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2024年7月14日 (日)

「青臭い青春」を否定できない色あせない気分   創刊50周年記念『序説第31号』編集後記

同人誌「序説第31号」編集後記 黒川純  2024年7月13日(土)

「人間は変る、歴史も、世の中も、すべては変る。あなたも、私も、彼らも、すべて年月とともに変わっていく。それが人間の成長なのか。それが人生のほんとうの現実なのか。私は青臭い青春というものを、まだ否定できぬままに年を重ねてきました」―。大河小説で映画にもなっている『青春の門』や『親鸞』、あるいは直木賞作品『蒼ざめた馬を見よ』などで広く知られる五木寛之の新潮新書『眠れぬ夜のために 1967ー2018 五百余の言葉』(2018年11月発行)にあるフレーズだ。初出は小説『内灘夫人』とある▼この同人誌『序説』は今回の31号で1974年12月の創刊以来、50年を数える。この半世紀を振り返った場合、この五木寛之が小説の中で語っている「私は青臭い青春というものを、まだ否定できぬままに年を重ねてきました」という言葉がまさにぴったりする思いがする。半世紀前、同人のほとんどが大学を卒業したばかりか、あるいは、除籍になろうかという年代。いずれにしろ全員がまだ20代前半だ。それこそ「青臭いPhoto_20240713234901 青春」にあった。いずれも年を重ねて、今やなんと70代という老人世代。働き盛りのときに四半世紀の期間、休刊していたが、2006年に復刊。以来、年に一度、この冊子を発刊してきた▼いわば欲得抜きに、手弁当そのものでつくっている同人誌をかくも長きにわたって継続してきたその原動力には何があったのか?母体となったのは、何度か書いているが、当時の大学改革をめざした「全学活動者会議」に集まった仲間たちだ。考えてみると、こうした冊子を世に送り出そうとした源流は、私たちが誕生させた全共闘系の大学自治会が発行した『創生 第3号』にあると思える。発行は1973年4月。『序説』創刊の1年8カ月前のことだ。この『創生』の代表は「序説」同人である高橋一男君、そして表紙担当はやはり同人の野村タカオ君だ。私もこの自治会誌に高本吾郎のペンネームで「或る闘争日記」を書いている。高本は当時、若者によく読まれた『邪宗門』の高橋和己と『共同幻想論』の吉本隆明から一字ずつとっている。今の若者にはなじみがないだろうが、この二人は当時の時代を代表する論客だった▼この高橋君は序説に「京と」を連載中だ。今号でなんと11回を数える。学生運動が盛んだった1969年6月に鉄道自殺し、その後、大学ノートに遺された彼女の日記で構成された『二十歳の原点』の立命館大3年生だった高野悦子(栃木県宇都宮女子高出身)を慕い歩きながら、建築についても語っている。1960年代末期を代表するこの本はベストセラーとなり、1973年10月にはこれを原作とした映画も公開され、私も観ている。半世紀前の『序説 創刊号』を開くと、高橋君は「ぼくたちはばくたちでありいつまでもぼくでありたい」という題名の断章を寄稿している。その結語で「富岡さんや弘君や園部君や野村君や大木君や君島君や安斎さんや、そして郡司君らと」と書いている。その50年後になった今年だが、ここに名前が挙げられた8人はいずれも同人や準同人で、なんと一人も欠けることなく『序説』に参加している。これにはいささか感慨深いものがあった。磯山オサム君が第二号から同人に加わっているが、基本的には創刊号仲間がそのまま50周年記念号を迎えたということだ▼『序説』は、この間、『東日本大震災・フクシマ原発特集』(2011年、第18号)、『特集 コロナと私たち』(2020年、第27号)、『小特集 ウクライナ侵攻』(2022年、第29号)の特集も組んでいる。こうした政治、災害、原発、戦争、社会、世間などに向き合っているが、その構えの大元は、その関わりの原点は、冒頭に挙げた「青臭い青春というものを、まだ否定できぬままに年を重ねてきた」ところにあるのではないかー。青臭いというと、人格や言動がまだまだ未熟だという意味とされる。だが、私たちの青くささは、未熟だというよりも、青春の特権である理不尽なこと、不条理なこと、不合理なことに対して、右顧左眄しないで、つまり、周りのことばかり気にして判断を迷うのではなく、それを見過ごすにできない心構えだと言えるではないか▼青臭いということは、否定的な意味ではなく、むしろ何事につけ、周りに合わせようとする同調圧力が強い今の時代には逆に肯定すべき貴重な姿勢、性格、志向ではないかと思う。五木寛之はその意味で語っていると読み取れる。さらに言えば、一般的な未熟さも抱えてはいるが、同時に青く若い純粋な気分を否定できないままに生きてきた、と伝えたかったのではないか。それを象徴するかのように今回の「創刊50年に寄せる」で、磯山君オサム君が「色あせない気分を保つ自分がいる」と伝えている。おおかたの同人の気分を代弁するかのような言い方だと思う。半世紀経っても、若者時代にその意思や行動を共有した創刊同人がそのまま健在であることを思うにつけ、そう思うことしきりだ。そのための編集後記の結語には、やはり五木寛之の『眠れぬ夜のために』にあり、『無力』が初出の以下のこの言葉が、それなりにふさわしいかもしれない。私たちをいささか元気づけようという思いもあるにはあるのだが(笑い)。「青年は、荒野を目指す。老人もまた荒野をゆく」(黒川純)

 

 

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