る」だと思うが、原田芳雄主演の「原子力戦争」という映画を論じていたのを知ったばかり。読むと、なんと、1978年の作品とか。私が20代のころにこんな原発映画つくられていたとはー。浅学菲才にして知らないでいた。原田芳雄もそうだが、配役に風吹ジュンや山口小夜子といったいわば懐かしい顔ぶれが。原発利権を背景にした殺人事件をめぐる映画のよう。私も個人的にぜひ観たいものだと。市民団体で上映するには古すぎているだろう。なので、こんな映画もありますよーと、「参考」にしてください。そんな思いで、6月8日(土)に栃木県弁護士会館であった「さようなら原発!栃木アクション」幹事会で資料として配布したのでした。

(以下はネット検索で得られた「原子力戦争」の作品情報です)

映画 「原子力戦争」 作品情報   映画COM

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原子力発電にスポットを当て、青年ヤクザが目撃した、ある港町の原子力発電所をめぐる賛成派と反対派の利権争いを描く。田原総一郎原作の同題名小説の映画化。脚本は「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の鴨井達比古、監督は「祭りの準備」の黒木和雄、撮影は「ある機関助士」の根岸栄がそれぞれ担当。

1978年製作/106分/日本
配給:ATG
劇場公開日:1978年2月25日

ストーリー

東北のある港町の駅に坂田正首が降りたった。坂田はこの町へ帰ったきり戻って来ない望を連れ戻しにやって来たのである。望の実家を訪ねた坂田は望の父・繁に彼女は帰っていないとつめたく追い帰されるが、玄関に望の傘があるのを見逃さなかった。その夜、坂田は地元の新聞記者・野上と知り合い、バーに誘われる。野上はそのバーのマダム・夢子と同棲していた。彼は、原子力発電所で最近何かあったらしいことをかぎつけ、スクープしようとしていたのだった。野上は坂田に、十日程前、近くの海岸に若い男女の心中死体が上り、男は山崎という新婚の原子力発電所の技師であるのに、女はその妻でないことが不思議だと話す。坂田は心中した女が望ではないかと町の人を訪ね歩き、遂に望の妹・翼から彼女の死を聞き出した。しかし、望が心中する理由が思い当らない坂田は、山崎の妻・明日香を訪ねた。坂田は、自分のために体まで売ってかせいでくれた望が心中するわけがない事や、殺される理由があった山崎と心中に見せるために望は殺されたに違いないと、明日香に話す。明日香が坂田に、山崎のいなくなった夜の事を話し始めた時、警察官が踏み込んで来て坂田は逮捕されてしまった。しかし、坂田はすぐ自由の身となる。町で若い男たちに札束を渡された坂田は、町から引き上げてほしいと言われ、駅まで見送られる。坂田は秘かに町に戻ると、山崎の失踪した夜、彼を迎えに来た電力会社の組合員の小林と、約束した場所に行くが、数人の男に襲われ、重傷を負う。その頃、原子力研究の権威者・神山教授が、何故か秘かに原子力発電所を訪れていた。小林の首吊り死体が松林で発見された事から、野上は坂田にこれ以上深追いしないように注意する。しかし、坂田は明日香の不可思議な行動を追い始める。それが、自分の死を招く結果になるとは、坂田には知るよしもなかった。原子力発電所という、この町にはあまりに大きな影響をあたえた怪物が、静かに体を動かし始めていると、坂田は確信した。

スタッフ・キャスト

 

2024年6月 7日 (金)

映画「地球で最も安全な場所を探して」   世界に「10万年後の安全なところ」は探せるのか?

 


映画「地球で最も安全な場所を探して」ー。こんな視点に立った映画が公開されていたのですね。今秋の「さようなら原発!栃木アクション」プレ企画映画上映は脱原発を決めたドイツのドキュメンタリー「モルゲン 明日」(71分)に決めたが、いずれ、この「地球で最も安全な場所を探して」もっぜひ上映したいと思いましたー10年以上前に観た「10万年後の安全」は感銘したが、そのいわば「続編」というようなイメージがあるだけになおさら。識者のコメントを読むとさらに。鎌田慧、鎌仲ひとみ、小泉純一郎などー。
(以下は映画情報から)Photo_20240609004401

