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2024年6月28日 (金)

「第二次大戦後の疲弊した魂に響いた」ー  宇田川悟さん「サルトルとボーヴォワール」  

facebookともだちの宇田川悟さんは、大のフランス通で、フランスに関する何冊もの著作があるが、その流れで、サルトルとボーヴォワールについても書いている。その連載の一部が興味深かったので、BLOG「霧降文庫」転載しようと。あいにくと、私たちの時代はサルトルから離れていたので、「実存主義」にはどうも縁遠かった。ただ、サルトルとカミユの論争、「革命か、反抗か」は読んでいる。時代を考えると、私たちのひと世代上の1960年代の若者たちはサルトルは必読だったのだろう。その感じは推測できる。1970年代前後、つまり「70年安保」世代の若者は、というか、私は「情況論」「共同幻想論」「高村高太郎」の吉本隆明であり、「邪宗門」の高橋和己であり、「都市の論理」の羽仁五郎であり、いずれも詩人の清水昶や秋山清や金子光晴や道浦母都子や岸上大作や山頭火だった。もちろん、「資本論」「経・哲草稿」「経済学批判」のマルクス、「反デューリング論」のエンゲルス(全12巻だったか?、「マルクス・エンゲルス選集」は必読本だった)、「国家と革命」と「帝国主義論」のレーニン、「ロシア革命史」のトロッキー、「国民経済学」のローザ=ルクセンブルク、「ヒューマニズムとテロル」や「眼と精神」「知覚の現象学」のメルロ=ポンティ、「歴史哲学」「精神現象学」のヘーゲル(「精神現象学」は難解で半可通だったがー)、「工場日記」のシモーニュ・ヴェイユなども。というわけで、サルトルとは縁がなかったが、宇田川悟さんの記事に触発されたこともあり、再び「革命か、反抗か」を読んでみたい。書棚にあるかと思って探したが、(我が家にある書籍8000冊のどこかに埋もれていると思うがー)見つけられなかったので、今夜、「本やタウン」経由で、サルトル、カミュ、ボーヴォワール、ポンティ、バタイユなどを論じた新刊の新書「戦後フランス思想」とともに注文した。

(以下はfacebookの宇田川悟さんの記事から)










シモーヌ・ド・ボーヴォワール16
長い文です。
サルトルは『自由への道』の最初の2巻を刊行し、さらに『実存主義はヒューマニズムか』というタイトルの講演を行い、大勢の人たちが押しかけて、それがスキャンダルに発展したことは前稿に述べた。
改めて実存主義を一言で言えば、一切の価値の根源を、人間を超えた客観的な全体性からではなく、人間の主体そのものに求める思想である。従って、個々の人間に先行して運命や人間性という人間の本質があるという考えが否定された。
先の講演会『実存主義はヒューマニズムか』の中で、彼の主要なテーゼである「実存は本質に先立つ」をこう簡潔に説明している。
「人間は後になってはじめて人間になるのであり、人間はみずからが造ったところのものになるのである。このように人間の本性は存在しない。その本性を考える神が存在しないからである」「人間はみずから造るところのもの以外の何者でもない」
再三述べたように、サルトルとボーヴォワールが、特に若者の人気を得て時代の寵児になったのは、フランスが4年余の戦争から解放された時点である。従来の価値観と異なる新しい思想を求めていたフランス人の希望を掬いとり、その流れに乗った2人が提唱した実存主義は、すぐさま社会的な流行現象となって燃えさかった。
すべてが偶然の産物でないのは言うまでもない。戦後の激動の時代が希求していたものと、彼らの思想との間に一致点があったからである。過酷な戦争によって既成の秩序や価値観などが崩壊した後に唱えられた実存主義が、疲弊したフランス人の魂に響いたのである。
その風潮は同じ状況に置かれていたヨーロッパ諸国に伝播し、彼ら2人は一躍国際的な有名人となった。この現象がもたらされたのは、彼らの才能と実力もさることながら、フランスの国内事情も大きく作用した。
ボーヴォワールはその理由をこう書く。
「列強国の中で二流の位置に落ちたフランスは、輸出向けに、純粋の国産品であるオートクチュールと文学を宣伝することによって自己防衛しようとしたからだ」と、オートクチュールと新しい文学の二枚看板を輸出の道具に利用したのである。
そして、フランス発の「ほんのちょっとした作品でも歓声を持って迎えられ、その著者をめぐって鳴り物入りの大評判が巻き起こるのだった」 と指摘した。
だが、過酷な現実を直視するという彼らの姿勢は、そんな現実から目を背けたい保守的な大衆を遠ざけただけでなく、しかも戦後の思想界は、東西の冷戦構造の深刻化によって左右の陣営が対立を深めていった。
保守的な右派グループがサルトルとボーヴォワールの思想の中に、「18世紀の合理主義や19世紀の実証主義以上の重大な危険思想を指摘し始めた」と見なす一方で、対抗勢力である新勢力の進歩的な左翼陣営と彼らは確執を抱えていた。
元来、サルトルは未来の理想社会を社会主義に委ねていたので、むしろ積極的にコミュニストとの対話や共闘を待ち望んでいた。ところが左翼側は、同じ社会の未来像を共有していたにもかかわらず、むしろ右翼の誹謗中傷を逆手に取り、サルトルを堕落の賛美者、大衆の敵、虚無と絶望の哲学者と罵っていた、とボーヴォワールは書く。
こうしてサルトルとボーヴォワールは、コミュニズムを支持しながら批判を続けるという、アンビバレントな苦悩の只中でもがいていた。
彼らは時代の寵児でありながら、左右両陣営から執拗に攻撃され、孤立していったのである。
(続く)





宇田川悟







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