もし自由に資料を集めさせ、自由に「日露戦史」を書かせていたらー 『司馬遼太郎全講演3』「小村寿太郎の悩み」
司馬遼太郎全講演(全5巻)の(1)、(2)、(3)巻まで読んだが、さすがに繰り返すような話が出始めてきているのを感じた。それもあり、(1)巻のときのようなある種の知的興奮はかなり薄れてきている。それでも各巻とも、「おや、これは知らないぞ」「こんな解釈もできるのだね」というところはところどころに。きょう7月29日(月)に読み終えた(3)巻で言えば、「記録」の大事さについて。東日本大震災や福島第一原発事故について、「もうそんなことは知りたくもないし、聞きたくもない」「そんなことを知ってどうなるのか」「記録を伝えることでどんな役に立つのか」といった趣旨のことを話すことを聴いたからなおさら。以下の司馬遼太郎の文章を紹介しておこうと思った。(3)巻の「小村寿太郎の悩み」について。ご存じのように小村寿太郎は米国のポースマスでロシアのウィツテとの講和会議に臨み、「貧しい講話」を結んだ。それについての講演だ。司馬のこの見方が正しいかどうかはやや疑問符もつく。ただ、司馬的な情報把握、事実確認、歴史判断は必要だろうと思わせる。
全講演(3)によると、日露戦争について、日本陸軍は全10巻の「日露戦史」を残している。参謀本部の編纂だ。「あれはいくらですか」と聞いたら、その当時の雑誌一冊の値段だった。番頭さんは「あれは紙くず同然でして」と言っていた。税金でつくった本だが、それもそのはず、内容は「土木工事の日記のような記事。価値観は何にもない」と書いている。そのうえで以下のように話したという。
もし資料を自由に集めさせ、自由に日露戦史を書かせたならば、私は太平洋戦争は起こらなかったと思っています。なけなしのポケットマネーで日露戦争をやり、きわどいところで勝ったとはいえ、しょせんロシアにとっては辺境での出来事です。ポースマス条約は、たしかに戦勝国としては考えられないほど貧しい条約でした。賠償金もロシアは出すつもりはなかった。文句があるならもっとやるぞというのがロシアの姿勢で、あれが限度でした。そのことが書かれていれば、日本は太平洋戦争のようなことはしなかった。国民はだまされてましたね(略)小村寿太郎は精一杯やって、しかし、小村寿太郎は日本を出るときに覚悟していました。帰ってきたら家は焼かれ、石を投げられるだろうと。なぜかと言えば、新聞その他が国民を煽っていたからでした。この戦争は大いに勝った。だから、ロシアから領地をふんだくれ。樺太のみか沿海州もまでふんだくれ。賠償金は何億ドルもらえる。これを言ったのは、東京大学法学部の6人と学習院の教授であります。これを新聞が書き、民衆が踊る。7人の扇動者は何の資料も持たずに、これだけのものが取れる、これだけのものをロシアがノーと言うなら、もっと戦争を継続せよという決議案まで政府に提出した。それをまた新聞は載せる。民衆は何も情報を持っていませんから大騒ぎとなり、そんな状況にあって小村寿太郎は貧しい講話条約を締結した。その締結の日、日比谷公園で大会が行われて、そのあたりは火がつけられました。内相官邸も襲われました。民衆のパワーですね。私はこう考えています。日本の帝国主義はこの瞬間から始まった(以下、略)
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