”核のごみ”を捨てる場所は⾒つかるのか?
原発推進論者の科学者と反原発の映画監督が”世界⼀安全な場所”を探す旅に出る――この60年間で、⾼レベル核廃棄物35万トン以上が世界で蓄積された。それらの廃棄物は長期にわたって、人間や環境に害を与えない安全な場所に保管する必要がある。しかし、そのような施設がまだ作られていないにも関わらず核廃棄物、いわゆる”核のごみ”は増え続けている。そんな中、英国出身・スイス在住の核物理学者で、国際的に廃棄物貯蔵問題専門家としても高名なチャールズ・マッコンビーが世界各地の同胞たちとこの問題に取り組む姿をスイス人のエドガー・ハーゲン監督が撮影。チャールズと監督の2人はアメリカ・ユッカマウンテン、イギリス・セラフィールド、中国・ゴビ砂漠、青森県六ヶ所村、スウェーデン、スイスなど世界各地の最終処分場候補地を巡る旅に出る。
果たして、世界に10万年後も安全な"楽園"を探すことはできるのか

 

2024年6月 6日 (木)

長期にわたる環境汚染に無関心でいられるはずがないー  「折々の言葉」の「沈黙の春」「苦界浄土」「複合汚染」

Isbn406274815_00 鷲田清一さんの「折々のL言葉」(6月5日)になるほどーと。「沈黙の春」(カーソン)と「苦界浄土」(石牟礼道子)はもちろん読んで、大いに感銘したが、考えたら「複合汚染」は浅学菲才にして。なので、今市の書店で探したが、なかったので、ネット「本やタウン」経由で注文することに。その書店の書棚で、有吉佐和子さんの文庫は3冊あり、そのうち「女二人、ニューギニアに」といった紀行文も書いていたのを知りましたー。これもいつか読んでみたいなともー。


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たまたまだが、先週、書店で見かけた鷲田さんの「ちぐはぐな身体」の文庫本を読んだばかり。鷲田さんにはメルロー=ポンティ研究のほか、たくさんの著作があるが、私は「じぶん・この不思議な存在」や「『聴く』ことの力ー臨床哲学試論ー」などが特に印象的だ。「じぶん・この不思議な存在」と「旅のラゴス」(筒井康隆)はときたま若い人の誕生日に贈っているぐらいなのだ。
(以下は6月5日の鷲田清一さんの朝日新聞「折々の言葉」から)

女性の声や力や思想や発想……が国や社会を動かすようにならないと……原発事故以降の日本の社会はうまくいかない

 (片山杜秀)

     ◇

 公害をめぐる物語、『沈黙の春』『複合汚染』『苦海浄土』が、R・カーソン、有吉佐和子、石牟礼道子ら女性の手で紡がれたのは偶然でないと、思想史家・音楽評論家は言う。人を産み、育むことを本気で考えるなら、長期にわたる環境汚染に無関心でいられるはずがない。原発事故だって紛(まぎ)れもない公害だと。『線量計と機関銃』から。

 

2024年6月 5日 (水)

深夜にぴったり城達也「ジェットストリーム」   CD10枚組の「碧空」や「さらばローマ」が

514qqrfdsl_uf10001000_ql80_ ジェットストリームは今も10枚組のCOで聴いています。「シェルブールの雨傘」「さらばローマ」「珊瑚礁の彼方に」「碧空」が特に良く、ふだん聴く手元の50枚の中にいつも。確か10数年前に静岡県熱海駅出口で買い求めたことを覚えている。我が家にある1200枚のCOをときたま入れ換えているが、名調子で聴かせる城達也さんのこのシリーズは手元の50枚から外せないでいる。もっとも聴くのはだいたいがワイン片手の深夜になってからだが。 51jc6khqiyl_uf10001000_ql80_

 

https://youtu.be/tC7NCSCH4xU?si=abYPPyiQ1OOnmsOd

2024年6月 4日 (火)

「なぜ日本は原発を止められないのか?」    今週8日(土)宇都宮で青木美希さん講演会

今週の6月8日(土)、青木美希さん講演会が宇都宮の県弁護士会館で。講演14時半~。無料です。私も「東海第二原発 再稼動はダメ、廃炉を求めます」「津島原発訴訟 原状回復するために公正な判決を求める」「『ALPS処理水』の海洋放出を直ちに停止を求める」の3つの署名担当で参加へ。青木美希Photo_20240604223401 さん自身も6月2日(日)にfacebookで宇都宮講演会への参加を呼びかけています。

2024年6月 3日 (月)

生きることはたえずわき道にそれていくことだ  カフカ没後100年の「天声人語」にうなづく

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「生きることは、たえずわき道にそれていくことだ」ー。絶望名人といわれるだけあって、いかにもカフカらしい言い方だ。私などはまさにその言葉どおりに、若い時代は「たえずわき道にそれて」いたので、ほんとにこの言葉がしっくり。自動車工場の工員を辞めて大学へ。真面目な学生が社会的な怒りから沖縄闘争へ。気が付けば、留置所と独房生活と裁判所へ。結局、大学紛争のあおりで優秀な成績で大学を除籍ー。刑法の世界の経験から新聞社の事件担当キャップ7年間ー。平行して新聞社の労働組合執行委員長を3年連続(4年目も選出されたが、辞退して組合顧問に就く)、新聞労連中央委員も。この間、ストライキを何度も指揮、右翼暴力に対抗するゲバルト部隊も用意した。管理職である報道部長の辞令が2度も出され、まだ若く、組合顧問なので辞退。しかし、「組合つぶしだ」と、組合が混乱。それならばと、全国紙へ。司法、原発、炭鉱、医療を専門に担当し、アイヌ民族や災害、基地、談合の取材も。横浜総局など3カ所の当番デスクも務めてきた。ともあれ、いやはや「たえずわき道にそれて」いたのでしたー。

ある朝、目覚めると、グレゴール・ザムザは「巨大な毒虫」になっていた。フランツ・カフカの『変身』である。どんな虫になったのか。以前の邦訳からは自分なりのイメージが持てたのだが、最近、それが揺らいでいる。いくつもの新訳を読んだからだ▼例えば、「途方もない虫」とか「馬鹿でかい虫」といった訳がある。「化け物じみた図体(ずうたい)の虫けら」とも。作家の多和田葉子氏の訳に至っては、原文をカタカナで記し、「生け贄(にえ)にできないほど汚(けが)れた動物或(ある)いは虫」とする▼何やら、虫ではない可能性もあるらしい。独語の辞書をひけば、ネズミのような小動物も含んだ意味の単語だという。うーむ。何だかよく分からない。いったいグレゴールは、何に変身したのだろう▼実はこれこそ、カフカの狙いなのかもしれない。多くの文学者が指摘することだが、『変身』の本の扉絵に「昆虫そのものを描くことはいけません」とする手紙を、作家はわざわざ出版社に送っている▼あえて彼は、分かりやすいイメージを読者に与えないようにしたのではないか。得体(えたい)の知れない生き物に自分が変質する。その自分とは何か。変わるとは何なのか。優れた小説は深遠な問いを読者に投げかけ、自由な想像を促す▼「生きることは、たえずわき道にそれていくことだ。本当はどこに向かうはずだったのか、振り返ってみることさえ許されない」。そんな言葉を残し、カフカは40歳で亡くなった。きょうでそれから、ちょうど100年になる。

2024年6月 2日 (日)

社会像をめぐる「ベルンシュタイン論争」を理解したいと    「ローザ・ルクセンブルク」の思想と生涯

今の暮らしとかかわると思っている社会像をめぐる歴史的な論争である「ベルンシュタイン論争」の背景と「ドイツ革命」を先頭で指導していたローザ・ルクセンブルクの発想を知りたいと思い、「ローザ・ルクセンブルク 思想と生涯」、「ロシア革命論」、「女たちのローザ・ルクセンブルク」を手に。「思想と生涯」(お茶の水書房)は、パウル・フレーリヒの著作をローザ研究家、伊藤成彦さんが訳した上下2段420頁の大作。最終章である第14章「死にいたる道」は、最後は反革命派が計画した虐殺で終わるのを知っているだけに、なかなか読み進めることができなかったー。

若い時に岩波文庫でローザの「国民経済学入門」「獄中からの手紙」などを読んでいるが、「ロシア革命論」や「思想と生涯」などは、積読のままだった。いやはや、読んでいくと、いかにローザが進行中のロシア革命を擁護しつつ、レーニンの組織論などを根底のところから批判していたことがよくわかった。ただし、ベルンシュタイン論争については、まだまだ今一つ、半可通のままに。本当は大著「資本蓄積論」なども読みたいが、大著でもあり、高価でもあるので、これはパス。ともあれ手軽なブックレット「ローザ・ルクセンブルク 戦い抜いた革命家」(姫岡とし子 山川出版)を注文したばかり。いずれにしても、「ローザ論」に迫るにはまだまだ読み込みが足らないなと思うことしきりだー。

 

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2024年6月 1日 (土)

コルトレーンの柔らかなブルースもいいね    1958年演奏「セッティン・ザ・ペース」の「おもかげ」

小雨模様の月末、昼は冷やし中華か、カルボナーラか、はたまた焼きそばか、ナポリタンかーそれとも、ラーメンか、天ざるうどんか―(いずれも麺類なのですが―)少し迷ったが、結局、ざるうどんに。BGMはコルトレーンの444484287_7503795629749219_2624424650846 「セッティン・ザ・ペース」(1958年録音 全4曲)があったので、BGMに。すると、いやはや、最初のブルース「おもかげ」がなかなか聴かせる。コルトレーンとブルースはあまりなじみがなかったが、こんな柔らかな吹き方もしているのか、と、思ったことだった。コルトレーンというと、ハードな演奏というイメージがあるので。なので、今になって、コルトレーン再発見というのは大げさだが、少し再認識したかなと。

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